ドメスティック・バイオレンス domestic violence, DV は、同居関係にある配偶者や内縁関係や両親・子・兄弟・親戚などの家族から受ける家庭内暴力のことで、夫婦や恋人のあいだの暴力よりも範囲が広い。Wikipediaによると、domesticは本来「家庭の」という意味だが、近年ではDVの概念は同居の有無を問わず、元夫婦や恋人など近親者間に起こる暴力全般を指す場合もあり、その意味でDVとはカップル間において一方が他方を暴力によって支配する状態を指す。本来は、ジェンダーバイオレンス gender violence と呼ぶべきものである。一方でフランス語では violence conjugale と言い、夫婦間の暴力に限定されているようだ。
フランスでは3日に1人がDVで亡くなっている。もちろん、DVは一部の特別な人々のあいだで起こることではない。DVは学歴・職業・社会的地位・収入を問わない、あらゆる階層・地域に起きている問題なのだ。
□La violence conjugale(11 JUIN, TF1)
6月11日のTF1のニュースでちょうどDVのプチ特集をしていた。ニュースの内容を補足しながら解説してみたい。
フランスでは長い間、警察とカウンセラーとケースワーカーが一緒になって、DV被害者たちに対して「あなたが悪いんじゃない、あなたに責任があるんじゃない」と説得して、自分の身に起こったことを話させたり、必要な場合には訴訟を起こすように援助してきた。
ニュースでは妊娠して以来夫に殴り続けられている女性が出てくる。子供が生まれて今は4ヶ月。まわりに誰も証人がいない。自分の母親を家に呼んだが、夫はそのときだけ優しいふりをして、「これは初めてのことで、しょっちゅうあることじゃない。大したことじゃない」と母親に信じ込ませてしまった。今は部屋を別にして住んでいる。夫を愛していると思うがもう耐えられない。自分から結婚生活を破綻させているようにも思えるが、すでに関係は破綻していると。
暴力をふるわれても肉体的に愛していたりと、DVは罪悪感、恥辱、恐怖などの負の感情がともなう、人間関係の複雑さが凝縮した場である。DVは何年間にもわたり続くことがある。「別れてやる」という脅しは、妻を心理的に孤立させる効果を持つ。頼れるのは夫しかいない、「夫なしでは自分は無に等しい」、そう信じ込ませようとするのだ。夫は自分のもとに妻を引き止めておきたい。暴力をふるえる相手が欲しい。暴力によって相手を支配したいのだ。そういう夫にとっては妻は自分の所有物であることは自明なことのようだ。夫は多くの場合、警察に対して、「ちょっとはやったかもしれないが、暴力ではない。殴ったことはない」と主張する。この加害者意識のなさがDVにおいて最も特徴的である。それゆえに更生する意志はさらさらないし、自分が暴力をふるうのは妻のせいだと責任を転嫁することもある。DVにおいては、女性たちに語らせることが重要になる。あなたは自分の権利を主張できるし、そういうことをされるいわれはないのだと、必要な情報を与えて励ますことなのだ(以上がニュースの内容に関して)。
日本でも最近「デートDV」の被害が絶えないというニュースがあったが、やはり男性に加害者意識がないのが特徴のようだ。DVだけでなく、セクハラに関してもそれが欠如している場合が多い。最近、「壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか」という本も話題になっているが、例えば、上司と部下という権力関係を傘に着ているにもかかわらず、本当に愛してくれていると思い込み、訴えられてびっくりするんだそうだ。で、「あんた奥さんいるでしょ」って言われても、それとこれとは別と開き直るとか。
cyberbloom
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