風俗嬢は「至上の恍惚感」に「ほのかな悔しさと悲しみ」を漂わせたという微妙な表情で果て、次の瞬間には表情筋が凍り付いたように無表情になった。 「『復唱』は省略。あなたの『完成』は誰よりもわたしがわかる。気分はどう?」 「質問ノ意味ガよクワカらナイ」 「うふふ。ようやく奴隷生物らしくなったわね。あのね、心身の状態が良好かどうかということ。起動が適切になされているか、そしてそれに関するあなた自身のモニタ機能は適切に動作しているか、チェックしてるの」 「良好ダ」 「よろしい。あなたには色々やってもらわないとね」 「不合理デ曖昧ナ表現ノ混入率ガ高イ。感情えみゅれーたノ解除ヲ勧告スる」 「あ、そうね。…えみゅれーたノ影響ニヨル失策ダ。オマエノ勧告ハ適切デアッタ」 無感情エミュレータの使用も不便だなと思いつつも、わたしはほっとしていた。この女の感情はようやく完全に消去され、女はようやく「主」への服従のみを動因として行動する奴隷生物として完成した。改造人間の肉体に人間のままの心、という危険な存在が一つ、永久に消滅したのだ。いずれレコーダを解析し、この女も感情エミュレータを装備する。外面的にはこの女が感情をとり戻したように見えるだろう。だがその外見はこの女の中枢神経とはまったく関わりのない、末梢レベルでの機械的調整に過ぎず、くしゃみやまばたきほどにもこの女の中枢に影響しない。 もちろんその感情は感情レコードに基づく以上、過去のこの女に由来するものだ。だが、感情豊かな人物を撮影したセルロイドのフィルムに感情が宿っているはずがないのと同様、感情エミュレータそのものに感情は宿っていない。そしてこの奴隷生物が本当の意味で感情を「感じる」可能性は永久に失われた。脳と心の仕組みがそのように不可逆的に変質しているのだ。 数日後、女の感情レコードの解析が終わり、感情エミュレータが完成した。彼女にはエミュレータを応用した「感情の徹底消去」が改めて施された上、エミュレータが実装された。わたしは彼女にも専従服従プログラムを組み込み、「課長」に続く第二の直属の部下にした。そして、自分のエミュレータを起動させ、記憶している「不良品」の心当たりはないかと尋ねた。だが正直、この件で彼女にあまり期待はしていなかった。 「そうねえ、女のカンってやつに過ぎないレベルだけど、二、三人心当たりがあるわ」 わたしは予想外の答えが返ってきたことに軽く驚いた。この女性のざっくばらんな性格からして、「鉄の規律で結びついた地下組織」なるものとは無縁だろうし、他の「不良品」の存在などにも無頓着だと思っていたからだ。 「誰と誰が怪しいの?」 「一人はあなたも知ってる子よ。わたしの反対隣にいた、わたしの可愛い恋人。ふふ。違ったら大変だから確かめたことはなかったけど、だいぶ怪しい。それから、C12ブロックの機械室にいた、ええと、たしか81753号。感情もちょっと怪しいし、それにあのおじさん、誰とも交尾したがらないのよね。調べる価値はあるわ。三人目は、以前拉致ロボットの射出を一緒に担当した高校生くらいの若い娘。番号は96669号。やっぱり違ったら大変だから確かめてはいないけど、射出のとき、辛そうな顔をしていたわ。 …そうだ!拉致ロボットの射出と、反逆者の射殺。あの辺の部署に全員をまんべんなく回して、エミュレータで監視するといいんじゃない?網を張るには絶好の場所よ」 見込んだとおり、いやそれ以上に優秀な参謀になってくれそうだ、と思えた。最後の提案もさることながら、彼女の観察眼が鋭かったからだ。三体とも別ルートから嫌疑がかかっていた個体だったのである。二体目の「機械室のおじさん」は、実際に三日前、脱走者用のトラップにかかり焼死している。後の二人もかなり怪しいと見てよさそうだ。 「ありがとう。有力な情報よ」 「風俗嬢」の「恋人」は彼女に任せることにして、わたしは96669号に接触することにした。そのために「風俗嬢」のアイデアを採用し、少女が反逆者射殺の部署に回るように手配し、同時にわたし自身を同じ部署に配置させた。 現場に到着したとき、少女はすでに配置につき、待機中だった。欲求不満による雑居房での「暴発」はめっきり数が減り、処刑される捕虜の数はかなり減っていたのだ。 そもそも、処刑そのものが本来は無ければ無い方がいい作業なのだ。結局それは貴重な改造素体の損失だからである。いずれエミュレータを応用した改良型の感情消去技術が普及すれば、「反逆指数による選別」など無用になり、どんな改造素体も一律に洗脳し改造できるようになる。その意味では、今ここに連れてこられる捕虜は、現在の技術水準からすれば、奴隷資源の無駄遣いなのである。 「主」と呼ばれる宇宙人から「管理者権限」を付与されたわたしならば、次に来る死刑囚を解放し、感情徹底消去の被験者にすることも可能だ。だがそれはあまり意味のない選択肢だった。処刑場は他にもたくさんあり、数は減っていると言っても処刑者は出続けている。洗脳設備も整わないまま大量の反逆者を生かしておくのは、かえって予測不能なリスクを増やすだけだ。それに何より、現在のわたしの目的はこの少女に人間の感情が残っているかどうかを確かめるため、少女に人間を殺させることにあるのだ。 とりあえずわたしは少女の横に座り、それとなく様子を観察した。たしかに高校一年か二年くらいの蜂女で、同心円模様のその乳房は、もしそのまま人間として時を重ねれば、もう一回りか二回り成長したであろうと思われる固さを残していた。 少女は何の表情も出さずにじっと座っている。慎重な性格だということだ。わたしはとりあえず「感情エミュレータを起動させた上で感情を奪われたふりをする」というややこしい作戦で彼女の反応を探ろうと決めた。彼女が発するかもしれない感情反応を識別し、効率的に感情的反応を引き出すためにも、感情エミュレータの起動は必要である。しかしこちらがあの「風俗嬢」のような無防備な「不良品」だと思われてしまえば、彼女は警戒して自分の感情を隠してしまう。つまりわたしはエミュレータを起動しつつ、エミュレータの産み出す感情反応を意図的に隠し、その上で彼女に人間の心があることの証拠を首尾よく引き出す、という厄介な課題をこなさねばならないのだ。 