書斎のドアが叩かれ、私は絵本を手にしたまま振り返った。
(誰だろう……?)
すると静かにドアが開き、ルイが顔を見せる。
ルイ「こんなところで何してるの?○○」
「ルイ……」
ルイの視線が手の中の絵本に落ちていることに気づき、
私は再び、その表紙をひらいた。
「絵本を読んでたの」
ルイ「…………」
それは、魔法で野獣に変えられてしまった孤独な王子様のお話だった。
「ルイは、知って……」
尋ねようと顔を上げた瞬間、私は微かに息を呑む。
ルイがいつのまにか近づき間近から絵本を覗きこんでいた。
ルイ「知らない、かな」
間近に見える形のいいルイの唇が、ふっと綻んでいく。
(男の人にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけど……)
(ルイって、本当に綺麗だな)
思わず見惚れてしまうと、視線を上げたルイと目が合った。
「……っ」
慌てて視線をそらし、私は口を開く。
「あの、ルイ……何か、用事があったんじゃないの?」
ルイ「ああ……」
私の言葉に、ルイが途端に表情を暗くした。
(え……?)
ルイの公爵邸にプリンセスとして招かれることになった私は、
ジルと共に、ゆっくりと進む馬車に揺られていた。
道の脇には、春の花がちらちらと咲き始めている。
「…………」
(私はルイと過ごせることが嬉しいけれど、)
(ルイは、あまり嬉しくないみたいだったな……)
私は書斎での、ルイの言葉を思い出していった。
―ルイ「……あまり呼びたくはないんだけど」―
―ルイ「ごめんね」―
(……ルイはあまり、自分のお屋敷が好きじゃないみたい)
小さな窓から外を覗いていると、ルイの公爵邸が見えてきた。
(それって、すごく……)
余計なお世話だとは思いつつも、ため息がこぼれてしまった。
(寂しいことなのかもしれない)
公爵邸での静かな夕食の時間を終え、私はあてがわれた部屋で休んでいた。
(ルイとの関係を公にすることは出来ないから、)
(何も話せないままだったな……)
何の会話もなかった食事の席を思い出していると、部屋のドアが叩かれる。
「……ルイ?」
ルイ「うん」
部屋のドアを開け、ルイが部屋の中へと入って来る。
後ろ手にドアを閉めると、ルイがふっと目を細めた。
ルイ「……大丈夫?」
「え……」
ルイ「……不快な思いをしてるんじゃないかと思って」
ルイの低く力ない声音に、私は顔を上げる。
(あの静かな食事の席のことを、言っているのかな……?)
(それとも……)
私はお屋敷のメイドさんたちの、どこか冷めた視線を思い出した。
(でもきちんとお世話をしてくださるし、嫌な思いなんてしていない)
はっきり伝えようと、私はルイを見上げて口を開く。
「ルイ、私は大丈……」
ルイ「…………」
すると言葉を遮るように、ルイが私の背中を静かに抱き寄せた。
(え……)
片方の腕が背中に回り、微かな重さが肩先にかかる。
「ルイ……?」
鼓動を跳ねさせながら視線をあげると、ルイが言った。
ルイ「……俺は、大丈夫じゃない」
ルイ「こんなところに君を置いておきたくない」
ルイのため息が、私の髪を揺らす。
その低い声に胸をぎゅっとさせながら、私は口を開いた。
「でも……」
ルイ「…………」
するとその瞬間、ルイがぴくりとまつ毛を揺らした。
メイド「プリンセス……」
ドアの向こう側から、メイドさんの声が聞こえてくる。
メイド「何か、物音がしましたが……」
(……!)
ドアの外から響くメイドさんの声に、私はギクリと顔を上げる。
「い、いいえ……何でもありません」
メイド「そうですか。失礼致しました」
去っていく気配に、私はほっと胸をなで下ろした。
(このお屋敷では、ルイとゆっくり過ごすことは出来ないみたい)
ルイ「…………」
私の背中から手を離し、ルイがそんな私の姿をじっと見おろす。
ルイ「……約束して、○○」
そして、静かな低い声で告げた。
ルイ「あんまり、この屋敷の中をうろうろしないで」
(え……?)
ルイの言葉に顔を上げると、真剣な瞳と目が合う。
ルイ「どこで何を利用されるか、わからないから」
「でも……」
私は戸惑いながらも、口にした。
「ルイのお屋敷の人たちなのに……」
ルイ「だからだよ」
きっぱりと言い切り、ルイがわずかに眉を寄せてため息をつく。
ルイ「万が一でも俺と君との関係を知られたら、良くないから」
「…………」
ルイの言葉に滲む冷えた空気に、私の胸が小さく痛んだ。
(私との関係が知られたら、お屋敷の人に利用されてしまうってことかな)
(そんなことって……)
わずかに目元を緩め、ルイが私の耳元に手を添える。
そのまま優しく引き寄せると、額に唇を寄せた。
ルイ「……おやすみ、○○」
ルイの吐息に、前髪が優しく揺れた。
ルイが去った後、私は一人ベッドに入って考えていた。
「…………」
(ルイはこの広いお屋敷の中でも、たった一人なのかな)
お屋敷の中に流れる空気が、寂しく肌をさすのがわかる。
(そんなの絶対に、寂しいよね)
そして、翌朝…―。
仕度を整えた私は、ジルから予定を聞いていた。
ジル「今夜の晩餐会の後、明日の朝には城に帰ることになります」
「はい……」
私は頷き、ふと窓から外の景色を眺める。
(明日の朝だなんて、時間が経つのは早いな……)
(この短い間にも、私がルイに出来ることがあればいいのに)
そして休憩時間、私はルイの部屋へと向かっていた。
(話がしたいと、思っていたんだけど……)
廊下の角を曲がり、私はため息をつく。
(もしかして、迷ったのかもしれない)
辺りを見まわすものの、同じようなドアが連なり並んでいた。
その時、ルイの言葉が脳裏をよぎる。
―ルイ「……約束して、○○」―
―ルイ「あんまり、この屋敷の中をうろうろしないで」―
(ルイと約束をしたのに、どうしよう……)