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高浜虚子と心の闇

2012-07-28

ニコ百合-2

23:48

 私はやろうと思えばなんでも出来た。才能だってあると思っていた。みんなで一緒に始めた物は、私が一番最初にできるようになったし、学校の勉強だってあまりしなくても一番を取っていた。

 練習なんてするまでも無く、人に凄いと言われるぐらいの事は出来たので、だからこそ努力している人を冷めた目で見るようになった。どんなに頑張ったって、少し私が練習すれば追いつける。そう思ってずっとぬるま湯の中に浸かっていた。

 自分で言うのもなんだけど、酷く嫌な奴だったと思う。だからこそ現実が時間差で嫌な事を教えてくるのも、仕方が無いのかもしれないと思った

 雨が降る。

 憂鬱な気持ちを表すかのように、空にかかった曇り空を見て、私は少し悲しい気持ちになった。

『俺、今度デビューするんだ。だからマキも聞きにきてくれよ。お前、一回も来なかったけれど、今度こそはお前を驚かせるからさ』

 携帯電話ディスプレイに表示されたその文面。小学校の六年生の時に、同じタイミングでギターを始めた幼馴染だ。

「一緒にやろう」

「いいよ。でも前やったピアノだと、私ばかり美味くなってサトシはやめちゃったじゃん」

「今度は! 今度こそは止めない。絶対に止めないし、お前より上手くなる!」

「ふーん」

 いつも何か新しいことを始めようと言って持ちかけてくるのはサトシだったし、その度に私の方が上手くなって、そしてサトシも傷ついたような表情で止めていった。

 私はサトシがこっそり練習しているのだって知っていたし、ギターの時だって実は兄に習っていたという事を知っていたけど、やっぱり私の方がすぐ上手くなった。

 すぐに飽きるだろうと思って放っておいたけど、サトシは諦めなかった。私がギターを弾かなくなってからもずっと引き続けて、不恰好だと思ったことも無いわけではない。けど彼はいつの間にか私なんかよりもずっと上手くなって、プロの舞台に立つ事になった。

 カーテンが風に揺れる中、頬杖を付いていた。最近はその事ばかり考えていた。サトシだから、私だって少し練習すれば追いつけると思ったけれども、弾けば弾いただけ出来てしまった壁というのを感じて悲しくなった。きっと今二人で弾いたとしても、あの頃のようにはいかないだろう。そう思うと、何か胸が痛くなるのを感じた。

 ポケットの中で携帯電話が震えるのを感じた。

 最近、ギターを弾いてニコニコ動画に投稿し始めた。おざなりのほめ言葉が欲しくなって送ったそれは、甘い評価のコメントがいくつも並んで気持ちよかった。何もかもが中途半端な私だけれども、両方ならば、流行のボーカロイドの簡単な曲に合わせれば、耳の肥えていない人たちにぐらいなら簡単に誤魔化されるのだと、軽々しく考えていたし、実際そうだった。

 ボタンを押して表示をすると、そこにはブログにコメントが付いたというメッセージだった。ハンドルネームはケイ。最近私の動画によくコメントをしてくれる娘だ。私の動画があがったらすぐに見てくれて、そのたびに褒めてくれてこそばゆい気持ちになる。もしファンというのが出来たならばこういう存在なのかと思うと。いいなと思った。

 少しだけニヤついた顔を引き締めながら彼氏のショウにメールをした。今日、幼馴染がデビューライブをやるから見に行かない? チケットはあるよ。と送って、OKの返事がすぐに返ってきた。今の今までちょっとした意地があって行かなかったけれども、これで引きずっていたものを清算しようと思うと、きりがいいかなと思った。

 劣等感はあるけれど、それも今日で無しにしよう。私とサトシは別の人間で、別の道を歩いたんだって、そう思えたらいいなと思いながら、私はぼんやりと雨の風景を見ていた。

 金曜の夜の街は人通りで賑わっていて、大通りからちょっと奥まった所にそのライブハウスはあった。実力のあるバンドや、有名なバンドが時折訪れる、知る人ぞ知るという場所だという事をショウは言ってた。

