数年前から中国の死刑執行写真がネットで出回っている。まだ10代に見える女の子が群集の中を引き回しに合い、銃で頭を吹き飛ばされるところまで撮影されているものである。
このショッキングな写真は、博訊新聞という在米の反共新聞に2004年の12月13日に掲載されたものである。博訊新聞は2000年にノースカロライナ州で創設、国際政治や共産中国の人権問題を扱うウェブベースのメディアであり、ウェブサイトには読者からのニュース投稿も扱い、現在中国では閲覧規制対象となっている。
(博訊新聞 2004年12月13日)
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(残りの写真を見る)[残虐写真注意] (Modified on 2004/12/13) (博訊 boxun.com) 博訊新聞. 『令人震撼的槍決図片(2)(警告!恐怖)』, 2004年12月13日. [魚拓]
博訊新聞. 『令人震撼的槍決図片(警告!恐怖内容)』, 2004年12月13日. [魚拓]
[訳=岩谷] (原文:中国語、冒頭の編集者付記の部分)
*本翻訳の転載には許可を必要としないが必ず出典元を明記の事。 |
博訊新聞のウェブサイトには上記の女性だけでなく大量の死刑執行写真が掲載されている。
犯罪者を死刑にするというのは中国に限った話ではなく、歴史的には世界中に残虐な処刑が存在した訳ではあるが、中国の場合は死刑囚を引き回して晒し者にしたうえ銃殺という前時代的な処刑が現代に至って行なわれている国である。
知人の中国人によると「中国では死刑判決が出たら15分で刑を執行する。何故なら抗弁をさせないため。刑の重さで死刑方法が異なり、銃殺は重罰という事だ」との事であるが、その実態は移植臓器が必要な時に合わせて死刑を執行する「人間生簀」状態とも言われている。[>>1] [>>2]
「反革命修正主義分子」と書かれた札を下げている事から、これは文化大革命時の写真。(大紀元) [A] |
文革時の糾弾大会:左より「黒幣分子」(汚職)、同、「土皇帝」(地方権力者)、「反革命分子」(博訊新聞) [B] |
中国では、罪人などを糾弾する時に、氏名を書いた札に赤バツをつけたものを首から下げて晒しものにする風習があり、特に文化大革命時の写真などでよく見られるものである。
「徳宏泰族景頗族自治州中級民法院宣判大会」:これはミャンマー国境近くの雲南省の徳宏タイ族チンポー族自治州での裁判。撮影年代は武警の制服から90年代と推定。(博訊新聞) [C] |
また、中国の人権問題が国際的非難を受けている現代においてすら、写真に見られるように死刑囚の連行時に見物人が集まっているというのもいささか異様な光景である。見物人には子供が多数、それから赤ちゃんを抱いた女性もおり、これは刑務所内部や警察関係者ではなく一般民衆である。罪人が集団で連行されている様子から、これは恐らく裁判所か留置所の前であろう (右の写真など、中国では裁判が集団で行なわれるらしい)。
刑場での写真では死刑執行がまとめて大量に行われており、写真で見る限りではかなりの大規模に見えるが、これも何か儀式めいた無気味なものがある。また、人民武装警察の兵士やギャラリーがやたらと大量にいて、トラックの屋根の上に登ったりなど、その大半が見物のためだけにその場にいるように見える。
しかしこの光景で思い出すのは、一昨年のBBCの記事におけるティルマン・ダーディンによって描写されていた『南京大虐殺』の一場面である。
歴史の恐怖:レイプ・オブ南京 BBCニュース 2005.4.11 10:23 GMT 11:23 UK 近代稀に見る残虐行為 (抜粋)ある日本の新聞記者は、死刑執行を待つ中国人の列が揚子江の岸に続いているのを、そして大量の焼死体を見たと言う。当時撮影された死体の山の間に笑顔で立つ日本兵の写真は、現在南京市内に展示されている。 ニューヨークタイムズのティルマン・ダーディンは、退去命令の前に彼自身が目撃した虐殺の初期の様子を報告した。 「私は当時29歳で、またこのニュースはニューヨークタイムズにおける最初の特ダネとなった。私は船着き場まで車を運転したが、ゲートに行くためには積み重なった死体の上を登らなければならなかった。車で死体の上を運転しなければならず、そして船着き場で待っている間に川岸で見た光景は・・・タバコを吸い雑談しながら、大勢の中国人捕虜の皆殺しを監督し眺めている日本の将校達であった。15人程の中国兵のグループが連行され、マシンガンで撃たれていた。」 現地を離れようとしていた10分間で、彼は200人が処刑されたのを見た。そしてそれが日本軍の見物人にとって明らかに楽しみであったように見えた。彼は、「レイプ・オブ南京は近代史で稀に見る残虐行為である」と締めくくった。(後略) (このBBCの記事の全訳は本エントリー末に掲載)[訳=岩谷] (原文:英語)
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日本の将校はタバコを吸い雑談しながら殺害の様子を見ていて、15人程の中国兵が行進しまとめて撃たれ、見物人が処刑の様子を眺めて楽しんでいて・・・要するに、これはそのまま現代の人民武装警察の死刑執行の光景である。
そもそも、何でこんなに大勢が見に来る必要があるのか?
