何だか久しぶりにロッツガルドに戻ってきた気がする。と言っても、たかが数日振りなんだけど。

 巴の推測を元にした気候変化の調査で最近は亜空にいる時間も増えてきた。

 あの天才侍モドキの考えは概ね正しかったようで、報告翌日から始まった試行で亜空の気候はこれまで以上にころころと変わった。紅蜘蛛 II(水剤+粉剤)

 ただ、推測を下敷きにして行っていることなので、住人には予め大体の予想を伝えられていて特に問題は起こらなかった。

 どうやら僕が開けた最後の門が影響しているようだった。多分確定だと思う。

 最後の、と言うのは痕跡を残して巴と僕以外にも澪にも使える状態の門だ。識が自分もそろそろ出来そうだと言っていた。頼もしい。

 だから一回一回きちんと消して使う方の門だと影響は無い可能性が高いのだそうだ。

 多少の詠唱を含めるか、無詠唱で出すかくらいの違いしか無いのでどちらも僕には苦にはならない。学園から開く門を痕跡無しのものに変えて、今は初夏に近い穏やかな気候が亜空に広がっている。やや雨が多いのが難点だけどリザードなどは喜んでいた。彼らは熱帯気候がお気に入りのようだったので、それでも少し悪い事をしたかもしれない。気を遣わせてないと良いんだけど。

 巴は再び調査へと旅立った。幾つかポイントをつけて回って、四季の巡る場所を見つけるんだと奮起していた。亜空が日本みたいに四季を得る日も近いかもしれない。巴は僕と違って集まったデータからその先の結果を予測するような考えも出来るようだから、得られた気候情報のパターンから望みの場所を割り出したりしそうだ。

 今日は学園で講義をする日だ。亜空も落ち着いているから戻ってきても問題ないだろうし、またこちら中心の生活にしようと思っている。澪も料理を教えてくれる人が期間限定で来ている人らしく、今は時間を惜しんでツィーゲに滞在している。泊まりなのか徹夜なのか帰ってこない日もそれなりにあるらしい。ハマったらとことん、実に澪らしいことだ。一体どんな料理を習っているのかわからないけど、その内振舞ってくれるだろうから楽しみだ。

「ライドウ様、ここ数日の営業ですが特に問題も無く順調だったようです。彼らも成長してくれていますね」

 識が休みの間の売り上げの報告を見て満足気に話してくれる。彼も何度かロッツガルドに戻っていたけど、基本的には亜空にいた。それでも店が問題無かったのが嬉しいんだろう。僕も嬉しい。

「そうだね。人を入れ替えても働いている皆で新人教育とか出来るようになれば、僕らは大分楽が出来るようになる。ねえ識、レンブラントさんとこの娘さんなんだけどさ」

「ああ、澪殿が手紙を預かっていた件ですね」

「うん。ツィーゲを出発した日を考えるともうこっちに来ていると思うけど、何か情報は?」

「特には無いですね。学園でも復学が近いとしか。一応、有力商人の娘ですし、緘口令でも敷かれているかもしれません。ライムも街でそのような話は掴んでおりませんね」

「そうか。まあ、学園に戻ってきたら一度挨拶するとして。今日の講義で必要な届出はもう出してくれたんだよね?」

「はい、既に許可ももらっています。事前に確かめてありますので大きな問題になることもないでしょう」

 識は本当に良く動いてくれるよ。もし今度ポカしても大目にみてあげることにしよう。

 この前の魔物云々では澪に少々イジメられていたからな。

 そうだな、今日は講義が終わったら時間の合う生徒も誘ってゴテツにも連れていってやるか。ジンも鍋は気に入ったようだし、もしかしたら他の生徒にも喜んでもらえるかもしれない。食べ物で釣ろう、とは思ってないけどたまには優しくしておかないとね。

