PRO VISIONⅡ LESSON1 2 3 4 5 6 和訳

あくまで自分用だから細かいことやそうじゃないことは保証しないよ。コメントに悪質な宣伝があるのでチューイ!

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lesson7

1780年、ジョン・アダムズは言った。「19世紀および20世紀以降、英語は先の時代のラテン語、現在のフランス語より広く世界の言語になる運命にある。」彼が正しいと判明するまで200年近くかかった。
世界で英語を使う人の数に関する正確な統計は存在しない。けれども、10億人以上の人々が英語を話すといわれている。何人かの専門家によると、15億の人々が何らかの形で英語を使い、そのうち4億人が母語として使い、一方残りの人々は第二言語あるいは外国語として使う。“10億”という数字自体は、たとえば中国語やスペイン語と比べたら特に驚くには当たらない。それにもかかわらず、地球上に存在する3,000とも5,000とも言われる言語のうち、英語だけが唯一“世界語”と呼べる言語であるという事実は言及するに値する。今のところ、世界の言語の地図における英語の地位はきわめて独特である。
英語は現在の立場を維持するだろうか?それともその世界的地位は他の言語に脅かされるだろうか?1,000年前、ラテン語の支配的地位は永遠に保証されているように思われた。しかしどんな言語であれ1,000年後にその立場がどうなっているかなど誰も知りようがない。言語の地位は政治や軍事、経済、文化的要因と密接に関連しており、それらの要因が変化すれば言語も浮き沈みする。一部の専門家にはアラビア語、中国語、スペイン語が次の世界語となるのも想像に難くない。実際、現在スペイン語は世界でもっとも急増している母語である。けれども私たちの世代に他の言語が世界的役割を果たしている英語に取って代わることはなさそうである。それとたとえ英語が現在の立場を維持したとしても、必ずしも英語が言語的性質を今のまま保持するということにはならない。事実、英語は今、ルネサンス以降これまでにない速さで変化している。
世界にいる英語の使い手を比率として見たとき、英語のネイティブの話し手の総数は実際減っている。そうなっているのは、英語を母語とする国々と英語を第二言語あるいは外国語とする国々との人数の差が開きつつあるからである。現在、英語の話し手の4人のうち3人は非ネイティブである。英語を第二言語・外国語とする話し手の数が増えて国際的に存在感を得るにつれ、“three person”や“many informations”、“he be running”というようなかつては“異質”とか“誤り”とされた語法もいつかは標準話法の一部となるかもしれないし、ゆくゆくは標準書体にさえ現れるだろう。
多くの人々が自分の地域共同体で英語を使うようになったらどうなるか?彼らは独自の“一つの英語”を生み出す。事実、今、インドやシンガポール、ガーナのような世界中の国々で発達している多様な口語英語がある。それらは“New Englishes”と呼ばれてきている。中にはいろいろな場所で話される多様な英語を指すために“World Englishes”という表現を使う人もいる。“World Englishes”という概念がより一般化しているので、母語としての英語と第二言語・外国語としての英語の区別はあまり重要ではなくなってきている。
ここで固有名詞“English”が複数形の-sを受け取り、“Englishes”となっていること注目するのは重要である。“World Englishes”という用語はanimalsやvegetablesのような集合名詞として機能する。World Englishesのカテゴリーには日本英語、アメリカ英語、スペイン英語、韓国英語が一員として含まれる。World Englishsの基本的な要点は、英語はもはやネイティブだけのものではなく世界中の人々に共有される世界的財産であるということ、そして英語の規範は地域的にではなく世界的に決められるべきだということである。これはつまり英語の使い手がみな英語の未来にかかわりを持つということである。だから現在、英語を学んだと言えば、それは英語の使い手の一員としての権利を持つということを意味する。また英語のたどる未来はネイティブによるのと同じくらい、第二言語・外国語としての英語の使い手によって影響されるだろうということもまったくありそうである。
語学学習者はこれらのWorld Englishesに直面しているだろうし、そして彼らは学習に焦点を合わせた自国の規範英語のみならず、世界標準の英語の感覚も身に付けるだろう。だがイギリス英語、アメリカ英語、その他の多様な英語が選択可能とされる中で、英語学習者が世界標準の英語からスタートするようになるまでそう何年もかからないかも知れない。
英語はこれまで国境を越えて世界規模で広まってきた。結果、英語は多様化して“Englishes”となった。中にはあまり多様化すると分かりにくくなると心配する人もいる。しかし英語の地位におけるこの変化をよしとするか否かは、英語をどう定義するかによる。もし英語をアメリカや英国やカナダのような特定の国家に属する一国際語でしかないと考えるのであれば、英語のあまりの変化に保守的な思いを持つだろう。他方で、もし英語を世界中の人々で共有する世界語として考えるなら、英語の未来の地位について心配するよりはむしろより肯定的に思い、関心を持つだろう。
この問題に関して肯定的に思うもっともな理由がある。というのは言語というのは基本的に妥協のための方法であり、そこにおいて相互理解のために意味の果てしない交渉が行われるからである。これは対面している状況のみならず、インターネットのような他の形式のコミュニケーションにも当てはまる。この情報技術および経済国際化の時代において、人々はどこにいようと自分を理解させるために自分なりの英語を使うことを求められている。それゆえ、Englishesは実際に妥協の方法として使われていることは認めなければならないし、このことを否定的にとらえる必要はない。この新しい方法に加えて、まったく新しい標準が作り出され、国境を越えたコミュニケーションをより意味のあるものにするかもしれない。私たちは今もこれからも世界語として英語を使うのだから、“World Englishes”をもっとよく認識すべきである。/
 