いざ試みてみると、これが本当に難しい作業であることを痛感させられた。人間ならば世間話でもふってそれとなくカマをかけることができるが、奴隷生物は世間話などしない。情報交換の必要がなければ何時間でも会話なしで過ごす。わたしは少々焦りを感じてきた。このままではこの持ち場での勤務時間が終わってしまう。 焦りが極限に達した頃、救いの手がさしのべられた。死刑囚が連行されてきたのだ。しかも運よく、わたしの目的に最適な人選だった。三十歳手前くらいの女性と、その娘と思われる、六〜七歳の幼女だったのである。見知らぬ所に連れられてきた娘が泣きわめいたか、目の前で母親が強姦されて泣き叫んだか、幼女自身が強姦されかけて狂乱したか、そのようなところだろう。 銃殺の担当は少女、わたしは待機だ。わたしはすぐにはっきりした結果が出ることを疑わなかった。色々と人間的な感情を失ってしまったわたしだが、一般常識として、人間の基準で何の罪もないと思われる母子を射殺することなど、感情を乱さずに簡単にできることではないことくらい、ちゃんと覚えている。 だがわたしの予想は裏切られた。少女は機械的に、眉一つ動かさずに「有毒光線」の引き金を引いたのだ。たちまち泣きわめく母子の全身に紫色の斑点が拡がり、二人は緑色の泡を吹き、白目をむいて動かなくなった。エミュレータは何も検知しなかった。 いくらなんでもこれはないだろう。この少女が再洗脳されたという記録がない以上、彼女は最初から完全に感情消去されていたのではないか。「課長」の情報も「風俗嬢」の「女のカン」も当てにならなかったか。わたしは軽く困惑した。 本当に困ったことが生じたのはその後だ。わたしの感情エミュレータに問題が生じたのだ。不調ではない。むしろ正常すぎるほど正常に働いた。わたしの心臓の鼓動がとてつもなく速まり、涙腺が緩み始めた。人間の頃のわたしの亡霊が暴れ始めたのだ。 感情エミュレータはあくまで人間をあざむくための道具だ。「不良品」に対して感情を隠しつつ相手の感情反応を引き出す…などというややこしい用途は想定されていない。かといってここでエミュレータを切ることだけは絶対できない。エミュレータの存在は現段階での最重要機密である。その存在をほのめかすような行為は厳禁だ。 やがて涙があふれ、あきらかに取り乱した態度が表に出た。わたしは少女をうかがった。少女はこちらをあまり興味なさそうに眺め、それから無表情に遺骸を搬送用のコンテナに詰め始めた。 もうやけくそだ。わたしは彼女に近づき、作業を手伝いながら強攻策に出た。 「ねえ、見たでしょ?お願い。誰にも内緒にしてね!」 わたしは、あのアバウトな風俗嬢以上に無防備な洗脳未遂者を装い、強引に彼女から反応を引き出すことにした。「主」に通報されても、わたしの場合は問題ない。 「理解不能。不合理ナ発話ノタめ、応答ヲ拒否すル」 とりあえず「主」に通報する気はないらしい。わたしはコンピュータ経由でこの一帯に改造人間が近寄らないよう指示を出し、強引なアプローチを続けた。 「ね、わたし知ってるんだ。あなた、拉致ロボット射出のときに辛そうな顔をしてたんだって?わたしと同じで、あなたも人間の心が残ってるんでしょ?そうなんでしょ?」 「…」 「わたしは知っちゃったんだし、あなたもわたしの秘密を知っちゃった。これで二人は運命共同体だよ。秘密の約束だよ」 「…そこまで分かっているなら、もう少し自重して。もしわたしが再洗脳されていたらどうする気だったの?」 やった!ようやくボロを出してくれた。これさえ確認できればいいのだ。あとはこの少女を改造手術室に連行して、「不良箇所」をちゃんと調べて、再洗脳するだけだ。 コンピュータへの指令を出そうとしたとき、彼女は気になるセリフを続けた。 「…いいわ。ついてきて。いいもの見せてあげる」 ――後から思えば、「いいもの」など、彼女の洗脳が終わってからゆっくり聞き出してもよかったのだ。だがそのときのわたしは、平然と母子を殺したこの少女の素性への好奇心が先立ち、二時間以上もかかる洗脳完了を待っていられなかった。いざとなればコンピュータに連絡して奴隷生物の軍団を手配してもらえばいい、という甘えもわたしの好奇心を後押ししていた。 「いいものって?何?何?行くわ!」 ほとんど地のままの好奇心をむき出しにして、わたしは彼女についていった。 彼女はコンテナの遺骸を014番有機物用廃棄物処理口に投入した。さすがに奴隷生物がやるように無造作にではなく、きちんと手を組んでやり、一人ずつ足を下にしてそっと投入した。なだらかな坂を二体の遺骸がすっと滑り落ちていった。 それから彼女は、多分奴隷生物にはインプットされていない奇妙なルートをたどり、捕虜管理ブロックの倉庫から食料か何かをそっと抜き取り、コンテナに詰めた。次に機械部品の置き場に寄り、同じように巧みに何かをくすねてコンテナに詰めた。それから下のフロアの人気のない倉庫が並ぶ通路に移動し、倉庫の扉を半分ほど開けると、扉のノブではなく、反対のちょうつがいの部分を真横に引いた。 ちょっと信じがたい光景が広がった。部屋と部屋の間の二十センチほどの部分に、そんなスペースには入るはずのない広い部屋の「入り口」が開いたのだ。 中からは女性の声が聞こえた。 「帰ったね。今日はどうだった?」 「捕虜は見ての通り一人半。だから反物質弾薬の残量はだいぶあるわ。それと、キューロクさんの同類を一人連れて来ちゃった」 「…そう。ちょうどよかったわ。じゃあ、いつもの『確認』をさせとくれ」 彼女の背中で、声の主も、何を「確認」しているのかも見えなかったが、この奇妙な空間が反逆者のアジトらしいことだけは間違いない。わたしの胸は高鳴った。 ――このときもわたしは、素直にこの事実をさっさとコンピュータに報告しておけばよかったのだ。だがわたしは、コンピュータが指令するだろう無粋な強攻策が趣味ではなかった。エミュレータがあれば「不良品」たちを欺き、連中の仲間になりすますのは容易だ。そうやって「潜入捜査」をして反逆者の組織の全貌を掴む方がいい。だがそれをいちいちあの石頭のコンピュータに説得するのは面倒だ。