lesson7
①
1780年、ジョン・アダムズは言った。「19世紀および20世紀以降、英語は先の時代のラテン語、現在のフランス語より広く世界の言語になる運命にある。」彼が正しいと判明するまで200年近くかかった。
世界で英語を使う人の数に関する正確な統計は存在しない。けれども、10億人以上の人々が英語を話すといわれている。何人かの専門家によると、15億の人々が何らかの形で英語を使い、そのうち4億人が母語として使い、一方残りの人々は第二言語あるいは外国語として使う。“10億”という数字自体は、たとえば中国語やスペイン語と比べたら特に驚くには当たらない。それにもかかわらず、地球上に存在する3,000とも5,000とも言われる言語のうち、英語だけが唯一“世界語”と呼べる言語であるという事実は言及するに値する。今のところ、世界の言語の地図における英語の地位はきわめて独特である。
②
英語は現在の立場を維持するだろうか?それともその世界的地位は他の言語に脅かされるだろうか?1,000年前、ラテン語の支配的地位は永遠に保証されているように思われた。しかしどんな言語であれ1,000年後にその立場がどうなっているかなど誰も知りようがない。言語の地位は政治や軍事、経済、文化的要因と密接に関連しており、それらの要因が変化すれば言語も浮き沈みする。一部の専門家にはアラビア語、中国語、スペイン語が次の世界語となるのも想像に難くない。実際、現在スペイン語は世界でもっとも急増している母語である。けれども私たちの世代に他の言語が世界的役割を果たしている英語に取って代わることはなさそうである。それとたとえ英語が現在の立場を維持したとしても、必ずしも英語が言語的性質を今のまま保持するということにはならない。事実、英語は今、ルネサンス以降これまでにない速さで変化している。
世界にいる英語の使い手を比率として見たとき、英語のネイティブの話し手の総数は実際減っている。そうなっているのは、英語を母語とする国々と英語を第二言語あるいは外国語とする国々との人数の差が開きつつあるからである。現在、英語の話し手の4人のうち3人は非ネイティブである。英語を第二言語・外国語とする話し手の数が増えて国際的に存在感を得るにつれ、“three person”や“many informations”、“he be running”というようなかつては“異質”とか“誤り”とされた語法もいつかは標準話法の一部となるかもしれないし、ゆくゆくは標準書体にさえ現れるだろう。
③
多くの人々が自分の地域共同体で英語を使うようになったらどうなるか?彼らは独自の“一つの英語”を生み出す。事実、今、インドやシンガポール、ガーナのような世界中の国々で発達している多様な口語英語がある。それらは“New Englishes”と呼ばれてきている。中にはいろいろな場所で話される多様な英語を指すために“World Englishes”という表現を使う人もいる。“World Englishes”という概念がより一般化しているので、母語としての英語と第二言語・外国語としての英語の区別はあまり重要ではなくなってきている。
ここで固有名詞“English”が複数形の-sを受け取り、“Englishes”となっていること注目するのは重要である。“World Englishes”という用語はanimalsやvegetablesのような集合名詞として機能する。World Englishesのカテゴリーには日本英語、アメリカ英語、スペイン英語、韓国英語が一員として含まれる。World Englishsの基本的な要点は、英語はもはやネイティブだけのものではなく世界中の人々に共有される世界的財産であるということ、そして英語の規範は地域的にではなく世界的に決められるべきだということである。これはつまり英語の使い手がみな英語の未来にかかわりを持つということである。だから現在、英語を学んだと言えば、それは英語の使い手の一員としての権利を持つということを意味する。また英語のたどる未来はネイティブによるのと同じくらい、第二言語・外国語としての英語の使い手によって影響されるだろうということもまったくありそうである。
語学学習者はこれらのWorld Englishesに直面しているだろうし、そして彼らは学習に焦点を合わせた自国の規範英語のみならず、世界標準の英語の感覚も身に付けるだろう。だがイギリス英語、アメリカ英語、その他の多様な英語が選択可能とされる中で、英語学習者が世界標準の英語からスタートするようになるまでそう何年もかからないかも知れない。
④
英語はこれまで国境を越えて世界規模で広まってきた。結果、英語は多様化して“Englishes”となった。中にはあまり多様化すると分かりにくくなると心配する人もいる。しかし英語の地位におけるこの変化をよしとするか否かは、英語をどう定義するかによる。もし英語をアメリカや英国やカナダのような特定の国家に属する一国際語でしかないと考えるのであれば、英語のあまりの変化に保守的な思いを持つだろう。他方で、もし英語を世界中の人々で共有する世界語として考えるなら、英語の未来の地位について心配するよりはむしろより肯定的に思い、関心を持つだろう。
この問題に関して肯定的に思うもっともな理由がある。というのは言語というのは基本的に妥協のための方法であり、そこにおいて相互理解のために意味の果てしない交渉が行われるからである。これは対面している状況のみならず、インターネットのような他の形式のコミュニケーションにも当てはまる。この情報技術および経済国際化の時代において、人々はどこにいようと自分を理解させるために自分なりの英語を使うことを求められている。それゆえ、Englishesは実際に妥協の方法として使われていることは認めなければならないし、このことを否定的にとらえる必要はない。この新しい方法に加えて、まったく新しい標準が作り出され、国境を越えたコミュニケーションをより意味のあるものにするかもしれない。私たちは今もこれからも世界語として英語を使うのだから、“World Englishes”をもっとよく認識すべきである。/
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