 講義前に連絡事項などは無いかと与えられた机のある部屋に向かう。臨時講師用の職員室みたいな所だ。スペースに余裕があるのか、申請したら識の机も用意してくれた。

 講義の日や、図書館が騒々しい時の避難先程度にしか使ってないからそんなに来ない場所でもある。

「おっと。これはまた……」

 思わず声が漏れる。机には結構な量の書類やら手紙類が積まれていた。余裕を持って講義の二時間前に来たのに、目を通すだけでも時間が足りないな、これ。

「凄い量ですな。とりあえず、私が分別しますので必要な物からご覧頂けますか」

[そうしよう。告白の類は要らないから基本処分行きで頼む]

「了解しました」

 幸い、識の机には数通のラブレターしか無かったので安心して頼める。……ただ、あいつの机の手紙、妙に気合が入っている装丁の物が多くて誰があんなものを寄越すのか、ちょっと気になりもするんだよな。

 おお、減っていく減っていく。D10 媚薬 催情剤

 無秩序に積まれた紙どもが綺麗に仕分けられていく。

 誰かの感嘆の声が聞こえる。まあ、今日講義のある他の講師だろう。ふふふ、羨ましいだろう。しかし識はウチの子だからやらんよ?

 案の定、捨てるコーナーが一番多い。ふざけたプロポーズもここまで来ると最早立派な嫌がらせだよなあ。

 僕が見るべき書類もいくつか回ってきているのでチェックを始める。

 ええっと。生徒の受講願い、か。今あるのは殆どこれだった。

 そう言えば事務の人に言われていたな。開講してからしばらくすると、受講願いを受理することで講義を受ける生徒を選べるって。人気講師以外にはあんまり意味は無くて全部オーケーにするから形骸化する事が多いんだとか。

 でも僕には嬉しい。明らかに力が無かったり別の思惑が見える生徒には来てもらっても困るから。書類の記入事項で弾けるなら、有難い。

 ……女の子多いなあ。専攻や得意分野も僕とまるで関係無いのが一杯だ。こういうモテ方は本当に結構です、と。

 はい、捨て。これも捨て。この子もいらない、と。あ、男の子だ。惜しい、もう少し鍛えてからおいでと。傍から見ればさぞやモテモテに見えるんだろうなあ。生徒集めに苦労している先生達からすると却下に印をつけていく僕のやっていることは異常に見えるかも。僕も生徒数現在五人の不人気講師だしね。

 ん? 補助講師願い? なんぞこれ?

 内容を見ると、僕に補助講師として講義に同席して欲しいという書類のようだ。忘れていた、僕は二コマまで補助として講義に参加できるんだった。やる心算も無かったからなあ。

 講義内容は、と。

 格闘術。僕は魔術師で商人っていう分類なんですけど。虐めか?

 斧術。斧って興味が無い訳でも無いけど、以下同文。

 回復製薬実技。識が欲しいってことですね。

 リミア王国史。意味がわからん。

 碌なもんがないな。

 リミア王国史のを他のと同様に脇に置くと溜め息一つ。まあ、詳細を見た訳じゃないから補助講師の書類は一応持ち帰るか。

 また受講願いか。ええっと今度のは?

 あ。見つけた。

 シフ=レンブラント。ユーノ=レンブラント。

 レンブラントさんの娘さんたち、だよな。もう復学してたんじゃないか。噂なんていい加減なものだな。

 いや、違う。今日から復学なんだ二人とも。僕の講義が復学一発目になるんだな。それじゃあ、今日は少し甘くやるか。リハビリも必要だろうし。

 でも今回は事前に説明したお楽しみ講義だ。申請も受理されているし……。他の生徒で参加させても良いと思うのは一人だけだし、新しく受講する三人はいっそ分けて僕が見るか。

 レンブラント姉妹の能力は申請の値を見る限り、学生の中では結構高いと思う。ジンの言う通り優秀だ。もっとも、その能力を今も維持できているかは疑問だけどね。あれだけの大病の後なんだから。

 お姉ちゃんのシフは僕よりも年上か。十九歳。典型的な魔術師みたいだな。得意な属性は土と火。へぇ。二つ書くなんて結構珍しい。それに、土の方は精霊の加護持ち。識に教わる事が多くなるかも。

 妹さんは十五歳。おお! 弓を使うんだ、この娘(こ)。それに、槍? これはまた珍しい組み合わせだ。弓と槍。まさか事前に僕と識の事を調べて適当に書いた? 魔法は初歩だけで使用するのは主に強化系か。

