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ぼく わるかった

  ●番組開始当初はレコード化の企画もなくある意味ではディレクターの思いのまま自由奔放に製作をしていた。紹介するこの曲「ぼく わるかった」はノッポさんの高見映作詞、越部信義作曲のゴールデンコンビ。子どもに媚びないシュールな詩、菅沼弘のアンニュイな歌声でもっとも私の好きな曲である。

フェデップレコードはポッンキッキの会員頒布用のレコードです。

宇宙船地球号のマーチ

  ●番組プロデューサーの野田昌宏はSFの世界では大元帥とうわさされる超有名人。野田さんのアイディアから宇宙船地球号(今では誰でもが言うようになった言葉)をテーマとした作品が作られた。昭和48年の作品である。歌い手のロイヤルナイツは男性コーラスのグループ。初期のポンキッキ作品にはよく登場してもらった。

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パップラドンカルメ

  ●未確認おかし物体 パップラドンカルメはお菓子やさんにもデパートにもどこにも売っていないお菓子。その正体はいかに?いかにも不思議なお菓子を作って売り出そうというあざとい企画の歌だが、なぜか番組に問い合わせは来なかった。昭和53年5月発売。若子内悦郎はNHKステージ101出身の歌手で、その後数曲ポンキッキの曲を歌ってもらった。

ごあいさつのうた

  ●昭和57年暮発売。ブレイク前後のアルフィーを起用。片面はごめんなさいOH YEAH!の矢野顕子。メジャーシンガーを使い始めたはしりの曲にあたる。「おはよう おやすみ こんにちは こんばんは‥‥」の挨拶言葉ではじまるこの歌は、アルフィーのハーモニーが美しく、こどもの歌つくりのひとつの方向性を強く感じて思い出深い。作曲は四人囃子の岡井大二。

あいうえおほしさま

  ●ことばのカリキュラムのうた。幼児番組なら必ず試みるテーマだが、作詞の吉田美智子(現在日本を代表するボイストレーナー)の強いイメージから作品になった。番組の歌つくりにも一定の評価が出来つつある頃で、明るく跳ねる歌からしっとり口ずさむ歌までいかにもポンキッキ感のテイストの唄である。

パンダがなんだ

  ●市販レコード第一弾「たべちゃうぞ」のB面の曲。作詞の海友彦は電通のクリエーター。作曲は小倉靖。昭和50年4月発売。当時日本はパンダブームに沸き立っており、あまりのパンダ人気にタヌキが嫉妬したという秀逸なアイディアから生まれた歌。パラダイスキングから独立した石川進が飄々と歌っている。

ドキドキドン!一年生

  ●作詞家 伊藤アキラ先生の引きだしの多さに関心した覚えがある。伊藤先生は「この木なんの木」を始めとしてCM界のプランナー兼コピーライターの大御所。もちろん子供の歌でも「ピンポンパン体操」など多くのヒット曲を作詞されている。歌い手のぶんけ かなちゃんは、今や21歳往年のポップス界のアイドル槙みちるの長女。絶対音感をもった音感と歌唱力に大変びっくりした憶えがある。

おふろのかぞえうた

  ●ひとつとせ〜♪ 当時、音楽制作の中にコンピューターや、各種のエフェクター類の機材が盛んに導入されるようになり、ハーモナイザーなどの特殊機械を使って、歌を加工処理して作った。子供とお風呂という普遍的なテーマで流行した。これも作曲の佐瀬寿一がスタジオで遊びながら作った楽しい曲。

もくべえじろべえ

  ●元参議院委員であった中山千夏さんにほのぼのとのんびりとした昔話の世界を書いてもらった作品。作詞、作曲、歌というシンガーソングライターの歌はポンキッキでは珍しく、数曲しかないはずだ。

からだ元気?

