
[1]清の衰退
(1)社会矛盾の明確化(乾隆帝末期〜)
・人口増加,地主・商人・官僚への土地の集中
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自作農の没落
・官僚の腐敗,重税による農民の困窮
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抗租運動の激化
(2)大規模反乱
・白蓮教徒の乱(1796〜1804)
白蓮教徒を中心とする農民反乱
郷勇により鎮圧される(→八旗緑営の弱体化が露呈)
・天理教徒の乱(1813)
白蓮教徒の別派勢力による反乱
[2]清の対外貿易
(1)極端な制限貿易
・貿易港を広州に制限(1775)
・貿易は朝貢形式のみ容認
・公行と呼ばれる特許商人組合が貿易を独占
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イギリスとの中国茶の取引が有名
(2)イギリスによる貿易拡大要求
≪原因≫
※イギリスで飲茶の習慣が浸透。茶の輸入が激増し、イギリスから大量の銀が清に流れたので。
[18世紀の貿易状況]
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イギリスは輸出拡大をねらい外交使節を派遣
≪外交使節≫
・マカートニー(1793):制限貿易の撤廃を要求,乾隆帝に謁見するが交渉失敗
・アマースト (1816):制限貿易の撤廃を要求,三跪九叩頭を拒否したため嘉慶帝に謁見できず帰国
(3)アヘン輸出の開始
・東インド会社が赤字貿易解消のため、中国にインド産アヘン(吸飲・輸入禁止)を密輸入
[当時の貿易状況:三角貿易]
・アヘンが清国内に広く浸透
・中国国内の銀がイギリスへ大量流出
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銀で税を納める農民の生活が困窮
・清のアヘン取締り
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[3]アヘン戦争(1840〜42)
≪イギリスの思惑≫
…清と事を構え、自由貿易を確立させたい
≪経過≫
1839 道光帝が林則徐を欽差大臣に任命し、広州に派遣
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取締りを開始
アヘンを没収・焼却,対イギリス貿易を中止,中国人のアヘン密輸貿易者を処罰
1840 イギリス議会が対清宣戦を決定,艦隊をおくる
厦門・寧波・上海等を占領し南京に迫る
1842 清が屈服
※戦争中に広州の農民が平英団を組織し反英闘争を開始,その後の民衆運動の大きな影響となる
≪結果:不平等条約の締結≫
…清の半植民地化の開始
(1)南京条約[1842締結,対イギリスとの講和条約](※)
・清は5港を開港(広州・上海・福州・厦門・寧波)
・香港の割譲
・公行の廃止
・多額の賠償金
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この条約の締結によって清の鎖国制度が崩れる
(2)虎門寨追加条約[1843締結,対イギリスとの条約,南京条約を補足したもの]
・イギリス人の領事裁判権を承認
・関税自主権の喪失
・イギリスに対する最恵国待遇を約束
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清が結んだ始めての不平等条約で、これ以後清の半植民地化が開始
(3)望厦条約[1844,対英条約に準ずる清米間の通商条約,不平等条約]
(4)黄埔条約[1844,対英条約に準ずる清仏間の通商条約,不平等条約]
アヘン戦争の結果次ぎに以下の二つの事件が起こる
【アロー戦争へ…】【太平天国の乱へ…】
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