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LESSON6 A ManWho Saved the World

2003223日、香港発の飛行機がまさにハノイに着陸しようとしていた。乗客の一人、中国系アメリカ人のビジネスマンが少し熱を出していた。世界にまだ知られていないウィルスが彼の体内で暴れているとは誰も知らなかった。実はこのビジネスマンはSARSと呼ばれる感染症を発生させベトナム中を大混乱に陥れようとしていた。飛行機はハノイに着陸しこのビジネスマンは町へと姿を消した。
医師のカルロ・ウルバニはイタリアの小さな町で生まれた。町の病院で働いているあいだ、ウルバニはMSFの一員としてしばしばアフリカに行き、貧困の子供たちを診療した。陽気で気さくで、彼は周囲の患者や人々に人気があった。2000年、ウルバニは妻と3人の子供と一緒にWHOの感染症専門家としてベトナムに行った。
ウルバニがハノイのフレンチホスピタルから電話を受けたのは200333日の昼ごろだった。医師がウルバニに、「香港から来た観光客が今、重体に陥っています。彼のどこが悪いか分かりません。診察に来てくれるとありがたいです。」と言って助けを求めた。
ウルバニが診察に駆けつけると患者は呼吸困難に陥っていた。男は40度近い高熱を出し、顔や腕、足は紫色になっていた。彼は30分以上も苦しがって咳をし続けていた。
これがウルバニの病気との闘いの始まりだった。あらゆる検査をしたにもかかわらず、彼は病気の原因を突き止められなかった。「これはインフルエンザとして知られているものとは違う。」ウルバニは言った。「これが何なのか突き止めなければならない。」
ウルバニはこの患者が中国の広東の人と接触したのではないだろうかと考えた。そこの人々が “謎の肺炎”が発生したためパニックになったと聞いたことがあったのだ。しかしこの患者が感染者の近くにいたかどうか確信を持つ者はいなかった。ウルバニと同僚たちにできることはせいぜい病気の蔓延を観察し、それをメールでWHOに報告することだけだった。
35日、その患者の世話をしていたナースが倒れた。ひどい頭痛と筋肉痛で彼女は動けなくなった。その後、もう1名のナースが似た症状を呈して勤務中に倒れた。間もなくさらに多くのナースが体調不良を訴え始めた。
ウルバニと同僚は病気の蔓延を防ごうと全力を尽くしたが、そうした努力はまったく役に立たなかった。38日までに、病院の職員をしていてその病気にかかった人々は17人にのぼった。病院の隔離病棟は痛みと高熱に苦しむ人々のうめき声で満ちた。感染していない医師や看護師がほとんどいなかったので、病院ができることはほんのわずかしかなかった。おまけに彼らを治療する医療設備も効果的な薬もなかった。
ウルバニは見つけたことやテスト済みのサンプルを記録し、病気を阻止する手段を何とか見つけ出そうとした。彼は患者が見せた症状を細部にわたって記録した。来る日も来る日も彼はWHOの人々にメールでデータを送り続け、この病院で起こっていることを世界中に知らせるよう頼んだ。
ウルバニはまたWHOに備品や助っ人をよこすよう頼んだ。けれども観光業への悪影響を懸念して、ベトナム政府はWHOとウルバニに協力したがらなかった。ウルバニの頼みは断られた。
病院は患者を隔離病棟に入れ、職員を除いて誰もそこには入れなかった。ウルバニは患者を見舞うのを決してやめなかった。彼らは枕元に座って希望を与えようとした。「このウィルスに効く薬はまだありません。しかし永久に生きるウィルスはありません。しばらくすれば死ぬでしょう。」ウルバニは言った。「私がいつも一緒についています。心を強く持ってください。」患者の一人は思い出す。「世界中の人が私たちに見切りを付けたが、ウルバニ医師は違った。彼は私たちを大いに勇気付けてくれた。」けれどウルバニはこのとき自分の体内で何が起こっているか知らなかった。ウィルスは彼の体内でも急速に増えていた。
311日、ウルバニが待っていたWHOの感染症専門家がハノイに到着した。その専門家、押谷医師はウルバニのボスだった。病院を案内した後、ウルバニは突然押谷に聞いた。「もしあなたがこの病気になったらどうしますか?」押谷は答えた。「一番いいのはハノイを出て適切な治療を受けられる所に行くことでしょう。しかし医師として、病気を蔓延させないのが一番正しい行動だと思います。私ならここにとどまるでしょう。」彼は続けた。「しかし家族のいる身としてはそれも自信がない。」
その夜、ウルバニはそっとハノイを出発してバンコクに行き、そこで感染症専門の病院で治療を受けた。今や彼自身が患者だったのである。
312日、WHOは全世界に向けて警告を出したが、こんなのは創設以来初めてのことだった。ベトナムの病院でどんなに早くウィルスが広まったか、このSARSがどんなに速くほとんど呼吸ができなくなる最終段階に達するかがそれには詳しく述べられていた。ウルバニが命を犠牲にして彼らに送り続けたものは、きわめて重要な情報となった。その時から、病気の蔓延を防ぐために世界中でさまざまな手段が取られるようになった。
327日、ウルバニはSARSで重態になった。2日後、彼は妻に看取られながら死んだ。ハノイで初めて病気の観光客を目にしてから27日後のことだった。享年46歳。8月、WHOSARSの制圧宣言を公式に発表した。
ウルバニの訃報に押谷は涙を流した。「もし彼と同じ立場にいたとしたら、私は彼と同じことはできなかったと思います。」押谷は言った。「彼はあの状況下で自分が最善と信じることをしたのだと思います。彼が患者に献身したのはその例です。」
もしウルバニが発生の早い段階でウィルスを発見していなければ、SARSはもっと多くの人々を殺していただろう。専門家によると犠牲者数は100万に達していたかもしれないとのことである。
1999年、ノーベル賞がMSFに贈られたとき、ウルバニはイタリアのマスコミにこう言った。「世界中の病気の人に可能な限り最高の治療を施したいというのが私の希望です。それを実現するためには私は2つのことを続けています。1つは患者のそばについていること、もう1つはいかなる障害にも決して屈しないことです。」/

