ステファニーは、外国語への関心が人一倍強かった。将来は外国語を使った仕事をと、高校生のときにすでに考えていた。高校の第2外国語の選択肢には3つの言語があった。日本語、中国語、ロシア語と、どれも未知の領域だった。母親に相談して、消去法で選んでいったら日本語が残った。
「ひらがな、カタカナ、漢字と種類の違う字が、絵みたいで面白そうだと思ったのです。母も遠い日本のことはよく知らなかったけれど、中国よりは情報があったので、日本語なら仕事に役立つ可能性が大きいのではと考えていました」
日本語は初めの印象通り、面白かった。先生は日本人で、日本人の暮らしぶりも細かく教えてくれた。
いまはフランスだけでなく欧州全体で、日本の伝統文化から今どきのカルチャーまで価値あるものとして紹介されているが、当時は上に述べたような状況だったから、授業はドラえもんの「どこでもドア」のごとく、異次元への入り口だった。
「見るもの聞くものすべてが新鮮でした。懸命に教えてくれた先生には本当に感謝しています」。ステファニーは、そう思い起こす。
大学でも日本語の勉強を続けたいと考えたのは、至極自然な流れだった。ただ、心配なことが1つあった。
日本を見ないまま大学に進学することはできる。でも自分がこんなにも好感を持っている日本と、はるか彼方の海に浮かぶ日本が全然違っていたら失望してしまうだろう、日本語の勉強もやめてしまうかもしれないといった懸念だった。
「16歳のとき、2週間だけ1人で日本に行きました。やっとのことで知り合いを探しあてたのです。群馬のフランス人女性と日本人男性のご家庭にお世話になりました。私はパリにさえ行ったことがなかったんですよ。でも、日本をどうしても見てみたかったのです」。この経験がパリで日本文学を専攻する決め手になった。
「大学で読み書きをみっちりと勉強して、日本語の力を磨くことは引き続き楽しかったです。文学に関しては、吉本ばななの『キッチン』に出合って、まさに、目からうろこが落ちました。もう何度も何度も読み返しました。
夏目漱石とか永井荷風とか近代文学は、時代背景がいまひとつ理解できなくて私には合いませんでした。でも今の日本の社会を描いた作品は、とても共感できるし、日本にいる気分になれて。私は『キッチン』のおかげで現代文学のファンになりました。論文では川上弘美の作品を考察して、まとめました」
日本の人たちと親しくなったのは、東京学芸大学への1年半の留学時だった。授業の合間をぬって、小さい語学学校で日本人にフランス語を教えたことは、とくによい経験だった。
日本語禁止でフランス語だけで教えるのではなく、日本語でフランス語を教えてほしいという学校だったため、日本語も上達したし、生徒である日本の人たちとも仲良くなれた。
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