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高浜虚子と心の闇

2012-11-02

死にたいにゃんSS

22:41

 死にたいにゃんは一握りの瓦礫だ。荒れ果てた荒野だ。誰もいなくなってしまった残骸の、その上に落ちた雨の一滴のように蒼くて、肥大した輪郭を広げるように精神は残酷さを増していく。

 死にたいという意識が芽生えたのはいつだっただろうか。

 あれは人間として生まれて16年目ぐらいだったと思う。その頃の僕は死の襞と呼ばれていた。

 士官学校の寮に向かう宇宙船に乗りながら、僕はただ窓から火星を見ていたと思う。

 太陽に照らされ、いくつものクレーターが光と影の曲面をたゆたうように照らし、影が曲線を描いて宇宙の闇に消えていっていた。それを周回するように宇宙船は飛んでいった。

 すっかり小さくなった服のポケットに手を突っ込みながら、橙色のキャップを目深に被り、そのときはもういなくなってしまった彼女の事を思い出していた。

 彼女はメンヘラだった。

 地球にいたときに、僕のことが好きだといって、ずっと後ろから付きまとっていたような女の子だった。

 線の細くて、いつも紫色のアイラインを深く入れて、釣り目がちの瞳を微笑ませながら僕なんかの為に話しかけてくれた。

「ねえ、一緒に星を見に行こう。きっと素敵な夜空が、考えられないぐらいの光が落ちてきて綺麗だと思うわ」

 そういって来たのを覚えている。

 けど僕はその求めには一度も応じなかったんだ。

 廊下のロッカーの前で、玄関の階段の前で、頬を少し赤く染めながらも僕に誘いかれてくれた彼女のことを思い出すと、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 その頃の僕ときたら、少しだけ自分のことで大変だったんだ。はたからみたらたいしたことの無い、滑稽で、小さな出来事のように見えるかもしれないけど、僕は死が怖かったんだ。

 詳しい日付は覚えていないし、原因も覚えていないけれど、父親が死んだことと、父親のように死にたくないと思った事は覚えている。まあ、些細な出来事だけど、僕にとっては大事だったんだ。

 毎日。毎日祈ったんだ。

 神棚の前で、神社で、僕は祈った。

 隣に座るクラスメイトだって、そんなに強く死を意識しているとはいえなかった。それがなんだか酷く不公平に見えてね、僕はその世代の中でも一番尖っていたんだ。

 多分彼女はそんな僕に引かれたんだと思う。

 彼女だって、なんだかよくわからないような性格をした僕なんかに惚れるはずは無いんだ。きっとよくわからないからこそ、僕が遠くを見ていたからこそ、星を見に行きたいと思ったんだ。

 だから、今の僕をみたら彼女はちっとも振り向かないと思うんだ。こうやって椅子に深く座りながら、全ての動いてく過去が通り過ぎた老人のように、暖かい人口の光の下で思い返す事だけをするのが僕にとって最善だったと思う。

 まあなんていうか、旅立ちというか、ひとつの決心が出来たからこそ僕はこうやって宇宙船に乗っているわけだ。

 宇宙船の中は薄い赤色の壁に囲まれていて、乗客もまばらだった。白髪の仕立てのいい礼服を着た老人、白と灰色のコートを着た色っぽい婦人、田舎から出てきたかのような親子、どれも僕の心を引くような存在はいなかった。

 今までの人生で、彼女のように僕の心を引くような人間はままいなかったし、こんな場所でそうそう会う筈は無い。そう思っていたんだ。

 照明が突然点滅して、途中の宇宙ステーションから乗客が乗り込んできた。一人は黒いくたびれた服を着た面長の男で、もう一人は純白のドレスを着た女だった。

 女は僕の向かいに座ると、怪訝そうな目で僕を眺めた。

「何処かで会った事あるのかな」

「話しかけないで」

 取り付くしまも無いとはこの事だろう、ってぐらいに、あっさり僕を突き放すような物言いをした。

 世界は、宇宙は、全てのものは、憤怒が噴出すように、火の底で生まれた光のように生きている。

 それは太陽のように例外無く巨大なエネルギーを撒き散らし生命の永久の繁栄を約束している。

 たった一人の、一人の言葉より重いものは全ての人間によっても生まれるものではないし、僕は、僕の中にあるこれをただ一つだけ椅子に座って、ボロボロになった空き家の、開け放たれた全てのドアに目もくれず、踏みしめた足が傷つくのさえ厭わずに思い出の1ページを刻み続けた

 君は何度だってやり直せるということ、死にたいという気持ちは抑えられないということ、世界はそれでも美しいという事。手紙の最後にあったのは、ありがというという言葉と、紫陽花の花の押し花だった

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