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【社会】

警察魂 Uターン 殉職いとこの思い継ぐ巡査長

がれきの山を前に、思いを語る菊地大輔さん=9日、岩手県陸前高田市で

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 「志半ばで殉職したいとこの魂を引き継ぎたい」。警視庁警察官だった菊地大輔巡査長(26)=岩手県一関市出身=は今月、岩手県警に転籍した。役所の言葉でいう「永久出向」。もう警視庁に戻ることはない。避難誘導中に津波で亡くなったいとこが最後に勤務した大船渡署に配属され、故郷で新たな警察人生のスタートを切った。 (沢田敦)

 「お変わりないですか」「強風は大丈夫でしたか」。今月九日、菊地さんが巡回簿を手に、岩手県陸前高田市の仮設住宅で暮らすお年寄りに声を掛けた。

 がれきの山、崩れた校舎−。震災から二年余りたった今も、津波の爪痕が残る。

 あの日、いとこの中津常幸警部=当時(50)、死亡後に二階級特進=は避難誘導のため、高台にある大船渡署矢作(やはぎ)駐在所から海の方へ向かった。だが、駐在所から三キロ離れた交差点で目撃されたのを最後に、行方が分からなくなった。遺体は二カ月後、市内の河川敷で見つかった。制服姿のままだった。

 中津さんの母と菊地さんの父は、十人きょうだいの一番上と八番目。菊地さんと二十六歳離れた中津さんは、物心ついた時には警察官だった。「優しくて格好よかった」。一関市の自宅に時折姿を見せた中津さんを、菊地さんはこう振り返る。

 菊地さんは高校時代、駅伝で全国大会に三年連続出場。箱根駅伝を目指し国士舘大学に進んだが、右膝のけがで断念した。陸上を諦めて就職を考えた時、頭に浮かんだのが中津さんの姿だった。

 中津さんも駅伝で頑張る菊地さんを気に掛けていた。菊地さんの警視庁採用が決まった時も喜んだという。

 菊地さんは二〇〇九年に採用され、板橋区の志村署坂下交番で勤務したが、昨年二月に志願して岩手県警へ出向。陸前高田市内の交番に配属され、仮設住宅を巡回した。

 昨夏、岩手県警へ完全に籍を移すか、希望調査があった。菊地さんは「家族や友人を亡くした人の顔を見ていると、まだ前を向いて生活できていない」と感じていた。手狭な仮設住宅ではトラブルが頻発。就職口を探しても仕事がなく、酒浸りになった男性が家庭内暴力を振るったり、離婚したりするケースを見聞きした。

 地元に、恩返しをしたいという思いも強かった。給料はやや少なくなり、住まいも仮設住宅の四畳半部屋だが、迷いはなかった。

 菊地さんは今月から大船渡署被災地対策隊で、交通対策などに当たる。胸にはクジラをかたどった銀色のネクタイピンが光り、青いチェック柄のハンカチを制服のポケットに畳んで持ち歩く。

 中津さんが愛用していたハンカチと、震災直前に買い、使うことのなかったネクタイピン。妻幸恵さん(52)が一周忌の後、「お守りに」と菊地さんに贈った形見の品だ。

 あの日、中津さんは非番で幸恵さんと買い物に行く約束をしていた。だが、地震が起きると、すぐに駐在所を飛び出した。幸恵さんは「まじめで誠実で、責任感が強かった。でも、それがあだになったのかな」と声を震わせ「お父さんの分まで頑張ってほしい。たぶんやり残したことがいっぱいあると思うので…」。幸恵さんの言葉は涙で途切れた。

 菊地さんは、その思いを受け止める。「被災者に寄り添う仕事をしたい」

<被災地への警察官の出向> 東日本大震災を受け昨年2月以降、岩手、宮城、福島の3県警に全国の警察官約1000人が出向した。被災地では仮設住宅のパトロールや信号のない場所での交通整理、空き巣など犯罪取り締まりを行う人員が不足しており、希望した地元出身者ら23人は岩手、宮城両県警に移った。内訳は警視庁20人、神奈川、埼玉、大阪3府県警各1人で、岩手県警に17人、宮城県警には6人が移籍した。同様の移籍は阪神大震災後も行われた。

 

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