左側では武装警察の兵士がトラックの屋根に上って見物。中央から右奥にかけては制服を着ていない一般と見られるギャラリーが大量に映っている。
こういう支那事変関連の中国や欧米の資料で所謂「日本軍の蛮行」と言われているものが、実際は日本ではなく中国に存在するというケースばかりであり、この記事中の「南京」を全て「文革」、「日本軍」を「人民解放軍」に置き換えた方がむしろしっくり来る記事になりそうである。
今から100年以上前、清国時代の処刑でも黒山の人だかり。
「奉天城外之執刑」。現在の遼寧省瀋陽市。髪型と服装から清国時代の写真である。撮影は恐らく1900年前後。 (Beheaded Art) [J] |
辛亥革命後の斬首処刑。
「鉄嶺城外における馬賊斬首」。現在の遼寧省鉄嶺市。撮影は恐らく1910年代。 (Beheaded Art) [K] |
1912年、辛亥革命の翌年。処刑された死体が道路に陳列されている。道路には見物人。
「1912年3月3日、東門外に於ける略奪兵70人死刑の実景」。消印は天津。 (Beheaded Art) [L] |
1960年代の文革期でも相変わらず見物人が駆り集められている。
文革期の「反革命分子」の処刑。1968年4月5日ハルピン郊外の黄山墓地。黒山の人だかり。 (Li Zhensheng/Contact Press Images) [D] |
21世紀になってもまだ同じ事をやっている。
雲南省昆明市のスタジアムで2001年に行われた「厳打」キャンペーンの一環と見られる公開処刑パレード。アムネスティによればこの様子は政府番組で生中継をされたとの事。首から札を下げている人物は死刑囚。 (DPA/Max Planck) [E] |
2000年の公開処刑とされる写真。スタジアムで大観衆の中行われている。罪状は毒性品製造と背後の横断幕に書かれている。 (english.jakubsafar.cz) [F] |
2009年3月26日の湖南郴州公捕公判大会。数万人が大会を見に来たと報道で伝えられる。2006年以降中国で公判大会は行われていなかったようだが、北京オリンピックが済んで再開された模様。中国では現代でも公判大会は普通の行事であり大会の様子はテレビで放送される。 (西楚網) [G] |
実際BBCの記事は日本が絶対的に悪であり日本人が残虐民族という絶対的前提で書かれた悪意に満ちた記事であるが (全訳はエントリー末に掲載)、戦後65年間平和主義を固持し世界最高レベルの治安を維持している日本と、現代に至るまで公開処刑を行い群衆が見物に群がっている中国を比べた時に、日本が戦後欧米から民主主義を与えられ野蛮国から文明国に生まれ変わったという「物語」をBBCの記者が本当に信じているなら、それこそ生粋の馬鹿かだたのレイシストであろう。
日本が戦後直ちに民主主義を受け入れられたのは、260年の天下泰平を誇った江戸時代の社会秩序と、明治初期より積み上げて来た自由民権運動や民主主義運動等の近代プロセスの下地によって成立しているものであり、そういう欧米の思い上がりによるイラク政策の失敗にBBCは何も学んでいないようである。
日本では明治初期に磔や晒し首は禁じられており、それから60年後の1937年の昭和の日本人には元々公開処刑の習慣や発想があった筈もないのだが、このBBCの記者はそもそも「敵国は野蛮」という当時の戦勝国側のプロパガンダだけでなく、「野蛮国に文明を与えてやった」的な戦後史観の幻想に取り憑かれている非常に典型的な白人が潜在的に持つ人種蔑視観で書かれた記事に他ならない。
故意殺人犯 陸金鳳
(正本清源的BLOG) |
この「故意殺人犯 陸金鳳」の処刑写真は、中国系のプラスティネーション人体展に死刑囚が用いられている疑惑を米国のABCニュースが2008年2月に報じた際に、労改基金会が中国での死刑囚の死体の闇取り引きの写真と共にこの「陸金鳳」の写真も提供したものがABCニュースのウェブサイトに掲載されたため、英語圏でも有名な写真となり、年間に数千人が処刑されていると言われる中国の人権蹂躙を象徴する写真として多くのサイトに転載されているのを見かける。
彼女が実際いつ処刑されたのかを示す信頼ある情報はネット上には存在しないが、武装警察の制服の特徴から判断すればこれは1990年代前半に撮影されたものと推定される。
ネット上には彼女の身の上話と称する中国語と日本語の書き込みが2007年頃から出回っており、これは全く裏の取れない都市伝説レベルの情報であるために信憑性はかなり疑わしくはあるが、一応話題として言及しておく。
この日本語版で確認出来る一番古いものは2007年3月13日の日付で、これはYahoo掲示板に投稿されたものの転載と説明されている。
