スポーツの自立を目指して Jリーグ20年/忠鉢信一(朝日新聞編集委員)
nippon.com 4月18日(木)23時26分配信
戦後の日本スポーツ界に与えた影響の大きさで、Jリーグは1964年の東京五輪で金メダルを獲得した「東洋の魔女」ことバレーボール日本女子代表と、プロ野球の人気チーム、読売巨人軍の試合のテレビ中継「巨人戦」に匹敵する。
東京五輪でのバレーボール女子代表の活躍は、女子スポーツの日本でのステータスを高めるきっかけとなった。金メダル獲得によるバレーボール人気は、その後のいわゆる「ママさんバレー」の普及につながり、結婚して家庭を持った元代表選手たちも積極的に普及にかかわった。波及効果はバレーボールのみならず、女性がスポーツに親しむ環境の土台を作った。
「巨人戦」では長島茂雄、王貞治というスター選手を抱えた常勝巨人軍と、日本テレビ放送網の組み合わせが、エンターテインメントとしてのスポーツ中継の「形」を作り上げた。
対戦相手がどこであれ、巨人の試合であれば大きな付加価値がつくというこの仕組み。放送局の都合で試合の序盤と終盤が中継されないのにもかかわらず、実況と解説という演出によって試合がひとつの物語に仕立てあげられ、視聴者を満足させた。
Jリーグの登場は、「スポーツは大企業の付属品」というプロ野球的な考えに染まっていた日本スポーツ界のパラダイムを変えた。
Jリーグ以前の日本のトップレベルのスポーツは、企業の福利厚生という名目で存在する実業団チームや実業団所属の選手と、巨人軍を含め大企業のオーナーシップによって成り立つプロが中心だった。対してJリーグは「スポーツが自立する方法がある」と人々が考えるきっかけをもたらした。
現在のJリーグにも親会社に頼った経営を続けるクラブは存在するが、リーグの方針は、各クラブが独立した企業となり試合の興業、サッカーの普及、選手の強化によって自立した経営をすることにある。つまりスポーツ自体を継続可能なビジネスとして自立させようとしている。
都道府県レベルのリーグでプレーするクラブであっても、昇格を続ければ頂点のJ1で競えるという制度設計も、サッカーに関わる人々の夢を広げ、この20年間のJリーグ発展に大きく寄与してきた。実際、Jリーグ発足後に県リーグからJ1まで駆け上がったチームがある。プロとアマとの間に明確な壁があり、チームの入れ替えのないプロ野球とは大きく異なる。
Jリーグ発足後、日本サッカーの競技力は向上し、代表チームはワールドカップ本大会に1998年以降すべて出場している。地域のサッカーがプロへ、そして世界へとつながっている、と実感できる仕組みが引き出した人々の意欲と無関係ではない。
最終更新:4月18日(木)23時26分
記事提供社からのご案内(外部サイト)
『nippon.com』を見れば |