心配そうなお父さんにはーいと手を振って、私は軽トラックを運転して例の喫茶店へ向かう。時間は息子に言われた通りに変えた。これが何かの影響を与えるとは私には思えないから、今日でここにくるのは最後かもしれない。
そう思いながら、カウンターへ通じる裏口をノックして開けた。一つ深呼吸をして、笑顔を貼り付ける。
「こんにちはー!平林ですー」
「おう、ご苦労さん」
え?
下を見たままだった私は思わず顔を上げてオーナーをガン見した。・・・ご苦労さん??え、初めて言われたんですけど!
ちょっと呆然としている私に、コーヒーミルを操作しながら髭オヤジは言った。
「昨日の夜ボトルキープ出てるから、補充しといて。あ、それとワインも試してみるわ。今日、ある?」
「・・・あ、ええーっと、ハイ!すぐ持ってきます!」
私は混乱していたけど、ざっと酒の数を確認する。本当だ、4本の補充が必要・・・それと、ワイン、コップだな!
軽トラに商品を取りに行く間もドキドキしていた。嘘嘘。何で今日はそんなに普通の対応・・・どころが愛想がいいのよ!?まさか本当に時間が関係してるの!?
わたわたと準備する。
ケースに必要なものを入れて店までガラガラと運ぶ。動悸が激しかった。興奮していた。何何、何があっておっさん今日は機嫌がいいわけ??
「並べときますー」
そういいながら焼酎のボトルを店の棚に並べていく。先売りが手前、後売りが奥・・・。
ちらりと背中越しにオーナーを見ると、客のいない喫茶店で鼻歌を歌いながらコーヒーのセットをしていて本当に驚いた。
・・・・鼻歌だよ!!!って。
「・・・・ご、ご機嫌ですね・・・」
恐る恐る口を開く。何かいいことがあったんだろう。それだけは間違いないし、私が嫌われている理由を聞くチャンスかも、と思って。
オーナーは、え?と振り返って、ああ、と微笑した。髭オヤジが可愛く見えた。
「そうなんだ、嬉しい電話だったから、今日のは」
「はあ」
「うちの姪はカナダで結婚してあっちで暮らしてるんだけどね、この冬に初めての子供を産んだんだよ」
私はパッと立ち上がって手を叩いた。
「うわあ、それはおめでとうございます!初めての子供さんですか?」
オーナーは嬉しそうに頷いて、それからちょっと真面目な顔になった。
「・・・だけど、あれだったんだよ。母親の容態が悪くて手術で産んで未熟児でね、産んでからも母親の容態もあまりよくなくて・・・それで今うちのヤツがあっちに行って世話をしてるんだけど」
え。私は拍手を止めた。・・・・なんとヘビーな話ですか、それは。
目を見開いて固まる私の視線の先で、オーナーはコーヒーの豆の缶を触りながら続けた。
「姪には身寄りが私達しかいなくてね。親代わりだったんだ。それでうちのが毎日電話で姪と子供の様態を話してくれるんだ。でも今日の電話で、姪の退院が決まったし、子供も何とか保育器も出れそうだって聞いてね」
「おおお~っ!!」
「そうなんだよ、良かったよ本当に」
オーナーが微笑んでいる。私はそれを嬉しい気持ちで見ていて、それからハッとした。
「・・・電話。それってもしかして、4時頃だったり・・・しました?」
オーナーは私を見て苦笑した。
「ああ、そう。毎日4時すぎなんだ。時差があるからね」
「うわああ~!!すみません、一番緊張している時に来てましたか、私!!」
おでこをパシンと叩いて凹んでいると、オーナーがまあまあと肩を優しくたたいた。
「確かにタイミングが悪くて、こっちの対応もすごく悪かった。それは申し訳ない。だけど一番最悪な話を想像して緊張している時に元気よくあんたが入ってくるのが腹が立ったんだ」
こんにちはー!って大きな声で、大きな笑顔で。うちの姪と子供は青白い顔でベッドの上のはずなのに、ってつい思ってしまって。
「平林さん、悪かったね。ついあんたに当たってしまってた」
そう言ってオーナーが頭を下げる。私は慌てすぎて挙動不審になった。
「いいいいいいえ!いえいえ!仕方ないですよ!すみません・・・」
知らなかったとはいえ、それでは私の挨拶もさぞ能天気に思えてムカついたことだっただろう。まさに、タイミングが悪いって感じ・・・。