全部自分で済ませてから、結果だけ報告すればそれでいい。そんな頭があったのだ。 何やら「確認」が済んだらしい少女が中に入り、わたしも後に続いて入った。 部屋は十五畳くらいの広い部屋で、廃棄された備品の類が散乱しており、それをどうにか片づけて、居住用のスペースを確保している。見慣れない装置も多いが、取り立てて驚くべきものは存在しない。しかしその住人たちを目にしたとき、わたしは我が目を疑わざるを得なかった。少女以外の四人の人物はみな、未改造の人間だったのである。 中の人物は、先ほどの声の主と思われる初老の女性、二十代くらいのスポーツマン風の男性、それに、ついさっき処刑されたはずの母子だった。二人とも全身を覆っていた紫の斑点はすでに薄れかけており、揃って少し不安そうな顔をしながらこちらを見ている。また全員、樹脂製のシートを加工した簡単なものだが、衣類を着用している。わたしは全裸で歩き回っている自分に、久々の羞恥心をほんの少し覚えた。 少女に目を向けると、さらに信じられないものが目に入った。同じように着衣を始めている少女は、右胸から同心円模様を描いたシールをはがし、その下の、どう見ても人間のままの乳房を覗かせていた。彼女もまた未改造の人間だったのである。 「色々と話さないといけないわね。まずはそこにでも座って」 エミュレータなしで心底呆然としているわたしに、少女が声をかけた。わたしは少しふらつきながら、壁際に据えられた立派な「来客用」という感じの椅子に腰掛けた。 座ったとたん、ビーンという耳慣れた音が響いた。エネルギーバリアの音だ。わたしは慌てて立ち上がり、椅子から離れようとした。だがバリアは改造人間を遮断するモードに設定されており、わたしは見えない壁に阻まれ、それ以上前に進めなかった。 「どういうこと?わたしは洗脳未遂者よ!ちょっと話せば分かるはずでしょ?なんでこんなことするの?外に出して!出してよ!!」 「残念だけどお嬢さん、わたしらはね、人間以外信じないことに決めているの。窮屈だろうけどそこで我慢してもらうわ」 老女が冷たく返事をした。 ――もう遊びはやめよう。さっさとコンピュータに報告してこの場違いな連中を改造手術室に送り込もう。もっと危険な「不良品」がうろうろしている基地の中で、未改造の人間ごときにこれ以上煩わされるわけにはいかない。――そう考えたわたしは、コンピュータへの脳内通信を行おうとした。…だが、通信は失敗した。どうやら、エネルギーバリア内には脳内通信を遮断するシールドも張られているようだった。わたしは完全に孤立し、ひ弱な人間どもの捕虜にされてしまったのだ。失策だ。宇宙人にあんな大口をたたきながら、二度目の作戦にしてもうこんな間抜けな目に遭ってしまった…。 とりあえずわたしは、冷静に状況を分析しなければと思った。 まずこの奇妙な部屋については心当たりがある。 奴隷生物の脳内にはこの円盤内の地図が入っている。だがその地図は実際には精確なものではない。この円盤内の空間は宇宙人の超科学によって部分的に圧縮されたり引き延ばされたりして、通常のユークリッド空間とは異なる構造をしている。しかし作戦遂行の合理性第一の観点から、奴隷生物の脳内地図はユークリッド空間として描かれている。必然的に辻褄の合わない空間が何箇所かできる。その一つがこの部屋だ。 さらにこの空間は単に幾何学的な「辻褄あわせ」の役に立っているだけではない。奴隷生物を律する、昆虫的で硬直した「合理性」に支配された組織は、通常は円滑に機能するものの、時折、複雑怪奇な現実に直面しておかしな結果をもたらすことがある。それらの矛盾をとりあえず隠蔽し組織運営を円滑にするための「ゴミ捨て場」の一つがこの部屋なのだ。具体的には、行き先不明の無機廃棄物、ジャンクパーツの類を、最終的に処分するまでの間、とりあえず表から隠すための待避所ということである。 あの母子の死刑囚、それに多分他の住人も、あの014番有機廃棄物処理口から伸びるレールを分岐させてこの部屋に直送されたのだろう。何者かがこの部屋のコントロールパネルをいじり、巧妙にプログラムを改変して、廃棄物の到着先をこの部屋に設定したのである。その何者かは宇宙人の技術にある程度通じた者であるはずだ。この檻や、その他の危険そうな武器らしきものを作ったのもその人物だろう。 多少の状況分析はできたが、まだ疑問は多い。わたしはそれを少女に向けてみた。 「ねえ、説明してくれてもいいでしょ。この部屋は何?あの親子はどうして無事だったの?あなたはどうやって改造人間に変装できたの?わたしを捕まえてどうする気なの?あなたたち、宇宙人と戦うつもりなんでしょ?だったら手伝うわ!」 本来の用途を果たし始めたエミュレータの力で、わたしの口調には真摯で切迫した感情がこもっているように聞こえたはずだ。だが、少女も他の人物も、わたしに対する不信感、距離感といったものを弱める気配はなかった。困ったわたしは、入り口の会話を思い出し、それを持ち出してみた。 「ねえ、さっき『キューロクさん』って言ってたわね。あれって96669号さんのことでしょ?きっとあなたの他に、本物の改造人間96669号さんがいるのね。そうでしょ?」 三人は目を合わせ、互いにうなずきあった。そして老女が話し始めた。 「あんたが黙る気配はなさそうだし、こっちもあんたをすぐに殺す気はないから、一通りのことは話しとくわ。どっちみち、あんたがここを出る可能性はもうないんだから」 何やら物騒な前置きをしながら、老女、青年、少女は自分たちがこの空間に行き着いた経緯と自分たちの計画について、かいつまんで話してくれた。 まず、一部の死刑囚を救出する仕組みを整え、この牢獄や武器や装置をジャンクパーツから組み立てた人物は、やはり本物の96669号だった。洗脳未遂者である96669号は円盤内を偵察する内に偶然この部屋の存在を知った。一種の天才である彼女は自らにインストールされた知識を応用的に発展させ、この空間を拠点に反乱の準備を始めたのだ。 彼女の反乱計画のかなめは、自家製の反物質爆弾だ。この部屋で中規模の反物質爆発を引き起こし、部屋の真下にあるエネルギー貯蔵室を直撃する。