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第3章 泣き虫と八方美人
2、孝太のアドバイス①

 そんなわけで、息子が引っ越してきた。お母さんの宣言通りに弟さんの部屋を彼は使うことになり、私が使わせて貰っている部屋からも自分の荷物を全部移動させていった。

 ますますガランとした部屋で、私は眠る支度をしている。

 天井近くの暗闇を見詰めて、今晩の事を思い出していた。

 いつものように晩ご飯の後、翌日の発注の相談をお父さんとして(今ではたまに私が発注をしている)、お母さんが電卓を弾きながら会話に参加する。

 お菓子を出してお茶を入れて、だらだら~っと2時間くらいを過ごすのだ。

 そこに、今晩からはバツ男も参加になった。

 社交性には溢れる性格らしく、出て行って久しい実家に赤の他人の娘までいるのに、緊張や遠慮はカケラもなく、彼はガッツリ寛いでいた。

「いや~、テレビなんか見るの、久しぶりだわ」

 お風呂上りの部屋着姿で整えていない髪の毛で、ビールを飲みながらのびのびと体を伸ばしている。

 若干イライラした。

 台所までの通路にあるソファーにデカイ男が寝そべっている。・・・・・邪魔。

「ソファーから大きな足垂らすのやめて下さい。邪魔ですから」

 通りすがりにそう言うと、うん?と首を捻って私を見上げ、にやりと笑った。

「あ、ごめんねー、長い足なもんで」

「胴体の方が長く見えますよ!」

「へえ、何でそんなこと判るの、一度計ってみる?」

「計りません!!」

 うがあ!湯のみを持ったままでヤツに噛み付いて、お盆ごと落としそうになる。うおお!危ない・・・やばいやばい。

 急いで均衡をとってわたわたしていたら、また爆笑されてしまった。

 何だこの人。湯のみを頭に落としてやろうか。あ、ごめんなさーいとか言って。腕が長いもんで絡まっちゃって~とか言って。

 私が仕返しを企んで唸っていると、救いの声が聞こえた。

「愛ちゃん、ほっときなさい」

 お母さんが台所でおいでおいでをしている。私はプンスカ腹を立てたままで湯のみを運んでいった。

「あんなに寛いでる孝太をみるのは本当に久しぶりよ。結婚したら全然顔出さなかったし、離婚してからはご飯だけを食べにたま~にきてもサッサと帰ってしまってたから」

 ふーん。洗い物をしながら微笑むお母さんをちらりと見た。それで二人ともにこにこしてるだけで、ヤツにからかわれる私への救助を忘れているのですね。成る程。

 後ろでお父さんが、そういえば愛ちゃん、と声をかけた。

「はーい?」

 腰を捻って振り返ると、お父さんは老眼鏡をずり下げて私に聞く。

「あそこ、前見つけてきた喫茶店、どうなった?」

「ああ、あそこですね・・・」

 私は重いため息をつく。そうなのだ。今の私には帰ってきた息子にからかわれている暇はないのだった。もっと他に悩み事が発生していた。

 お父さんの教えを受けて、まだ取引のない喫茶店などにうちのお酒置いてもらえませんかと外回りをしているのだ。

 暇な私がそう提案して、お父さんがいいよとオッケーをくれたからやっているんだけど。

 それで、自分でも飛び込む傍らお父さんが新規に開拓した喫茶店を引き継いだのだけど、そこに新しいワインを置いて貰うのに非常に苦労している。

 前日どれだけお酒が出たか、新しい注文はないか、を聞きにいくだけでも、そこの喫茶店のオーナーさんである50代のおじさんがケンモホロロなのだ。

 女嫌いか!?と思うくらいに、私が行くと常にぶっすーとしていてさっさと帰れと追っ払われる。

『いいから帰った帰った!』

『売れたかどうかは見たら判るだろう!喚かないでくれ!』

 などと言われて放り出されるのだ。

 置いてくれるのは置いてくれるのだろうから商品は気に入ってるのだろうに、私の何が気に入らなくて冷たい反応なのかが判らなくて悩んでいるのだ。

 私はふきんでお皿を拭きながらお父さんに言った。

「今日も駄目でしたねー。売れたか売れたかばかり煩い!って叱られました。ちなみに、一言も言ってないんですけどね」

 一体何が悪いんだ!