一方、現在確認出来る中国語版の一番古いものは2007年5月14日である [>>3]
故意殺人犯 陸金鳳 女 20歳 小学校卒業
1975年山西省運城市土懐郷陸各荘生まれ。1995年咸陽にて処刑される。生まれて直ぐに父と祖父が相次いで事故死。よって家族と村民から疫病神扱いされ数度に渡って生き埋めされそうになるが母に救われるも虐待を受け続ける。1988年母も病で死去。継父とおじに家から叩き出される。その時13歳。生きるために路上生活を始めるが犬に咬まれ大怪我をしたところをホテルマネージャーに拾われるが強制的に売春させられる。
1991年の全国的な売春取締りのがさいれで捕まり労働改造所にいれられ1992年に釈放され実家に戻される。
疫病神が戻ったのを怖がり継父は陝西省慶陽件西嶺村の貧困障害者“李”に1000元で嫁として売った。李はベッドに寝たきりで母親が介護していたが性格は誠実だった。然し幸せは続かなかった。村の悪党“胡”が陸を気に入り2000元で李から奪っていった。
1992年から1993年の間、陸は凌辱と虐待を受け続け、逃亡を試みるも毎回捕まり監禁された。何週間か過ぎ、胡は商売で長期間不在にした隙に胡の従弟である“唐”“関”の二人は陸を姦淫し妊娠させた。唐は自分の子かもしれないと思い、胡が戻ったら手切れ金を払って妻にしようと考えた。1994年末、陸は男の子を産んだ。
1995年旧正月には胡が戻ったので唐は恐る恐る陸と子供を帰したところ胡は激怒、陸を拷問し誰の子かを吐かせた。その晩唐と関は胡に切り殺され、子供も殺された。陸は怒りと絶望で理性を失い鎌で眠っている胡を殺し放火した。
1995年3月、陸は逮捕され、慶陽県法院は“悲惨な生い立ちではあるが、労働改造所を出て保護観察処分中の身でありながら殺人を犯した。”として死刑判決を下した。陸は不服を申し立て上告しようとしたが却下され1995年12月24日咸陽に送られ処刑された。
これはスタイル的には、中国メディア等によく見られるような不必要に感傷的な小説的描写であり、内容はいささか非現実的なドラマ仕立ての悲惨さの連続であり、これを処刑された女殺人犯の身の上話とするにはいささか出来過ぎた話に見える。
中国では殺人主犯は大抵は死刑になるようなので、ここまで悲惨な過去の演出も必ずしも必要ではない訳である。
余談
「千刀万剮」~肉体損壊と死者の冒涜にこだわるの中国の文化
昨今日本で『人体の不思議展』として開催されている中国系のプラスティネーション人体展だが、2004年8月に南京で大連鴻峰生物科技社主催の人体標本展『人体世界』が初めて開かれた時、医学研究のための献体を希望していた中国人が、プラスティネーション人体展を見て怒り心頭の余り「千刀万剮」と表現したという、非常に興味深い記述が労改基金会のレポートにある。[>>4]
この「千刀万剮」とは文字通りには「千の刀と万の切り刻み」であり、これは「八つ裂きになる」、つまり中国伝統の『凌遅刑』の事を指す。
司徒'sホーム
凌遅・臠割・剮・寸磔・礫(切り刻み・八つ裂き)
「凌遅」とは緩やかな死を意味していて、刑罰の中でもっとも残酷かつ非人道的であるといえる。もともとは“陵遅”と書き、山や丘の緩やかな傾斜を意味していた。
“緩やかな死”とは俗に「千刀万剮」ともいい、一刀ごとに肉を切りそいでいき、そぎ終わったところで、眼をえぐり、耳と鼻をそぎ落とし、四肢を切り取り、腹を割き、首を切り落として命を奪い、その後、首と五臓六腑が晒されるというもの。この刑は、謀反・朝廷誹謗・農民放棄の首領・父母兄弟の殺害・皇帝の所有物に対する危害などに適用されたが時代によっては軽微な犯罪にも適用されたこともあった。
この刑はあまりに残酷すぎるので、晋代や宋代に禁止されたが、元明の頃にはまた復活された。元の法律では、肉をそぐ回数は120回と決められていたが、明代には3000回にもなった。之誠著「骨董続記」の「寸磔」の項には「劉瑾四千二百刀、鄭鄤三千六百刀」とあるから異常だ。罪人は恐怖に縛られているため、血液が下腹部やふくらはぎにたまり、肉をそいでいる間はほとんど出血がないようである。民衆はどのように刑が施されるのか一目見ようとして集まり、刑後にはそぎとられた肉片を吹き出物の薬として買い求めていくという。
清の十一代皇帝徳宗の治世になってようやくこの刑は「永遠に削除して、ともに斬決に改む」とされて、法典から消え去ったのである。
映画『凌遲考:一張歷史照片的迴音』より (愛咪囈語隨便記) [H] |
中国では臓器移植に献体が出ないために死刑囚が用いられている訳であるが[>>7]、その理由として中国では遺体を完全な形で無傷で埋葬したいという願望が強い事が挙げられる。