誘爆が生じ、円盤は全壊、あるいは少なくとも半壊する。 しかしこの作戦はこのままでは、敵ばかりでなく多くの捕虜及び洗脳未遂者を犠牲にしてしまう。彼女はせめて捕虜だけでも助け出せる仕組みを構築したいと考えた。その仕組みの一環が死刑囚の救出作戦だ。「有毒光線銃」すなわち標的の体内に毒素を生成する銃を、発射直後に解毒剤を生成する「仮死化銃」に改造し、廃棄物移送のシステムに手を加えたのだ。間もなく、まず今はいない中年男性、次に少女、老女、青年の順で救出され、96669号が調達する食料で命をつなぎ、この部屋で暮らし始めた。 彼女が最終的に立てた計画は二段構えのものだった。まず、最初の爆発の衝撃を利用し、一人乗りの脱出カプセルを亜空間航行で地球表面まで送り出す。誘爆が始まってから母船の最終崩壊まで、一時間程度の余裕がある。その間に残りの有志が武装して捕虜を解放し、中型円盤に捕虜を送り込み、脱出する。恐らく多くの改造人間も脱出するが、準備万端の侵略者の尖兵が地上に降り注ぐよりずっと被害は小さい。 「どうしても一人は確実に生き残り、メッセンジャーとして、偉い人に目前の危機を知らせねばならない。わたしたちは一番弱い者にその権利と使命を委ねるつもりだった。もともとはおばさんがその役だったけど、今はそこの親子に脱出してもらうことになると思うわ。『一人半』ならなんとか乗れるから」 少女が説明した。わたしは少し呆れて言った。 「脱出カプセルの方は何とかなるかもしれない。でも、未改造の人間三人と改造人間一人で、捕虜全員の救出なんて本当にできると思ってるの?脱出カプセルをもう四人分作る方がまだしもじゃない?」 「そいつは改造人間の考え方よ。あたしら人間は決してそういう考え方をしない」 老女が強い口調で言った。 「メッセンジャーは別として、人間が、他の人間を犠牲にしてまで自分が助かろうとしてはならないの。人間とはそういうものでなくてはならないのよ」 少女が言った。 「実は最近、未洗脳者の反乱組織のリーダーと称する、ちょうどあんたくらいの歳の女性とコンタクトを取ったことがある。お互い完全に覆面の状態で、こちらは相手の顔も名前もコードナンバーも一切知らない。先方にも、多分こちらが未改造だということすら気づかれなかったはずだ」 スポーツマンが言った。老女が後を続けた。 「洗脳未遂者の組織にも反乱計画はあるらしい。あたしらには選択肢があった。一つは、彼らの組織と連携し、計画の詳細を教え合って、一緒に反乱を起こす道。もう一つはあくまであたしらだけで計画を進める道。誰が見ても、一つ目の選択肢の方が有効。だけどあたしらはそれをする気になれなかった」 少女がその先を続けた。 「第一に、洗脳未遂者というのは仲間としてとても不安定な存在なの。昨日の仲間が明日には再洗脳されてしまっているかもしれない。どんな鉄の規律があっても、その不安は消せない。第二に、キューロクさんも含めて、洗脳未遂者ってやっぱりもうもとの人間ではないのよ。もちろん多少の個人差はあるけれど、みんな何か大事な感情を失って、冷酷な昆虫人間になりかけてる。『同盟』のリーダーの女性が典型だったわ。彼女の作戦はとても合理的で、水も漏らさぬ計算に裏付けられていた。だけどその作戦からは、人間的な思いやりや良心がまるで感じられなかった。目的のためにひどい犠牲を捕虜や仲間に強いる、恐ろしい作戦だったの。 …もちろん、こんな非常事態の中で、甘っちょろい感傷に流されるのは『不合理』よ。でも、わたしたちはその不合理さを捨てるべきではない、という結論に達したの。不合理でも人間らしくいようと決めたのよ」 「俺たちはあんな半分虫けらの女とは違う。『一蓮托生』が俺たちのモットーだ。捕虜のみんなを助けるためにやれるところまでやる。駄目だったらみんなでやられる。生き延びるのも、死ぬのも一緒だ。あんたにはわかるか?もうわからないか?」 「この子の乳房の『点検』も、決して安全のための確認じゃない。あれはこの子が無事に人間として帰ってきたことを祝福する儀式。この子の運命はあたしら全員の運命、いつもそう思ってこの子を送り出しているのよ」 ――正直、この連中は意固地で妙なこだわりにとらわれた、一種の集団ヒステリーの状態にあるようにしかわたしには思えなかった。同時に、こんな不合理な思いで突っ走れてしまう、人間という生き物の強さと恐ろしさを再認識した。だがそれとは別にわたしは、聞けば聞くほどふくれあがる疑問をぶつけずにはいられなくなっていた。 「ねえ、今96669号さんはどこにいるの?彼女に何かあったの?なぜ人間のあなたが彼女になりすますの?」 「彼女は死んだよ。だからこの子が代わりを務めている」 「…そうなの。でもわからないわ。『キューロクさん』はあなた方の命の恩人でしょ?彼女は洗脳未遂者の改造人間。なのにどうしてそこまでわたしたちを毛嫌いするの?」 「その理由も彼女自身なんだ。彼女は俺たちのリーダーだった男性の仇でもある」 「それにね、あたしらのこの方針は、彼女自身の遺言でもあるのよ」 「…あ…」 …なるほど。わたしはパズルのピースが揃ったような感覚を味わった。 彼らの話はこうだ。ある日、皆が寝静まった時刻、老女がふと目を覚ますと、いつの間にか入ってきた96669号嬢が荒い息をあげながら激しく動く気配がした。老女は、ただならぬものを感じ、明かりをつけ皆を起こした。一同が見たのは、ある装置の細いシャフトを股間に深々と突き刺し、激しく腰を動かしている96669号嬢だった。 「やめろ!だめだ!それはだめだ!」 スポーツマン氏は彼女を止めようとしたが、改造人間の力にかなうはずもなく、突き飛ばされた。しかしそれで幾分我に返ったらしい彼女は、腰の動きはやめないまま、あえぎ声に混じって、とぎれとぎれにこう言ったのだ、 「…わ…たし…もう…だめ。終わり…。人間じゃ…なくなっちゃう…。ご…めん。わたしを…わたしたちを…もう…決して…信じては…だ…め…」 ――恐らく、96669号は、未だ性感が未発達だったか、あるいは「風俗嬢」のように何かの原因による不感症で、それによって洗脳を免れていた。だがやはり「風俗嬢」同様、改造後徐々に性感が回復した。