西村さんインタビュー
N:西村 M:私 急いでメモ書きしたもので完全ではない荒荒の内容です。
M:警察がからんでいるというと?
N:警察がうそを発表した。警視庁に記者クラブが入っているので、それ以外はTV局の人も入れなくなってしまう。もちろん警察は大きく絡んでいると思う。皆警察から情報もらっているから、なにも出来なくなる。警視庁の記者クラブから排除されると。じれったい。やれる範囲内でやるしかないが。
N:現場を何回か見に行った。結びつかない部分がある。遺体が8階から飛び降りたものでない。頭がパンクしたり、体がパンクしたり、といったものでなく、なぐられて殺害され、体がパンパンに腫れた状態だった。警察に言って聞いたが、警察は飛び降りに間違いないと言う。
N:現場の写真は警察も取らなかった。救急車で運ばれる前に行っているのに。警察で取っている写真は担架に載って、現場の駐車場で道路の手前でうつぶせになり背広を着ているものだけ。固まっている体だった。異常な状態。気をつけした状態で真下を見ていた。普通は横を向けたりするのが、固まっているから首も横も向けられないような完全に硬直している写真だった。それで、警察に「これはなんなの?」とたずねた。
M:飛び降りた人の状態ではないですよね。
N:飛び降りた人なら、落ちたところを写真を撮っているはず。たくさん取っているはずが、一枚だけしか見せてもらっていない。背広の後ろとズボンにカキザキが入っていた。上から飛び降りてそんなのありっこない。素人が見てもおかしい。靴も、はいたままか、とんでもないところにないとおかしい。それが担架の左右にあった。おかしい。
M:警察の怪しげな行動とは?
N:こちらから名刺を渡し、立会人も連れて行った。3回目に言った時に、調書を見せてくれた。まずは本庁に言ったが、受け付けられず、後日警視庁の中央署にアポを取っていった。まず名刺を出したが、刑事課長は名刺渡せないという。課長代理の広瀬さんは名刺をくれた。主に課長代理が説明したが、課長ははそばに居て、時々説明に加わる。写真の時に課長が説明しようとした。カキザキを聞いたら、筋肉が膨張して破れたのだという。冬物のウールが破れるものかなあと。説得力ないな、隠しているものがあるなと思った。
N:遺体の写真がそれしかないのは、おかしい。他にあるものは出してこない。そんなの説得力ない。どこかから担架に持ってきたのではないかと思った。
N:レントゲン写真は5月の始めにレントゲンの写真入手することで来た。それまで一年は警察か動燃かに行っていたがなかった。聖路加国際病院で持っているとは気づいてなかった。先生(医者)に電話したら、なぜもっと早く電話しなかったかと言われた。もしかしたら何かあるのかしらと思った。一週間以内に会った。そしたら、いろいろ話してくれた。「聖路加に運ばれた時は亡くなって十時間たっていた」と言われた。そうだとしたら、ホテルなんて泊まってない。記者会見のときが十時間前でしたから。
N:変だなあと思った。聖路加には動燃の人がいっぱいいて先生は近づけなかったと言う。
M:先生から西村さんにコンタクトしてくれても良かった。10時間の根拠は?