これは基本的には日本と同様に肉体に対する愛着、特に儒教の死生観では肉体は魂の一部とされ、風水において頭部に魂があり切り離すと魂が無くなり、肉体損壊は来世の運勢や子孫に悪影響をもたらすという迷信など、そして輪廻転生は仏教的な思考であるなど、恐らく複数の文化的要素が合わさってこのような中国の独特な死生観になっているのではないかと思われる。
中国において、罪人や敵に対して殺害方法に最も残虐な方法を選び、その死体ですらも肉体破壊にこだわるというのは、これには「死体損壊は故人の来世にわたって破壊する」と信じられているという文化的背景が大きく影響していると見られる。[>>9]
支那事変の当時に通州事件や大山中尉殺害事件、近藤二等兵殺害事件などで中国兵が敵に対する肉体損壊に異様にこだわっていた辺りや、古代より敵を滅ぼす際に老若男女の見境なく残虐な方法の限りを尽くして殺害し破壊の限り尽くす「屠城」や「堅壁清野」の伝統[>>10]、そして、20世紀前半まで公開斬首刑が、現代でも刑の重さによって特殊銃弾で頭部を吹き飛ばす等の儀式的な処刑法が行われている事[>>11]の背景として考えた時に納得出来る面がある。
中国で展示用に献体が出ない理由に関してカリフォルニア州の華僑議員のフィオナ・マ氏が繰り返し主張していた事は、中国で自分の家族が皮膚を剥がされ解剖されて展示される事に身内が同意をする筈がないである。[>>5][>>6]
そして米国反共メディアのNTDテレビの李天笑論説委員は、皮膚を剥ぐなどして人体の個性を取り去る事は「人間性」を「物」にする行為であり死者に対する最大の冒涜であると主張[>>8]するなど、これらの華僑の知識人が展示用人体に死刑囚が流通している疑惑を強力に主張している根拠が「中国人が展示用に献体をするはずがない」という事である。
2006年9月、山東省青島での人体展 (Record China) [I] |
一方で、中国の人体展の写真を見ると、見物客が触り放題の展示のようであり、これこそ晒しものの展示会そのものである。[>>12]
中国の文化的背景が主張されている一方で、こういう人達を見ると、無傷の埋葬にこだわって献体が出ない割には自分や自分の身内でなければ単なる好奇心の対象でしかないのかと不思議ではあるが、これも極度の身内主義であり公開処刑に群衆が群がる中国の文化の一面なのだろう。
いずれにしてもこういう背景を見れば、中国人に「死者への冒涜」や「晒しもの」という概念が強いからこそこういう儀式的な処刑法が行われる訳である。
また中国の『牡丹燈籠』の原作の例でも中国では人の罪は死後もなくならないという考え方で書かれているのが日本版の結末とは根本的に異なっており、彼等を単純に残虐な民族と考えるよりもむしろ、それはそういった文化的背景から意図的に行っていると見るべきなのであろう。
姉妹エントリー『第二次上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑』も是非併せてご覧頂きたい。
その他には、『猟奇的な大山中尉殺害事件』『通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会』『現代中国の私刑』『生きた牛が虎の餌 中国のサファリパークの残酷見せ物』などのエントリーで関連テーマを扱っている。
参考動画:
映画『凌遲考:一張歷史照片的迴音』より (2002年、台湾)
bedmen9601. 『中國古代酷刑的極致 - 凌遲 I』, YouTube, May 2, 2009. |
Part 2 (9'58")
bedmen9601. 『中國古代酷刑的極致 - 凌遲 II』, YouTube, May 2, 2009. |
支那事変関連エントリー:
・歴史から消された広安門事件と廊坊事件 (2007.7.11)
・清瀬一郎:東京裁判冒頭陳述 (2007.7.19)
・南京事件考 (2007.8.7)
・東條英機元首相 公的遺書 全文 (2007.8.14)
・英語・中国語版Wikipediaにおける大山事件と第二次上海事変の記述 (2007.8.18)
・中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似 (2007.10.28)
・上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (2007.11.4)
・日本人捕虜の残虐処刑写真に関する中国人の議論 (2007.11.9)
・猟奇的な大山中尉殺害事件 (2007.11.14)
・通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会 (2009.3.20)
・清朝時代の処刑写真を日本のものとして展示しているサイト (2009.9.26)