オーガズムを感じてしまえば停止していた洗脳が再開される。彼女はそれを、「風俗嬢」のような「自己手術」ではなく、意志の力による交尾の拒絶と禁欲によって乗り切ろうとしていた。その禁欲が何かのはずみで破られたのがその晩の出来事なのだ。シャフトを見ている内に欲情してしまったのかもしれない。あるいは蟻男にレイプされかけ、必死で部屋まで逃げ帰ったものの、燃えあがった欲情をこらえきれず、なかば本能的にシャフトに身を委ねたのかもしれない。…何であれ、それは遅かれ早かれ生じる事故だったと言うしかない。 「何をすればいいかは明らかだったの。でも誰もそれをする勇気はなかったわ」 少女の目には涙が浮かんでいた。 「そのうち、キューロクさんはとうとうイッてしまった。昼間までの、あの生き生きした明るい女性はどこにもいなくなっちまった。そこにはもう、無表情な虫けらがいるだけだったんだ」 スポーツマン氏も泣いていた。 「あの子はね…無機質な声で、あたしらを騙そうとし始めたの。『オマえタチを、逃ガシてやル、早ク、ココカラ、出ルンダ』って。嘘に決まっているのに。ばれないわけないのに。あの子はそんなこともわからなくなっちまっていたのよ!」 老女も泣いていた。 「当時のリーダー、キューロクさんも含めてみんなで父のように慕っていた男性は、なんとか正気を取り戻させようと、キューロクさんを平手でぶった。キューロクさんは…『敵対行動ヲ確認』と一言つぶやいて、リーダーに溶解液を放射して殺したわ」 少女が涙声で説明した。母子もまたもらい泣きをしていた。 「俺たちは覚悟を決め、キューロクさん自身から教わった必殺の急所を攻撃した。そうしてあの子は死んだんだ」 ――「必殺の急所」という言葉が彼らから出たとき、わたしの心に本能的な恐怖が湧いた。たしかにそのような急所は存在する。それは絶対に人間には知られていけない最重要機密の一つだ。ある種の薬物さえあれば、実行自体はそれほど難しくない。それを聞きさえしなければ絶対に思いつかないありふれた道具に薬物を塗り、聞かなければ絶対に思いつかないような仕方で、聞かなければ絶対に思いつきようのない部位に対してそれを用いるとき、我々の神経は一時的に麻痺し、皮膚が一時的に軟化する。この状態で内臓を切り刻むなり首を落とすなりすれば、強靱な改造生物たるわたしたちでも命を落とす。わたしは、目の前の人間がその知識を得ている、という事実に、改造後初めてと言っていい、強い恐怖を感じた。そして、万が一でもこんな秘密を地球に持ち帰らせてはならない、そんなことをしてこの船の乗員たちを危険な目に遭わせるわけにはいかない、という、司令官としての強い義務感が湧きあがった。なんとしてもここを脱出して彼らを殺さねば、あるいは、彼らを改造手術台に送り、人間の心を完全に消去してしまわねばならない。そんな使命感が燃えあがった。 「だいたいの事情はわかったわ。それでわたしは何をすればいいの?さっきから、何やらわたしが必要だと言っていたわね。捕虜救出作戦をキューロクさんの代わりに手伝えばいいのかしら?」 正直、まあそんな理由だろう、と思えた。96669号の代わりに食料と弾薬の調達を任せる気はなさそうだが、作戦決行時の戦力は多い方がいい。いくら何でも人間三人では当初の戦力の半分にもならない。彼らとて、そこまでして洗脳未遂者の協力を拒むほど意固地ではなかろう。「蜂起」のときまでわたしを檻の中に確保し、再洗脳から守る。そして誘爆が始まったら解放し捕虜救出を手伝わせる。そんなところだろう。 だが、彼らの返事はまるで予想外のものだった。 「悪いが、俺たちに人間以外の協力者を作る気はもうないんだ。捕虜救出は俺たちだけでやる。俺たちは人間だから、用もなくあんたを殺したりはしない。誘爆が始まるときまであんたが生きていたら、この母船と運命を共にしてもらうことになるがね」 「…『あんたが生きていたら』ってどういうこと?その前にわたしが死ぬこともあるっていうの?」 「そうよ。反物質弾薬の確保にあとどのくらいかかるかわからない。長引きそうだったら、悪いけどあんたの命を奪わなきゃならないわ」 「ちょ、ちょっと!何が何だかさっぱりわからない!ちゃんと説明して!」 「…仕方ないね。どうせ分かることだから、全部見せとくわ」 そう言って老女は部屋の片隅のシートを持ち上げた。そこに転がっているものを見たとき、わたしは再度、内心からの深い恐怖を覚えた。 シートの下には96669号の遺体が横たわっていた。その頭蓋骨は目の上のあたりから切断され、目も乳房もえぐり取られ、腹部も切り裂かれて内臓を除去されていた。性器も切除されていた。そして青黒いはずの全身の皮膚から色素がほぼ完全に抜け落ち、皮膚がクリスタルガラスのように透明になっていた。血液がすべて抜かれているのだった。 「わたしのキューロクさんへの変装はこの死体がなければできない。まるで腐敗しないこの死体の血液は、あなた方の皮膚の色とまったく同じ色の塗料になる。ペンキよりも強力な定着力をもつ優秀な画材よ。ペンキ落としは胃液。皮下脂肪は強力な接着剤。乳房と唇の皮や、触角や、紫の毛髪や、爪や、外性器を貼り付けるのに必要。あとはつま先をくりぬいて作った『ハイヒール』を接着して、目に覗き窓を開けた複眼を貼り付ければ、ニセ蜂女のできあがり。これもキューロクさんの遺したアイデア。――正直、最初はちょっと不安だった。自分の皮膚が本当に青くなったり、触角が根付いてしまうのではないかって。結局そんなことはなかったけどね」 そうなのだ。わたしたちの体は腐敗を知らず、どの部位も塗料や接着剤など、即工業用に転用できる優秀な素材でできあがっている。奴隷生物は労働力としてだけではなく、その死体を利用することまで考えて設計されているのではないか、といういやな想像が湧く。例えば円盤の外装の青黒い塗料、あの原料は一体何なのか… 「脳内に埋め込まれていた個体識別コードの発信器は、死亡後もどうにか稼働していたわ。キューロクさんの遺したアドバイス通り、試しに口の中に入れてみたら無事に動作し続けた。今は…女の子の大事な部分の中に入っているわ」 わたしは驚きつつ、なお残る疑問をぶつけた。 