元巨人投手の大友工さん死去=88歳、55年に30勝
1950年代にプロ野球巨人の主力投手として活躍した大友工(おおとも・たくみ)さんが12日午前5時28分、急性白血病のため都内の病院で死去した。88歳だった。兵庫県出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は次男の泉(いずみ)氏。
終戦後、軟式野球をしていて関係者の目に留まり、49年巨人入り。身長170センチ余りの小柄な体で、横手からの速球と鋭いスライダーを武器に、51年11勝、52年17勝。同年の松竹戦でノーヒットノーランを達成した。
53年に27勝6敗で最多勝と勝率1位を獲得し最優秀防御率(1.85)、最優秀選手(MVP)、沢村賞、ベストナイン。オフの日米野球、巨人―ニューヨーク・ジャイアンツ戦で、日本人投手として初めて米大リーグ相手に完投勝利を挙げた。
55年、30勝6敗で2回目の最多勝を獲得した。60年に近鉄で1年プレーして引退。通算130勝57敗、防御率2.11だった。引退後は近鉄、中日でコーチを務めた。
終戦後、軟式野球をしていて関係者の目に留まり、49年巨人入り。身長170センチ余りの小柄な体で、横手からの速球と鋭いスライダーを武器に、51年11勝、52年17勝。同年の松竹戦でノーヒットノーランを達成した。
53年に27勝6敗で最多勝と勝率1位を獲得し最優秀防御率(1.85)、最優秀選手(MVP)、沢村賞、ベストナイン。オフの日米野球、巨人―ニューヨーク・ジャイアンツ戦で、日本人投手として初めて米大リーグ相手に完投勝利を挙げた。
55年、30勝6敗で2回目の最多勝を獲得した。60年に近鉄で1年プレーして引退。通算130勝57敗、防御率2.11だった。引退後は近鉄、中日でコーチを務めた。
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2013年4月18日10時15分 更新
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