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高浜虚子と心の闇

2012-04-19

SS-3

01:47

 太陽が落ちて、そしてもう一つの太陽が昇るちょうどその頃合。ポツリポツリと街頭や看板の古びたネオンライトが灯され始め、地方都市がもう一つの顔を現し始めるその頃合。そんな不安定で不確定な多治見の一角を、浩太郎とパパイヤマンゴーは互いに傘を差しながら連れ添って歩いていた。

 何でもここは彼女の地元で、おいしい店から雰囲気の良いバーまでまるっと知っていると胸を張って言うのである。ええいええかっこしいめ、地元に他人を招いた人間は大概そう言うものだと、浩太郎は心の中で舌を出した。というのも、そう浩太郎が捻くれるのも仕方が無いくらいに、あのやり取りの後はやられっ放しであったからである。

 そんな浩太郎の気持ちを知ってか知らずか、いや確実に知っているのだろう。女は地元の思い出を嬉しそうに語る。

「この店はうちが中学に入ったときに、パパが家族みんなを連れていってくれたんですよ。でも子供って高いお料理の味なんてわからないじゃあないですか。勿体無いですよねえ」

 ああもう、この女はわかっている。わかった上で言っているんだろう。この地方に住むヤンキーのテンプレート的な反応じゃあ無いだろう。家族愛を、物より思い出を重視するその指摘をお前は待っているのだろう。浩太郎は掌の上で踊らされているような敗北感を感じながら女のそれに乗ってやる。何故ならここで話を終わらせて尚、再度盛り上げるような共通の話題やテクニカルな話術など当然のように持っていないからである。

「それでも記憶に残っているという事は、家族とのその思い出が大切なものだからでしょう。それはいい事じゃあないですか」

「おお、感銘を受けました。浩太郎さんはやっぱり相手の気持ちをよく理解してあげれる人間なんですね。相手の事を、よく見てあげているんですねえ」

 嗚呼、白々しい!これは対話ではなく、結末の見えた茶番ではないか!俺はわかっている、わかっているんだぞ。そうやって家族や友達との思い出や、街で起こった出来事をすらすらと並べながら、取り巻く男の匂いをまったく出していない事に!派手で遊んでいそうな井出達をしながら、言葉の一つ一つからはさもご覧あれと潔癖さを滲ませている事に!

 表面上はにこやかに、それでいて歩を足早に進めようとするが、如何せん女が先導して案内している以上はどうしようもなく、やりようの無さとグツグツとした怒りで腸が煮え返えっていたのであった。

 ようしガツンと一言言ってやろう。大して広くは無い多治見の繁華街を大して歩いていない間に怒りが頂点に達した浩太郎が拳を握り締めたその時、歩道の縁石の高さよりも車高が低いワンボックスカーが彼らの横に着き、左右のドアからぞろぞろと男や女がこちら目掛けて出てきた。

 彼らはそれぞれ鮮やかなグラデーションの頭髪をし、殊更言う必要も無いぐらい田舎のヤンキー像と合致した姿であり、モラルや倫理観の欠片も無さそうなその姿に、浩太郎は命の危険を感じて瞳を閉じた。

 

「おお、幸じゃん。こんな所で何しとん?」

「その男、彼氏か?」

「違うわ。浩太郎さんはうちの憧れてる人」

 おい馬鹿やめろ。そう喉まで出掛かった言葉が口から発せられる事は無かった。見てしまったのだ、彼らが昆虫のように意思の感じられない瞳で、まるで値踏みでもするような視線を自分の足先から頭先まで飛ばしている事に。

 心臓が萎縮して、内臓が捩れるような感覚。地面に足がついていないかのような、筋肉を十全に動かせない感覚。俯きながらも記憶が湧き上がる。

 思い出した。これはあれだ。あの森の中で味わった、淡くそして強烈な恐怖の残骸。祖父と逸れたあの雑木林の中で虫が、木が、動物が、孤立した自分を夥しい無数の目で舐るように見つめる、その恐怖を。決して自分は主体では無く、どうにも出来ないまま、他人に決定を委ねるそれに。

「ふうん。浩太郎さんいうんね。よろしくな。幸が彼氏と一緒なら邪魔したら悪いし、俺ら行くわ」

「それじゃ幸、達者でな」

 浩太郎は何よりも深い安堵の息を誰にも気づかれないように吐き出し、そして幸と呼ばれた女の顔を見てぎょっとした。そこにあったのは見たことの無い女の顔であって、今まで会話していた、虚飾の仮面を付けながらも生きた人間ではなく、あの昆虫のような瞳をした、ここの住人の顔であった。浩太郎は猛烈に嫌な予感がして、声をかけようとしたが、女の方が早かった。

「ねえ、これから浩太郎さんと一緒にご飯食べに行くんだけど、一緒に行かない?」

 浩太郎は目を見開き、そして盛大なため息を吐いた後、神に祈った。

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