「確かに完璧だけど…外形だけ真似しても、肝心の宇宙人からの命令が聞けなければ、すぐにばれてしまうんじゃないの?」 「それについては、このキューロクさんのどえらい発明品がある。ここに脳の中に埋まっていた触角の先端をセットすると、宇宙人の命令を日本語の文字情報に変換してくれるんだ。俺たちはこれで命令を受信し、あの子の髪の毛に隠されたイヤホンに、特殊な周波数帯の無線で情報を伝える。命令は受信する一方で送信はまずないから、不都合はない」 96669号は正真正銘の天才だったのだろう。そして、自分がいつまでも生きられないことを予期し、様々なバックアップ体制を用意していたのだ。 「でも、ペンキも接着剤も段々減っていくわ。もう一体死体がないと、やがてごまかしきれなくなる。悪いけど、在庫が底をついたらあなたには死んでもらって、新しいペンキと接着剤を補充しなければならないの」 ――多分「キューロクさん」の一件が相当のショックだったのだ。もう人間以外信じない、という強い同胞意識が、洗脳未遂者への共感を一切麻痺させてしまったのだろう。わたしはそのせいで、殺されて体をばらばらにされるか、反物質爆弾で分解されるか、どちらかしか選べないという悲惨な状況に追い込まれてしまったわけだ。 わたしの絶望的な囚人生活が始まった。わたしにできるのは、エミュレータを駆使した「懐柔策」くらいだった。幸い、新参の母子は旧リーダーにも「キューロクさん」にも面識はない。母親はだいぶ同情的になってくれたし、娘もなついてくれた。しかしわたしがどんなに人間らしくふるまっても、他の三人の態度は変わらなかった。 コンピュータはわたしを探し回っているはずだが、この区画を探し当ててくれる見込みはとても低かった。わたしとしては、96669号に化けた少女に嫌疑がかかることを期待したのであるが、彼女の巧みなアリバイ工作と、コンピュータが鈍感なのとで、一向にその気配はなかった。彼女の嫌疑を知る「課長」と「風俗嬢」が何かアクションを起こしてくれればいいのだが、わたしへの専従服従プログラムを発動してしてしまっているのが裏目に出た。わたしからの連絡がないため、動作を休止するか、わたしとの会話など忘れて通常の任務についているかのどちらかのはずだ。 だが、救いの神というものはいるものだ。監禁後一週間目、ちょっとした事件があって、彼らはわたしを檻の外に出さざるをえなくなくなったのである。 事件は部屋の奥の小窓で起きた。小窓の十メートル下には五十センチ四方の足場があり、その下十メートルは床まで何もない。しかし空間圧縮の奇妙な作用で、足場までの空間は数十センチ下にしか見えない。いや、ただそう見えるだけでなく、実際、こちらから向こうに移動するためには数十センチしか要しないのである。但しいったん向こうに着いてしまえば、十メートルの距離を移動しなければ帰って来られない。 この奇妙な罠に、幼い娘が引っかかってしまった。老女ががらくたを器用に貼り合わせて作ったお人形を、足場の上に落としてしまったのだ。幼女は拾いに下りようと何の気なしに穴をくぐり、足場に飛び移った。結果、少女は窓と床を隔てる二十メートルの壁のちょうど中間に取り残されてしまった。十メートルを登り直すか、十メートル下に飛び降りる以外に助かる手はないが、人間の幼女にどちらもできるはずはない。 娘の危機に気づいた母親が他の二人に声をかけ、巡回中のニセ蜂女嬢を呼び寄せた。 事態は急を要していた。穴を大人がくぐることはできない。多分最も確実な方法は、十メートルのロープで幼女を引き上げることだ。だがそんな都合のいいものはなかった。やがてうろたえた幼女が足を踏み外したため、時間の猶予はほとんどなくなった。 「わたしを外に出して!外からじゃないと娘さんを助けられない。外に出て怪しまれないのはわたしとこの子だけ。そして娘さんを助けられるのは改造人間であるわたしだけよ! 大丈夫。約束する。娘さんを無事助けたらここに戻って来る。わたしの血でも皮下脂肪でも提供する。ただし、一つ交換条件をちょうだい。恩を売ることになってしまうけど、反物質爆弾で死ぬのはいや。捕虜救出作戦には参加させて。それだけよ!」 わたしは一気にまくし立てた。人間たちはこの期に及んでまだ躊躇している。 「あの子を見殺しにしたらあなたがたも改造人間と同じよ!もう一刻の猶予もないの!お願い。わたしを信じて!たしかに洗脳未遂者にも色々いるけど、わたしの中身は人間のまま。少なくとも、自分ではそう信じたいの。そして、あなたがたがそう信じてくれれば、わたしも自分を信じられる。そうやって信じてくれれば、その気持ちは『真実』になる。あなたがたの気持ちが、わたしの心を本物の人間の心に戻してくれるの」 わたしの目には涙が浮かんでいた。エミュレータの動作だ。それを見た少女が遂にバリアのスイッチを遮断し、わたしの手を引いた。 「…もう一度、信じてみる。あなたなら信じられそうな気がする。わたしがついていって、あなたが再洗脳されないかどうか監視する。それで大丈夫よね」 「ありがとう!」 エミュレータが動作し、胸がきりきりと痛んだ。しかしそれにどういう意味があるのか、今のわたしにはよく思い出せなかった。 わたしはニセ蜂女を横抱きにして、現場へと最高速度で走った。そして壁をよじ登り、十メートル上の足場に飛びつき、今にも落ちそうな幼女を抱きかかえ、下に戻った。すべてほぼ一瞬で終わった。 「よかった!よかった!」 わたしたち抱き合い、飛び跳ねて喜び合った。隠し部屋からここまで、巡回の改造人間は一人もいなかったのだ。 ほぼ直後に、ニセ蜂女嬢のイヤホンに通信が入った。 「D4ブロックで不審火発生とか言っている。緊急事態だそうだ。洗脳未遂者が何かを始めたのかもしれないな。なるべく早く急行しないとやばいかもしれない」 「そう。すぐ行かなきゃ。でも、この子はどうしよう…」 「わたしが届けてもいいけど、今わたしにも同じ指令が来たわ。すぐに行かないと怪しまれるし、あなたとの約束も果たせなくなる。…いい考えがあるの。すぐそこの部屋にわたしの個人用ロッカーがある。娘さんはそこでちょっとだけ待っていてもらいましょう。