御法主日顕上人猊下御講義集   立正安国論

立正安国論@ 57頁〜60頁

平成15年度 第1回法華講夏期講習会



   以上、四経の文を七つにわたって挙げられてきましたが、その結論

 の部分が次の御文です。


  
「夫四経の文明(もんあき)らかなり、万人(たれ)か疑はん」

  このような、明らかにはっきりとした文証をもって考えるとき、仏法

 を擁護しない、あるいは仏法に背くという形から様々な災難が起こって

 くるということはうたがいないことであるということをここにお示しで

 あります。


  「而るに盲瞽(もうこ)(やから)、迷惑の人、(みだ)りに邪説(じゃせつ)を信じ

  て正教(しょうきょう)(わきま)えず」

  「盲瞽」というのは、「盲」も「瞽」も目の不自由な人という意味

 で、ここでは物事の筋道・道理が判らない人。それから「迷惑」とい

 うのは、煩悩の惑に迷う人です。この人々が、浅はかにも邪な説をそ

 のまま信じており、したがって正しい教えを全く知らないでいるとの

 指摘です。

  この段階では、まだ邪説がなんであるかということは、はっきりと

 おっしゃっていません。けれども一往、ここで「邪説」とはっきり言

 われる理由があり、これは問答が進むにしたがって明らかとなりま

 す。

  その邪説を信じることが誤りであるにもかかわらず、空しく「邪」

 を取って「正」を捨てておるということを仰せられるのです。

  
「故に天下世上(せじょう)諸仏衆経(しゅきょう)に於て、捨離(しゃり)の心を生じ

 て擁護(おうご)(こころざし)無し」

 「天下世上」とは、世の中の多くの人々ということ。それから「諸仏

 衆経」は、尊い諸仏とその述べたところの正しい様々な教えというこ

 とです。つまり多くの大乗経典の中には、権実相対の上から方便に属

 しても、やはり勝れた教えがたくさんある。ここに挙げられておる仁

 王経、大集経、金光明経、薬師経等もそれに当たります。

  要するに、これらを説かれた仏や、その教法に対して、捨離の心、

 捨て去る心を生じて、これを擁護する心がないと指摘されるのです。

  この段階では、広く小乗に対する大乗の広範な教えを一往、正法と

 して述べられております。この諸仏衆経に対して擁護の志がないため

 に、次の、


  「()って善神聖人(しょうにん)国を捨て所を去る」

 ということになるのであります。この善神・聖人が国を捨てることに

 よって、さらに次に、


  「(ここ)を以て悪鬼外道(さい)を成し難を(いた)すなり」

 と仰せのごとく、悪鬼外道による災が起こること示されております。

  「悪鬼」というのは幽界の命とも言えます。目に見えるものしか

 信じない人も多いけれども、世の中の存在には、目に見えない種々

 の界があるのです。すなわち別在の十界を信ずべきであり、そこに

 は地獄界も餓鬼界もあり、悪霊も存するのです。

  例えば、通力のある人は、山の中の稲荷の後などを歩くと、そこ

 に長い間住んでいた狐の魂などを感ずることがあるのです。

  この種々の実例はあえて述べませんが、幽界というものはあるの

 です。幽界の中には、様々な悪鬼・悪魔もいるわけで、そういう悪

 鬼・外道が来たって災いを起こし、難を起こすのであると仰せであ

 ります。

  さて、今日拝読した最後のところに


 
 「邪説を信じて正教を弁へず」

 
とい文がありますが、この「正教」とは一体何かと言うと、最初に

 申し上げましたように、これは権実相対・本迹相対・種脱相対の三

 重秘伝による上からの、大聖人様が不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の御振る舞いをもっ

 て御弘通あそばされた三大秘法であります。

  この三大秘法でなければ、この末法の現代において本当の意味で

 一切衆生の心身を正しくし、仏性を現すことはできないのです。

  今、本屋などに行けば、様々な宗教、哲学、道徳において、善悪

 のことやいろいろな考え方を書いた本がたくさんありますが、要は

 法界の全体を含む大聖人様の広大な教えのうちのほんの一部分が説

 いてあるに過ぎません。

  結局のところは、大聖人様が命をかけてお顕しになった本門の

 三大秘法を本当に真剣に受持するところに、初めて国家も社会も個

 人も御本仏大聖人様の正しい教えの功徳により、根本的な立正安国

 の道がはっきりと現われてくることを確信するものであります。

  さらに『安国論』の最後には、

  「(ただ)我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも(いまし)めんのみ」

                     (御書 250n)

 という御文があります。自分が正しい信心をするのみでなく、他の

 誤りをも誡めて共々に、他をも救っていかなければなりません。そ

 れをいたしてまいりますということが、この『安国論』の最後の客

 の結論であります。

  今、宗門においては、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向

 かって進んでおりますが、我々僧俗が共に御題目をしっかり唱える

 と同時に自行化他に精進していく、そこに大事な自他を救う道があ

 るということを申し上げまして、本日の講義を終わる次第でありま

 す。

  大変ご苦労様でした。

                         (題目三唱)




  猊下様は、

  「今、本屋などに行けば、様々な宗教、哲学、道徳において、善悪

  のことやいろいろな考え方を書いた本がたくさんありますが、要は

  法界の全体を含む大聖人様の広大な教えのうちのほんの一部分が説

  いてあるに過ぎません。」

 と仰せです。

  たまたま手もとに、江口克彦著『いい人生の生き方』なる本があ

 り、この本もその一つと思い、目次を見れば内容が推測できるかと、

 目次と著者の略歴、そして「まえがき」を掲げました。

  この本は、2006年7月に第1版第 1刷

       2007年11月第1版第11刷

 と、ありますから売れた本と思います。本の表題と著者の知名度が

 決め手になったのかも知れないが、多くの方が、「人生とは何か」

 を求めていることがうかがえます。

  小生は、本の「あとがき」を読んで、読んでみようか、と決める

 ことが多いのですが、この本には「あとがき」がありませんので、

 「まえがき」を読んだ。

  
   ある王様が家来に「人生とは何か、まとめて教えてほしい」と

  指示した。


 と、いきなり王様にさせられたのだから読まないわけにはいくま

 い。作家は、書き出しに苦心するというが、これはうまい書き出し

 だ。書き出しがいいからといっても、「いい人生の生き方」ができ

 るだろうか。

  この本の「まえがき」は「あとがき」も兼ねていて、この本の

 価値のおおよそがわかります。

 「まえがき」は、1600字くらいですから、まず、目を通されて

 ください。

  日蓮正宗の信徒の方は、「いい人生の生き方」を実践しているこ

 とを、さらに実感し、ほんとうにこの信仰に巡りあえてよかった思

 うでしょう。

  正しい信仰にいまだ決断されていない方は、この本の「まえがき」

 を読まれれば、必ず、「いい人生の生き方」をしなければならない

 ことに気付かれると共に、人生を正しく指導し得るのは、

 日蓮大聖人の仏法以外にないことに気がつくと思われます。


  日蓮大聖人「立正安国論」の肝要の御文


  
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば

  則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや、十方は悉く宝土なり、

  宝土何ぞ(やぶ)れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は(これ)安全にし

  て、心は是禅定ならん。此の(ことば)此の(こと)信ずべく崇むべし」


   



               江口克彦著  「いい人生の生き方」  に進む


   今から、そして死んでからも(現当二世)、いい人生を生きていくための「究極の解答」

                           が


                          ここにあります。