きょうは何の日

2010/04/28

1993年4月28日 ヤオハン創業者・和田カツが亡くなった日

現在、国内における女性経営者はおよそ6万7千人。様々な分野で活躍し、日本経済を支える彼女たちの原点とも言える、伝説的な女性経営者がいた。

ヤオハン創業者・和田カツ。


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和田カツは、1906年12月6日、神奈川県小田原の青果店「八百半」の長女として生まれた。両親は年中休みなく働き、幼い頃から親に構われることなく育ったカツは、八百屋が嫌いだった。親の後を継ぎたくない彼女は猛勉強の末、小田原高等女学校へ進学する。その頃の夫となる人の理想像は、絶対、大学を出た背広姿の会社員か銀行員。


ところが、カツが20歳の時、両親が、結婚相手を親の青果店で働く3歳年上の奉公人和田良平に決めてしまった。カツは家出騒ぎまで起こして反発したが、結局、父親に押し切られ、1928年4月、カツは21歳で結婚する。「自分ほど不幸な女はいない」そんな想いを抱いたままカツは夫良平に従い、熱海で新しい店を始めた。


結婚1年目、1929年3月。暗く沈むカツに初めての子供・一夫が誕生した。子供のために生き、立派な大人に育てることを生きがいにすると決意し、子供を大学に行かせたい一心で、学費を貯めるため、カツは積極的に働いた。すべてはわが子のため。カツは朝5時に起き、夜12時まで働きづめだった。


結婚して8年目。


店もようやく軌道に乗り始め、生活も安定してきた矢先、1935年、夫・良平が、肺結核で倒れてしまった。なんとか命は取り留めたものの3ヵ月、床から離れられなくなってしまう。追い打ちをかけるように3人目の子供・長女良江が急性の大腸カタルにかかり、わずか2歳で命を落としてしまったのだ。ただただ、カツは不幸を怨み、自分を責め続けた。この時29歳。


何故自分ばかりに不幸がおとずれるのか。やりきれない思いを、子供達にぶつけるようになった。ある日、カツは子供たちの顔から笑顔が消えていることに気づいた。自分は、子供たちに考えを一方的に押しつけていた。これでは、両親が私にしてきたことと同じではないか。

 

その日を境に、カツは子供たちと一緒に遊び、勉強し、子供たちの長所を見つけては、褒めるようにした。するといつしか子供たちの顔に笑顔が戻っていた。自分の思い通りになることが幸せではない。共に泣き・笑い・考えることがみんなの幸せにつながるのだとカツは確信する。

 

そして夫に対しても、カツは決してよい妻ではなかったことに気付く。

 

結婚15年目、カツは良平に手をついてあやまった。それから2人は天秤棒のように釣り合い、互いに支えあうようになった。

 


昭和20年代。太平洋戦争敗戦の影響で日本の物価は高騰する中、八百半商店は、個人の客を大切にしできるだけ安く売った。『店は自分たちの売り上げのためにあるのではない。本来、店は客のためにある』客が喜ぶ顔を見るのが好きだったというカツ。客も家族も同じ、みんな幸せになるのが一番だ。この考え方が「ヤオハン」の奇跡ともいえる急成長の原動力となっていく。


戦後復興と高度経済成長の中、安くていいものを庶民に提供してきた「ヤオハン」は庶民から圧倒的な信頼を得て、静岡県各地へと店舗を拡大。ついには年商100億円を達成し、日本スーパーマーケット業界初の海外進出に成功するまでになった。

 

だが、カツに悲劇が訪れる。1943年10月、夫良平が肺癌でこの世を去った。45年間、まさに天秤棒のように釣り合い、支えあってきた夫の死に、カツは身を引き裂かれるような思いだった。

 

更に、夫の葬儀が終わったばかりの翌日。ヤオハン最大規模の店舗で赤痢が発生。営業停止となったことを知る。カツは被害にあった人の家を一軒一軒たずねては頭を下げて歩いた。


そして営業再開の日、カツの目に写ったのは......。

 

大勢の客が食料品を買い求める姿。食料品は全て売れ切れてしまった。   


『店はお客のためのもの、自分の欲のためにあるのではない』その思いがカツの中で揺るぎない確信となった。

晩年は、21人の子供と孫に囲まれ、社員教育のため精力的に海外へ出向き、海の向こうでも「日本の母さん」と呼ばれ、社員から愛され親しまれた。


そんな彼女をモデルにした曲が、瀬川瑛子が歌う『やっちゃ場繁盛記』。カツの生き方に感銘を受けた作曲家・稲沢祐介が作曲した。そして、1993年4月28日、和田カツは86年の波乱の人生に幕を下ろした。

カツの死後、ヤオハンは息子たちに引き継がれ、バブル絶頂の中で、店舗数は世界16カ国450店舗、売上5,000億円、社員は2万8千人にもなった。


しかし、利益を追い求めるあまり、無理な業務拡大で資金繰りに失敗、1997年、株式会社ヤオハンジャパンは倒産する。

「カツから教わったお客様を大切にするという精神を見失ったことが一番の原因だ」と、長男・一夫は振り返る。一夫はその失敗とヤオハンの精神を受け継ぐため、現在は経営コンサルタントとして活動している。

天秤棒から、数々の苦難と壁を乗り越え、成功を掴んだヤオハン創業者和田カツ。

その生きざまは、現在も伝説として語り継がれている。生前、カツが子供たちに贈った言葉がある。『子供に何を残すか。財産よりも、名誉よりも、魂の底に残るものこそ最善の遺産。失敗したらもう一度天秤棒からやり直せばいい。』

 

(インタビュー出演)
 和田カツの長男・和田一夫さん
 「やっちゃば繁盛記」の作曲家・稲沢祐介さん


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