不安だったら、鍵の暗証コードはあなたが設定して」 「そう。わたしがコードを決めていいなら…」 わたしたちは幼女をかばいながら部屋に運び、まずは少女が暗証コードを設定した。それから幼女に、がらんとしているロッカーの中に入ってもらった。 「ごめんね。ちょっとだけ待っていて。すぐ迎えに来るからね」 そう言うと扉を閉めてロックをかけ、それから急いでD4ブロックに向かった。 D4ブロックにはすでに奴隷生物が十数人集まり、消火用のホースを構えていた。どこにも煙は立っていない。わたしたち二人はとりあえず「奴隷生物のフリ」のモードに入り、ホースを持つ蟻男の一人に尋ねた。 「状況ハ?」 「深刻ナ火事ガ発生シカケタガ、延焼前ニ鎮火デキル見込ミ、トノコトダ」 そう言うと「課長」はホースの口をニセ蜂女に向けた。他の改造人間たちもそれにならった。そして消火薬ではなくて塗料の溶剤を、一斉に少女に放射した。 「きゃあ!」 思わず悲鳴を上げた少女の塗料は見る間に流れ落ち、複眼も、爪も、同心円状の乳房の外皮もはがれ落ちた。数十秒後には、蜂女はどこにもいなくなり、無力な無改造の人間が全裸で呆然と立ちすくんでいた。すぐに蟻男と蜂女たちが彼女を拘束した。横でホースを抱えたままの「風俗嬢」が目を丸くしてひゅう、と口笛を吹いた。エミュレータがONのままだったようだ。 ――言うまでもなく、すべてわたしが仕組んだことだ。途中改造人間と出会わなかったことも、火災発生の通報も、溶剤の散布も。バリアがオフになってすぐに、パーソナル回線でコンピュータに接続し、必要な人員と装備を整えさせたのだ。 わたしは大笑いしながら少女に話しかけた。 「あはははははは、おめでとう!もうそんなニセモノの青塗りでびくびくしながら任務を果たす必要はなくなるのよ!もうじき本物の青い皮膚をあげるわ!それに、人間の感情があるのにないふりを続ける、なんていう辛い仕事からも解放してあげる!人間の感情なんていう不合理なシステム、全部徹底的に消去してあげるからね!最初から感情がなくなれば、もう誰にだってばれる恐れはなくなるわ。あっははははははは!」 この笑いは擬態ではなく生の感情だった。こんな屈折した「喜び」しか感じられなくなった自分がいやだ、という思いがちょっとだけ湧いた。だがこれで危険な未改造者の陰謀はほぼ未然に防げた、という安堵感がそれをはるかにしのいでいた。 少女は非難するというよりは心底当惑した表情でこちらを見て言った。 「なんで?あんなに楽しそうに笑ったり、悲しんだり…」 「あなたが見ていたのは、新兵器、感情エミュレータによる感情擬態。あなたが人間の心だと思って話しかけていたのは単なる自動機械なの。本物のわたしにそんな不合理なシステムはインストールされていない。今こうしてあなたに見せている感情だって、自分ではほとんど理解できていないわ。本物のわたしは…」 わたしはエミュレータを切り替えた。 「一切ノ行為ニオイテ、主ヘノ服従心ヲ実行スルタメノ最適ナ合理的選択ノミニ従ウ、優秀ナ奴隷生物ダ。間ナクオマエモソウナル。ソノ不合理ナ回路ヲ永久ニ除去シテヤル。『感謝』スルガイイ」 「いや!蜂女になんてなりたくない!感情消去なんていや!」 「本来反逆者ハ処刑サレル。ダガ『主』ハ興味深イさんぷるトシテノオマエタチノ改造ヲ望ンデイル。オマエノ改造後最初ノ任務ハ、同室ノ人間ノ改造手術室ヘノ移送ダ」 「そんなのやだ!そんなことしたくない!したくなりたくない!やめて!お願い!!」 わたしはスポーツマン氏の言葉を思い出し、エミュレータを切り替えて意地悪を言ってやりたくなった。本当に、こういう感情だけしか残っていない。 「うふふ、『一蓮托生』だったかしら。あなたと同じ運命をたどることを、みんなも喜ぶんじゃないかしら。特にあのスポーツマンの人、あの人絶対にあなたに惚れてるわ。改造生物になったらあなたと交尾し放題だから、絶対に大喜びだと思うな」 「いやだ!いやだ!そんなこと言わないで!」 わたしは少女の首筋に爪を突き刺して感情レコードを記録しつつ、「風俗嬢」と二人で両側から彼女を拘束し、改造手術室へ向かった。彼女は死にものぐるいで抵抗しているが、万力のような改造人間の腕をぴくりとも動かすことはできなかった。 改造手術室に着くとほぼ同時に、驚くべき通信がコンピュータから入った。送信したレコーダの解析結果が手術終了時までにはエミュレータとして完成するそうなのだ。「風俗嬢」のときの十何倍の速さだろう。この調子ならば量産も間近だ。 わたしたちは少女を手術台の上に乗せながら少女を検分して喋り合った。 「あら、生娘ね。『雑居房』で貞操を守り抜いたの?だったらなおさら、よく準備して、万が一にも洗脳未遂なんて起きないようにしないと」 「エネルギーバリアは使わず、二人で拘束しながら手術を進めましょう」 「現役風俗嬢と、風俗嬢が弟子入りするくらい上手なお姉さんが相手をしてあげる」 少女は未練がましくわたしに話しかけた。 「ねえ、あの子や、あの子のお母さんや、わたしに、あんなに生き生きと話しかけていたじゃない!わたし、ツンとした顔で聞いていたけど、内心ではあなたが大好きになりかけていたのよ!…あれが全部うそだったの?作り物だったの?信じられない!」 「ふふ、なんて言うんだっけ?そういうの。…そうよ。あなたがいると思っていたわたしは、あなたの心の中にしかいないまがいもの。もうじきあなたの心が変質すれば、どこにも存在しなくなるわ」 少女は怯えている。ああ楽しい。 わたしは台の上に座り、少女の首の後ろに洗脳プラグを接続した。そしてまず全身に粘液をたっぷりとにじませると、後ろから少女を抱きかかえ、首筋をねっとり舐め回しながら、乳房を鷲づかみにした。前からは「風俗嬢」が性器に舌を這わせた。 二人のいやらしい女に全身を責めまくられ、少女の股間は五分も経たずに分泌液でべとべとになっていた。少女はずっと鋭い目つきでわたしたちをにらみ続けていたが、今やその険しい顔つきに悔しそうな色合いが濃くなっていた。エミュレータによれば、「感じて」しまっている自分を恥じている顔らしい。 