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5ですぞ the beech tree

Lesson 5  The Beech Tree
1
学校から帰宅すると、メアリー・ルーは父親が何か新しいことをしているのを見つけた。
テーブルの上に大きな1枚の紙を置き、彼は定規と鉛筆を使って線を描いていた。
「何をしているの?」彼女は尋ねた。
「あるものを造るんだよ。」父親の答えは別の疑問をもたらした。
「おもちゃの家?」
メアリー・ルーはいつもおもちゃの家を欲しいと思っていて、父親は大工だったため、彼女のために彼がそれを造ること
は難しくなかった。
「家の上に部屋を造るんだよ。」
父親は今答えを明らかにし始めた。
「おじいちゃんが私たちと一緒に暮らすためにやって来るんだ。」
メアリー・ルーはその知らせにとても興奮したため、母親を見つけに上の階へ行った。
彼女はメアリー・ルーの弟で赤ちゃんのティミーを抱きながら、ロッキングチェアに座っていた。
「お母さん、おじいちゃんが私たちと一緒に暮らしに来るのよ。素晴らしいことじゃない?」
「ここで幸せだといいけれど。」静かな声で彼女の母親は言った。
「どうして幸せにならないの?」メアリー・ルーは尋ねた。
「ただ彼がとても年をとっているからよ、」母親は言った。
〔訳〕
このプロジェクトには注意深い計画が必要だ。
【QUESTIONS】
〔問題文訳・解答例・解答訳〕
1. メアリー・ルーが学校から帰宅したとき、父親は何をしていましたか?
 He was drawing lines with a ruler and a pencil on a big sheet of paper.
 彼は大きな1枚の紙に定規と鉛筆で線を描いていた。
2. メアリー・ルーが上の階で見つけたとき、母親は何をしていましたか?
 She was sitting in the rocking chair, holding Mary Lou’s baby brother, Timmie.
 彼女はメアリー・ルーの弟で赤ちゃんのティミーを抱きながらロッキングチェアに座っていた。
【WORDS】
Mary Lou 〔固有名詞〕メアリー・ルー
ruler 〔名詞〕 定規
response 〔名詞〕 答え、返答
call for 〔熟語〕 もたらす、呼び起こす
playhouse 〔名詞〕 おもちゃの家
carpenter 〔名詞〕 大工
onto 〔前置詞〕〜の上に
reveal 〔動詞〕 明らかにする
excited 〔形容詞〕興奮している
upstairs 〔副詞〕 2階へ
Timmie 〔固有名詞〕ティミー
voice 〔名詞〕 声
P.64
2
数ヵ月後、おじいさんが家族と共に暮らすためにやって来た。
メアリー・ルーはそれまでよりもやや幸せだと感じたが、なぜなのかはっきりと分からなかった。
時々おじいさんは大きな問題だった。
骨が痛むとき、彼はあまり上手く歩くことが出来なかった。
ベッドで寝ていなければならない日々もあり、そうするとメアリー・ルーの母親は食事を彼の部屋へ運ばなくてはなら
なかった。
時々彼は洋服にものをこぼしてしまい、それは彼女の仕事量を増やした。
それでもメアリー・ルーと一緒に散歩が出来るほどおじいさんの脚の調子が良い日々もあった。