「知らなかった。サトシ、凄いんだ」

「ヤバいよ! サトシ君はここらじゃ有名だし、ファンも多いんだ」

 サトシのバンドはTHE DEATHという名前で、そこらじゅうに拳銃を下地にそのバンド名の入ったシャツを着た人がいた。六時半の開演までまだ時間があったので、ビニール傘を差しながらライブハウスの前でぼんやりしていた。

 ファン。その言葉を聴いて胸がざわめいた。いくら動画をアップしても、断片的にほめてはくれるけど、ブログまで追っかけてくれるファンは人は一人しかいなかった。それでも、ここにいる一人一人よりの方がサトシを好きなんだろう。違う道を歩んだだけ、私は違う選択をした。そう思い込んでいた自分の気持ちに少しだけ皹が入っていた。

 私は何を選択したんだろうか?

 彼は選んで、そして掴み取った。ぼんやりと日々を生きてきて、何にも熱中はしなかった。器用さと、それによるおざなりの万能感が、あれほど大切に思っていたものが、今では自分の重荷に感じた。

 ライブハウスの中は満員だった。ステージを照らす様々な色の光。ギター、ドラム、ベース、キーボードと積み重なったアンプとスピーカー。ショウは今にも待ちきれないという様子で、上のシャツを脱いだらTHE DEATHのTシャツを着ていた。

「ごめん、今まで秘密だったけど、俺ファンだったんだ。今日のチケット取れなくて、お前が誘ってくれて嬉しいよ」

「いいの、気にしないで」

「マキがサトシ君の幼馴染だって知ってて、それで複雑な感情を持ってるってわかったから、俺何も言わなかったんだ」

「そう」

 言い訳がましく何かいうショウに目もくれずに、私はずっとステージを見ていた。前座のバンドの音が私をじらす。見たい、その時が来てほしい。そういう気持ちと、見たくないという気持ちがちぐはぐになって胸を焼いた。

 歓声。それから眩いライト。轟音。

 全身の鳥肌が立つようなファンの叫び声と共にサトシは現れた。彼はボーカルで、ギターだ。作詞も作曲もやっている。実は彼にも才能があったんだと思っていて、そう思い込んでいたけれども、私はわかっていた。

 曲が流れて、思わず涙が零れ落ちる。ファンが一体感と共に流れて、彼らの目線の先にはサトシがいた。

 もしかしたら、もしかしたらあの横にいたのは私かもしれない。今からではもう遅いかもしれないけれども、あそこにたったのなら、一緒の時間を、たくさんのファンと過ごせたのかもしれない。

 泣き出したくて仕方なかった。無駄にした時間が、私には絶対に適わないと思っていたサトシとの差が、目の前で胸を押しつぶした。

 嗚咽と共に頬を涙が伝う。ショウは完全にライブに熱中しているみたいだ。こんな自分の醜い姿はほかの誰にも見られたく無かったので、むしろ好都合だと思った。静かに後退り、誰にも気づかれないようにライブハウスを出て走り去った。雨はまだ強かったけれども、私に振り返る人間は誰もいない。交差点を越えて、学校を越えて、その先の波止場まで来た。

 雨に濡れてぐしゃぐしゃになってしまったので、もう家族にも誰にもあいたくないと思った。この瞬間だけは、世界に祝福されているはずの自分が、誰にも見られていないと思っていた。 

 携帯電話がバイブレーションと共にメッセージの到来を知らせる。ハンドルネームはケイで、あなたのファンです。動画をあげてみましたというものだった。

 こんなになっても、見つめてくれる人がいると思うと。それだけ嬉しくなって、暖かくなった胸から、枯れたと思った涙がまだ落ちてきた。

 携帯電話を抱きしめて、それから私はケイの事をずっと考えた。

 

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