世直し、前衛芸術、競馬、坐禅、音楽など、なんでもあり

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しき雑談。
 

政談を少し

2013年04月17日 00時20分34秒 | 世直しのためにどうすべきか
西村修平さんのメルマガ、『「主権回復式典」の中止を!』 が届きました。このブログの左下に西村さんのブログのブックマークを入れましたのでぜひご覧下さい。ブログに載らないメルマガもありますからその場合は以前同様転載します。

このところ私が多忙かつ体調が悪いために、西村さんの主権回復を目指す会の転載が続いていました。こういう形にすれば、西村さんの活動を一気に見ることが出来る上、私なりの意見も書くことが出来ると考えた次第です。

このブログが入っているHP(ロータス人づくり企画)には「お奨めリンク集」があり、そこには西村さんのブログの他に、瀬戸弘幸さん、阿修羅、その他のリンクが貼ってあります。そちらも合わせてご覧下さい。
______________________

言葉とは面白いもので、私の故郷は旧愛媛3区ですからよく「保守王国」と言われます。「保守」というのは非常に印象の悪い言葉で、談合、馴れ合い、長いものに巻かれよ、思ったことを口にしない、などを意味します。
 さらに面白いのは、これは愛媛でも私の故郷・西予市野村町だけの使い方かもしれませんが、「偉い人」という言葉は「根性の悪い人」を意味する悪口です。だから親は子供に「あんな偉い人になるなよ」と教えるわけです。

脱線しましたが、そういう事情もあり私は「保守」と言わず「革新愛国」という造語を使っています。

都市部がバブル経済で狂喜乱舞していたころ、地方の地方は疲弊する一方でした。当時私は郷里で暮していましたが、商店街を潰して第三セクターによるショッピングセンターに集中させる議会決議に反対して、町議に全員に反対意見書を手渡しし、結果的に潰したことがあります。特別職の人たちが支持してくれたわけです。この手の三セクをやって成功した例は、本来商店街が無かった新興住宅街以外、まずありません。
 
経済面のことだけを言っているのではなく、自営業という小さくても一国一城の主という「自由な精神」が消えてしまい、常に役人に管理される社会に変わっていく息苦しさに私は激しい嫌悪感を覚えたものです。
 
バブル崩壊後は小泉=竹中政権により新自由主義経済が進められました。「小さな政府」で市場原理に任せておけばいい、という理屈でしたが、郵政民営化でどれほど田舎の生活が苦しくなっているか、町村合併でどれだけ過疎化が進んだか、故郷をお持ちの方はご存知の通りです。

今話題になっているアベノミクスの実態はなんなんでしょう?行き過ぎた新自由主義経済の反省の上に立った試みだと思っていましたが、http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:8xKXUtA7SuUJ:www.mitsuhashitakaaki.net/2013/01/09/korekiyo-25/+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jpを見ると

「要するに、これは、世界中を不幸にした2000年代前半のグローバル資本主義の姿です。
このグローバル資本主義の構造を改め、国民本位の資本主義を取り戻すのが、新政権の使命であるべきです。安倍政権が「保守」を標榜するなら、なおさらでしょう。
先の総選挙で、自民党は、「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げました。
ところが、取り戻されようとしているのは、「小泉政権下の日本」のようです。
いや、民主党から日本を取り戻して、アメリカに渡すということだったのかな?」

「私も産業競争力会議のメンバーに竹中平蔵が連ねているのに唖然としました。
産業構造を破壊し、生きる希望を失わせた竹中!安部総裁の信頼が揺らいできました。」

などの意見があります。
それにしてもあの異常な小泉人気は何だったのでしょう?タクシーの運転手さんと会話すると「女房が小泉に熱を上げているが理解できない」という言葉を何度も聴きました。日本人の欠点として、ファナティックになる、という側面は確かにあると思います。

今「新自由主義」をwikiで検索したら、言おうとしたことが簡潔に書いてあったので、これを引用してとりあえず終わりにします。
___________________
水岡不二雄によると、ネオリベラリズムは、狭義には、規制緩和・民営化・社会福祉切捨てなど現実の政府が取る諸政策をいう。また、広義には新古典派経済学を基礎とし、市場機能を歪めるとされる政府による介入は民間では適切に行えないものに限定すべきとする市場原理主義思想に基づいて、狭義のネオリベラリズムの政策を推進することにより、資本蓄積と社会統合を図る、資本主義の調整様式のひとつである[28]。

資本主義経済は、恐慌と革命を封じ込めなければ持続性を持ち得ない。新自由主義は、これを実現するために、新古典派経済学の諸前提を宗教の聖典のように絶対化して、この前提を、経済・社会のすべての個人・集団によって実践されるべき規範にまで高め、自己責任や、他者をうらやまない「no-envy」思想などを中心とする市場原理主義の経済思想を作り出した。

これに基づき、低福祉、低負担、自己責任を基本として小さな政府を推進する、ネオリベラリズムの諸政策が遂行された。具体的には、製造業に代わり金融業が経済の中核部門にすえられ、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などが推進された。原子的経済人に擬制された諸個人や国家は、絶え間ない競争状態におかれ、市場原理主義思想を受け入れなければ「負け組」になるかも知れないという恐怖にさらされた。高度な金融技術によって組織された金融業が資本蓄積を保障する一方で、自己責任の原則のもと「負け組」となった人々は、政府や資本主義体制を批判しないよう誘導されて、革命が封じ込められ、資本主義の安定が図られた。これが、新自由主義である、と批判している[29]。
_________________
この他に、新自由主義のパラドックスとして、小さな政府が逆に大きな政府になる、という現実も指摘されています。
ジャンル:
コラム
キーワード
新自由主義 ネオリベラリズム 市場原理主義 小さな政府 グローバル資本主義 バブル経済 主権回復を目指す会 公共サービス 大きな政府 2000年代
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック
« 微笑禅の会平成25年4月号 | トップ

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。

あわせて読む