N:深部体温と遺体の写真。写真が一番わかりやすい。書類にも書いてあるが写真がわかりやすい。レントゲンも取った。レントゲン写真も渡したいと言われた。一週間以内に取りに来て欲しいと言われた。一週間以内に取りに行ったら、新聞などで言われた頭蓋骨骨折や胸がばらばらというのは違った。私が見た遺体は全然きれいだった。外で見たら頭蓋骨に骨折なし。法医学教室に行って見てもらいもした。レントゲン専門技師も呼んで説明してもらう。頭蓋骨は骨折していないと。慈恵医大の人だった。
N:深部体温は、例えば、直腸体温、聖路加の場合は頭の中央。ここは血液の粘土質があって、体型や性別年齢に関わらず、正確な数字が出てくる。生きている人は37度。なくなると体温下がっていって、主人の体温は27度でカルテに3箇所書いてある。10度下がっているので、10時間前になくなっている。一時間に一度下がる。
N:推定死亡時刻が合っていない。死体検案書では朝の5時になっている。ホテルにとまりに行ったのが0時45分と警察発表。すでにその時間にはなくなっている。そうするとホテルに泊まっていた事実が覆される。
N:記者会見が10時5分まで。その後、ホテルに行くちょっと前にはもうなくなっている計算。
N:外でなくなった場合と部屋でなくなった場合違う。外の気温は6度くらい。
13日の6時ごろ発見。気温が全部出ていた。一時間後との大手町で測っている気象庁で測っている気温を考えてやると、今度は・・・法医学の教科書があって、時間当たりの直腸温度があって、これを見ていくと、ここは10時間以内。ここは37度、ここが生きている人。27度になっている。10時間はたっている。テキストどおりに見れば27度であれば10時間たっている。細かい計算だが、これはちょうどいい。
N:ホテルの外でなくなっているなら、0時45には亡くなっている筈。ホテルに入る前だ。部屋の中であれば、20度くらいとして、もっと早い時間になくなっている。外で最悪の状態としても、ホテルに入る前になくなっているのだから、:ホテルに泊まったという事が、体温から見ると計算にあわない。
N:これがレントゲン写真の頭蓋骨。この横向きのレントゲン写真でおかしいところがあるのだが、この白くなっているところは、空気が入ったら、人間は呼吸できなくなる。脳幹の上のところに空気が入ると人間は呼吸できなくなり、死亡してしまう。
N:聖路加の先生によると、花の骨がやられてそっから空気が入ったんでしょうと。鼻から殴られて、鼻がへこんでそして脳幹のところに空気が入ってそれでやられたんでしょうと。先生は最初に見たのだから、わかっている。多分そうでしょうといった。
N:ここら辺に筋肉の筋が入っている。生きている人は筋肉の筋はうつらない。横隔膜、肺が破れると空気が流れていく。筋肉に筋が入るのには時間が掛かっているはず。筋肉に空気が入るのに時間掛かる。即死でなくて、亡くなるまでに時間掛かっているはずだと。即死だと空気が流れない。
N:アバラも鎖骨も折れてなくて、背筋もまっすぐ。上から落ちたらこんなものですまない。この辺の肋骨が折れているだけだった。その辺がおかしい。警察発表と全然違う。報道機関に持っていっても何食わぬ顔。警察が言っているからと。警察が訂正しないと訂正できないと。どこにいったら本当のことを訴えられるのだろう。
N:そのうち自分も体調も悪くなって、精神不安定になって。1年くらいはね。調べだしてレントゲンとか出てきたら、自分自身落ち着いてきた。動燃や警察はいくら聞いても絶対説明してくれなかった。飛び降り自殺と言われても、遺体がそうでなかったからどうしてもおかしいと思った。
N: 主人がなくなってから世の中も動燃も警察の動きもおかしかったので、なくなった前後から日記をつけ始め、全部で250ページ以上になった。なかなか刑事事件にならないので、なんとかして自分の経験や耐えてきたことを出せないかと思ったときに、新潮45で出したらどうかと言う話があり、経緯を出すことになった。裁判に関係ないことも日記に書いた。「私の夫は動燃に殺された」というタイトル。
N:どうなんだろうと思うかもしれないが、私は誰かに何人かで主人を殺したのではないかと思っている。遺体が飛び降り自殺でない。顔も形も体も全部そのまま残っていた。
M:動燃からは、その記事が出た後に修正(訂正)せよと言う要求はありましたか?
