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【皇室ウイークリー】(240)両陛下、秋篠宮家でご昼食 愛子さまの発音は「ネイティブ」のよう
今回の「皇室ウイークリー」は、今週の皇室の方々のご動静に加え、五輪のため休載していた7月21日以降の主なご動静を交えてお伝えしたい。
天皇、皇后両陛下は12日、富岡八幡宮(東京都江東区)を訪れ、昭和20年3月10日の東京大空襲を経験した戦争体験者らと懇談された。
両陛下は常々、戦争で被害を受けた人々に思いを寄せ、節目の時期に平和への祈りをささげてこられた。戦後50年にあたる平成7年には広島、長崎、沖縄、東京を訪れる「慰霊の旅」を行い、戦後60年にあたる17年にはサイパン島をご訪問。戦没者の慰霊をされた。両陛下は広島、長崎に原爆が投下された8月6日と9日には、それぞれ原爆が投下された時間に合わせ黙祷を捧げられている。
富岡八幡宮での懇談に参加したのはいずれも江東区在住で、東京大空襲を経験した早川幸男さん(83)、石井清子さん(80)、宍戸芳子さん(86)の3人。
3人と対面した陛下は「おいくつぐらいのときに?」と声をかけられた。早川さんは16歳のときに被災。焼夷弾から逃れるために、まだ寒い3月に堀の水の中に飛び込んで九死に一生を得た。早川さんが「まさに地獄のようなものすごい一日でした」と振り返ると、陛下は「一緒に逃げた方は無事でしたか?」と尋ね、早川さんは「家族はバラバラに逃げたんですが、おかげさまで無事でした」と答えた。
石井さんは当時小学校6年生で学童疎開をしていたが、中学受験のために東京に戻ってきたところ、空襲にあった。陛下は「本当に大変でしたね」と慰められ、石井さんは「おかげさまでドラマティックな人生です」と気丈に答えた。
今回の最年長の宍戸さんは20歳のときに被災。障害のある姉を背負って逃げたが、雨のように降る焼夷弾から逃げるのをあきらめ、「死ぬのなら自分の家で死にたい」と自宅に引き返した。そのことが幸いして生き延びることができたと振り返った。陛下は「そのときの逃げる道によってね」と安堵した様子で声をかけられた。疎開経験がある皇后さまは「その後、おうちは?どこかに疎開なさったの?」と尋ねられ、宍戸さんは「家族はみんなたくましく生きました」と答えた。
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