そのような日のある日、メアリー・ルーは尋ねた。「走れないことが残念だと感じないの?」
「いや、」おじいさんは言った。
「私がお前の年だったときには、どこへ行くにも走ったよ。
私が走る番はあったんだ。
今はお前の番なんだよ。私のようにお前が年をとったら、他の子供たちの番になるんだ。」
メアリー・ルーは立ち止まった。
自分が年をとりすぎて走り回れないということを想像することは彼女にとって少し怖かった。
「気にならなくなるよ、」おじいさんは言った。
「昼と夜がいつの間にか過ぎるように年月は過ぎる。
そして、ほとんどそのことに気付かないだろう?」
〔訳〕
私がコンピューターを使う番だ。
クラスの中で走り回るのは止めて座りなさい。
日々はとても早く過ぎた。
私たちが一緒に話している間、時間はただいつの間にか過ぎ去った。
【QUESTIONS】
〔問題文訳・解答例・解答訳〕
3. メアリー・ルーの年齢だったとき、おじいさんは何をしましたか?
 He ran everywhere he went.
 彼はどこへ行くにも走った。
4. メアリー・ルーにとって何が怖かったのですか?
 To imagine herself too old to run around was.
 自分が年をとって走り回れなくなると想像することが怖かった。
【WORDS】
somewhat 〔副詞〕 やや
exactly 〔副詞〕 正確に、はっきりと
bone 〔名詞〕 骨
spill 〔動詞〕 こぼす
workload 〔名詞〕 仕事量
everywhere 〔副詞〕 どこへでも
one’s turn 〔熟語〕 〜の順番
bit 〔副詞〕 少し
frightening 〔形容詞〕恐ろしい、怖い
run around 〔熟語〕 走り回る
go by 〔熟語〕 (時が)過ぎる
slip 〔動詞〕 すべる
slip along 〔熟語〕 過ぎ去る
hardly 〔副詞〕 ほとんど〜ない
Lesson 5  The Beech Tree
第5課  ブナの木
P.65
「うん、」メアリー・ルーは厳粛に言った。
「おじいちゃん、そしてそれから死ぬの?」
「そうでもあり、そうでもないんだよ。」おじいさんは言った。
歩いているとき、彼らは上が枯れている大きなブナの木のある野原の端へやって来た。
夏にはその木陰で近所の子供たちが遊ぶため、メアリー・ルーはそれをよく知っていた。
「ふるいブナの木を見て、」おじいさんは杖で指しながら言った。
「メアリー・ルー、何が見えるかい?」
「老木よ。
それにその周りには何本か小さな木が育っているわ。」
「そうだよ。それらの小さな木がどこから生まれたのか知っているかい?」そしておじいさんはこの質問に答えた。
〔訳〕
先生は地図上のある島を指した。
【QUESTIONS】
〔問題文訳・解答例・解答訳〕
5. なぜメアリー・ルーはその大きなブナの木をよく知っていたのですか?
 Because in summer the children in the neighborhood would play in its shade.
 なぜなら、夏には近所の子どもたちがその木陰で遊んだからである。
【WORDS】
solemnly 〔副詞〕 厳粛に、まじめに
edge 〔名詞〕 端
wither 〔動詞〕 枯れる、衰える
shade 〔名詞〕 影
point at 〔熟語〕 〜を指す
plus 〔副詞〕 それに加えて



