前回のブログで、栃赤城という相撲取りのことを少し書いたが、
彼はたいへんなヘビースモーカーだったらしい。
同門の横綱北の湖は栃赤城に、「お前がタバコをやめたら横綱も狙えるのに」
と言ったそうだが、栃赤城は、
「禁煙して横綱になるぐらいなら、タバコを吸いまくって幕内の方がいい」
と答えたとか。
このことで思い出したのは、私の父のことである。
66歳という年齢ではあったが、父も、栃赤城と同じように心筋梗塞で突然倒れ、
その日のうちにあっけなく世を去った。
その2ヶ月後に母も亡くなったのだが、その後、大阪の実家の整理をしている時に
それまでほとんど見たことのない、父の若い頃の写真が何枚も出てきた。
父は、工学部出のエンジニアで(私と違って)文学や芸術にはあまり関心がなかったが、
若い頃の写真を見ると、風貌が「文士風」というか、
芥川龍之介と太宰治を足して2で割ったような、
なかなかの男前 なのである。
そして、何よりも写真を見て私がビックリしたのは、
ほとんどの写真で、父がタバコをくわえたり、手にしたりして
ポーズをとっていることだった。
父がタバコをやめたのが、いつのことだったかはっきりしない(大体私が
中学に上がったころか・・・)が、それまではタバコを吸っていたとは言え、
そんなにヘビースモーカーだった、という記憶はない。
(ひょっとすると、家ではタバコの量を抑えていたのかもしれない)
そうしてみると、
やはり心筋梗塞で亡くなったのは、(若い頃に吸いすぎた?)タバコの影響が
あったのかもしれない、などと思ったりする。
旧ブログ「ヴァージニア日記」で何回かチラッと父のことに触れたように思うが、
根本的なところで非常に寛大な人であり、私を信用して、私の好きなように
させてくれた、という点で、父にはたいへんな恩義を感じている。
(将来の進路に関しても、私がどんなにフラフラしている時でも何も口出しせず、
「お前の好きな道に進めばいい」とずっと言い続けてくれた)
その一方で、
父は、私にとってはいまだに 謎の人物 なのだ。
はっきり言えば、父が何を思って日々を生きていたのか、
何が楽しかったのか、何がつらかったのか、ということが
まるでわからないのである。。。
父には、(ずば抜けた何かの才能があったわけではないが)
平均をはるかに上回る能力があった。
父は、「人が良すぎる」と思えるほど善良な人だったし、少々シャイで
人見知りするタイプではあったが、誰からも好かれていた。
しかし、私にどうしてもわからないのは、
父の中に、欲というべきか情熱というべきか、そういう少しギラギラしたもの
をまるで感じたことがないということなのだ。
少なくとも、家の中での父は、あからさまに不機嫌な時などはほとんどなく、
いつも楽しそうに暮らしていた。
しかし、それでいて、
私には、
いったい、父は何が好きなのか、何にこだわって生きて
いるのか
ということがまったくわからなかったし、今でもよくわからない。
10月に那智に出張した時に、紀伊勝浦温泉に泊まった話
をした。
35年前に両親に連れてきてもらった旅館に泊まって、いろいろなことを
思い出したのだが、35年前というと、父は49歳。
今の私と大して違わない歳だったのだ。
父は、どちらかというと出不精な方で、旅行などを自分から進んで計画する
ということはなかったように思う。
母は、好奇心の強い人だったのでいつも「どこかに旅行に行きたい」とは
思っていたようだが、身体が弱かったせいもあって、あまり遠出はしなかった。
それだけに、子どもの頃に泊まりがけで連れて行ってもらった所は数も少ないし、
よく覚えてもいる。
勝浦温泉で、何十年ぶりに思い出したことが一つある。
勝浦への旅行の時であったかどうかはわからないが、
私はめったに行ったことのない旅行があまりに楽しくて、父に
「お父ちゃん、連れてきてくれてありがとう」と言ったようだ。
それを聞いた父は、「お前が大きくなったら、今度はお父ちゃんたちを旅行に
連れてってくれるか?」と尋ねた。
私は、
「うん、絶対! その頃には月に行けるようになってる
から、月旅行に連れてってあげるよ」
と答えたそうだ。
私が大きくなってから、何度か、父が嬉しそうにこの話をして笑っていたのを
覚えている。
結局、月どころか(笑)、
外国にも連れて行ってあげることはできなかったのだが。。。