N:一切ないですよね。私の証人尋問のとき、向こう側が「あなたは夫が殺されたと思っていますか」と。私は「思っている。しかし警察が告訴を受理しないからどうにもならない」と答えた。国のがんじがらめのところでどうにもならないのかな。例えば警察絡んだ事件がなかなか解明できないのは怖い。殺されたのは私としてはうやむやしてはできない。
M:私だけでなくて、誰も本当にうやむやに出来ない話。科学的なことのほかに、あと遺書もありましたよね。
N:遺書って言っているが、私は遺書でないと思っている。例えば、遺書でおかしいと思ったのは、遺書をこういう社用便箋に書くか?自分の会社での肩書きをつけて書くか?また時間まで細かく書くか?3の数字がまったく別の人が書いているように見える。遺書でなくて始末書のように見える。
N:平成8年1月11日6時に書いている中間とりまとめ。動燃がとりまとめとして科技庁に出した書類。ずっと読んで最後の5ページを見るとまとめの欄がある。そこの文言で、「事故から事件に代えた最大の要因」など、いろいろなところで、遺書と同じ文言が似ているのがいくつか出てくる。
「現場の本社役員一丸となって全社総力でこの中間まとめに盛られた方向に沿って実施しこの難局を切り抜けている決意です」というところで「一丸となって」というのがどこかにあった。3つか4つ同じような言葉が出てくる。
中間報告は誰が書いたかわからない。最終的には理事長が承認して提出。稟議書があって、最終的に理事長の決裁がある。動燃としてやっていくことが遺書にも書いてあるのは、それは主人が理事長だったら書くかもしれないが、次長だったら、上のほうでもなんでもない。自分が一丸となってと言うなんて、やりすぎじゃないのと私はやりすぎでないかと思う。
全社総力とか職員一丸となってとか、そっくりの文言があるが、他の書類にはそういうのはなかった。最近になって知った。主人は動燃の過ちを書かねばならなかったのか?なぜ遺書に書かねばならなかったのかわからない。これからやっていこうと思うと書いておきながら、死んでしまう。死んだからといって動燃のためにならない。なくなるとしたら、ちゃんと説明すると思う。死んで解決にならない。
もんじゅ自体が普通の原発と違って難しい。主人は事務畑で、技術畑でない。いくら頑張っても技術の難しい部分は理解できない人だ。
この遺書は納得できない。日付や時間がなければ、また動燃の便箋でなければ、まだよいが、こういう形では、あまりにも内容が信じられない。まるで主人が動燃を代表しているような遺書だ。
理事長はさらに、遺書を読み上げるとき、内容を変更して読んでいた。その場でこんなに変更できるか。毎日新聞で読んだとおりに全文出したが、オリジナルの遺書と違う。言葉も内容も少し。順番も後ろを先に言ったり。急に変更して読めるものか?別の書類を持って出たのでは。記者会見の場で。そうでないと急に変えられない。
理事長は今年6月13日に亡くなっている。何年か前に証人尋問に出てきた時に、「記者会見の場で遺書を別のものを読み上げるほどの能力があるのか」と聞いてみた。遺書を読むのなら、一字一句間違いなく読んで欲しい。
ここなんか面白いですよ。「我々動燃で働く人々は明日へのエネルギー確保のため自負を持ち、これまでもこれからも頑張っていこうとしています。」
主人は動燃の代表みたいなことを書く立場ではない。もっと上に人がいるのだから。部長、室長、役員だとか。次長がこんなこと書くか。私は動燃社員だからわかる。やりすぎ。自分が代表したような。理事長が書くのならわかるよ。これはどっかでマスコミで疲労して欲しいために書いた遺書としか思えない。誰が見てもおかしい。亡くなる人が動燃のいく末を考えて死ぬか?
