私の年齢は77歳です。日本の敗戦の時は中学1年生でしたから、軍事教練の時間に三八銃を持たされたことはありますが、殺し合いの戦争には参加していません。ただ私は外地(中国大連市)で育った、いわゆる引揚者です。父親が敗戦の混乱の中で死に、職も食も無い1年半の抑留生活で、戦後の苦労はいろいろ体験させられました。そんな関係から、帰国後日中友好運動に参加し、1955年の日中友好協会名古屋支部創立に、若輩でしたが参加しています。
さて、昨年、「愛知平和のための戦争展」等で関係のあった中国吉林省人民政府の招待で訪中、燎原市を訪問しました。吉林省は中国東北部の東端、北朝鮮とロシアのウラジオストックに接した所にあります。燎原市が現在「町起こし」に考えているのは、日中戦争時、イギリス軍のパーシバル将軍が抑留されていた捕虜収容所跡でした。皆さんはパーシバル将軍をご存知ですか?近現代史の人物ですね。今日はその話を糸口に「日本の戦争」と「日本人の歴史認識」について考えてみたいと思います。
さて、標題のように考える日本人が大変多いように思います。特に改憲論者に多い。そこから日本は日米安保条約で、つまりアメリカの核の傘に入って守ってもらう。米国が希望するなら再軍備もやむを得ないと考えるようです。しかし本当に日本はアメリカだけに負けたのでしょうか?
第2次世界大戦での日本の戦争は「15年戦争」とも呼ばれていますね。1931年の「満州事変」に始まり、太平洋戦争で米、英、オランダ等と戦い、最後にはソ連も参戦して(中国も最後に日本に宣戦布告する)。こうして日・独・伊に対する反ファシズム戦線が結成され、1945年に日本は無条件降伏するわけです。パーシバル将軍が登場するのは1941年で、日中戦争が太平洋戦争に移った時でした。日本は緒戦の勝利に賭け、秘密裏に奇襲攻撃の訓練を続けていました。12月8日、真珠湾攻撃が始まり、アメリカの太平洋艦隊を消滅させました。開戦3日目にマレー沖海戦でイギリス極東艦隊を消滅、シンガポール要塞も陥落、総司令官だったパーシバル将軍が降伏します。
彼が燎原市の収容所に送られたことは最高秘密事項で、私も今回訪中するまで知りませんでした。
しかし日本軍の勝利は開戦から一年間位で終わりでした。日米間の経済力の差はご存じのとうりで、後はズルズル敗戦に向かい、日本軍の戦死者の大多数が餓死者だといわれます。そういう「日中戦争」から「太平洋戦争」に連続する戦争を、単にアメリカだけに負けたと見るのは正しい歴史の見方でしょうか?
この時期、中国側は、毛沢東は「持久戦論」で、また蒋介石の駐米大使だった胡適は「日本切腹、中国介しゃく論」を提唱、徹底抗戦を主張しています。どちらの論も中国が勝利する道は、アメリカはじめ各国を対日参戦させるしかない、そのため、どんな犠牲を払うっても徹底抗日すると主張したのです。当時の戦況は、中国の海岸線(全港湾)を日本に抑えられ、領土の中枢部と8割の街を制圧されていました。しかし中国は絶対に降伏しない。これは客観的に見ると、日本陸軍の半数が中国戦線でドロ沼に足をとられたことを意味します。
また上記のような中国に対する大規模な戦争を日本はやれ「満州事変」だ、「上海事変」だと「戦争」ということを避けてきた。「戦争」には国際法に定めた宣戦布告や捕虜の取り扱い等の人道的条項や禁輸などの経済条項が定められている。日本は「事変」とごまかすことで、戦略物資禁輸条項に抵触しないようにして、密かに備蓄を続けてきた。しかし石油等の戦略物資も底が見えてきた。こうなれば日米開戦を覚悟の上で、英領やオランダ領のアジア産の石油、ゴム、錫等の戦略物資を奪うしかない。こうして毛沢東や蒋介石が見通したとうりに、日本は佛印進駐を機に、侵略戦争を「日中戦争」から「太平洋戦争」に拡大する破滅の道を進んで行ったのです。
結論的に言えば、日本は何の物資もない国である。だからそれを侵略戦争で奪うのでなく、平和な国際環境、諸国民との交流、相互理解を深めていかなければ成り立っていかない。つまり日本国憲法の示す道、九条を守るべきなのである。冒頭の「アメリカだけに負けた」という日本人の歴史認識は、アジアの相互理解という点で今後大きな問題になると思う。
燎原市で私は中国側にちょっと意地の悪い質問をしました。
「第2次世界大戦で日本と最も長く、そして辛い戦争をしたのは中国でしょう。そしたら中国の人にも捕虜になる人が出たことでしょう。中国人の捕虜収容所跡はどこかにありますか?」―――この質問の答はなかった。
日本は宣戦布告なしに日中戦争をおこなったから、捕虜に対する人道的行為は無かった。では、降伏した者に対してはどう対応したのか?答は「虐殺」である。南京大虐殺の根本問題は実にここにあるのである。
《この文章は2009年11月7日「東区九条の会文化祭」の中での話を基に、改めて文章化して頂いたものです。》