その日の夜、お母さんとお父さんの奇妙な会話が開いた窓を通してたまたまメアリー・ルーの耳に届いた。

「ドナルド。」お母さんが言った。「お義父さまを養護施設に預けることも考えるべきだと思うわ。家にお年寄りがいると子供たちによくないと思うの。お義父さまは弱ってきているし、それを見たら子供たちも悲しむでしょ。」

お父さんが耳慣れない声で言った。「マリアン、君の気持ちが分かる。だから僕としてはその考えに反対できない。正直、父さんは君の負担になっているんだろうな。」

メアリー・ルーは信じられなかった。どうしておじいちゃんのせいで私が悲しむなんて考えられるんだろう。いつの間にか目に涙があふれていた。でも考えるのをやめることはできなかった。たぶんお母さんはおじいちゃんの世話をするのに飽きたんだ。だとしたら、じゃあ…。メアリー・ルーはこう独り言を言った。「私が何とかしなきゃ。」

彼女はガバッと起き上がり、部屋を抜け出して忍び足でおじいちゃんの部屋に入った。

「おじいちゃん、私、おじいちゃんに出て行って欲しくない。」彼女は出し抜けに言った。「おじいちゃんのために何でもするって決めたの。服に何かこぼしたら洗濯するとか。」

おじいちゃんはこれを聞いて驚いた。けれどここ数日間の会話や出来事を整理し、何とか全貌をつかんだ。

「そんなに助けようとしてくれるなんて、お前は優しい子じゃ、メアリー・ルー。」おじいちゃんが言った。「でも分かるじゃろうが、わしがどこかよそへ行くのがいい考えかもしれないというのは認めざるをえんし、そこのほうがわしに向いているかもしれん。そうすればお前もお前の母さんも手間が省けるしのう。」

「でも小さな木は古いブナと一緒に生きているんだよ!」メアリー・ルーは言い返した。「小さな木は古いブナを追い払ったりしない!」

「静かに。」彼が言った。「木は人間じゃないぞ。」

これを聞いてメアリー・ルーは泣き始めた。彼女はおじいちゃんの枕元にひざまずき、祖父は彼女の髪をなでた。しばらくして彼が言った。「わしのことなら心配いらん。お前とはお別れじゃが、いつでも会いに来なさい。」

「行っちゃだめ。行かせない。」メアリー・ルーは言い張った。

「ありがとう、一緒にいたいなんて言ってくれて。」おじいちゃんが言った。「なんて優しい子なんじゃ。でも今夜はもう遅い。もう戻って寝なさい。おやすみ、メアリー・ルー。」




次の日、学校から帰って来ると、メアリー・ルーはお父さんがおじいちゃんの荷物入れを用意しているのに気付いた。これを見て彼女はきっぱり言った。「おじいちゃんは行かないよ!」

「何?どうして知ってるんだ?メアリー・ルー?」お父さんが驚いて言った。

お母さんがこれを聞いてキッチンから出てきて言った。「でもおじいちゃんが行きたいって言っているのよ。もうその話は済んだの。」

「うそ。」メアリー・ルーは泣き出しながら言った。「うそ、うそ!」

「何なの、あなたは!」お母さんも大きな声を出さずにはいられなかった。

メアリー・ルーは二人にすべてを話した。「昨日の夜、話しているのを聞いちゃったんだ。おじいちゃんのせいで私たちが悲しむなんてそんなのうそ。私はおじいちゃんにずっと一緒にいて欲しい。」彼女は続けた。「それに私たちは大きなブナと小さな木について話をしたんだよ。」