私への遺書。3時40分まで生きていたのかしらと疑問。こんな一枚で、後のこと頼みますなんて。二人の子どもをねえ。冗談じゃないわよと思ったの。そして、動燃の仲間にお世話になって感謝しているなんて。書かされたのではないか。マスコミに対しての怒りの文言。マスコミが異常だったから、自分が怒りを感じて死んだといっている。
マスコミが騒いだから死ぬことになったといっている。マスコミに主人は出ていなかった。でもマスコミがどう騒いだからとか、言ってない。主人の記者会見は報道にもならなかった。テレビにも雑誌にも主人はまだ出ていない。実況中継したかもわからない。やっていないと思う。
3回記者会見やったが、多分報道になっていない。いきなりやったので。どこかは取っているかもしれないが。。
一回目の記者会見はTV朝日が取っている。2回目は理事長記者会見とっている。3回目は亡くなる直前。取っているところはどうだか。報道は縮小されるし。3階も取っているかもしれないが、一切出てきていない。
ところどころ、ザスクープなんかでは、一回目と2回目が少し出てくるが。主人が出てきたのは3回目のみ。主人は自殺するまで注目されたり上げ足も取られていたこともなかった。
N:主人が亡くなることによって、マスコミも引いちゃいますよね。過熱していたものが。
M:なくなる日の朝、新科技庁長官の中川氏のビデオをとってほしいだとか頼んだわけで、普通だったのですよね。
N:その頃、匿名を受けていて帰ってこないこと多かった。1月4日出勤してから、8日9時ごろと12日1時ころに帰ってきた。夜中の一時に帰ってきた。二日しか帰ってきてない。何が起きたかわからない。もんじゅに出張したり、動燃で徹夜したり。結局話す暇がなかった。
12日朝7時半に出社。夜8時から10時5分に記者会見、それから霊安室。いったい何がこの人に起きたのか?動燃でどんな仕事してたの?と。この紙見たときに、書かされたと思った。会社の紙に書くわけない。上司に提出する書類、別の会社にお願いする時に提出する事があっても普通は持たされない。メモ用紙代わりには使えない正式書類の紙だ。
大畑理事が第一発見者ということになっている。説明を聞いたときに、FAXがどこにあるのですかと聞いたら、青ざめてその場からいなくなってしまった。理事長秘書の田島さんへの遺書もあるのだが、飲み屋で遺書を渡されるのが頭にきた。そんなに安っぽい主人の命なのだろうかと。
田島さんが週刊誌で答えるのには、遺書の万年筆部分があるのだが、万年筆が見当たらない。また残余の紙もない。遺品の中にないと言うのはなぜ?違うところで書いたのではないか?
動燃から午前2時過ぎにホテルに送った5枚のFAXがない。
1月12日の10時5分までは記者会見。1月13日の0時45分にホテルにチェックイン。ファックスが2時過ぎ。だがチェックインの宿帳もFAXも出てこない。なぜいまだに一切出てこないのか。受信記録も出てこないし。当初から言っているのに、出してこない。
一緒に泊まった総務部担当の大畑理事もそのFAX持っていないという。
今回裁判でいろいろわかった。大石理事長となんのためにホテルに泊まったか。大石理事長、安藤理事と渡瀬室長が証人尋問に出た。3人ともホテルに泊まると知らなかったといった。ホテルに泊り、次の日に福井に出張することも知らなかった。聞いていなかったという。
3回目の記者会見は安藤理事と渡瀬室長と西村だった。しかし、この2人は西村が福井に行くことを知らなかった。一緒に泊まった大畑理事と田島さん、文書係長の富田さんだけが知っていた。
渡瀬室長は広報部長で自分の知らない記者会見はないといっていた。予約をしてないと福井県のほうも開けない。
普通は出張する時には下着やハンカチ、その他を持っていく。急に決まったとしても広報部長が知らないわけがない。
福井で記者会見があるとしても理事長が発表内容を承認しなければならないので、ありえない話だ。
次男の15日の成人式を楽しみにしていた。なにが失敗していたとしても、自分の子どもの成人式を祝ってやるのが親。