 レンブラントさんにはお世話になってるし、二人とも許可。公私混同? いや能力的には一応問題ないしね。

 どちらかと言うと二人とも僕や識を意識して嘘を書いて無いかって言うのが気になる。姉は土属性に精霊の加護があると書いてあるからそこには嘘は無いと思うんだけど。妹の得意な武器が弓に槍って言うのがなあ。学園で講義するようになってから弓矢は一度も使って見せた事が無いから、多分親父さんに聞いたのだろうけど……。

 もう一人も女の子。好みで選んだんじゃない。僕の講義は現状男四人の女一人。紅一点のアベリアは女の子を増やして欲しいとこぼすし(その癖女生徒が来ると識に手を出さないように牽制する)、丁度半々になるバランスで良いかなと。動機も、能力も結構高い。グリトニア帝国の近くの小国出身で転入してきてまだ少ししか経っていないらしい。色々講義を物色している時期なのかもしれない。合わなくて去る事になる可能性もあるけど奨学生らしいので向上心はあると思う。花痴

「ライドウ先生、少しよろしいですか?」

 受講の許可を出した申請の紙を識に頼んで事務室に持って行かせる。どの程度で受理されるのかわからないけど、それでも来週には多分姉妹と対面出来るだろう。今日からだったら事務室に変なのがいると言う事だろう。良い風に変なら気にしなくても問題ない。多分。

[何か?]

 識が部屋を出てすぐ、席を立った講師の一人が話しかけてきた。珍しいな。

「実はその、先生が商売で扱われている傷薬なんですが」

[はい、傷薬は確かに扱っていますが]

「これから夏休みを挟んで学園祭までの期間、私の講義でも危険な実技が増えるので出来れば十個ほどご都合頂けないかと」

 ああ、そう言う事か。学園祭が近いと危ないとかはわからないけど。毎日通って十個備蓄するよりも僕に頼んでまとめて手に入れられないかと思ったんだな。今は個数制限して売っているし、傷薬をはじめとした薬品などは一般の人は頻繁に買い直す物でもない。大量に買おうと通いつめる客がいたらライムたちが動いているし。まあ学生の傷を治す為にと言うなら僕も歓迎だ。

[ああ、なるほど。わかりました。講義で備えておきたいと仰るなら喜んでご用意しましょう。明日にでも店に来てください]

「ありがとうございます!! ああ、良かった。クズノハ商会の評判が高くなってきて私も試して見たのですが、本当に効き目が凄い。是非保険として持っておきたかったのですが、人気ゆえ中々揃えるのが難しく……」

[あまり大量に作れずご迷惑をかけております]

 個数制限をした所為で多くの人の手には渡るようになっているけれど、数を求める人にはやはり不便だ。幾つかの治療所から常備したいと話ももらっている。今の所、検討中と濁しているんだけど。学園で常備したいとか言われたら困るな。実は幾らでも作れるんじゃないかと反発を生みかねないし。かなり大規模の商談になるだろうから、話が先々出たとしても僕らに話が来る前に利権絡みで誰かが潰しにかかるだろうし心配いらないと思うけどさ。

「いえ! あの効果ならばそれも当然。値段も明らかに安い。そうそうあの傷薬を使うような状況にはなりませんし、十個も譲ってもらえれば学園祭までは十分ですよ」

[優れた効果を維持できるのは三ヶ月程度なのでご注意下さい。他の品物も良心的にやっていますから、店の方にもまたご来店ください]

「わかりました、必ず!」

 話しかけてきた時にはやや硬かった表情が随分と明るくなって席へと戻っていく講師。十個保険に持ちたいというなら、あの人は結構人気のある講師なのかもな。

 一応、ちゃんと言った通りの用途に使うのかライムに調べてもらうか。新手の転売目的だと困る。そうだな、反射で明日と言ったけど、これからは数日置いた日付を伝えてその間に素性を調べてもらうか。

 識が戻ってきた。時間も頃合だな。

 それじゃ講義に行こう。三體牛鞭