「この子は何のことを言っているの?」お母さんが言った。「大きなブナ?」

それでメアリー・ルーはお母さんとお父さんを古いブナの木まで連れて行った。

「ほら、これ。」メアリー・ルーは説明を始めた。「あの古いブナはおじいちゃんで、周りの小さい木は私たち。小さな木は古い木を追い払ったりしないんだよ。」

お母さんは何て答えていいのか分からなかった。

「お母さん。」メアリー・ルーはじれったそうに言った。「いつかお母さんが年を取ったら私に追い出されたい?」

「いいや。」お母さんが考え込みながら言った。「いいや、それは嫌だわ。」

「じゃあ、私がおじいちゃんのことどう思っているか分かるでしょ!」メアリー・ルーは言った。「お願い、おじいちゃんを追い出さないで。おじいちゃんの世話なら何でもするから。」

「メアリー・ルーの言おうとしていることにも一理あるようだな。」お父さんが言った。

「まあ、彼女がそう感じているなら。」お母さんが言った。「そうね、私が完全に間違っていたわ。」

そんなふうにして事態は収まった。三人が家に着くとすぐにお母さんはおじいちゃんに言った。「どうか一緒にいてくださいな。私たちで話したのですが、お義父さまにいなくなられてはやっぱり困ります。」

おじいちゃんは驚いて見上げた。「じゃが、わしは…」彼は言い始めた。

メアリー・ルーは言った。「どうかお願い、一緒にいて。」

おじいちゃんは家族の生き生きとした顔に囲まれて、あの古い木になったような気がした。そして彼は一つはっきりと分かった。これでいいのだと。
 
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難しかった単語を自分でいくつかpick up してみやした
意味とかスペル間違ってたらゴメンなさい

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Lesson4 the world of moomintroll

Lesson 4  The World of Moomintroll
児童文学の有名な作品は、アニメーションを通じて一般に広く知られるようになってきている。
アニメ映画になったクラシックの児童小説の1つの例はムーミンである。
このアニメは日本でヒットし、またいくつかのヨーロッパ諸国でもテレビで放送された。
多くの日本人はアニメのかわいいキャラクターを見たが、あなたはムーミンの世界について本当はどのくらい知っている
のだろうか?
100人の日本人生徒に対する調査で、次の質問がなされた。
1) ムーミンについて何か知っていますか?
2) もともとの話がどこから来たのか知っていますか?
3) ムーミンの話に対してどのような印象を持っていますか?
100人の生徒のうち、ほぼ90%が1つ目の質問に対して「はい」と答えたが、彼らのうち小説の由来を知っていたのは
たった4分の1だった。
3つ目の質問に対する答えでは、生徒たちは様々な印象を挙げた:かわいい、暗い、幸せ、シリアス、優しい、自分
勝手などである。
そのように異なる印象の理由は何だと思うだろうか?
literature 〔名詞〕  文学
classic 〔形容詞〕 伝統的な、古典的な、よく知られた
film 〔名詞〕   映画
Moomin 〔固有名詞〕 ムーミン(ムーミントロールの愛称)
survey 〔名詞〕  調査、世論調査
impression 〔名詞〕  印象
quarter 〔名詞〕  4分の1
origin 〔名詞〕  起源、原点、由来
in answer to ~ 〔熟語〕 〜に対する答え、〜に対する返答
cute 〔形容詞〕 可愛らしい、可愛い
selfish 〔形容詞〕 自分勝手な、わがままな
2
ムーミンの世界は−彼の本当の名前はムーミントロールだ−フィンランド人作家のトーヴ・ヤンセンによって創られた。
彼女はムーミントロールのシリーズの本を執筆した。
彼女の1冊目の本である「小さなトロールと大きな洪水」は第二次世界大戦直後の1945年に出版された。
最初それはフィンランドのニューススタンドだけで売られていたが、しばらくした後そのキャラクターは多くのフィンランド
人を惹きつけ始め、それからの26年間でトーヴはシリーズを執筆し、他の8冊のムーミントロールの本のためにイラスト
を描いた。
「ムーミントロール」という珍しい名前はトーヴの叔父によって創られた。
彼は家のストーブの裏に「ムーミントロール」という名前の目に見えない生き物が潜んでいると言って彼女を怖がらせた
ものだった。
彼女が何か悪いことをすると、彼は彼女に「ムーミントロールが出てくるぞ!」と言うのだった。
ムーミントロールの形はトーヴが幼い少女だったときに壁に落書きしたキャラクターである。
それは大きな鼻と長い尻尾のぽっちゃりした生き物だった。
トーヴは成長する中このキャラクターを描き続けた。
彼女が20代のときに戦争が始まった。
戦争中、トーヴは戦争反対を主張する雑誌のカバーのイラストレーションを描いていたため、フィンランド政府は彼女の
作品を検閲した。
Finnish 〔名詞〕  フィンランド人
newsstand 〔名詞〕  ニューススタンド
Finland 〔固有名詞〕 フィンランド(国名)
appeal to ~ 〔熟語〕   〜(の心)に訴える
illustration 〔名詞〕   挿絵、図解、イラスト
unusual 〔形容詞〕 普通ではない、独特の
scare 〔動詞〕  驚かす、怖がらせる
lurk 〔動詞〕  待ち伏せする、潜伏する
stove 〔名詞〕  ストーブ
scribble 〔動詞〕  落書きする
plump 〔形容詞〕 太り気味の、ぽっちゃりとした
censor 〔動詞〕   検閲する
彼女は描くモチベーションを失ってしまった。
「この世界が大混乱のとき、描くことは何も意味もないと私は感じました。」彼女は言った。
「私たちの周囲の全てから色が消えうせていました。」
周囲の世界に落胆し、トーヴは想像の新しい世界を創り始めた。
彼女は幼少期の幸せな日々を思い出し、穏やかさと平和な感覚の場所を見つけようとした。




