(京都大学原子炉実験所放射線生命科学研究部門 教授)
当初は化学が好きだったので食品化学に興味を持ち、農学部の農芸化学科へ進みました。しかし、当初期待していた食品化学よりは、生化学、特にタンパク質化学に興味を持ち今日に至っています。
私は修士課程で生体高分子の溶液物性、博士課程で皮膚の糖タンパク質の研究をしました。しかし、インパクトの強かったのは時限つきの研究員として雇用された筑波大学で、面白いしかし、困難なテーマに出会えたことです。これが私のライフワークとなりました。
私の場合はドクターを出てから、16年間、3年、2年、5年、3年、3年という時限つきのポストばかりを歩かなければなりませんでした。転機や飛躍は筑波大学との契約が切れて、武田薬品のつくば研究所に3年間の契約社員として、私のテーマで自由に研究をやらせてもらえたこと、また、武田との契約がまさに終了というその絶妙のタイミング時にJSTさきがけ研究に採択されたことです。この2つが研究の大きな飛躍、転機となりました。無論、その間も必死で就職先をさがしていましたが、バックもない女性研究者には厳しい状況でした。しかし、さきがけ終了と同時に日本女性科学者の会より奨励賞を受賞するという幸運に恵まれ、同時に現在のところで助教授のパーマネントポストを得ることができ、2002年には教授となり、一研究室を構えることができました。
好きな道なら、つらくても持続することができますし、やり続けていれば、一生に一度や二度は機会や幸運を捉えることができると思います。困難だったことは必ず、後で飛躍の糧になるはずです。
自分の体験が少しでも研究現場や若い世代に役立てるのでしたら嬉しく思います。