抗う:原子力発祥の地で/1 「被害」契機に反対運動 半世紀前も翻弄され /茨城
毎日新聞 2013年04月03日 地方版
同時に射爆撃場の隣接地・東海村は国策に翻弄(ほんろう)され、「原子力の発祥の地」に変わろうとしていた。56〜57年に日本原子力研究所(原研、現・日本原子力研究開発機構)と原子燃料公社(動力炉・核燃料開発事業団の前身)が相次いで立地。国は56年に「原子力開発利用長期計画」で核燃料サイクルの確立や同公社での再処理の集中的実施を明記。64年に国は再処理工場建設計画を明らかにし、射爆撃場返還は「住民の安全のため」よりも「再処理工場建設のため」となっていく。
69年、政府が射爆撃場移転を閣議決定したことを受け、県は再処理工場建設容認を表明する。米軍による被害を受けて安全な生活を望んだ住民による返還運動が“裏目”となり、国の原子力政策を後押しする結果を招いた。
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福島第1原発事故から2年。政府が再稼働に向けた動きを強める今なお、流れに抗(あらが)うかのように東海第2原発廃炉を求め続ける人々がいる。「原子の火」が国内で初めてともされた原子力発祥の地・茨城で、何かが変わろうとしているのだろうか。同原発周辺でかつてあった住民運動との対比の中から、脱原発運動の今を追う。(敬称略)=つづく