そこが聞きたい:普天間飛行場移設 稲嶺進氏
毎日新聞 2013年04月17日 東京朝刊
政府の式典では国民に対して、沖縄の歴史の事実をきちんと言葉に発して伝えてほしいと思います。そして沖縄の意思表示として同じ日に抗議集会を開く気持ちはよく分かります。本土の人々だけでなく、若いウチナーンチュの中にはこの日の意味に気付いていなかった人々もいるでしょう。本土、沖縄それぞれが沖縄の歴史を考える一日となってほしいと思います。
◇聞いて一言
「沖縄の論理」を語る言葉の強さとは裏腹に、インタビューを通じて稲嶺氏から伝わってきたのは怒りではなく悲しみだった。「大学時代は復帰運動に参加した」稲嶺氏にとって、復帰後に沖縄が置かれた現実は受け入れ難いに違いない。普天間飛行場移設問題を、稲嶺氏は「後世の評価」を念頭に考えていた。この物差しで今一度考えてみるべきは、本土の側かもしれない。「戦後70年近くになって新たな基地建設を沖縄に迫る政府と本土を、後世の沖縄はどうみるか」と。
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■ことば
◇1 沖縄の基地負担
沖縄本島の18.4%は米軍基地。国土面積の0.6%の沖縄に全国の米軍専用施設の73.8%が集中し、米軍機の騒音や米兵の犯罪など、基地に起因する被害が絶えない。日米両政府は嘉手納基地(嘉手納町など)より南にある普天間飛行場など六つの施設・区域を最短で今年度から2028年度以降に返還する計画を5日に発表したが、計画が完了した場合の専用施設の割合は73.1%に下がるだけで、負担軽減は0.7ポイントにとどまる。
◇2 屈辱の日
サンフランシスコ講和条約発効で日本は第二次世界大戦の連合国管理から独立を回復したが、沖縄や奄美群島、小笠原諸島は日本から切り離されて米国統治が正式に決まった。沖縄で復帰運動を担った人々を中心に4月28日は「屈辱の日」とも呼ばれる。奄美は1953年12月に、小笠原は68年6月に、沖縄は72年5月に日本に復帰した。
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■人物略歴
◇いなみね・すすむ
1945年7月17日生まれ。琉球大卒。名護市総務部長、収入役、市教育長を歴任。10年1月の名護市長選に普天間飛行場の県外移設を訴えて出馬し、当選した。