関連記事:
歴史の恐怖:レイプ・オブ南京 1937年12月から1938年3月にかけて、近代史上最悪の大虐殺の一つが起こった。日本軍は中国の都市の南京を占領し、殺人、レイプ、略奪の限りを尽くした。 BBCニュース 2005.4.11 10:23 GMT 11:23 UK
西欧人居住者によると、2万人の女性がレイプされ多くの民間人が殺害されたと言う。 しかし日本政府関係者や歴史学者はそのような規模の大虐殺があった事を否定している。 彼等は殺人やレイプは認めているが、報告されているよりも遥かに小規模であると言っている。どのような場合でも戦争であればそのような事は起こると主張している。 日中戦争 1931年に日本のコントロール下の鉄道の爆破事件の後、日本は中国の満州を侵略した。中国軍は太刀打ち出来ず、日本は中国領の広大な範囲を手中に収めた。 その後は、中国が国共内戦に苦しんでいるのを横目に、日本は支配を強めた。南京を首都とする国民党は蒋介石に率いられていた。
最初は再び日本が優勢となったが、日本が上海を攻略する前に中国側が防衛に成功していた時期があり、そして迅速に南京に移動した。蒋介石の軍は既に去った後であり、日本軍は容易に占領を行った。 近代稀に見る残虐行為 当時、日本軍には残虐行為の評判はなかった。1904-05年の日露戦争では、日本軍の指揮官は敵に対し礼儀を重んじていた。しかしそれとは丸っきり異なるものになった。 日本の各紙は、日本軍の将校達が、中国人殺害の人数を競い合っていたと報じている。 ある日本の新聞記者は、死刑執行を待つ中国人の列が揚子江の岸に続いているのを、そして大量の焼死体を見たと言う。当時撮影された死体の山の間に笑顔で立つ日本兵の写真は、現在南京市内に展示されている。
「私は当時29歳で、またこのニュースはニューヨークタイムズにおける最初の特ダネとなった。私は船着き場まで車を運転したが、ゲートに行くためには積み重なった死体の上を登らなければならなかった。車で死体の上を運転しなければならず、そして船着き場で待っている間に川岸で見た光景は・・・タバコを吸い雑談しながら、大勢の中国人捕虜の皆殺しを監督し眺めている日本の将校達であった。15人程の中国兵のグループが連行され、マシンガンで撃たれていた。」 現地を離れようとしていた10分間で、彼は200人が処刑されたのを見た。そしてそれが日本軍の見物人にとって明らかに楽しみであったように見えた。彼は、「レイプ・オブ南京は近代史で稀に見る残虐行為である」と締めくくった。 「記憶が消える事はない」
この救出に関わったアメリカ人女性のミニー・ヴォートリンさんは、アンネ・フランクに例えられる日記を残した。 12月16日付けの日記では「今この都市ではありとあらゆる犯罪が繰り広げられている。(彼女が働いてた) 学校では昨晩30人の女の子が連れ出され、自宅から連れ出された12歳を含む女の子達の胸が張り裂けそうになる話を今日は聞かされた。」 彼女は後に「一体何千人が銃や銃剣で殺害されたか私達は永遠に知る事はないだろう。多くはガソリンをかけ燃やされ、炭化した死体はそれらの悲劇を物語っている。それに続く10日間の記憶は今となってはおぼろげであるが、私や当時南京にいた人々の記憶の中には一生忘れられないものが確かにある」と書いている。 ミニー・ヴォートリンさんは1940年に神経衰弱になって米国に戻り、翌年に自殺をしている。 またナチス支部長のドイツ人ジョン・ラーベ氏もまたその恐ろしい出来事を目撃している。彼は国際安全区の責任者となり、自身が目撃したものを記録しており、一部はフイルム撮影されたが、ドイツ帰国後にナチスによって差し押さえられている。安全区である筈の地区内でのレイプその他の野蛮行為を彼は記録している。 自白と否定 第二次大戦終結後、南京にいた日本兵の一人が自身が目撃しものに関して語り始めた。
東さんは証言する事によって苦しめられたと言う。「京都での戦争展で私は証言した。私を最初に批判したのは東京から来た女性だった。私が戦没者を傷つけていると彼女は言った。彼女は3-4日間何度も電話をかけて来て、手紙もどんどん来るようになって、警察による警備が必要なほど酷い嫌がらせを受けた。」 しかしながら、このような証言は日本では最高レベルに軽んじられている。 永野茂門元法務大臣は大虐殺自体を否定し、それは中国側の捏造だと主張した。池永三郎教授は、教科書における戦時中の日本の残虐行為の事実の掲載を許可しない日本政府を相手取った訴訟に長年を費やしたが、僅かな成果しかあげていない。 日本の一般層にも(大虐殺の)反対意見はある。中国人と香港映画会社が『南京1937』を1995年に制作したが、日本公開まで数年を要した。 [訳=岩谷] (原文:英語) (写真および写真の解説は全て元記事にあるもの)