  ●「はたらくくるま」のB面曲でレコードで発売された。当時この曲が番組にながれると、視聴者からの反応が多く、ひさしくヒット曲に恵まれていなかった番組サイドでは繰り返し流した覚えがある。レゲエのリズムで体の各部分を憶えるという、いかにも幼児教育番組ポンキッキらしいと評判になった。歌手のしょうじけいすけは娘さんとレゲエバンドをやっていると聞くが……。

たべちゃうぞ

  ●フジテレビの幼児教育番組としてスタートした「ひらけ!ポンキッキ」が視聴者のお母さんに 広く作詞を募集した。その取り上げ作品第一号「たべちゃうぞ」という一見子供に恐怖感をあたえるようなタイトルだがその中身はお母さんの子供に対して愛情あふれる一環した視線が評価をうけた。

ハッスルばあちゃん

  ●作曲家の佐瀬寿一氏は流行の音楽シーンを取り込む天才。当時流行っていたバン・マッコイや、スタイリスティックスなどの音楽をいち早く取り入れ、流行りのリズムと、当時周航したジャンボジェット機を子供番組で紹介したことなどから一時の話題を呼んだ。ドゥ・ザ・ハッスル!

カンフーレディー

  ●80年9月発売。おそらく、子ども用にカンフーを使ったのはこの曲が最初ではないのか。少なくとも私の知る限りそのはず。早朝の横浜中華街で撮影ロケを敢行。カンフー少女は高田とも子さん。当時、永谷園のふりかけのCMで柳家小さん師匠といっしょに出演していた愛苦しい女の子といえば、思い出す方もいらっしゃるだろう。 編曲の斬新さと意表をついた四文字熟語?東西南北、春夏秋冬、健康第一、交通安全、麻婆豆腐、七転八起というような言葉をメロディにもぐりこませて、大ヒットし た。朝日新聞全面にこの曲の振り付けがのったりして、大いに話題を呼んだ。仕掛けをしてヒットを出すという快感を覚えたきっかけの曲である。

ママのみぎてはまほうのて

  ●パタパタママより一年も前に作られたお母さんをテーマにしたうた。
 フォーク歌手なぎらけんいちに唄ってもらったポンキッキ第一作品。
 音楽製作費が潤沢にない制作環境でエネルギーを持ったディレクター、作詞家、作曲家、歌い手が新しい子供の歌作りに燃えていた。イラストは柳田邦江。

パタパタママ

  ●当時船橋の安アパートに住んでいた作詞家 高田ひろお氏は前作たいやきくんを当て、そろそろ田園調布に住まいを移そうとしていた頃、お母さんの一日を唄った歌を作りたいという発注をかけた。
 6時に起きて雨戸を開け、7時にご飯をつくり・・・というような非常にラフなコンセプトから
このような見事な擬態語を入れ込んだ詩が出来た。
作詞家の充実した時期の作品。

まるさんかくしかく

  ●作詞の山田ともこさんは子供の詞を書くグループのリーダーで何作かの作詞売り込みを受け、採用したのがこの曲。○星△星□星の宇宙の平和を歌にした。当時「パタパタママ」でのりに乗っていた歌手、のこ いのこ に引き続き歌ってもらった。依然として人気のあるポンキッキらしい代表作である。

そらとぶさんりんしゃ

  ●たいやきくんの影で忘れられたような存在だが最もポンキッキらしい作品として根強い人気を持っていた。
 三輪車で空を飛ぶというありふれた子供の夢を軽快な音楽と共になぎらけんいちが飄々と唄ってくれた。

サンデーパパ

  ●「パタパタママ」のシリーズ「サンデーパパ」。「パタパタママ」がお母さんの一日を歌ったものなら「サンデーパパ」でのお父さんは一週間を歌った。子供に期待されるお父さんは、いつでも子供といつも一緒にいて遊んでくれるお父さん。歌手は作曲の佐瀬寿一本人。佐瀬さんは学生時代ビートルズのコピーバンドをやっていたことから歌唱表現もなかなかのもの。

およげ!たいやきくん

  ●あまりの大ヒット曲になってしまったので、この曲のエピソードは数多いが、制作担当者から披露されていないエピソードを紹介しましょう。この曲はポンキッキの7月の歌として企画をされたのだが制作期間もなく「詩が長いの、曲が長いの」と悪評プンプン。当時フジテレビ幼児教育部筧さんの一言で制作決定。歌い手はフォーク歌手 生田敬太郎。早稲田アバコスタジオ。オケ取りは今では懐かしい2チャンネル一発録音。歌入れも、ものの4回ほどでOK。今考えると実に製作費は安かった。

