南京大虐殺に関する論争の解説と検証

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4.唐生智逃亡が交戦者資格喪失を意味するか?


東中野氏の見解によれば、司令官・唐生智が逃亡したことにより南京防衛軍は指揮官不在となり、交戦者資格を喪失するという。この場合、「指揮官不在」が交戦者資格の喪失を意味するという主張は、ハーグ陸戦規則第1条における「民兵・義勇兵」の資格要件をそのまま適用したものである。
ハーグ陸戦規則
【第一条】(民兵と義勇兵)
戦争の法規及権利義務は、単に之を軍に適用するのみならす、 左の条件を具備する民兵及義勇兵団にも亦之を適用す。
一. 部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること
つまり、この条文に照らし合わせ、南京防衛軍は司令官が逃亡したという事実認識をもとに、交戦者資格を喪失した状態にあった主張するのである。

しかし、この条文はそもそも「民兵と義勇兵」に対する資格要件であり、正規軍に対してそのまま適用することは不適当である。この条文に対する国際法学者の解釈は以下のようになっている。
信夫淳平『戦時国際法講義2』p54
八〇四 民兵及び義勇兵団の戦争法規及び権利義務の適用を受くるに必要なる第一條所規の四條件の第一は『部下の爲に責任を負ふ者其の頭に在ること』である。こは民兵又は義勇兵の動作をして乱雑ならしめず且能く交戦法規を遵守せしむるには、之を統率すべき責任者その頭に在るを必要とするからである。ブルッセル会議の露国原案には、該責任者は本国本営よりの指揮命令の下に立つものたるを要すとの一條件もあったが、これは不採用となった。故に指揮命令の系統関係は必しも問はざるものと解せられてある。ウェストレークは『此に謂ふ責任とは単に有効的取締を行ふの能力(a capacity of exercising effective control)を意味するのみ。』と説く(Westlake, 2, p.65)。
信夫氏によれば、この条件の主旨は「こは民兵又は義勇兵の動作をして乱雑ならしめず且能く交戦法規を遵守せしむるには、之を統率すべき責任者その頭に在るを必要とするからである」ということにあるという。

民兵や義勇兵など集団に統率者を置くことで集団としての動作を行わせ、個々の兵士に交戦法規などを遵守させることを可能とさせる、 つまり、集団単位で統率させる意味があると説明する。
立作太郎『戦時国際法論』p63
註(一)の部下の爲に責任を負ふ者が其頭に在るを要するの條件は、頭に在る者が、正規的ならずして、一時的なりとも将校として任命を受けたる者なるとき、若くは其の顕要の地位に在る人なるとき、又は隊中の将校兵士が政府の与ふる証明書又は徽章を携へ、之に依り各箇の将校兵士が自己の責任を以て行動する者に非ざることを示すに足るときは、充たされたるものと認むべきである。但し国家に依る承認は必ずしも必要とする所に非ずして、兵団が自ら編成され、自己の将校を選むことあり得べしと認められるのである。
立氏の説明では、国家との指揮系統の繋がりの必要性を否定し、以下の2つの条件の何れかに一致した場合は、この条件を満たしたことになるという。
  • その責任者が、正規ではなく一時的であっても将校として任命を受けた者、または顕要(重要)な地位に在る者であること
  • 隊内の将兵が、政府の与える証明書や徽章を携えることで、将兵が自分勝手に行動しているのではなく、集団として行動をしていることを示せる場合
この二点を要約するならば、自己の集団の中で責任者を選んでいる場合、または集団としての行動をとっている場合は、『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』を満たしたことになる。

以上のように、この『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』という条件の主旨は、個々の武装組織において責任者が存在し、その責任者の下に組織が統率されていることを意味しているのである。

これは、ブリュッセル会議以来議論されてきたゲリラの交戦者資格問題と関係し、戦闘を目的として暴力行為を行使しているのか、戦争の目的外の個人的な利益を得るため暴力行為を行使しているのかの区別をつけるための条件であった経緯から見ても妥当な見解と思われる。

東中野氏は、ハーグ陸戦規則第一条に掲げられた民兵・義勇兵の交戦者資格『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』を適用し、南京防衛軍司令官・唐生智が逃亡したという事実認識のもと、残された南京防衛軍には交戦者資格がないと主張した。

しかし、『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』という資格条件は、部隊個々において指揮官の必要性を説いているのである。例え南京防衛軍司令官・唐生智が逃亡したとしても、先に説明した軍事組織上からして、そのことをもって南京防衛軍が指揮官不在となり、または、その隷下の各部隊が指揮官不在となり交戦者資格を喪失することにはならない。

この条件の字面だけを見て適用することは、条件の主旨から鑑みて不適当である。

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