いにしへ、義を取りて死に殉ふ事、情に感じて志のせむればなり。今、なんぞ、是を禁めて操をくじけるや。夫れ、義士は國の幹なり。世々、これを失はゞ嗣君何にかよらん。さぐさまぬ世に、しばし、君をたすけたらんは、三世の義士ならん。これ、その禁むる所にして、ながく、此の事のとゞまれりし所なり。こゝに又、禁をとれば志みたず。とらざれば、禁に害す。両端に一つの道を行き、たゞ、そのほどの身を、方袍圓頂にまかせて、在るともなく、なきにはあらぬ影法師、わけ入る跡は雲うづみ、千丈雪を凌ぎて、松寒き夢、さむる間のかりねの庵、かばかりにかまへしは誰ぞや。常朝居士なり。居士は此の道の人にて、いとゞたふとぞ覺えける。岩がねつたひ、小笹わけて、尋ねまうでのぼしりは、彌生のはじめつかたなり。
しら雲や只今花にたづね合い
とふ人もなく、浮世を去る事もろこしの吉野とも覺えぬると、發句などもありし。四時の行きかひも物にたぐへて、しるしのみとぞ。
世は花かこのごろおもき筧なり
所しづかなれば身閑なり。身より心のしづかなるにぞ松樹謹花のさかひも、思ひつづけ侍るなり。
濡れてほす間に落ちたる椿かな
可々
松盟軒主
此の始終十一巻、追て火中すべし。世上の批判、諸士の邪正推量風俗等まで、只自分の後學に覺居り候とて、話のまゝに書附け候へば、他見の末々にては遺恨悪事も出づべく候間、堅く火中仕るべき由、御申し候なり。
----以下、伯爵の独り言----
葉隠は、山本常朝の言葉を田代陣基が几帳面にまとめた物だが、
漫草は田代陣基一人でしたためている。
この漫草は葉隠に含むかといえば、厳密には含まないのだろう。
しかし、葉隠始まりに付いて書かれているのでここに含める。
「読んだ人が怒っちゃうかも知れないから、必ず後で燃やしてね」
と山本常朝にいわれたなぁ、と田代陣基が書きながら葉隠を燃やさずに現在まで
語り継がれてしまっているところに陣基のおちゃめさをそこはかとなく感じるのである。
山本常朝殿、申し訳御座らん。
あなたの意に反し、我々は後の世でありがたく読ませていただいております。
現代語訳はこちら↓
葉隠原文Web 漫草
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