いろいろ忙しくて、2ヶ月以上、ブログの更新をサボっていました。
新ブログを楽しみにしていただいていた皆さん、どうもすみません。
ちょっと余裕ができましたので、またボチボチ書き始めます。
大体、私は 好きなこと と 嫌いなこと がはっきりしているタイプである。
はっきり、好きなことは「好き」、嫌いなことは「嫌い」と言うし、
職務上やらざるを得ない義務を除いては、それをしないとよほど他人に迷惑がかかる
ようなことでもなければ、嫌いなことはしないことにしている。
嫌いなことを(あまり)しないでも生きていける人、というのはうらやましい、
とおっしゃる方もいるだろう、とは思う。
もちろん、私の場合、(一応)好きなことを職業にできている、という幸運はあるし、
自分がそう思っているよりは、まわりにずいぶん迷惑をかけているのかもしれない。
しかし、嫌いなことをイヤイヤやっていると、努力もあまりできないし、ミスは多く
なるし、うまく行かないのを他人や組織のせいにするし、なんと言っても
「イヤイヤやっている」というのは本人が言わないでも周りには伝わるので、
自分が思っているよりも、世の中の役には立っていないことが多いのではない
だろうか。
そんな時間があるのなら、自分の好きなことをやって世の中の役に立つ(実際に
立っているかどうかは、まわりの反応を見ればある程度自己評価できる)ことを
した方がいい、と思う。 ← 根が単純なので、この程度の考えしかない。
さて、ここからが本題なのだが、
一口に大学教師の仕事、と言ってもいろんな仕事がある。
大きく言えば、教育と研究が主だが、
最近は、組織改革などをめぐる事務作業と会議などで教育も研究もする暇がない
ぐらい忙しい、という大学教師も多い。。。
ま、そのことはおいておくとして、、、
教育も研究も好き、という大学教師は幸せ者である。
逆に、教育も研究も嫌い、という人は大学教師になんぞならない方がいい。
大きな迷惑である。(実際にはそういう方がずいぶんいらっしゃるが・・・)
問題は、
「研究は好きだが教育は嫌い」「教育は好きだが研究は嫌い」
という人たちだ。
教育業績というのは評価しにくいので、採用や昇進などの際には実質的には
研究業績のみが評価される傾向が強いため、「教育は嫌い」だということを
公言する大学教師はけっこういる(注・・・そういう人が必ずしも研究に打ち込んで
いたり、いい研究をしているわけではない)のに対し、「研究は嫌い」だということは
表立っては言えない、というところはあるのだが、
「どちらかと言えば」という句を前につければ、やはり
「研究の方が教育より好き」な人
と
「教育の方が研究より好き」な人
に分かれるような気がする。
もちろん、一口に「教育」と言っても、講義もあれば、少人数のゼミのようなもの
もあり、(分野によっては)実験や実習もあるし、卒業研究や大学院(修士・博士)
の学位論文の指導、などさまざまなものがあるので、その中にも「好き嫌い」や
「得意不得意」はあるのだろう。
(それ以外に、学生の人生相談や進路相談なども教育の一部ではある)
なので、話を単純にするために、ここでは 講義 だけを考えてみる。
(講義の義務がない大学教師はほとんどいないであろうから)
講義をするのが嫌いな大学教師、というのはけっこう多い。
で、私はどうか、って?
今までは、「嫌いな方ではない」 と答えていた。
実際、研究と講義とどっちが好きかと言われれば、研究の方が好きである。
仮に、「講義を一切しないでもいいから、研究に専念する」か「研究はしない
でいいから、毎日3コマずつ講義をもつ」かのどちらかを選べ、と言われたなら
間違いなく前者を選ぶと思う。
しかし、少なくとも平均的な大学教師よりは、私は講義をするのが嫌いな方
ではないし、講義の準備にもそれ相応の力を入れている方だと思う。
ところが、在外研究で10ヶ月ちょっとの間アメリカに行っていたために、
その間(夏休みにかかっているために、実際にはほぼ1年3ヶ月の間)、
一切、講義というものをしなかった。
(アメリカでは、学会発表や講演はしたが、講義は一度もしていない)
そうして、この10月から元の大学に復職して、講義をし始めたのだが、
なんと、これが 実に新鮮で、楽しい! のである。
これは、私にとってはけっこう意外な、在外研究の「副産物」であった。
大体、嫌いなものははっきり意識できるが、好きなもの、というのは
よくわからない場合がある(好きでもないのに惰性でやっていることもあるし、
本当は好きなのだが、思いどおりに行かないことが多すぎて、いやになって
しまうこともある)。
そういう、好きかあまり好きでないかがよくわからないものがあると、
私は「しばらくの間、それをやめてみる」、ということをよくやる。
そうすると、本当はそれが好きなのか、あまり好きではないのか、
が自分でわかるようになるからだ。
(前者なら、したくてしたくてたまらなくなるし、後者なら平気でやめていられる)
前者ならば、もっと努力しよう、とか、やり方を変えてみよう、ということなるし、
後者ならば、やめてしまおう、ということになる。
(ちなみに、私は16年前にこれでタバコをやめた。「しばらくやめてみる」ことにした
きっかけは、ある時期、原因不明の咳が続いて、タバコを吸う気がしなくなったこと
だったが)
で、別にわざとそうしたわけではないが、1年間講義をしなかった(せずに済んだ)
ことで、
私は、
実は、自分は 講義をするのが相当好きだったのだ ということを
自覚したのである。
この続きはまたいつか。