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1:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 00:34:50 ID:0

やけに蒸気機関が持て流行らせていたけど
今の研究では、あのイギリス艦隊程度では到底中国大陸征服など無理であったという話
実際アヘン戦争の結果は超大国清からしてみればまだまだ序の口。
せめて薩英戦争程度の粘り強さがあればらくらくイギリスに勝てただろうと思う。
林則徐も勝てる自信はあったといわれる
なぜあっさりと負けたのか。


3:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 01:07:20 ID:0

A 清にやる気無し


4:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 01:31:28 ID:0

中国が滅ぶ時って、大抵が内紛だね。



元スレッドタイトル: 阿片戦争でなぜイギリスは清に勝てたの
元スレッドURL: http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1221320090/

7:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 03:48:10 ID:0

>>1
当時の中国は水運が国家の命運を握っていて、首都北京への食料の
流入も水運でまかなわれていた。
イギリスはその海軍力で北京への食料流入をストップさせたので、
清王朝はどうしようもなくなったのさ。
ちなみにこの教訓は日本にも伝わっていて、たった4隻の黒船に
江戸幕府が震撼したのも同じ理由で、水運による江戸への食料流入
を食い止められる位置にペリーが鎮座したからだ。


140:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 01:54:00 ID:0

>なぜイギリスは清に勝てたの
戦略的な理由としては>>7の言ってることに尽きるんじゃないの?
というか、当時のイギリス側の、あるいは現在の欧米軍事史の「合理的」な判断はそういうことだろうな。

ただ当時の清朝側の状況認識や意思決定が、
そういう西欧流の「合理的」なものさしで計れるものだったかどうかは若干疑問の余地があるな。
ロジスティクスの考慮とか経済上の利害得失の計算とかに、
どの程度プライオリティが置かれていたのか?
当時の中国人の政治文化的に? って疑問だな。


195:世界@名無史さん:2009/01/16(金) 09:28:39 ID:0

>>7
>当時の中国は水運が国家の命運を握っていて、首都北京への食料の
>流入も水運でまかなわれていた。

元末にも方国珍のような海賊に海上輸送路を押さえられて困ってましたね。


9:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 07:24:10 ID:0

海戦で歴代中国が勝ったことってあるの?


10:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 10:37:01 ID:0

明の残党の鄭成功がオランダ艦隊に勝利してるな


11:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 10:40:02 ID:0

オランダって超弱いね。


13:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 11:01:40 ID:0

英連邦本部:ロンドン(イギリス)
元首:女王エリザベス2世
1931年12月11日発足
事務局長:カマレシュ・シャルマ(インド)
加盟国:世界53ヶ国(イエメン、パレスチナ自治政府、ルワンダなどの国や地域が英連邦加盟を要望中)
英連邦総人口:約17億人(世界人口の30%)
英連邦国歌:女王陛下万歳 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E9%80%A3%E9%82%A6

英連邦とは、イギリスとその植民地だった国で構成されるゆるやかな国家連合体
現在の英連邦構成国は約53ヶ国(インド&パキスタンやアフリカ諸国も含む、アメリカ合衆国は除く)
その英連邦の中で本国イギリスを除いた15ヶ国がイギリス国王を形式上の元首とする立憲君主制を取っており
通貨や紙幣、切手などにもエリザベス2世国王の肖像をあしらっている連邦加盟国も多い

一口にイギリスといっても
当時はインドやパキスタン、バングラとかオ-ストラリア、マレ-半島ニュ-ジ-&カナダなど世界中の国も英に含まれる
英領土は中国より広かった。
おまけに近代化した大英帝国に清中国軍では勝利は無謀!


16:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 11:40:20 ID:0

>>13

いや、とはいえ地球の裏側までいって支那大陸を征服できると思うのは無謀だろ
当時のイギリスはまだまだそんなに強くないよ。
海禁政策をとっていた中国にとって沿岸部の都市とられたくらいでは大した痛手でもない。
続けていれば大いに勝算はあったはず


17:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 11:43:20 ID:0

>>16
「うわ、もうちょっといろいろ頑張ればよかった」

by 薩摩人


22:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:05:18 ID:0

あの程度の艦隊で清征服は無理。
しかし、穏健派ばかりだったのがイギリスにとって幸いしたな。


25:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:12:34 ID:0

とりあえずアヘン戦争の話しなきゃ駄目だろ。

林則徐が更迭され前の上奏文があった


 林則徐は最後の抵抗として皇帝に出した上書の中で、次のよ
うに述べている。

 広東の海関は道光元年以来すでに3千万両の銀を徴収し
ておりますが、その利益は当然外夷(海外の野蛮国)の侵
攻を防ぐために使われるべきであります。もし、これまで
の関税の十分の一を大砲と軍艦の製造に投入しておりまし
たならば、彼等を制することまことに容易であったであり
ましょう。・・・現在、広東の各地は厳重な防備を備えて
おり、敵の乗ずる隙はございません。[2,p230]

林則徐はイギリスが攻めて来る事を承知していたので覚悟も勝算もあったようだが


31:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:29:51 ID:0

>>25

林則徐が広東で指揮を振るっていた時にはイギリスは上陸できなかった。
まともに清政府が防御してれば沿岸部で撃退するのも可能と思う。
持久戦になればイギリスは敗退する他無いし。


26:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:16:55 ID:0

中国が滅ぶときはいつも政治的腐敗が原因だね。
今の共産党もそろそろ…。最近腐臭が鼻につくw


30:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:29:47 ID:0

>>26
いや中国が滅ぶときは日本との戦争絡み。
元→元寇の敗退
明→秀吉の朝鮮出兵
清→日清戦争
中華民国→日中戦争
これらで国力を疲弊し他の勢力に取って変わられるのが最近の中国史。
だから共産党も日本にやたらピリピリしている。


89:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 02:54:28 ID:0

>>30
明と清に関しては確かに大きな影響を及ぼしてはいるけどさ。
元寇から元滅亡まで幾つ寝れば良いんですか?
後、台湾で再編される前の中華民国は統一国家としては
終始、あるんだか無いんだかわからん不安定な存在なので
日華事変だけを原因とするわけにもいかぬ。


28:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:22:11 ID:0

定山占領後

イギリス
赤痢やマラリアが蔓延して4000のうち500人死亡
はやばやと弾薬も士気もつきかけてた。
しかも本国からの武器弾薬輸送は大きな負担になってた。


イギリス軍の攻撃にほんのかすり傷を受けたにすぎない。
自国の広大な領土、厖大な人口を考えれば、戦いは序盤もいいところ。
倭冦以降から続く伝統的な海禁政策をとっていた支那王朝は
人口の殆どや重要な拠点は内陸部の方に集中している。


29:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:24:14 ID:0

>>28
そりゃ長期戦ならイギリスが100%負けてたねw;;


32:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 12:35:33 ID:0

イギリスがどうこうより清政府自体に問題があった。
清って国も無理がある国だよな。僅か10%の民族が残り90%の民族を支配している。
オーストリアやトルコにも同じ脆さがあったけど
トルコ人、ドイツ人は過半数いかないにしろ最大多数の民族だったから。


2:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 00:46:23 ID:0

・少数民族の女親族が圧倒的多数の漢人を支配する無理がある政治形態(オーストリアやオスマンより酷い)
・臆病な皇帝(外国船が北京に見えただけであっさり林則徐を解任)
・足を引っ張る腐敗した官僚達
・イギリスの出方を見る前に軍隊を解散させた事
・講和条約が温く、大した痛手でなかったので清が妥協。


林則徐の言うとおり内陸部で勝負を掛ければ100%勝てただろうに
もったいない。


38:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:06:24 ID:0

しかし、元々4000の兵だけでしかも10%も死んでいるのに
良く勝てたな。イギリスは


40:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:10:42 ID:0

>>38
持久戦になればイギリスは敗退する運命だっただろう。
ただ江南の役人から送られてくる賄賂が滞ってて、そもそも阿片の禁輸政策そのものに反対な官僚すら多くいた訳で
他の官僚がすべて親イギリスの中で、林則徐一人奮闘してもどうしようもない。


141:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 02:26:41 ID:0

俺も運輸通運が一ヶ月滞ったくらいで政権崩壊ってのはちょっと大げさだね
戦時中の日本も絨毯爆撃と海上封鎖で干上がっていたとはいえそれで降伏たわけでもない。
まして一ヶ月海上封鎖で滅ぶなんて絶対ありえん。
んだったらイギリスより深刻な打撃を与えていた倭冦に襲われた明も一ヶ月で滅んでなきゃおかしいよ