はたらくくるま

  ●この曲のおかげで子供用乗り物のビデオや歌が売れに売れた。乗り物図鑑の歌としてはなかなかよく出来ていると思う。作詞の第一稿は図鑑的な要素がない単なる乗り物ソングであったが、こちらの意向にこたえて伊藤アキラ先生がうまくまとめてくれた。作曲の越部信義先生が実に楽しく明るくさわやかな歌に仕上げてくれた。第一弾がのこいのこ、第二弾が子門真人、第三弾がこどもと連続して作品化された。

いっぽんでもニンジン

  ●当時のポンキッキスタッフは今考えると梁山泊のごとく才能のかたまりのような人材がたむろしていた。 製作費もないのでスタッフが自ら詩を書くことが頻繁にあり、作詞の前田利博はアメリカインディアンの風貌、学校出たてのライター上がり。詩にもならない言葉の羅列の詩を一年間ねかせ、ものを数える助数詞に言葉をそろえ作品化。ちなみにこの詞にはミスが一つあり、「5台でもロケット」のロケットは5機が正しい。

ドラネコソラシド

  ●このうたもポンキッキの名曲。ON AIRの回数が少ないので、おぼえている方も少ないかもしれません。78年11月発売です。高田ひろお作詞、小林亜星作曲、のこいのこ歌。番組に勢いのあるころで、当時河田町にあったフジテレビの正面に『母と子のフジテレビ』というキャッチフレーズがかかっていた。「オイラは血統書つきのドラネコニャン」で始まる詞に、さびはピアノ、ギター、トロンボーン、クラリネットなどなど楽器をおりこんで、多少カリキュラムを意識した歌。コマーシャルSONGの大家小林亜星さんの作曲だが、後日、やはりアニメか何かの主題歌で、この曲のさびそっくりの歌が歌われていたのにはたいへんびっくりした。

シュガーシュガー

  ●81年5月発売。CX-127。わが娘を映像に採用して貰った懐かしい思い出がある。作詞の吉田美智子 作曲の甘糟ユキ・関谷雅子は女性バンド「レベル」の三人組。バンド解散後に番組の歌つくりに参加して貰って、ワイワイがやがやと、女性にか こまれながら、いつのまにか一曲出来上がりというつくり。曲つくりは感性勝負なので、ディレクターがOKといえばそれでおわり。若い女性作 家陣に囲まれて楽しかった思い出。当時3歳になった我娘もクロマキー処理してご出演。も一度番組でかけてくれないかな。編曲は巨匠佐久間正英氏。

ヒポポタマス

  ●文字通り「かば」のうた。運の悪いヒポポタマスの一週間。詞の内容を披露すると問題がありそうなのでここでは割愛。ただ幼児教育部の目の届かないところで作って放送にかけてしまったところ、かわいそうだ視聴者の意見が多く、ほとんど番組では放送できなかった。ただし、レコードでは発売。この頃は、歌のテーマも豊富で、 企画会議もなんのその。モノつくりの楽しさを存分に味わっていた。名曲『もものハート』『ABCの歌』『1・2・3』と4曲カップリングシングル。実を申せば当時ポンキッキの教育セットを作っており、そのなかで作った曲を番組にもぐりこませたという経緯。歌は『パタパタママ』ののこいのこ。

カモメが空を

●いまのPキーズで男性四人コーラスがアレンジをかえて歌っているのを聴いた。原曲のイメージとは程遠いが、メロディーは変らない。おそらくこの曲に対する問い合わせがたくさんあって、現在の番組スタッフがあのような形にしたのだろう。作詞の三輪道彦は昨年(2004年4月)亡くなってしまったが、彼の代表作。バージョンは3種類あり、「カモメが空を」という仮のタイトルのまま。市販はされない幻の曲になってしまった。その辺の事情に少しばかり触れると、当時大活躍をしていた「ゴダイゴ」に作曲、演奏をお願いしたから‥‥。といっても分からないだろうが、私のレコード会社はキャニオンレコード。ゴダイゴはコロムビアレコード。会社間のアーチストの貸し借りでもめてレコード化することが出きなかったのである。このHPでもさかんにこの曲の問い合わせがあるのだが、おって詳しくその辺の事情は紹介しよう。歌はかはしかつみ。一世を風靡したGSタイガースのボーカル。天空に抜けるような透明感のある高音と、やさしさに包まれた歌声がすばらしかった。一口坂スタジオ(巷間たいやきスタジオ)の柿落としの仕事だった。


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