幕末、日本から大量の小判が欧米に流出しました。 中学か高校の日本史の授業で、金と銀の価格比が日本と欧米で大きく異なっていたためだ、と教わりました。 確かにそのころの金銀比価は欧米では1:15〜16、日本では1:11〜12だったのですが、それが直接の原因ではありませんでした。 (日本での金銀比価が1:5〜6だったと説明している資料がありますが、それは誤解を生む表現だと思います。 当時の小判と一分銀に含まれている金・銀の量から計算するとそのようになりますが、一分銀は価値どおりの銀が含まれていない「名目貨幣」でしたから、その計算には意味がありません。 現代の10円銅貨と1円アルミ貨から、銅とアルミの比価を計算しているようなものです。) |
天保小判 発行 天保8年11月〜安政6年6月 重量 3.0匁(11.2g) 規定品位 金568、銀432 製造高 天保一分金と合わせて812万両 (一分金は殆ど発行されていませんので、天保小判は800万枚ほど発行されたと思われます) 背に「保」字のあることから、「保字小判」と通称されていました。 金と銀の含有量はそれぞれ6.38g、4.84g。 | |
天保一分銀 発行 天保8年12月〜安政6年12月 重量 2.3匁(8.625g) 品位 銀991 製造高 7892万枚 この当時、日本中で日常的に使用されていた貨幣で、金1分(1/4両)で通用していました。 殆ど純銀に近いものですが、銀の含有量は8.55gしかなく、これは当時の日本の金銀比価で計算しても、金1分の約半分しかありません。 つまり、江戸幕府の権威で通用した「名目貨幣」だったわけです。 | |
メキシコ共和国 8レアル銀貨 重量 27g、 品位 銀862〜886 この銀貨は通常「メキシコ貿易銀」と呼ばれ、当時の世界貿易の決済で最も多く使われたコインです。 この銀貨は、「メキシコドルラル」とも呼ばれました。 銀の含有量は23〜24gです。 |
日米修好通商條約議定書 第 五 條 外國の諸貨幣は、日本貨幣同種類の同量を以って、通用すべし。 雙方の國人、互いに物價を償ふに、日本と外國との貨幣を用ゐる妨なし。 日本人外國の貨幣に慣はざれば、開港の後凡一ケ年の間、各港の役所より、日本の貨幣を以て、亞墨利加人願次第引替渡すべし。向後鑄替のため、分割を出すに及ばず。日本諸貨幣は、輸出する事を得、竝に外國の金銀は、貨幣に鑄るも鑄ざるも、輸出すべし。 |
1ドル
| 一分銀3枚
| 3/4両
| 3ドル で交換 (日米間の条約) で両替 (日本の貨幣制度) として売却 (世界の金銀相場) |