2009年5月12日、エルサレムはオリーヴ山であげられた野外ミサでの事実。
日本國内だけでなく、電脳域の日本語環境で絶対禁止と噂されている、いわゆるひとつの「両形態」、英語で書くなら Holy Communion under both kinds と呼ばれる聖体拝領の形ですけれど、 え?「串カツ方式」と揶揄される方々もいらっさる?教皇さま司式のこのごミサにおかれましては、教皇さまからの聖体拝領は「跪いて口での聖体拝領」ですけれど、他の司祭からの拝領の場合は「両形態」で、ビデオ画面には司祭の手による両形態も、世俗の手による両形態も、はっきり認めることができます。 Messe célébrée dans la Vallée de Josaphatこのごミサをどなたがどのように裁くのだらふ? どうやら両形態と呼ばれる聖体拝領がカトリック教会において 絶対禁止でない ことだけは間違いあるまい。いったい誰がこの拝領について「絶対禁止」と日本語で伝え始めたのだろう?そもそも、抜本からどこにも、どの文書にも、「絶対禁止」なんて書いていないのに。何語だから信じる、何語だから疑う、というより、「我が目で見りゃわかる」がカトリックのよさでもある。教皇さまの御目の届く中で堂々と「両形態」が行われているのだから、 教皇さまといつも一緒、わたしたちみんなそれにしても、オソルベシ、日本ビト。 le 13 mai 2009, Notre Dame de Fatima ▽5月13日午前にベトレヘムであげられたごミサのビデオもぜひ Messe sur la place de la Mangeoire à Bethléem Diffusé le 13/05/2009 / Durée 90 mn http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044916&vl=video_nouveautes 追 記 【2009年6月19日、聖心の祝日に】 畏れ多くも、いえ、恐れずに就労先から ラ フランス とおっしゃる方が以下のコメントをくださいました。 Commented by ラ フランス at 2009-06-19 12:16 xこの方が「バチカンでは認められておりません」とおっしゃるのはおそらく指針あがないの秘跡第104項の一文 ↓ を指して、断言していらっしゃると拝察いたします。 [104.] The communicant must not be permitted to intinct the host himself in the chalice, nor to receive the intincted host in the hand. As for the host to be used for the intinction, it should be made of valid matter, also consecrated; it is altogether forbidden to use non-consecrated bread or other matter. Redemptionis Sacramentum以上、ヴァチカンの公式英語訳について日本カトリック司教協議会が認可された日本語訳は以下のとおりです。 104. 拝領者は自分でホスティアを御血に浸すことや、御血に浸されたホスティアを手で拝領することを許されてはならない。御血に浸すために用いられるホスティアについては、有効な材料で作られており、聖別されていなければならない。聖別されていないパンやその他のものを用いることは絶対に禁じられる。この英文前半の be permitted to の permit の意味は「許す、許可する」「~させておく」「黙認(容認、許容)する」です。この動詞 permit の語源はラテン語の permiss permitto であり、このラテン語の意味は英語でいうところの to allow、つまり日本語の意味は「許す」「認める」「酌量する」 です。人類の歴史において、このラテン語 permiss permitto が派生した動詞を用いるのは英語だけでなく、フランス語、イタリア語、スペイン語もそうです。cf. http://malicieuse.exblog.jp/11170244/ さて、問題の104項の一部分の文ですが、 The communicant must not be permitted to intinct the host himself in the chalice,この一文の幹はどうなるでしょうか? The communicant is permitted to intinct the host himself in the chalice,です。原文はこの肯定文を not を用いて否定し、助動詞の must を更に添えたのです。この must は「現在または未来の必要、義務、命令」に用い、must の否定形は must not ではなく、need not です。そんぢゃ must not だと動詞をどう補うのでしょう?「当然の推移を含んだ禁止」です。なぜ「当然の推移を含む」のかと申しますと、must という助動詞は「話し手の判断に由来する義務」を命じる時に用いるからです。 肯定文がある以上、許しを得る手段、つまり認可申請 application の方法があるとなります。決して「絶対禁止」と判断できません。具体例は同じ「指針あがないの秘跡」第92項 [92.] Although each of the faithful always has the right to receive Holy Communion on the tongue, at his choice, if any communicant should wish to receive the Sacrament in the hand, in areas where the Bishops’ Conference with the recognitio of the Apostolic See has given permission, the sacred host is to be administered to him or her.permission は動詞 permit の名詞形のひとつで、意味は「許可、許諾、認可」です。そして太字で抜き出した部分「司教協議会が使徒座の承認を得て許可した地域においては」ですが、この動作の流れはカトリックの世界に限らず欧米社会の一般常識で、 認可請求 Application → 委任 Authorization → 認可状 Permissionの流れがあるので、カトリック世界ならば司教協議会が使徒座に行動を起こしての結果、つまり司教協議会の手元に使徒座から委任状、免状が届いた段階で「求めが成就された」ことになり、免状が届かない審査過程であろう段階では、理由や場合によって教区長である司教の判断で暫定的行動ができる場合もあるのです。