写真:AP/アフロ
アジア人史上初の世界最優秀選手賞(女子バロンドール)受賞者で、日本女子代表では歴代トップの出場数とゴール数を誇る。2011年ワールドカップでは主将としてチームをけん引。初優勝に導き、大会得点王とMVPに輝いた。
なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)・澤穂希の挑戦と栄光の軌跡をひもとくとき、特に注目すべきことがある。それは彼女が、調子の浮き沈みが少ない選手であるということだ。2011年女子ワールドカップ(W杯)優勝後に話を聞いた際にも、「絶好調って、どういう状態か分からないんです。私はいつも普通だから」と語っている。
15歳で日本代表に入り、20歳になると単身米国に渡りプロとして活躍。32歳の夏には女子W杯得点王とMVPを獲得し、チームを世界一に導いた。そして同年度の世界最優秀選手賞(女子バロンドール)を受賞すると、翌12年にはロンドン五輪で日本サッカー史上初の銀メダルをもたらした。それらの華々しいキャリアは、すでに多くの人に知られていることだろう。
しかし、成功に彩られた人生はすべてが順風満帆というわけではなかった。むしろ逆境の連続だったと言える。
15歳で日本代表に入り、20歳になると単身米国に渡りプロとして活躍。32歳の夏には女子W杯得点王とMVPを獲得し、チームを世界一に導いた。そして同年度の世界最優秀選手賞(女子バロンドール)を受賞すると、翌12年にはロンドン五輪で日本サッカー史上初の銀メダルをもたらした。それらの華々しいキャリアは、すでに多くの人に知られていることだろう。
しかし、成功に彩られた人生はすべてが順風満帆というわけではなかった。むしろ逆境の連続だったと言える。
男の子に交じってサッカークラブで活躍していた小学生時代には、「少年サッカー大会は少年少女サッカー大会ではない」という大人の理屈により、チームのエースだったにもかかわらず全国大会(の東京都予選)への出場は認められなかった。また、20歳で米国行きを決めた背景には、1990年代後半の不況による日本女子サッカーリーグの衰退に伴い、プロ契約を解除された事実がある。
だが、澤は逆境に負けなかった。母・満壽子さんは、節目節目のタイミングで「チャンスの波に乗りなさい」と語りかけ、澤の背中を押したという。
逆境とは、本人の感じ方次第で大きくも小さくもなるものだ。澤の場合、先述したような理不尽な環境の変化に一瞬たじろぐことはあっても、自暴自棄になることはなかった。「ピンチはチャンス」とばかりに、変化を受け入れて対応してきた。
冒頭で、彼女のメンタリティーは「いつも普通」だと記した。とはいえ、“普通”を毎日、何年間も維持することは、いくら澤とはいえ、難しいはずだ。実際、おそらく普通ではいられなかったであろう時期が2度ある。1度目は04年に見舞われた右ひざ半月板損傷。2度目は12年に発症した頭位めまい症だ。いずれもプレーすることができない状況に陥った。
だが、澤は逆境に負けなかった。母・満壽子さんは、節目節目のタイミングで「チャンスの波に乗りなさい」と語りかけ、澤の背中を押したという。
逆境とは、本人の感じ方次第で大きくも小さくもなるものだ。澤の場合、先述したような理不尽な環境の変化に一瞬たじろぐことはあっても、自暴自棄になることはなかった。「ピンチはチャンス」とばかりに、変化を受け入れて対応してきた。
冒頭で、彼女のメンタリティーは「いつも普通」だと記した。とはいえ、“普通”を毎日、何年間も維持することは、いくら澤とはいえ、難しいはずだ。実際、おそらく普通ではいられなかったであろう時期が2度ある。1度目は04年に見舞われた右ひざ半月板損傷。2度目は12年に発症した頭位めまい症だ。いずれもプレーすることができない状況に陥った。
写真:PanoramiC/アフロ
半月板を手術した後には、2カ月後に迫るアテネ五輪に間に合わせるための過酷なリハビリに、涙したことがあるという。そのときばかりは、「もうダメかも」と思ったそうだ。だが、澤はすぐに自分で気づいた。
「夢が私から逃げるんじゃない。私が夢から逃げようとしていたんだ」
気づいた瞬間から、澤はまた全力で走り出した。結果、アテネ五輪本大会で3試合にフル出場を果たした。
めまい症から復帰し、約100日ぶりの代表戦に出場した直後は、さすがにハイレベルな実戦感覚を取り戻せずにいた。それでも澤は「ロンドン五輪には必ず間に合わせる」と公言。メディアからは懐疑的な声もささやかれていたものの、アテネ五輪前の復活の経験が澤の心のよりどころとなっていた。
「だから間に合わせるって言ったでしょ」
宣言通りにロンドン五輪の初戦で力強いプレーを見せると、彼女は試合後、報道陣の前でそう言って笑顔を振りまいたという。
これら2度の“普通じゃない”苦難を、彼女はなぜ乗り越えることができたのだろうか。
その答えは、「体調が良い日も悪い日も、その日の100%を、自分の夢にささげる」という心構えにほかならない。「今日はつらいから手を抜いちゃおう」ではなく、「今日はつらいけど、今日できることを精いっぱいやろう」という気持ちで努力する。それが、澤にとっての“普通”の行動なのだ。
澤は自ら実践する毎日の行動習慣を、“夢のレンガ”という独特の表現を使って、次のように説いている。
「夢のレンガとは、自分の足元に自分で積み上げるものです。自分が立っている地面に、一日一段、レンガを積むんです。翌日は、その自分で積んだレンガの上に立って、また一段、新しいレンガを積むんです。そうして一段ずつ積み上げていけば、ずっと先にある夢は『高い壁』ではなくて、『階段』になっているはずです。壁は一気に乗り越えられなくても、階段だったら上れそうだと思いませんか?」(「夢をかなえる。」澤穂希著・徳間書店より引用)
この澤の言葉は、人の心に響く。希望が湧いてくる。ならばその階段も自分で作ればいいんだよと、澤は私たちに教えているのだ。夢をかなえるために、一発解答や必殺技、奇跡にすがるつもりはない。今日も明日も、“普通に”淡々とレンガを積み続けるだけだ。
【参考文献】
「ほまれ」澤穂希(河出書房新社)/「夢をかなえる。」澤穂希(徳間書店)
(文:江橋よしのり)
澤は自ら実践する毎日の行動習慣を、“夢のレンガ”という独特の表現を使って、次のように説いている。
「夢のレンガとは、自分の足元に自分で積み上げるものです。自分が立っている地面に、一日一段、レンガを積むんです。翌日は、その自分で積んだレンガの上に立って、また一段、新しいレンガを積むんです。そうして一段ずつ積み上げていけば、ずっと先にある夢は『高い壁』ではなくて、『階段』になっているはずです。壁は一気に乗り越えられなくても、階段だったら上れそうだと思いませんか?」(「夢をかなえる。」澤穂希著・徳間書店より引用)
この澤の言葉は、人の心に響く。希望が湧いてくる。ならばその階段も自分で作ればいいんだよと、澤は私たちに教えているのだ。夢をかなえるために、一発解答や必殺技、奇跡にすがるつもりはない。今日も明日も、“普通に”淡々とレンガを積み続けるだけだ。
【参考文献】
「ほまれ」澤穂希(河出書房新社)/「夢をかなえる。」澤穂希(徳間書店)
(文:江橋よしのり)