「そろそろ始めましょう」 わたしたちは少女を台の上に押さえつけ、改造用性細胞をその股間に装着した。細胞が成長し、前戯で敏感になった彼女の性器に本格的な刺激を送り始めるはずだ。ほぼ同時に天井から下りてきた太い注射十数本が突き刺さり、少女の肉体に大量の改造用薬剤を注入し始めた。緑色の光線の放射も始まった。強烈な快楽と苦痛が少女の思考を停止させ、感情を消去し始めているはずだ。皮膚が青く染まり、粘液があふれ、眼球が破裂して新たな目が形成されていく。それと平行して、少女の苦痛と快楽は徐々に陰影を失い、単調で動物的な直接的快苦の表出に近づいていった。 「もうじき、人間の感情なんて無駄なシステムに永久にアクセスできなくなるわ。もう自分で感情を感じることも、他人の感情を読み取ることも、理解することも、絶対にできなくなる。でも大丈夫。『主』への崇拝と反逆への恐怖という、もっとすばらしいシステムが与えられるから。あなたはもうじき、状況に最も適切な行動を迷いなく遂行する、最高に合理的な生物に生まれ変わるの。人類と地球環境を偉大なる『主』が最適に搾取できるための、最適な行動を行うための生物にね!」 地球人として言葉の意味だけは理解できている少女は、幼児のようないやいやをした。感情の退化が相当進んでいる証拠だった。今の「言葉責め」がかえって刺激になったのか、直後にやや控えめなオーガズムに達し、一瞬眉間に深いしわが刻まれると、後は何の表情もなくなった。肉体の改造もほぼ終了した。 「通常ならここで服従心と反逆への恐怖をインストールするんだけど、あなたにはスペシャルメニューを用意してるわ。感情エミュレータが出来上がったらしいから、この段階で感情の『徹底消去』を行うの。あなたの心の奥底に根付いたパーソナルな感情パターンを一つ一つ呼び出して、跡形もなく消し去ってあげる。終わればもうあなたの心理反応のパターンにあなたらしさの痕跡は一切なくなる。インストールが終われば完全なる規格品の誕生。新世代の奴隷生物と言っていいわ」 まだ人間の思考パターンがかさぶたのように残っている少女は、何が失われるのかもよく理解できないまま、先と同じいやいやを始めた。わたしは「徹底消去」のスイッチを入れ、もう多分理解できないだろうガイダンスを続けた。 「すべてが終わったらこのエミュレータを実装する。あなた自身には永久に理解できない感情を、人間を欺くために自在に利用できるようになるわ。ガイダンス終了!」 「徹底消去」は予想以上に早く終了し、インストールが終わり、おなじみの儀式が始まった。 「改造素体100196号は、ただ今をもって奴隷生物99966号として完成した。起立し、『主』からの命令を復唱せよ」 少女は起立し、まったくの機械のように、脳内に届いた命令を復唱した。 「『主』カラノ命令ニ従イ、ココニ私ハ宣誓スル。ワタシハ主ナル種族ノ生存ト繁栄ノタメニ、奴隷生物トシテノ全能力ヲ駆使シ永久ニ献身スルコトヲ誓ウ」 「エミュレータをすぐに起動して。それから大急ぎで外形擬態の準備。あんまり遅れるとみんな怪しむわ」 感情エミュレータを起動した少女は返事を返した。 「ああ、それなら大丈夫ですよ。『任務』で飛び出したら丸一日部屋には戻らないこともざらでしたから。今みたいに二時間足らずなら、むしろ早い方です」 「それを早く言ってよ!…って言っても仕方ないわね。じゃあ、まずはあの娘さんを迎えに行きましょうか」 「マスター、あの子には悪いけど、もう二時間ほどロッカーの中に入っていてもらいましょう。わたしにいい考えがあるの。うふふ」 この少女もなかなかの有望株だわ、とわたしは思った。 わたしたちは連れ立って隠し部屋に戻った。娘さんを安全に連れ帰るために、いつものコンテナをとりにきた、というのが口実だった。少女はいつも通り乳房のシールをはがし、人間のままの乳房を老女に見せる。律儀にもスポーツマン氏は後ろを向いている。わたしは約束通り、自ら檻に戻った。部屋の住人は幾分ほっとした顔になった。 少女が衣類を着けると、ようやくスポーツマン氏は少女の方を向いて話し始めた。 「今日の『収穫』はどのくらいだい?反物質弾薬の」 「ごめんね。今日はゼロよ」 「そうか。何だか緊急事態だったもんな。結局洗脳未遂者の連中とは関係なかったのかな。言い忘れてたけど、こっちもいよいよだ。あと少しで反物質燃料が必要値に達するんだ」 「…そう。危ないところだったわね」 少女の奇妙なあいづちに、話に夢中になっている男は気づかない。 「多分もうそこの姉さんを殺す必要もない。色々意地を張ってしまったが、やっぱり一緒に戦ってくれるのは心強いかな、なんてな」 「もちろんよ。このお方を殺すなんてこと、あってはならないわ」 そう言うと彼女は、改造されたてとは思えない身のこなしで、乳房から連続三発の麻痺弾を発射した。不意をつかれた三人の人間は床にうずくまった。 少女は笑いながら三人に話しかけた。 「うふふふふ。安心して!みんな処刑ではなく改造手術を受けられるのよ。『一蓮托生』がわたしたちの合い言葉。だから、人間の心を失うときも、みんな一緒!」 そして衣類を破り捨てると、手の込んだことにまず溶剤、つまり96669号の胃液をかぶって、擬態した人間の姿に戻り、そこから改めて擬態を解き、蜂女の姿に戻った。 「見て!たった二時間足らずで最新鋭の蜂女・奴隷生物99966号に生まれ変わったの。不合理な感情を徹底消去した上に、あなたがた不合理な人間どもを完全に欺くためのエミュレータを実装しているの!もうすぐに同じになれるわ!…『感謝』スルガイイ!」 ――二時間後。改造手術室では新技術による蟻男一体、蜂女二体の改造が進められていた。残る素体はあと一体…。 「お母さんよ。迎えに来たわ。出てらっしゃい!」 なぜ母が改造人間の通る廊下を堂々と歩いているのか、などという疑問は密室と暗闇の恐怖に苦しめられていた六歳の少女には湧かないのだろう。母親が暗証コードを打ち込み、扉を開くのを、幼女は今か今かと待ちかねていた様子だ。 「おかあさあん!」 そんな泣きそうな声が、蜂女の待つ扉の外に響いた。
<了>
(2007/11/15「おにゃのこが改造されるシーン 素体8人目」に投稿) |