自分は>>2が答えだと思う。

で、恐らく>>40が実情


45:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:21:40 ID:0

>>38
イギリスは、国論真っ二つで、本来の軍事力の半分しか出してないから。
本来なら、1万人規模の最新鋭軍隊を送っていた筈。

まあ反対派も負けることはあり得ないと思っていたから、その程度しか派遣してないんだが。
もし、イギリスが一時敗退していたら、その後、本腰を入れられて、中国は完全に解体されて大英帝国領になっていた筈。


47:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:24:29 ID:0

一万で支那大陸占領できるの?


48:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:26:21 ID:0

>>47
100年後にイギリスの香港総督が
「支那を占領するのは100万の兵力が必要だ」と言っておりした。


53:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:31:35 ID:0

4000じゃ無理だろ。無論一万でも。
イギリスが誇る艦隊も実情は疫病が蔓延して敗退寸前だったらしいし


54:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:31:37 ID:O

インドは?


56:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:36:53 ID:0

>>54
イギリスがインドを征服するのに何百年かけたと思っているんだ?


55:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:35:03 ID:0

とりあえずアヘン戦争のみの話をしたいが。
アヘン戦争って、近代テクノロジーの勝利って宣伝されるが、まだまだあの時代はそんな時代じゃない。

実情は清の内部腐敗ありきなんだよね。順治、康熙、雍正帝の時ならイギリス負けてたな。
あのころの清なら粘り強く闘えただろうし。


69:世界@名無史さん:2008/09/15(月) 01:04:02 ID:0

アヘン戦争の目的って中国征服じゃなくて
中国との貿易を有利な条件で拡大することが目的だろ
>>55
清が強かったらまず攻めないからIFはないね
イギリスは無理な戦いはしないからな
弱ってる相手を脅し、弱点さらけ出させてたたく
イギリスの作戦勝ちだな
孫子の国が完全にお株奪われた形だな


71:世界@名無史さん:2008/09/15(月) 02:29:51 ID:0

>>69
単にアヘン戦争に勝つってだけならいくらでもやりようがあっただろうね
単純に「イギリスとの貿易はNO」って断固拒否し続けていれば、経済的に先に音を上げるのはイギリスだろうから。


73:世界@名無史さん:2008/09/15(月) 04:31:21 ID:0

これに負けたせいで中国人は完全に他国から侮られる事になり、100年経っても消えない国家の恥辱となった。
3分の1程度の力でも出せばこんな惨めな結果にはならなかったのに。
後悔先に立たずだな。


88:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 01:49:22 ID:0

肝心の林則徐が、阿片で中毒になってたからな。
勝てる筈がない。


90:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 05:28:27 ID:0

>>88
それマジですか?
なんかかなり幻滅したんだけど。


92:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 10:52:27 ID:0

でも防衛を担当していた広州から英国軍を撃退できたのは
阿片パワーのおかげじゃない?w


93:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 22:05:50 ID:0

しかし中国は特殊だな。

比べると日本が一番上手くやってる。敗戦国になったのに30年もたたずに沖縄返還を実現。
負けたドイツは生来の土地と言っていいほどの、旧プロイセン地域を喪失したまま。

東南アジアやインドでさえ戦後は独立運動が盛んになりほどんと
イギリス駆逐したのに、中国は一応戦勝国という立場になりながら
戦後は再び香港はイギリスが領有化。結果として最近まで100年近く奪われたままだった。
総督が赴任して、統治されてとか絵に描いたような昔型の植民地が残ったのは中国ぐらいか。
しかも香港人はイギリス文化やイギリス国籍を持ってるのを誇ってる。
中国人は民族的に独立意識が低いんだろうね。


95:世界@名無史さん:2008/09/16(火) 22:54:54 ID:0

沖縄みたいに島としてはっきり領土分けできるケースと
欧州のように国境や民族が入り混じってるケースを単純に比較できないと思うが。
旧プロイセンの地域がドイツ民族固有の領土ってのもかなり政治的な話だし。


125:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 02:36:29 ID:0

何でイギリスって、あんなに強いの?
根源は何?


126:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 03:31:39 ID:0

イギリス何ぞより倭冦の方がわっぽと深くまで攻めてたし損害も大きかっただろ


127:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 09:14:10 ID:0

イギリス艦隊が華南から華北への航路を封鎖したら
物流が滞るから
そういった圧力も中央政府に効いたんじゃない


128:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 10:55:03 ID:0

そんなの気にする国じゃないだろ
賄賂が滞っての圧力なら確かにあった


129:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 16:37:53 ID:0

英国の大砲でも清の城壁は壊せなかったと本に書いてあったが


131:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 19:55:07 ID:0

皇帝が徹底的に戦うという意思を持続できなかったのが敗因。
まあ英国が直隷に向かった場合、これを阻止できたかは相当疑問なんで妥協は正解だったとも思うけど。

アヘン戦争については英国本国でも反対論が根強かったので、清や林則徐が上手く立ち回れば避戦できたとも思うけど
英国と対等な交渉をすることが出来ない以上、これも望み薄か。


132:世界@名無史さん:2008/09/20(土) 20:00:27 ID:0

たとえ強くても腐敗した組織だと負けるって所だろうね
今の日本も心配だわ


136:世界@名無史さん:2008/09/21(日) 21:09:03 ID:0

徹底抗戦してれば勝てたかもしれないけどさ、それって損じゃね?
沿岸をしこたま砲撃されるんだぜ?海路も封鎖されて経済大打撃だぜ?
下手したら北京とか落ちちゃうんだぜ?
清国の海岸線って沿海州も含めれば5千キロくらいありそうだぜ、警備するのにいくらかかるよって話ですよ。
清国海軍がイギリス海軍に勝てない以上、ずっと受身の戦争するんですぜ。やだぜそんなの。

清にとってはどうでもいい小島の割譲と賠償金払ったほうが安上がりじゃね?
北京も落ちたら、相手の要求も当然エスカレートするわけですし。


144:世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:40:52 ID:0

>>136
1857年から1860年にかけてのアロー戦争(第二次アヘン戦争)では、
首都北京の北西10kmほどの郊外にある円明園や1860年には
北京を英仏連合軍に占領されたね。


137:世界@名無史さん:2008/09/21(日) 21:56:27 ID:0

徹底抗戦でもフランスとロシアが便乗するか圧力かけてきて同じような結果になるだろ
それでもグーダグダやってたら日本も加わるだろうな


138:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 00:24:28 ID:0

明末期なんか清より病的状態なのに
倭冦にイギリスのそれとはくらべものにならんレベルで攻め入られているけどな
でも倭冦に対してすら別に堪えてたわけでもなし、
逆にイギリスは地球の裏側まで武器や艦隊を派遣しているため、あと一ヶ月粘ってたらイギリス艦隊も崩壊してた家もな


142:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 10:21:38 ID:0

倭寇は海運をストップさせたわけじゃないし
国家戦略に基づいて行動してたわけじゃないだろ
倭寇の場合個々の海賊行為を総計すれば巨大な損害だけど
個々の活動自体は小規模だから明も北の脅威に比べて
国家を転覆させるほどの脅威ではないから
優先度は落ちたと思うな
一方イギリスは国家戦略に基づいて行動してるし
軍艦の威力を見れば北京政府が及び腰になるのもしょうがない
ようするにはったりが効いたんだよ


143:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 13:24:24 ID:0

さまざまな偶然や要因がからみあって勝てたという感じだね。


145:世界@名無史さん:2008/09/23(火) 11:45:18 ID:0

なぜって当時のイギリスは清以上の領土を持つ世界最強の帝国だろうが。
今の国土でイメージしてるだろ>>1


146:世界@名無史さん:2008/09/23(火) 13:31:20 ID:0

日の沈まない帝国と
うだつの上がらない帝国とが

出会ってしまった。


149:世界@名無史さん:2008/12/01(月) 09:17:46 ID:0

清のジャンク船に積んでいた大砲(実際には戦国時代の大筒レベル。青銅製で射程距離短いし、
弾丸はただの金属球)でイギリスの黒船を沈めることが出来る確立は、万に一つもないだろ。