 ここ数日その喫茶店相手に私が疲れてしまっているのを見て、お父さんは腕を組んだ。

「うーん・・・やっぱり若い女の子が駄目なのかな。愛ちゃんに失礼があるとは思えないし・・・。あのマスターそんなに愛想悪くないんだけどな・・・」

 そりゃそうでしょ。誰にでもあれでは接客業なんて出来やしないぜ。私はまたため息をついてお皿を拭く。

「先日もちょっと寄ってみたけど、ニコニコと対応してくれたんだけどねえ~」

 それってちょっと傷付くわ。やっぱり私が嫌われているってことか・・・。

 するとソファーに寝そべった息子がひょいと口を出した。

「時間は?」

「は?」

 私は振り返る。時間?あん?

 椅子の上で息子の方へ体をむけて、お父さんが代わりに応える。

「喫茶店が一番暇なのは4時台だ。だからその時間に行くように愛ちゃんには言ってるけど」

 息子はよいしょ、と起き上がって、瞼をこすりながら言った。

「・・・時間が問題なんじゃないのか。明日は違う時間で行ってみたら。4時台が概ね暇だってのは一般の話で、その喫茶店では違うのかもしれない」

 私は首を捻った。

「・・・忙しいってことはないと思いますけど?大体お客さんいないし、オーナーもぶすっと黙って座ってますよ、カウンターの中に」

 彼はビールをもう一本って立ち上がりながら、通りすがりに私を見下ろしてにやりと笑う。

「だからって、その時間がいいとは限らない」

 まあそうかもしれないけどさ。何か、ムカつくんだよ、あなたは!

 私が眉間に皺を寄せて唸ると、お父さんが、よし、と言った。

「まあ営業には慣れてる孝太の意見も聞いてみよう。明日は5時すぎに行ってみて、愛ちゃん」

「・・・はい、了解です」

 お父さんの言うことなら勿論聞きますとも!

 冷蔵庫からビールを出して、そのままシンクにもたれながらお母さんと話す息子を見た。

 時間を変える・・・?意味なんて、あるんだろうかって。



 そして朝が来た。

 起きてみると別人のようにシャキっとした息子が8時前には会社へ行ってしまって、やれやれと私は肩を揉む。

 ぐでんぐでんの時の彼とは本当に別人だな。愛想の良さは変わらないけど、目つきがガラリと変わる。やっぱりエリートさんなのだろうか・・・。

 ま、自分の仕事を愛しているってのは素敵なことだよね。私は肩をぐるぐると回しながらら店におりて、本日の掃除を開始した。

 春になりかけていて日差しが温かい。

 店の前を箒で掃いていると商店街の人達がおはようと声を掛けてくれる。私もそれに笑顔で返す。

 ゴミを出し、通学する小学生にいってらっしゃいと言い、たな卸しをしているお父さんの横で発注を済ませた。

 そうやっていつもと同じことをする。確実に私の日常になっていて、あまりにもしっくりときていることに自分で驚いていた。

 5ヶ月連続でいた温泉旅館だって、こんなに馴染んだ感覚はなかったのにって。やっぱり一般家庭であるというのが大きな違いか。

 今日のお母さんの笑顔度は確実にアップしている。

 一日の内に少なくとも3組のお客さんから「何かいいことあったんですか?」と聞かれていた。お母さんはその度に、そうなのよ~とうふふと笑みを零し、息子が家に戻ってきたと言いまくっていた。

 親だな~・・・そう思って私はちょっと羨ましかった。

 泣き虫だった私は、両親が死んでからは泣かなくなった。

 この前、バツ男に感情をぶつけてしまったのが本当に久しぶりの涙だったのだ。

 ここの家は、色々と感情を揺り動かす人ばっかだね。私は苦笑して、ビール瓶を運ぶ。この重さや角が膝に当たって痛いのも、ちゃんと私に沁み込んでるなあ、と改めて思ってしまったのだった。

「じゃあ、行ってきます!」

 私がそう言うと、お父さんはうんと頷いた。

「もし今日も態度が変わらなければ、もう今度からは愛ちゃんは行かなくていいからね」





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