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高浜虚子と心の闇

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2012-04-19

SS-2

23:51

 五時頃にもなると会社帰りの人間で賑わうものだ。降車口には疲れた顔をした男達が、まだかまだかと列を成していて、それがいやに滑稽に思え小さく噴出した。

 こうはなりたくないと思っていた、小さな背中。

 世間で言うエリートの道を歩んできた浩太郎は、次々と壇上から降りていく同期の姿を見てきた。能力的に難しかった者、経済的な事情でいられなくなった者、精神的に耐えられなくなった人間。彼らに打ち勝った、とまでは思っていないが、さり気なく薄暗い優越感ぐらいが湧き上がるのを攻めるのは、やはり酷なのではないか。

 

 多治見駅は地方の駅にしては規模が大きく、硝子張りの壁面から雨に塗れた寂れた地方都市の景色が映っていた。震災の傷跡はまだ根深く、夕を過ぎればきっと華々しいネオンと共に賑わうであろう繁華街の端々に、トタン屋根の建物や青色のテントが隙間を埋めるかのように存在している。同じ日本でありながら、まったく同一では無い歴史があり、そして記憶が積み重なっているものだという事を自覚して、はっとした。

 待ち合わせの時間が近づいたが、まだあたりには強い雨が降り注いでいた。公園と一体となった、平和と鎮魂の目的に立てられたモニュメントの、その中心。そこに男の銅像があった。岐阜から輩出した有名人だという話だが、浩太郎はよく知らないし、そんなもの地方にいけばいくらでもあるもののひとつであろう。

 銅像がよく見える位置にあるベンチに、胸元から取り出したハンカチを引いて腰掛けた。黒字に金糸で模様が描かれた品の良いハンカチは、彼が好んで持ち歩く小物のひとつである。浩太郎は身に付ける物を自ら一つ一つ選ぶこだわりがあった。

 五時半を少し過ぎた頃、それらしき女が現れた。派手な色に染めた髪に七部丈のスパンコールのジャケット、クリーム色のひざ上の短いスカートを、見たことの無い紋章をバックルに留めた、いかにも田舎物、それも悪い意味で独自色が強い女が視界に入った。浩太郎は咄嗟に目を逸らし立ち去ろうとしたが、彼女の目に留まる方が如何せん早かった。

 あまりの光景に頭を抱えようとした浩太郎であったが、少し話してみると意外にも女は誠実な田舎物のような態度であった。

「はじめまして、うちはパパイヤマンゴーです。浩太郎さんがこうやって来てくれるとは思ってもいませんでした。うち、こう見えても純情で、一途なんですよ」

「浩太郎さん、いつも不健康そうな生活しているじゃあないですか。うちは、チャラそうに見えても料理は大概得意なんですよ」

「心配しているんですよ。もう気が気では無くて。半額の弁当を食べていると、外食やレトルトを食べていると言っているじゃあないですか、あれを見るともう気をやってしまいそうで」

 この女、意外にも気立てがよく、よく目ざとくアピールなどをし、よくよく男を立てるような事を言う。

 ははあ、この女、見た目に反してこうやると食いつきがいいのをわかっているのだな。頭が軽そうな装いをしながら意外に聡い、そういう女を好む男は世の中には山ほどいる。それを踏まえているのだな。そう思った浩太郎は警戒度を一段階あげると、いつも浮かべている愛想笑いをより強固なものにし、相手のペースに飲まれないよう気を引き締めた。

「さてさて、ここで何時までも立ち話というのもなんですし、御食事にいきませんか?貴女と会うと思ったら緊張してしまって、昨日からろくに食べ物も喉を通らなかったので、お腹がペコペコなんですよ」

そういって浩太郎はさり気なく腕時計を見ると、女は目ざとく食いついた。

「浩太郎さん。その腕時計、とてもお洒落ですね。さっきのハンカチといい、その皮鞄といい、やはり浩太郎さんは一級品のセンスを持っていますね」

 さすがの浩太郎もこれには閉口した。この女のなんと的確で、なんとこそばゆい所を突いてくるのかと。

 一瞬の空白。浩太郎が浮かべた動揺を見て、微かに女は薄く笑った気がした。どろりと瞳が濁りを浮かべた気がした。いや、確かにそのように感じ取った。惚れた弱みがあるのだろうと高をくくっていたが、確かに掌から主導権が零れ落ちるのを感じた。

 寒空の下での邂逅からの第一ラウンド。

 出会って一時間も過ぎてないにも関わらず、浩太郎の背を嫌な汗が流れた。

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