トーベの空想の世界はフィンランドの、果てしない緑の森と青い湖でいっぱいの土地の美しい自然を反映している。ムーミン谷では北欧のように夏は短く冬は長い。秋の終わり、冬のあいだ冬眠するためにムーミントロールと彼の家族は松葉をしっかり食べる。谷の生活は浮き沈みに満ちている。時おり洪水や竜巻、火山の噴火に見舞われる。物語のキャラクターたちは自然の脅威だけでなく難しい個人的な問題にも対処しなければならない。このことがムーミントロールシリーズを他の児童文学とは異なるものにしている。あるエピソードはこう進む。

ニニという名前の若い女の子が、おばがいつも意地悪なことばかり言うので自信をなくしている。彼女はとてもしょげてしまい、透明人間になってしまう。運のいいことに、彼女はムーミントロールの一家に出会う機会に恵まれる。彼らは彼女を歓迎し、優しくもてなす。彼らの優しさに感動し、顔を取り戻すのに若干時間がかかったものの、彼女は次第にまた目に見えるようになる。ムーミントロールの小さくても強情な友達のちびのミイは彼女に言う。「闘うことを覚えるまで絶対顔は取り戻せないわよ。」

顔を取り戻すため、ニニは自信を得る必要があった。ある日、ムーミンパパがからかってムーミンママを海に突き落とそうとする。ニニはムーミンパパがムーミンママを傷つけようといているのだと考える。彼女は怒ってしっぽに噛み付いてムーミンパパを止める。彼女の顔が現れ始めたのはまさにこの瞬間である。大事なムーミンママを救うことによってニニは、彼女はこの時まで決して誰にも敢然と立ち向かうことはなかったのだが、顔を取り戻すことができる。ニニはムーミンパパに立ち向かったことで彼女は自信を得ることになる。




このエピソードが示すように、トーベは空想の物語を通じて人間の問題について取り組んだ。もしムーミントロールの世界に足を踏み入れれば、ムーミン谷の住人たちもあなたが自分の生活で直面するのと同様の問題を抱えていることが分かるだろう。だから読者は、キャラクターと物語を楽しむ一方で同時に人生についての教訓を学ぶことができる。空想の形態がいろいろな人々が彼女の物語の中に個人的メッセージを見つけることを可能にするのである。

トーベはムーミン谷の世界を作り出すことによって現実から逃避したいのだと言った。しかし実は、彼女は現実から逃げてはいなかった。そうではなく、彼女は現実に創造的に対処していたのであり、そうすることによって彼女は世界中の多くの子供たちを喜ばせてきた。「子供たちが自分が私の空想世界の中に入り込んでいるのに気付き、私の物語を記憶にとどめているのをみると、私はとても幸せを感じます。」トーベは言った。

35を超える言語に訳されているので、ムーミン谷の物語は世界中の人々の心を魅了してきた。ムーミントロールの世界は楽しいときだけでなくつらいときも人々を楽しませ、人生を輝かせるのである。