この第92項の一文後半を否定形に作り変えてみると、理解に至れる可能を個人によっては持っていると思われます。 if any communicant should wish to receive the Sacrament in the hand, in areas where the Bishops’ Conference without the recognitio of the Apostolic See has given permission, the sacred host is notto be administered to him or her.be administered to ~ について公式の和訳では「授与すべきである。」となっていますが、本来、 be administered to ~ には [ 法律を ]施行または執行する という深意と真意があります。ですから、92項の後半を否定形に変えると、 拝領者のある者が手で秘跡を受けることを望むなら、司教協議会が使徒座の承認を得て許可されていない地域においては、その者に聖なるホスティアを授与することは(法により)施行執行しない。と和訳することもできます。 ここで注目すべきはこの104項の主語です。The communicant は拝領者です。授与者が含まれていません。これもカトリックの中の慣習から見れば当たり前のことで、世俗に生きる立場で聖域を抜きにした勝手な判断、独善判断はあり得ないことなので、「授与できる立場を与えられる立場の者」が使徒座に「両形態拝領の許しをいただく手段」が原則としてあるということになります。 仮に、聖域側において日本の司教協議会と使徒座の間で 認可請求 Application → 委任 Authorization → 認可状 Permissionの作業中だとするならば、教区長判断で両形態拝領の委任を小教区長または修道会によっては修道院長に出すことができる事項もあるのです。全ての事項について平らに等しく委任が出ません。 そもそも、セルフ・インティンクション self-intinction という英語風の単語ですが、ヴァチカンの公式英語訳「あがないの秘跡」においてこの単語は用いられていません。他の文献でも見受けませんので、典礼秘跡省で認められた単語ではなさそうです。 この写真 ↑ の掲示は以下のように書かれています。 DANS UN MONASTERE VOUS AVEZ LA POSSIBILITE DE COMMUNIER AU PRECIEUX SANG. IL EST CONSEILLE DE COMMUNIER PAR INTINCTION. VOUS GARDEZ L'HOSTIE DANS LA MAIN ET VOUS LA TREMPEZ DANS LE CALICE QUI VOUS EST PRESENTE. 日本語訳は以下のとおりです。 この観想修道会においてあなたは貴重な御血を拝領することができます。 "Intinction アンタンクシオン"による拝領をお勧めします。 (つまり、)あなたは 手 の中に ホスチア を保持し、 (続いて、)ホスチアをあなたの前に差し出されたカリスに浸します。 フランスも聖域において認可申請中であり、ヴァチカンの典礼秘跡省からの正式な返答(禁止または認可)を待つ間は各教区の長上である教区長の判断に一任されているそうです。将来、典礼秘跡省から正式な通達を拝受した時点で、その考えに全司教が従うことになります。そういう聖域側の動きについて世俗が全て万遍なく把握することがあるのでしょうか。 しかも、上の写真の小聖堂でも DANS UN MONASTERE VOUS AVEZ LA POSSIBILITEと、「Vous あなた(方)」が「La possibilité 可能性」を「Avez 持っている」のであって、小教区聖堂に認可状を出した司教さまはなんら拝領者に両形態拝領を強制していません。拝領者個人ができないならしなくていいのですよ。実際、私が傍観している限り、舌でいただいた拝領者は必ずしもカリスに触れることもなく、ご自分の席に戻っています。 そんなわけで、ヴァチカンの求めに絶対従わない司教さまなんて、現在のところFSSPXの司教方しかおりません し、日本語で電脳上で流されている「ヴァチカンに従わない司教さまと神父さま方のせいで両形態したくないのに世俗の私はさせられている」というような悲劇はヴァチカンに直訴したところで「だったら、祈りに祈ってご自分で判断なさい」とお返事をいただくでしょう。書面ではなく、司祭方と 面と向かっての相談事ならば。です。ヴァチカンは世俗に対し良心が痛むことを権威で押し付けてもいないのに、聖域で住まう方ではなく世俗が「これは、バチカンでは認められておりません。」と、読者に誤解を与えているのです。そのセルフ・インティンクションを拝領者本人がしたくないなら、自分で判断し、しなければ良いのですよ。短絡的に教区や小教区、司式司祭のせいにして、自分は正しいという主張はいかがと思います。 そもそもヴァチカンの聖ペトロ大聖堂で私はセルフ・インティンクション(?)なる両形態拝領を見ました。そばにいたヴァチカン職員方はどなたも止めませんでした。事前にヴァチカンから認可を頂戴した司教司式のミサだったからでしょうか?聖域の書類の流れは世俗が知る必要なく、基本的には従順・恭順。ですから「バチカンで認められていない」というコメントをこうして頂戴したところで、ヴァチカン市国内の現場においてこの目で見た私は同意もできませんし、このコメントに従うこともできません。 Messe à Montecassino http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00045132&vl=video_nouveautes ■
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私もあれからいろいろ調べてみましたが、どうしても日本語で表現すると 訳しきれないことがこの項に限らずあるようです。 1.は昨年、パードレ・ピオのミサで、カプチンの神父さまはこの形で なさっていましたよ。侍者がチボリウム、神父さまがカリスを持たれました。 こちらでは侍者がカリス、神父さまがホスチアで、信者が手を出すか、 口を開けるかによって臨機応変に動かれてます。 2.は以前から婚姻や洗礼式など内輪のミサでしばしば行われていましたね。 いずれにせよ、「あなたのおことばのとおりになりますように」(L 1:38) ですね。でお・ぐらしあす。
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