150:世界@名無史さん:2008/12/01(月) 09:22:03 ID:0

白兵戦になれば清は勝てると自信があったらしいが
完敗した
中国は昔から兵の質が悪いからな
外国勢との戦績は悪い


151:世界@名無史さん:2008/12/01(月) 09:43:08 ID:O

焦土作戦を行って大陸内部にイギリス軍を引きずり込めば勝てたかもしれんが
そんなことをするぐらいなら賠償金を払って香港をやった方がマシ


152:世界@名無史さん:2008/12/01(月) 10:48:09 ID:0

イギリス軍は内陸まで攻めるつもりないんじゃね
基本的に用量のいい国だから無駄な危険は犯さないんだよな


155:世界@名無史さん:2008/12/02(火) 14:36:59 ID:0

貿易拡大が目的の戦争なのに内陸まで攻める理由がない
清軍が内陸に引っ込んで持久戦にいどめば
南京や北京などの海外沿いの都市を占領して略奪しまくればいい
そうなると清も講和するしかなくなるだろう


159:世界@名無史さん:2008/12/04(木) 12:54:07 ID:0

>>155
その前にイギリスが経済的に行き詰まると思う


162:世界@名無史さん:2008/12/04(木) 20:08:31 ID:0

>>159
そこまで中国に貿易依存してねーよ


156:世界@名無史さん:2008/12/03(水) 16:38:45 ID:O

シナが今も昔もメンツの国だから


157:世界@名無史さん:2008/12/03(水) 19:17:45 ID:0

メンツに拘るなら断固抗戦してただろ


167:世界@名無史さん:2008/12/05(金) 06:46:30 ID:0

イギリスはアフガン、ズールー族、マイソール藩国、薩摩藩にすら苦戦してるからな
清ももうちょっと粘っていれば


168:世界@名無史さん:2008/12/05(金) 10:34:13 ID:0

センゲリンチンにも苦戦してなかったけイギリス?


169:世界@名無史さん:2008/12/05(金) 14:07:43 ID:0

そんな局地戦であーだこーだ言ってもしょうがないだろ
インドは百年かけて征服したし
広州あたり占領してその後じわじわとやってく方法もあるな


171:世界@名無史さん:2008/12/07(日) 08:29:28 ID:0

開戦に際して戦費が議会で通るのが過半数ぎりぎりだったので、
イギリス国内でも慎重論が強かったらしいが。


172:世界@名無史さん:2008/12/07(日) 17:56:02 ID:0

あの状況なら清国が英国に特使を派遣するか、皇帝の親書でも出せば戦争自体は避けられたか可能性が高い。
清国の姿勢からして無理なのは分かってるけど。


173:世界@名無史さん:2008/12/07(日) 18:17:24 ID:0

>>172
中華思想があるから異国の王に親書を送るなんて無理だろ


178:世界@名無史さん:2009/01/12(月) 04:41:24 ID:0

>>172
当時清に送られた外交官に臣従の礼を取ることを強要した王朝だぞ。
異狄の君主なんかに真っ当な外交するはずがない。
つーか、「外交」ってものを知らなかった。

日清戦争で結局戦ったのは北洋軍閥だけだったみたいに、皇帝と宮廷は国全体のことなんか考慮してないんだよ。
一応本気の英軍と身内で足の引っ張り合いしてた清とではそもそも覚悟が違う。


197:世界@名無史さん:2009/01/27(火) 13:35:17 ID:0

アヘン禁輸について閣内でも賛否両論あったうえに、皇帝の鶴の一声で断行されたが、
林則徐が防備を固めていた広州をスルーして他の場所を攻撃されたら皇帝がビビリまくって講和寄りに。
林則徐解任後、宥和派が着任、防衛軍の中身をスカスカにしてしまい、再度攻撃を受けたらあっさり広州陥落、
という流れだったかと。


198:世界@名無史さん:2009/01/27(火) 20:06:40 ID:0

考えてみたら中国の海岸線は広い上
重要都市が点在してるから
守りようがないよな


199:世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:06:23 ID:0

それに総督や巡撫に広範な権限が与えられてるから、一箇所が戦争準備しても
他所は知らん顔してるしね。


200:世界@名無史さん:2009/02/03(火) 19:25:32 ID:0

清はアヘン戦争に負けてもそれほど危機感を抱いていなかったが、中国の伝統的な
考え方では、戦争に強いのは文化が低い証拠だから。
「中華」というのは根本は礼的な文化秩序で、「文」の「武」に対する優越が基本。
だから、負け惜しみにしても、
「どうせやつらは夷狄だから、腕力は強いにきまっている」
という理由付けができる。
「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」が国境を侵すということは昔からあった。


201:世界@名無史さん:2009/02/03(火) 20:43:19 ID:0

夷狄戎蛮は野蛮な未開人であるから軍事力も低く小競り合いが起きても簡単に鎮圧できる。
という理屈じゃなかったの?


203:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 02:31:43 ID:0

戦国時代に既に胡服を纏って軍事改革をしたって王様がいたからなあ。
「夷を以って夷を制する」ってのも直接対峙したら勝てないって前提での発想だし。

「中華」を称する連中は文弱を以って良しとするところがあったんじゃないの。
今中共が進めてる軍備強化は列強に好きなようにされた反動と言うかトラウマの為せる行動だと思うな。


204:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 08:33:48 ID:0

>「中華」を称する連中は文弱を以って良しとするところがあったんじゃないの。

ビザンツもそういう傾向があったな。


205:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 11:13:05 ID:0

日本は「文」よりも「武」重視だからアヘン戦争に非常な衝撃を受けた。

中国の場合、どうせ夷狄なんだから国土の端のほうはくれてやれ、という感覚が
あったのでは。
むしろ彼らが最後まで固執したのは三跪九拝の礼だった。
イギリスの使節が北京に来ると、皇帝は三跪九拝の礼を要求する。
イギリス側にしてみれば、どうして負けた国の皇帝が勝った国の使節に対して
三跪九拝の礼を要求するのかと。
中国人にとって「礼」の問題は、ある意味土地の割譲よりも重要だった。

ところが、日本の領土意識は神国の神聖な領土という観念で、近代国家の
テリトリー意識に似ている。
領土意識の基には、藩というものがある。
江戸時代には、漢文で書くときには、藩のことを全部「国家」と書いていた。


206:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 18:52:09 ID:0

反乱が怖かったんじゃない?
わずか1%未満の満州族とやらが支配している清が、現代のような国民戦争を行うのは無理があったと思う。
清の臣民からすれば、なんで満州族のために死ななきゃいけないの?みたいな。


208:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 19:22:47 ID:0

>>206
>清の臣民からすれば、なんで満州族のために死ななきゃいけないの?みたいな。

義和団の乱は?


207:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 19:20:11 ID:0

中国は世界でもっとも個人主義の徹底した国。
いまもむかしも中国には国家などあってなきが如し。
日本海からアルタイ山脈まで、モンゴルから海南島まで
四海を統治したる天朝大清帝国といえども実際のところ、
乾隆帝後期以降は、皇帝と八旗と高級官僚のサークル活動みたいなもん。
1パーセントの満洲人というが、残りはバラバラの個人が大陸に暮らしているだけなので、
その限りで清の天下は磐石。
ただし、組織的な外国の侵略には弱い。


210:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:13:39 ID:0

中国は数が多いけど質が低いからどうしても勝てないだけ


211:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:19:25 ID:0

海上交通路を押さえられたからムリポと言う事は、
結局、装甲艦があったから勝てたという、
武器が優れてたから勝てたという元も子もない話なのか。


213:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:29:50 ID:0

中国兵1人=イギリス兵10人
このくらいの差があったんだろう

中国軍が1万居たとしても千人で十分


214:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:37:00 ID:0

>>213
何か間違ってる。


217:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:58:31 ID:0

数が多いのは弱点にもなるわけだ、烏合の衆になる


218:世界@名無史さん:2009/02/04(水) 21:07:06 ID:0

これ実はイギリス負けそうだったんだよねw
最近まで知らなかったよ。
原因は清の内乱。

すごいのはイギリスの軍事力じゃなくて、政治的手腕だよな
ムガル帝国の乗っ取り方はすごかった。
インドで何故かフランスとイギリスの戦争w
迷惑極まりない。フランスとイギリスは全く痛手を被らない。
ムガル帝国は領内でドンパチされるので、ダメージだけを追う・・・