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れっそん3だ

PRO-VISIONⅡ lesson3
多くの人々は、頭が疲れたとき何か甘いものを食べるよう勧める。これは砂糖が脳のエネルギー源だからである。砂糖はあなたに元気付けられたと感じさせる。事実、食べ物の砂糖は摂取してからわずか 10 秒で体に吸収されて血流に入り、すぐに脳にエネルギーを与える。
砂糖はケーキやクッキーを作る大事な材料であるが、それはものを甘くするためだけに使われるのではない。砂糖は食べ物が傷むのを防ぐのにも役立つので砂糖がいっぱい入ったスウィーツや食べ物は保存され長持ちした。面白いことに、砂糖をなべで熱するとカラメルと呼ばれる茶色の物質に変わるが、それはしょうゆや清涼飲料水、その他の食品の安全な天然着色料としてずっと使われてきた。
見ての通り砂糖にはいろいろな使い道がある。現在ではどこの店でもしごく簡単に砂糖を見つけることができるが、実は砂糖が広い範囲で利用可能になるまで長い時間がかかった。
食料品としての砂糖は主にサトウキビから採れる。この植物は南太平洋の島々が原産で、インドを介して世界中に広まったと考えられている。
ヨーロッパでは、砂糖が持ち込
まれる前は甘味料として蜂蜜が使われていた。ヨーロッパ人に初めて砂糖が知られるようになったのは、アレクサンドロス大王の軍隊がインドからギリシャに砂糖を持ち帰った紀元前 4 世紀である。インドで初めてサトウキビを見て、ギリシャ人兵士は「ミツバチのいない蜂蜜のアシだ!」と喜んで叫んだ。
16 世紀、ヨーロッパの人々の間に広まり始めたとき、砂糖は甘味料としてだけでなく薬としても使われた。砂糖は“万能薬”として認知され、医者は体が弱っていると感じている患者に砂糖の“処方箋”を出した。実際、発展途上国の多くでは、砂糖は今なお下痢になっている子供たちを治療するのに使われている。
歴史上には他にも砂糖の面白い使い道がある。それは装飾品としてである。中世では、砂糖はきわめて高価だった。大量の砂糖でできた装飾品はそれゆえある人々の大きな富や権力を示した。
③15 世紀になると砂糖は新しい役割を担った。 15 世紀中、主要なヨーロッパ諸国は中米や南米に植民地を作った。サトウキビは世界の熱帯や亜熱帯の地域でしか栽培できないので、カリブ海の暖かい島々を含むこれらの地域はサトウキビの栽培に適していたのである。
イタリア生まれの航海者コロンブスはカリブ海への航海でヨーロッパからサトウキビを運んでいった。コロンブス時代の後、ブラジルやその他の土地と同様にカリブ海の島々にもプランテーションが作られ始めた。砂糖を大量に生産するためには大勢の労働者が必要とされた。不幸なことに、砂糖への需要の増大が世界のこの地域の黒人奴隷の普及を加速させた。数千万人ものアフリカの黒人がこれらの島々に送り込まれ、奴隷として砂糖プランテーションで働かせられた。これが現在これらの島々にアフリカ系の人々がとても多い理由である。
人々の砂糖への欲求が歴史の流れを変え始めた。社交的交際の間にお茶を飲む習慣が流行りだしたのは
18 世紀の英国で、人々は砂糖入りのお茶の味を楽しんだ。その結果、砂糖の需要が高まり、砂糖は大量に生産されなければならなかった。
想像しづらいかもしれないが、奴隷が砂糖を大量生産するための合理的方法と見なされていた時代があった。世界の一地域での砂糖への欲求のせいで、世界の別の地域の人々が無理やり奴隷にされたのである。
砂糖はかつては高価すぎてほとんどの人が買えなかったが、大量生産がそれの値段を下げた。その結果、砂糖は世界中のありふれた日用品になった。砂糖は、かつては薬や装飾品として使われたが、ようやく食料品になった。
今日、私たちは砂糖を当たり前のものと考えているが、砂糖が広い地域で入手できるようになるのに長い時間がかかったということは覚えておくべき
である。砂糖は一種の生きた歴史本である。砂糖や他のそのような日用品を通じて、私たちは過去の人々の生活について知り、世界がなぜ現在のようになったか理解する機会を得る。私たちはたいていものを甘くするために砂糖を使うが、私たちの社会を理解するためという他の使い方もできる。 /

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