*本翻訳の転載には許可を必要としないが必ず出典元を明記の事。 BBC. "Scarred by history: The Rape of Nanjing", 11 April, 2005, 10:23 GMT. [魚拓]
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腎移植 中国の病院、都内に窓口 開設準備 渡航手術2例実施 産經新聞 2005.3.27東京朝刊 中国の病院が、日本に支部(事務所)を開設して日本人の腎臓病患者(レシピエント)に情報を提供し、中国で腎臓移植手術を行う計画を進めていることが、関係者の話で分かった。腎臓を提供してくれるドナーが見つからず、長年、人工腎臓(透析装置)で透析治療を続けている患者にとって選択肢が増える。しかし、中国のドナーは死刑囚といわれ、日本臓器移植ネットワークを介した善意のドナーとは違うだけに大きな波紋を呼びそうだ。 関係者によると、日本に支部を出す計画を進めているのは、カナダ系華僑が経営する中国広東省広州市の「クリフォード病院」。二〇〇三年に中国政府から腎移植手術ができる「腎臓移植医療項目技術準入」に認可され、中国臓器提供センターから腎臓を譲り受け、年間、中国全体の腎移植(年間、五千件)の4%に当たる二百件の腎移植を行っている。 クリフォード病院は、早ければ今年夏にも、東京都台東区秋葉原に支部となる事務所を置く計画で、現在、事務所の設置費、運営費、人件費の見積もりを詰めている。昨年の六月と七月には、四十歳代男性と六十歳代女性の日本人患者が、中国に渡ってクリフォード病院に入院して腎移植手術を受け、成功して帰国している。 クリフォード病院の日本進出を推し進めているのが、米国内に八つの診療所を持ち、日本人の駐在員や旅行者らを対象に治療行為を行っている米国の「日本クリニック」。中国の臓器移植は、技術面や衛生面で問題のある病院が多いと指摘されているため、平成十五年七月から半年かけ、この日本クリニックの日本人スタッフが、クリフォード病院について、腎臓の入手方法や手術内容を詳しく調査した。その結果、スタッフや設備、技術の水準は高く、問題なく、腎移植手術ができることが判明した。 日本クリニックはすでに、年間、五十人の日本人が、腎移植手術を受けられる枠をクリフォード病院と結んでいる。中国人だと、二百万円前後だが、日本人がクリフォード病院で腎移植を受ける費用は、渡航費や入院費、通訳料などすべて含んで八百万円から九百万円かかる。 入院は手術前と後を合わせ、平均六十日というが、HLA(白血球の型)や血液型の合ったドナーが見つかるまでに一週間から四週間はかかる。 百パーセントの生着率(移植した臓器が機能して移植手術が成功する率)を確保するため、ドナーを三十歳代から二十歳代という若い人に限定。しかも腎臓は摘出後、十二時間以内でレシピエントに移植される。 ◇≪波紋呼ぶ「死刑囚ドナー」≫ 問題は「臓器売買」と並んで批判される死刑囚をドナー(臓器提供者)にする「死刑囚ドナー」をどう考えるかだ。 一九九八年六月、米連邦議会の下院公聴会で、中国の「死刑囚ドナー」の実態について証言した岡山大の粟屋剛教授(生命倫理)によれば、中国では最高人民法院などの規定で、死刑囚から臓器を取り出して患者に植え付けることが認められ、一説では、移植される臓器の九割以上が、死刑囚からの摘出とまで言われる。 粟屋教授は九五年から九七年にかけ、計五回、中国で現地調査を行い、入手した資料やリポートをもとに論文や著書を発表している。 粟屋教授によると、中国では一般人からの臓器提供はほとんどなく、「死刑囚ドナー」のメリットは(1)多くの死刑囚は若く、健康(2)麻薬歴や肝炎、HIVの事前チェックができる(3)あらかじめ死亡の日時や場所が分かり、移植を受けるレシピエントの選定や待機が簡単-があげられている。粟屋教授は「ドナーの需要が、死刑執行数を増加させ、毎年、銃殺や薬物注射によって数千件の死刑が行われているとのリポートもある」とも語る。 「死刑囚ドナー」を正当化する根拠が、「死刑囚は死ぬ。だが、死刑囚の臓器によって助かる患者がいる。死刑囚は社会に害悪を及ぼしたから、臓器提供は、最後の社会への償いだ」という実利主義で、中国政府は「死刑囚やその家族の同意があれば問題ない」としている。 しかし、粟屋教授は「同意がきちんと得られているかは分からない。死刑囚は特殊な状況下にいるので、自由な同意を得られず、同意が得られたと言っても人権上の問題はなくならない」と指摘する。 ただ、昨年一年間に日本で腎臓を移植できた患者数は、日本臓器移植ネットワークに登録された腎移植希望患者数のたった7%に過ぎない。