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【芸能・社会】

役者として生きた孤高さ感じた 長男・佐藤浩市が会見

2013年4月16日 紙面から

目を潤ませながら父の思い出を語る佐藤浩市=東京都港区で(石井裕之撮影)

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 三国さんの死去を受け、長男で俳優の佐藤浩市が15日、東京都内で会見した。父と無言の対面をした時を振り返り「この数年の中でなぜか一番凛(りん)とした顔に見えた。不思議な三国連太郎の威厳があった」と天を仰いだ。

 佐藤は、目を潤ませながら「(父は)戒名はいらない、誰にも知らせるな、密葬でという意思だった。できれば骨になるまではお話は避けたかった」と告白。「正直、三国も90ですし、僕自身いつかこういう知らせが来るとは覚悟していた」と唇をかんだ。佐藤によると、三国さんは13日の夕食後に嘔吐(おうと)。翌14日朝も食事中に嘔吐し、血圧が上昇、そのまま帰らぬ人になった。佐藤は、自宅にいたため死に目には会えなかったといい、14日午前10時すぎに病院で対面したという。4月上旬に行われた出演映画のニューヨークロケに行く前、三国さんの入院先で面会したのが最後だったという。

 佐藤が5歳の時に母敏子さんが三国さんと離婚、私生活では父との確執もあった。「大変妙ですが、おやじの死に顔を見て、かなしい思いはなかった。涙はでなかった」とも話した。

 三国さんは数年前から体調が悪化。自分が死んだ際には「『散骨して誰にも知らせるな、三国連太郎のままで逝く』と言っていた」という。佐藤は「三国連太郎で生きた。役者として生きた。その孤高さをずっと守り続けながら芝居に関わってきたのを死に顔を見た時に感じた」と神妙な面持ちで語った。

 

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