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2013年4月11日 (木)

道徳教育の教科化・強化

いじめ対策として道徳教育の強化が議論され、
教育再生実行会議でも提言が出されています。

昨日の予算委員会の教育分野の集中審議では、
道徳教育に関する質問をしました。

しかし、あまりかみ合った議論にはならず、
何となく消化不良なまま終わりました。

道徳教育を全国一律カリキュラムでやる国は、
あるのかという質問を最初にしました。

それに対しては、韓国がやっているという答え。
他に欧州では、宗教教育をやっているとの答弁。

つまりは先進国で道徳教育を教科として取り上げ、
国がやっている国はほとんどありません。

道徳教育とは良心の関わることなので、
思想・信条・良心の自由に関わります。

国家が道徳を統制することに対しては、
警戒感を持つ国が多いのだと思います。

次に「道徳教育をすればいじめはなくなる」
とする根拠は何かと尋ねました。

具体的な根拠はないことがわかりました。

道徳教育を行えば子どもの規範意識が高まり、
その結果として、いじめはなくなるだろう、
という希望的観測に基づく政策のようです。

教育政策もエビデンスベースで議論しましょう、
というのが国際的なトレンドになっています。

教育学者等の専門家が、新しい教育手法を試し、
ある程度の効果があることを検証した上で、
それを普及していくというのがトレンドです。

下村文科大臣には、そういう発想はなさそうです。

いじめ自殺がおこった大津市の中学校というのは、
文科省の道徳教育研究事業のモデル校でした。

道徳教育のモデル校でも、いじめ問題は発生して、
自殺にまで至っているわけです。

文科省が推進する道徳教育の効果がないことを、
実証するモデル校になってしまっています。

サンプル数が少ないので結論は出せませんが、
道徳教育をやればいじめがなくなる、
という単純な答えにはならないように思います。

また「道徳教育を強化しなくてはいけないのは、
道徳水準が下がっているという認識に基づくのか」
という趣旨の説明をしました。

文科大臣の答えは、社会の規範意識が低下している、
といった趣旨の答弁でした。
何を根拠にそうお答えになるのか不明です。

いつの時代も「最近の若者はなっていない」と、
おじさんたちは嘆くものです。

おそらく「最近の若者は無礼でなってない」と
言われ始めてから、3000年くらいでしょう。

また、教育再生を叫ぶ政治家の多くは、
「少年の凶悪犯罪が増えている」と主張し、
道徳教育や教育改革を訴えいます。

下村文科大臣も「青少年による凶悪犯罪の増加
などの問題に直面をしております」と発言して、
教育改革の必要性を訴えておいででした。

しかし、実際のところは、少年の凶悪犯罪は、
増えるどころか、長期的には減少傾向です。

警察庁によれば、凶悪犯少年の検挙人数の推移は、
以下のようになっています。

        凶悪犯    殺人
昭和33年  7,495  359
昭和47年  2,848  147
平成 3年  1,152   76
平成24年    836   46

*凶悪犯=殺人、強盗、放火、強姦
*少年=14歳以上20歳未満

つまりは、少年の凶悪犯罪は増えていません。
教育再生を訴える人たちの根拠のひとつは誤りです。

こういうデータを見ていると、いまの少年たちも、
そんなに規範意識が悪化しているとは思えません。

安倍総理は「オールウェイズ3丁目の夕日」が、
お好きなようで著書でも感想を述べられています。

東京タワーのそばの下町で、みんなが貧しいが、
地域の人々はあたたかいつながりのなかで
生きていた時代、と安倍総理は述べています。

しかし、当時(昭和33年)は少年の凶悪犯罪は多く、
当時の人口動態を見ると、若者が農村から都市に移り、
農村社会が激変した時期でもあります。

当時の少年の方がは、今どきの少年よりも、
凶悪犯罪を起こす確率は高いわけです。

人は誰でも過去を美化したくなるものです。
特に安倍総理の周辺には、過去を美化する人が、
大勢集まっているようにお見受けします。

個人的にノスタルジーにひたるのはいいですが、
政策判断の根拠は情緒的な懐古主義ではなく、
客観データや事実に基づくべきです。

単なる思い込みや印象論で政策判断をするのではなく、
専門的知見や客観データに基づき判断すべきです。

安倍政権の危うさを感じます。
思い込みの政策判断では、教育だけではなく、
外交や安保も危ういです。

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