脳死移植に至っては、三十六件しか行われていない。 移植件数の少ない日本の現状から判断すれば、「医療技術のしっかりした中国の病院での腎移植は、歓迎できる」と肯定する患者関係者もいる。 それだけに「死刑囚ドナー」の是非は、最後は患者自身が判断するしかないのかもしれない。(木村良一) ◇【クリフォード病院】2002年9月、新興住宅街の中に広州中医薬大学との医療提携で設立された総合病院。中国名は「祈福医院」。240床。総スタッフ500人。一般病棟は地上20階(地下1階)建て。西洋医学をベースに、中薬(中国伝来の薬)を用いた中医学を導入。03年12月、病院のランク付けを審査する米国の医療施設認定合同機構(JCAHO)傘下の「ジョイント・コミッション・インターナショナル(JCI)」から認定を受けた。
産經新聞. 腎移植 中国の病院、都内に窓口 開設準備 渡航手術2例実施, 2005年3月27日 東京朝刊. [保存サイト]
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中国政府、法輪功メンバーから臓器移植してた!? ZAKZAK 2006年8月9日 中国政府が気功集団「法輪功」メンバーから臓器を摘出、臓器移植に使用している-。こんな衝撃的な内容がまとめられた報告書が話題となっている。これは、カナダの元閣僚経験者らからなるチームが発表したものだが、中国政府は「中国のイメージを中傷するものだ」と全面否定。しかし、同チームは「証拠を集めたもの」と反論している。 調査を行ったのはカナダのベテラン国会議員のデイビッド・キルガー前アジア太平洋担当大臣とデイビッド・マタス弁護士。米国NGOの要請を受け、無報酬で行った。 その両氏が発表したのは、「中国における法輪功メンバーの臓器摘出に関する報告書」。中国政府が現地入りを認めなかったため、2カ月かけて行ったインタビューや中国の収容所、医療施設などへの覆面電話取材をもとにまとめられた。 その中身だが、例えば今年6月8日に行われた黒龍江省密山収容所とのやりとりは興味深い。収容所側は「リ氏」という男性が応対している。 --法輪功の(臓器)提供者はいますか リ氏「前はいました」 --今は リ氏「はい」 --40歳以下の提供者は何人いますか リ氏「結構います」 --男性か、女性か リ氏「男性です」 --何人いますか リ氏「7、8、少なくとも5、6人はいます」 このほかにも、前夫が移植手術を手がけていたという女性の証言も掲載。前夫は2003年10月までの2年間、約2000人のメンバーの角膜を摘出していたという。 法輪功は1992年、気功の専門家・李洪志氏が創設。仏教の教義と中国伝統の「気功」の修練方法を組み合わせたもので、メンバーの急増ぶりが脅威となりかねないと判断した中国政府は、1999年に非合法化。それ以降、弾圧を続けているといわれているが、報告書も「非合法化以降、中国政府は大量のメンバーを投獄。心臓、腎臓、肝臓、角膜などを摘出し、高額で売買。外国人にも売られている」と指摘している。 実際、中国の臓器移植については、国際社会から疑惑の目が。中国には家族の死後、臓器を提供する文化はなく、臓器移植提供システムもはっきりしない。にもかかわらず、1999年から2005年までの間に6万件も行われているからだ。 もちろん死刑囚の臓器が使用されているとの指摘もある。だが、アムネスティー・インターナショナルのデータによると、2000-05年までに処刑された死刑囚は年間1616人で、臓器移植件数がはるかに上回っている。 今回の報告書について在カナダ中国大使館は、「臓器移植に関し、中国は1991年以降は世界保健機関(WHO)のガイドラインにしたがっている」と明言。その上で、「“報告書”は根拠がなく、偏見をもったもの。100回繰り返されても真実にはならない。もっと多くの人が法輪功の本質は邪悪なカルトだということに気づくはずだ」と反論している。
ZAKZAK. 『中国政府、法輪功メンバーから臓器移植してた!?』, 2008年8月9日. [保存サイト]