「でももう大丈夫だ。うちのヤツも帰ってくるし、これでとりあえずは安心だ」
オーナーがニコニコ笑って催促する。で、ワインは?って。
「あ、はい、これです!」
私は3本持ち上げてカウンターに置き、お父さんに教えられた通りに説明をして、試飲をお願いする。オーナーは暫く色々と嗅いだり舐めたりして、一番フルーティーなワインの取り置きを決め手くれた。
ここはジャズの演奏会もあったりして、オーナーは気ままに夜も開けてお酒を振舞っているのだ。
やったあああ~!!私は飛び上がって喜びたかった(実際はしなかった。しそうだったけど・・・)。
お父さん~!やりました。貰っていただけましたあああ~!心の中でお店で心配しているだろうお父さんにテレパシーを送っておく。
「ありがとうございます!明日5本ストック持ってきますね!」
ウキウキと私がお礼を言っていると、オーナーは、あ、と声を出した。
「お宅、シャンパン持ってるかな、今」
「え、今ですか。・・・ああー、ハイ、予備が一本あったはずですが」
夜に回るバーに置いてもらっている銘柄のものが、フルボトルではないけど一本あったと記憶している。
そう応えると、オーナーはそれ頂戴と言った。
「ちょっとお待ちくださいね、取りあえず持ってきます!」
わお!今度はシャンパンまで~。何ていい日なんだ。あのオーナーにとってもいい日なわけだもんね。・・・あ、そうか、これで今日一人でお祝いとかするのかも~!
そう考えて一人で盛り上がった。軽トラの荷台から丁寧にケースごと取出し、また喫茶店へ戻る。
「あのー、今は、これ・・・ポメリーのポップ200しかないんですけど・・・」
私が差し出したブルーの小柄なボトルを、オーナーはフムと頷きながら手に取る。
シャンパンはフランスで作られる微発泡性のワインだ。数ある銘柄の中でそれほど高くなく、カジュアルなポメリーシャンパンを気に入っているのはお母さんだった。
フルーティーで花のような香り、それと明るい色。
店の試飲のコーナーにも置きたいと言っていたけど、あれはその後あけちゃったからって自分が飲もうと思ってるんだよとお父さんが言っていた。
オーナーのヒゲ面にうっすらと微笑が浮かんだ。
「・・・偶然だな。うちの姪の結婚祝いは、これだったよ」
え?と私が聞き返すと、オーナーは丁寧に教えてくれた。ポメリー社が出しているサムシング・フォーというウェディングギフト用のシャンパンセットがあるらしい。
繊細なシャンパングラス付きのウェディングの為のギフトで、それを内祝いに配ったと。
「流石カナダ人だなあって皆で感心したよ。ダンナがあっちの人だからねえ。お洒落だなって」
オーナーは笑う。そして私の差し出したポップ200を現金で買取、どうぞと私の前に掲げて見せた。
「・・・へ?」
私は何が何だか判らなくて混乱する。あれ?どうして私に寄越してくるんだろう、この人。え?何かしたっけ?って。
オーナーはにっこりと笑った。
「今までの侘びと、お祝いだよ。姪と赤ちゃんの退院を一緒に祝ってくれ」
これはカジュアルにストローでもそのままでも飲んでいいシャンパンなんだ。どうか受け取ってくれって。
「・・・あ、あり、がとう・・・ございます」
超つっかかったけど、何とかお礼を述べて小さなボトルを受け取る。
「平林さん、これからも頼むね。親父さんにも宜しく伝えてくれ」
その笑顔にすうーっと心が浮き上がった。
「はい!」
私は一生懸命お礼を述べ、ぺこぺこと頭を下げまくって喫茶店を後にした。
押して歩く台車には貰ってしまった小振りでブルーのシャンパンボトル。心が浮き立って、空も飛べるかと思った。
・・・親代わりで育てた姪ごさん、無事。子供さんも、無事・・・。ああ、良かった。
親代わりって単語に心が反応してしまった。私と同じだと思って。
また滲み出す視界を手で拭う。これは幸せの涙だ。だけど、あとで部屋でこっそりとお祝いするときに流そうっと。そう思って。
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