被害者の家族が裁判費を使って裁判やらねばいけないのかと思うと、日本の制度が情けない。主人の亡くなり方は国が関わっていると思う。それで私たちが、こんなことまでしなければならないかと思うと情けない。
解決するかどうか、主人が亡くなったとき何が起きたかを知っている人は動燃職員、科技庁の人も関与しているかもしれない。私のほうでは調べようがない部分ある。もんじゅなんて動かしていたら、このような事件ひとつ解決できないようなもんじゅはあぶなっかしい。
私が黙っていたら、もんじゅがそのまま再開するだろうが、すぐ事故が起こると思う。私は社会に役立つかわからないが、なんとかしてみんなにわかってもらいたい。
西村さん インタビュー2
なくなった次の年平成9年5月1日に聖路加病院にもらいにいったんです。
ここは気管に挿入するために入れる器具が、こういうふうにうつっているんです。
遺体を見たときには、頭蓋骨骨折となっているのに、そうも見えないかった。担当の先生も頭蓋骨骨折していないといった。
こちらは側面からのもの。気管を開くために救急隊の人がいれたものです。骨折はしていない。どこがおかしいかというと、息をしている人は、ここは(頭蓋骨中心部)は真っ白にうつらない。亡くなって?ここが白くなると息が出来なくなる。西村さんはここが白くなっているから、ここに空気が入ってなくなったのでしょうと。あと、首も異常はないと。警察発表とは違って。
こちらは胸のほう。胸郭。生きている人だったらうつらないものが移っている。ここに線が入っている。両方とも筋がすーと入っている。これは筋肉の筋。筋肉は生きている人はこのように残らない。亡くなるのに時間が掛かった時に入る。即死では入らない。亡くなるのに時間が入った。肺か横隔膜に穴が開いていた。
一時間以上掛からなければこのような筋は入らない。エアは入らない。
打撲を受けて時間掛かってなくなるとこういう映像が残る。放医学関係の人は、これをみただけで飛び降りではないとわかる。胸の骨も鎖骨も残っている。背骨も残っている。8階から落ちるとまず鎖骨がおれ、首から背骨も異常がないのはおかしい。
鎖骨は誰でも折れる。ちょっとしたので折れることもある。見ただけで普通の専門家はわかると医者に言われた。聖路加にも法医学の教室にも持っていて、見てもらった。慈恵医大の先生は、法医学の人とレントゲン専門の人2人。刑事事件になると、どっかの大学の法医学の人が鑑定することになる。その時に呼べなくなると困るので名前はふせたい。慈恵医大で法医学というとその先生しかいない。
上野正彦さん、「死体は語る」の人だが、一番有名。彼にも見てもらった。裁判になると上野先生が出てくる可能性ある。もうひとり、東京医科歯科大学の支倉先生。はせくら。今はしゃべれないそうだ。(なぜだかわからないが。なくなられたか、御病気?)平成十年くらいにすぐ聞きに行った。
主人が亡くなってからしばらく遺品も見れなかった。主人は何をしていたのだろうと、一周忌過ぎてから、やっと主人の遺品を見た。ダンボールをあけてみたら、いろいろ出てきた。動燃ってなにをしていたのだろうかと。
ひとつの箱から動燃が会社ぐるみで選挙応援していたのがわかった。しかも代々続いていたもの。後輩に譲るものと譲らないてよいものが。平成5年くらいの衆議院選挙の対応。こんなこと、動燃がやっていいのか。取りに来ないのも変。私が渡すべきもの?なぜ取りに来ない?
5年では東海事業所の管理部長だった。その時の選挙に対する、組織ぐるみでバックアップしているのがわかってびっくりした。梶山セイロクと塚原俊平の票を割り振って応援していた。ここに残っていたのは応援の仕方いろいろ書いてあった。動燃内で二派に別れ、出陣式や食事会など。
応援して欲しいとどこに来て欲しい場所。東海事業所と大洗事業所のバックアップ。それと講演会。二派に分かれていた。特殊法人なので、普通はこういうことはやってはいけない。私的な会社なら出来るが、公共的機関では禁止されている。
仕事そっちのけでやっているのがわかった。計画表とか、動燃の役員の体制。梶山と塚原を応援する名簿も。会長、会長代理、担当役、事務局。自民党を通すのに一生懸命。書類の中から受け止められていた。