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死刑囚の皮膚で化粧品製造=中国企業、既に輸出か AFP/時事通信 2005年9月14日 同紙によると、会社の代理店は客を装ったおとりに対し、銃で処刑された死刑囚の皮膚から、唇やしわの治療に用いるコラーゲンを開発していると語った。代理店は、製品の一部は英国に輸出されていることを明らかにするとともに、死刑囚の皮膚は以前から使われており、「決して驚くべきことではない」と強調したという。 コラーゲンは皮膚や軟骨、骨、その他の結合組織を構成する繊維性たんぱく質。倫理上の問題だけでなく、感染の危険も指摘されているが、欧州では今後数年以内にコラーゲンを使った美容が禁止されることはないとみられており、医師や政治家は懸念を強めている。 問題の化粧品が実際に英国市民の手に渡っていたり、ネット販売で入手可能になったりしているのかどうかは不明。また、死刑囚の皮膚から開発したコラーゲンが試験段階なのか、製造段階に入っているのかも明らかではない。 代理店は、堕胎された胎児の組織から賦形剤を製造する研究も進めていることを明らかにし、「死刑囚や胎児の皮膚を使ったさまざまな研究が今も行われている。皮膚は黒竜江省のバイオテクノロジー(生命工学)関係の企業から購入し、中国国内の別の場所で開発を進めている」と述べた。 中国で処刑される死刑囚は、世界の他の国の死刑囚の合計よりも多い。正確な数は明らかになっていないが、世界で昨年執行された5500件近い死刑のうち、少なくとも5000件は中国で行われたとの集計結果もある。〔AFP=時事〕
AFP/時事通信. 『死刑囚の皮膚で化粧品製造=中国企業、既に輸出か』. ライブドアニュース, 2005年 9月13日 (火) 23:08. [うんかー]
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「当局が死刑囚の臓器を摘出、売却」 中国人医師が米議会で証言 CNN Japan 2001.06.28 Web posted at: 5:39 PM JST (0839 GMT) ワシントン(CNN) 米国への政治亡命を求めている中国人医師が27日、米下院外交委員会に出席し、中国当局が処刑した死刑囚の遺体から臓器や皮膚を摘出し、売りさばいていると証言した。 証言したのは、天津市の軍警察病院に勤務していた内科医の王国斉氏(38)。王氏によると、死刑が執行されると、医師が刑場に出向き、銃殺直後の遺体から臓器や皮膚を摘出したという。 王氏も救急車内で遺体から臓器を摘出する手術を手伝い、延べ100人以上の遺体から、腎(じん)臓を摘出したという。 王氏によると、完全に死亡していない死刑囚の皮膚を摘出するよう命じられたこともあったという。 海外向けの腎臓は3万ドル 摘出された臓器は、移植を希望する内外の患者に売却されたが、海外の患者に腎臓が売られる場合、価格は3万ドル(約360万円)で、米国から送金されたこともあったという。 王氏は「深い後悔と良心の呵責を覚える」と述べた。王氏はその後、偽造旅券を購入、米国への団体旅行に参加し、政治亡命を求めている
CNN.co.jp. 『「当局が死刑囚の臓器を摘出、売却」 中国人医師が米議会で証言』, 2001.06.28. [news.2ch.net]
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脚註:(脚註を見る)
写真:
- ^ 頑張れ 日本の人権. 『【公告】大紀元が『九評』(共産党についての九つの論評)と題する一連の社説を発表』~ 「【七】中国共産党の殺人の歴史を評する」; [大紀元上の同ページ]
- ^ 博訊新聞. 『文革時期的死刑犯槍決和公審現場』. [魚拓]
- ^ 博訊新聞. 『令人震撼的槍決図片:徳宏自治州陶静等』, 2004年12月14日. [魚拓]
- ^ Li Zhensheng (李振盛). "1968 China and the Cultural Revolution" (© Li Zhensheng). Contact Press Images.
- ^ このページによれば四川省成都と説明されているが、ガーディアン、BBC、CNNの記事に同人物の映った写真が掲載されており、それらの記事によれば、これは雲南省昆明市のスタジアムで2001年に行われた死刑パレードとの事。Detjen, Birte. China: Capital Punishment Reforms. Max Planck Multimedia, 2008 Magazine 4. [魚拓].
- ^ 出典不明の写真。2000年と説明されている。 english.jakubsafar.cz. "news from august", August, 2008.
- ^ 西楚網. 『数万市民団観湖南郴州公捕公判大会』, 2009.3.27. [魚拓]
- ^ 愛咪囈語隨便記. 『被攝影者的歷史─與陳界仁對談:《凌遲考:一張歷史照片的迴音》』, 2003年7月14日 02:15.
- ^ Record China. 『人体の神秘と恐怖を味わえる「近代のミイラ」展―山東省青島市』, 2006-09-09 17:52:33 .
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