抗う:原子力発祥の地で/2 抗議の輪、緩くつながり 動員は過去、ネットが力 /茨城
毎日新聞 2013年04月04日 地方版
「ジェット機が畑の中に胴体着陸して、先端が民家に突っ込んだ」。ひたちなか市馬渡の川崎勝広(71)は55年にあった米軍機墜落事故を今でも思い出す。現場に駆け付けると、松の木が翼の直撃を受け真っ二つに。その先には民家が3、4軒連なっていた。「松の木がなかったら、民家もどうなっていたか……」
川崎は64年8月16日、那珂湊市阿字ケ浦海岸(現ひたちなか市)で行われた「水戸対地射爆撃場返還促進県民大会」に参加した。気温34度の炎天下、6000人が気勢をあげた。大会は県返還推進本部主催。当時の岩上二郎知事を先頭に県選出国会議員らが顔をそろえた。「区長から動員を掛けられ、また事故が起きたらまずいと思った」。川崎は当時を振り返る。参加者は皆、区長が配布したおそろいのタスキや鉢巻きを身に着けたいわば“官製”の抗議行動だった。50年後、緩くつながる抗議の輪が同じ場所で起こるとは、参加者の誰も想像がつかなかったはずだ。(敬称略)=つづく