梶原セイロクは、後に、主人が亡くなったちょうどその日に官房長官になった。橋本が首相。どんなに不祥事が起きても、梶山が力を尽くした。例えば事故が起きても表に出てこないように、国民にわからないようにということが結構あった。例えば、東海事業所で事故が起きたのにふせられた。うやむやに書いてあるけれど、かじやまのおかげで表に出なかった。これより前の話だ。どっかにでてくるはずだ。95年の事故の前に。
塚原は通産大臣なので、そういう意味で力はある。なによりも原子力と直結している大臣だ。私も、ここまで名簿が割り振っているのかと。。。
塚原会と梶山会とあって、山之内所長、戸田副所長、大畑部長(一緒に居た人)、高木部長代理、田島課長(理事長秘書の田島)。Kが梶山、Tが塚原。こっちが梶山会、こっちが塚原会。割り振ってあるのがよくわかる。完全に割り振ってある。偏らないように。二人とも当選するように。何ページもある。
これ見てびっくりした。普通だったら動燃がとりに来ると思った。貴重だからね。なぜこんなのが残っているのかとびっくりした。
会社に置けないからと家に持って帰った。東海事業所から死ぬ3ヶ月前、平成7年9月末に東海事業所の管理部長から本社の総務部次長に10月一日に。その時の荷物だ。開けないでそのままにしていた。
どうも東海2区と言うのは、茨城2区、取り扱い注意と書いてある、定員3名のところ5名の立候補予定者も書いてある。前回の平成2年2月12日の得票数も書いてある。梶山は小渕派。34.07% 塚原は三塚派、73057表、22.52%、社会党が大きい。梶山より大きい。大畠。労働者も多いから。日立製作所とか。
動燃が選挙対策本部まであるのだから。
東海村だったら、動燃と原研が主な。。。若い人がいっぱい居る。東海村には大きな会社はなくって。そこの票を取ったら当選する。社宅もあるし。そこを掌握すれば当選する。常陸太田のほうまで入っているかも。地元かも。
必勝出陣式とかあって重要な事書いてある。出陣式はどこでやっていたのでしょう。
ここら辺を見ると、役員会議室で何かやっている。石川一夫会長(動燃俊青会)平成6年6月25日より計画している。所対応は中田副所長と西村管理部長。持参品が酒券10本分。一升瓶だか、なんだか。。。よくわからない。ピーナツと言うのもある。50名動員なんて。大変なことだ。
動燃俊青会は塚原。これも動燃で別の方が応援することに。笹尾副所長、萩原部長代理。こちらも酒券10本。ばっちり計画を立ててこの通りやるという感じになっている。
これはかなりきつい内容。東海事業書総務課、衆議院選挙への取り組み。予想される候補者。総務課は西村さんがいらっしゃった部署。管理部の下に総務課がある。管理部長だから、主人はその下に総務があるから、その中でこういうのが主な仕事だったのかとも。有権者数50万。支援組織、管理職層、梶塚に分割とあって。梶山会と俊生会と。大畠は組合が応援している。社会党が応援している。
社会党は応援していないのですよね?-管理職は応援していない。
大畠章宏さん(社会党)は推進?-わからない。でも社会党は反対でないはず。。。
大畠さんが一番取っている。意外な事実が。37%
大畠さんが一人くらい通っても良いという感じかな。後で大畠さんは調べてみます。
西村さんがなくなったときのポジションは、本社総務部の次長だから、この辺にいた。文書化はその前。東海事業所に行く前の前。若い時に文書課に。
東海事業所が一番多く、この中に管理部があって、その中に総務課、労務課、労働課、経理課があった。本社に移動する前。なくなる三ヶ月前くらいまで。
本社に移動したら、先ほどの上のほうまでいったわけ。総務部の次長。次長と言うのはある意味で昼間。責任負わされて厳しい。権限があるようでない。部長並みには。部長は長尾さん。今回の事件には出てきてないが、死んですぐにうちに駆けつけて葬儀の采配をし、その後も遺族担当になって中心に動いていた。
見張られていた?-争議の時になんで部長が来るのか、考えられなかった。葬儀の全体的名運営を長尾さんがやった。
親戚やお知り合いが追い払われていたとか、インターフォンが壊れていたとか
