こんにっつあん桃野です。先日久々に実家へ電話をして、両親は根室の街の方に出かけたという事で電話に出たのはじいじ。桃野家ではじいちゃんの事をじいじ、ばあちゃんの事をばあばと呼ぶのよ。考えてみるとかなり行動力のあるじいちゃんなのであんまりじいちゃん感ないじいちゃんなんですが、ここ何年かで一気にじいちゃんを感じる様になったなあと思った。昔はどこでも車で出かけてたんですが、さすがに遠出はしなくなったみたいで。いつも僕が電話をすると「いつでも根室帰っておいで、みんないるから」と口癖の様に言うのですが、すっかり言わなくなった。きっと僕が上京して本やTVで頑張ってると感じたのかなあとか勝手に思ってるんですが、言われなくなるとそれはそれでなんか淋しい。電話は両親に用事があったので、すぐ切ったのですが切る時に「陽介頑張れよ」と言われて妙にじいじと会って話したいなあと思った。
ばあばは中二の学校祭の時期に死んだ。ずっと泣いてたのを思い出す。今でも死んだ時の病院の匂いを思い出す。ピーって音だけで死んだとか判断出来んの?とか病院のあらゆる原因になりそうなもんにイラついたのを思い出す。それでも涙しか出てこないのを思い出す。その後じいじがすっかり小っちゃくなったのを思い出す。
死ぬと会えないから悲しい。やっぱり25歳になって中学位に出会った人って、一生会わない人っているのに、そんな人でも死んだと聞くと会えなくなるから悲しい。高校の時の校長が「死んじまったらおしめえよ」と必ず言ってて、そん時は「お前が気をつけろ」とか思ってたけど確かにそうだよね。だからみんな死ぬなと言いたいけど、それを超える辛さがあるならそれは死んでしまうからやっぱこればっかりは何も言えない。高校の時のネガティブ桃野はよく死の事を考えていたけど、すっかりおシモな事しか言わない考えない自分。そしてそれが嬉しい自分。他人事の様に自分を見てみるとかなり変化してるんだと実感。
特に言いたかった事はないんだけど、こんな事思ったなーってのが書いとけば思い出すので書いたのよ。じゃ。
25歳の桃野じいじ
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