この「他国の領地で代理戦争をやり、あわよくば政権を乗っ取る」
というのが、政治史や戦争史の中で最も革命的な侵略方法だと思うよ
アメリカの侵略方法も全くそのままだもん


225:世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:06:10 ID:0

>>218
いわゆる「東方問題」でのイギリスのやり口もスゴイな。
オスマン帝国を生かさず殺さず。

オスマン帝国・・・1571年にレパントの海戦に敗北、1822年にギリシアが
独立、1877年に露土戦争に敗北
ムガル帝国・・・1765年にイギリスがベンガルで徴税権を獲得、1858年に
全面的なイギリス植民地となる。
清朝中国・・・1842年にアヘン戦争に敗北、1860年にアロー戦争に敗北、
1885年に清仏戦争に敗北、1895年に日清戦争に敗北。

こうして、アジアの三大帝国は近代になって世界システムに組み込まれていく。


226:世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:43:53 ID:0

アヘン戦争を振り返ると
徳川慶喜の判断は正しかった
大きな内戦を続けてたら、清の二の舞になった


227:世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:53:20 ID:0

イギリスはアヘン戦争でむりやり中国を開国させたにもかかわらず、その後
中国市場でイギリス製品(マンチェスター産の綿布など)がさっぱり売れなかった
という結果に笑える。


232:世界@名無史さん:2009/02/05(木) 23:07:57 ID:0

中国が弱かったのは、中国的儒教体制のせいと司馬遼太郎は言ってたな


233:世界@名無史さん:2009/02/05(木) 23:23:38 ID:0

洋務運動が行われていた時期に、郭嵩蕪と劉錫鴻の二人の外交官が渡欧
して、当時のイギリス社会を実際に観察して大きな衝撃を受けている。
劉錫鴻の目には、イギリスは『周礼』の郷官の制度が生きている世界と
映ったらしい。
イギリス議会を観察しても、近代的な議会が中国の伝統とは違った
原理にもとづいて成立していることが理解できなかった。
西洋近代社会を、近代社会の原理を通してではなく、中国の伝統的な
価値観を基準にして認識したのは、この時期の中国のエリートの限界を
示しているのかもしれない。


237:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 01:40:50 ID:0

まー、視察団は派遣しないよりした方がましなのは確か。

ただそれを理解し使いこなせるようなメンタリティを持ってなかった(決して頭脳そのものが劣ってたわけではない)。
日本人は何故かそれを理解し実行出来たんだよな。
戦国時代の宣教師も江戸から明治の外国使節も「日本人の異常な好奇心」に驚いてる。
明治維新後の最大の反動と見做されて来た西郷隆盛でさえナポレオンやジョージ・ワシントンを尊敬してたってんだからね。
世界中を回って実際に西洋文明を目にした他の高官は言わずもがな。


240:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 08:14:38 ID:0

>>237
古代ギリシア人が考え出した哲学(フィロソフィー)では、唯一の原理の
探求も、原理の樹立と破壊を繰り返し行うことによってなされるものである。
しかし、他の文明圏では、中国も含めて、いったん打ち立てた原理を
神聖不可侵なものとして堅持し続けた。


241:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 09:49:02 ID:0

>>237
実は彼らの渡欧は、西洋人によってお膳立てされたものだったんだよ。
ロバート・ハートは、中国が文明化された諸国家の外側に自らを置くことをやめ、
西洋文明を公明正大に受け入れるなら、国際社会における最も重要な勢力の
一つとなりうるとの確信を述べていた。
そしてその第一歩として、西洋各国政府に一行を手厚く歓迎させ、西洋人に
中国使節への好意と関心を持たせ、西洋各国での体験により一行を魅了
させようとした。
(この時代の西洋人によくある、“文明化の使命”という発想)

ただ、彼らは西洋文明を中国文明とは異質な文明と認識した上でそれを
高く評価する、という段階までには至らなかった。
逆に西洋文明の起源を中国に求める説を唱えた者さえいる。


238:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 03:51:06 ID:0

日本は昔から舶来物を珍重してきたから、外国から学ぶ事に抵抗が無かったんだろう。
中華思想に凝り固まって、自分達が世界の中心だと思い込んでたら
学ぶ意欲にも支障をきたすというもの。


239:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 07:29:02 ID:0

同時期のタイではモンクット王が西洋の家庭教師つけて勉強してるな。


242:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 10:07:27 ID:0

>逆に西洋文明の起源を中国に求める説を唱えた者さえいる。

そうしないと西洋文明自体を受け入れられないという事情もある。
大航海時代には逆に、中国文明を紹介しようとしたイエズス会士たちがその起源を
聖書の枠内に収めようと四苦八苦。

でもまあ、そうやってローカル化された西洋文明が変な方向へ発展する例もある。
盧梭(ルソー)などを「西方の聖哲」として祀ってる反乱軍がいたりw


244:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 13:58:57 ID:0

>逆に西洋文明の起源を中国に求める説を唱えた者さえいる

まあそういう部分もあったんだけど
そうやってイギリスの文明がポンと無から転じたかのように
考えてしまうのが
日本人と中国人がイスラムの歴史に疎いせいだろうなあ


245:世界@名無史さん:2009/02/06(金) 15:31:01 ID:0

ちなみに、郭嵩蕪は日本の洋化政策を賞賛したが、劉錫鴻は批判的だった。

「日本は政令により西洋のやり方を導入し、西洋の服装や礼儀をも真似ているが、
西洋人はみなこれを軽蔑して、模倣することにより甚だ自ら本来のあり方を失う
ものだといっている」


254:世界@名無史さん:2009/02/16(月) 02:24:39 ID:0

>>245
元々日本人は西欧に限らず、他国の文化を取り入れるのが大好きだよ。昔は中国に合わせまくった訳で

ただし、日本人は相手の文化と同時に、優れたテクノロジーの輸入を相手から求める。
優れたテクノロジーと文化はセットであるという思想が、日本人の根底にあるんだな。
古代はそれが中国だった、中世は中国であり西洋であった、近代からは西洋がその全てとなった
技術輸出を伴わないイスラム文化は、歴史上日本人の眼中にも入らなかった

洋化というのは優れた文明とテクノロジーを求め信仰する日本人にとって、ごく自然なプロセスだったんだよな


276:世界@名無史さん:2009/04/04(土) 12:13:36 ID:0

清の財政とイギリスの財政どっちが有利だったの
イギリスは大変だと聞いたが清のほうが戦争やれるだけの財政はあったの?


277:世界@名無史さん:2009/04/07(火) 14:20:50 ID:0

イギリスの艦隊は壊滅寸前
清は賠償金ぽんとはらってたからあるんじゃねえの
あと地元だからイギリスと違って遠路はるばるくる必要もないし


278:世界@名無史さん:2009/04/07(火) 18:53:35 ID:0

清は金はあるんだけど対英戦争にまともに支出しない。
バラバラに小額づつ支出されてる。
支出先がバラバラで組織もバラバラ。
指揮権くらい統一しなきゃ勝てるわけないよねw


279:世界@名無史さん:2009/04/07(火) 18:57:00 ID:0

もし長期戦になればイギリスはインドから大量に兵士を動員するつもりだったらしいな
海上は抑えてたが陸上ではやはり清に分があるからな、精鋭のグルカ兵やシク教徒兵士でも難しいだろうな


282:世界@名無史さん:2009/04/07(火) 23:21:42 ID:0

インド人を投入してもイギリスのために本気で戦わないだろな
清の兵隊もやる気なさそうだけど


283:世界@名無史さん:2009/04/08(水) 03:32:01 ID:0

>>282
志願制で集まったインド兵の士気や忠誠心は高いよ、だからWW1まで各地に派遣された
それにセポイではなくグルカ兵、シク教徒兵士、パシュトゥン兵士の戦闘能力の高さなら清朝軍に相当な損害を与えることができる
上手くいけば王朝崩壊まで追い詰められるかもね


287:世界@名無史さん:2009/04/09(木) 03:36:22 ID:0

でもアヘン戦争のイギリス艦隊は乗員半数がマラリアで死亡
士気も壊滅しかかっていたんだろ
地上戦以前の問題ぽいな。その事情を清が知っていれば継続されておわってたろ


289:世界@名無史さん:2009/06/15(月) 16:40:42 ID:0

清国なんて欧米列強にメタメタにされてたからGDPなんて低かったと
思ったら当時1位なのな・・・・
GDP1位ってのもたいしたことないなw