長尾さんがまず来て、小さい葬儀屋が頼んであって、前金も払っていたのに、棚も花もセッティングしてあって、時間も決まり、帰ろうとしていたとき、長尾さんが入ってきて、びっくりした。
駐車場、ハイヤーが6台が入るところがないといけないと。駅のすぐ近くだから駐車場はないと。うちとしては60名でよいと思ったので、いいと思った。6台はよほど大きくないと。それで大きなところを紹介すると、電話を掛けた。たまたま空いていた。それで大きな葬儀屋さんが来て話をしていた。
だいたい骨壷とか衣装とか決まっていたのに、またやりなおしかと。
長尾さんが弔辞は4名にして欲しいと。葬儀の人が火葬場に間に合わないと、長々と議論。結局4名はオッケーになった。ひとり5分のはずが実際のところは弔辞で大変な時間を締めていた。
通夜でもはいりきれないほど人がきた。変に思ったのは、主人の兄が、12月27日になくなった。普通の葬儀だった。それが普通だと思っていた。60名か100名以内。主人の葬儀は、波のように人が押し寄せた。
線香も多く、煙で誰が来ているのか見えないくらい。子どもが同級生のお父さんとお母さんも来ているといっても、わからなかった。
動燃、動燃に出入りしている大きな企業だとか、弔問の記帳を見てあとでわかった。なんで取締役とかたくさんきているのだろうかと。名前だけ書いてある。原子力産業では有名な人も。(肩書き書かなくてもわかるような)
主人はそんなひとにきてもらう筋合いはないのに。政治的なものを感じた。記帳も弔電も残っている。外側の紙をとってもダンボール二箱。250通もある。中の紙だけをとってある。全国から来ている。
会計検査院、阿部事務局長とかおかしくない?
常盤会堂ですか?うちのおばあちゃんと同じです。
電報重たくて動かすの大変だった。
新聞の縮刷版を取っておくようになった。裁判をするようになってから。
裁判でどういうことやるのかしらと。法律用語がわからないといけないといけないと思って犯罪被害者の会に入り、裁判をいろいろ見に行った。傍聴に何回も行き、だんだんと言葉がわかるようになってきた。弁護士もとろとろしゃべっている人と何をしゃべっているかわからないひといた。でもうやむやにできないからやらなければと
主人は1月13日の朝、夜中だが、政治的なものがからんでいるのではないかと。梶山会とか俊青会とか。切り離して考えられないと思った。当時の新聞を見ると平成8年1月11日、蔵相窪、官房梶山決まった。橋本内閣1月12日。主人の記者会見は1月12日夜。政権交代のときに主人がなくなった。
偶然ではなくて必然的に主人がなくなる事が決められていたのでは。橋本内閣が代わると言うのは突然決まったことではない。もともとこのひとたちが1月11日の前は、もんじゅが事故おきて一ヵ月後くらい。橋本の前は村山だった。自民党が奪還するわけ。その時、梶山が官房長官になって、首相の次になって出てくる。選挙の時に動燃がバックアップした。
橋本内閣は金権政治。お金がないとのし上がれない。その時期に、1月12日の夜に記者会見、安藤理事(安全担当理事)広報室長、うちの主人がもんじゅの事故ビデオの内部調査の発表をした。橋本内閣の発足と本当に重なるように主人がなくなった。私は偶然でないと思う。
具体的には、選挙で動燃が応援している。科技庁長官は中川秀直、その前は浦野さん。新聞に出てくる。警視庁出身である。福井新聞で、福井県知事が浦野長官に詰め寄っている記事。県だけでなく全国も反対。12月24日ごろのデモもすごかった。一般市民が動燃に押しかけた。原子力政策としてはどうにもならない。同年はもんじゅやめてしまえというときに、浦野氏は責任を取らずに中川に代わる。
人が亡くなったことで、事故をあいまいにするきっかけに。もんじゅのことが記事からなくなり、新たな生地は新たな内閣のことばかりになった。発足した大臣関係に切り替わっていった。払拭するきっかけになった。マスコミが責めてからなくなったのではなく、マスコミを回避するきっかけをつくった。
主人が亡くなったとき、梶山が告別式に来ている。普通は来ない。国政のほうが大事だ。官房長官、田中真紀子、浦野さんの前の人が主賓で来ている。考えられない。それでハイヤー6台かと。SPもついてくるだろうし。