この弟も保護監護処分を受け、兄が服役した青松刑務所に収監された。弟の前科は11犯。窃盗団を摘発した大田警察庁広域捜査隊の関係者は「父親が古美術品取引をしていたということ以外に、この兄弟が一生の半分をなぜ盗みに費やしたのか、教えてくれる材料はない」と語った。
窃盗団4人の中で最年少のキム容疑者(50)=慶尚北道亀尾出身=は、文化財窃盗のために犬を毒殺したという過去がある。09年に全羅南道霊光のある旧家から文化財600点を盗んだ際、キム被告は殺虫剤を混ぜた肉をジャーマン・シェパードに食べさせ、即死させた。またキム容疑者は、かつて韓国の文化財を盗んだ際、韓屋(韓国の伝統家屋)の屋根瓦を外して侵入していた。これは対馬で仏像を盗んだ際にも使った手口だ。キム容疑者は最年少だが、前科の数(18犯)は窃盗団の中で最も多い。
残る1人のカン容疑者(60)は前科14犯で、ほとんどが窃盗。カン容疑者はまだ逮捕されておらず、指名手配中だ。
■管理体制が甘い対馬を狙う
4人が大邱の喫茶店に集まったのは昨年8月のこと。既に捕まっている3人のうち2人は、警察の取り調べに対し「(最高齢者の)キム容疑者が主導した」と供述したが、キム容疑者本人は「弟がやった」と主張している。4人はそこで「一つ大仕事をやって足を洗おう」と意気投合した。そのときに目を付けたのが「対馬の仏像」だった。4人は、この仏像がかつて韓国にあったものという事実を知っていた。
しかし警察は「愛国的動機」の可能性を一蹴した。警察が挙げる「対馬遠征」の理由は二つある。まず第一に、現地の文化財管理が緩いということ。日本では、個人が所有する文化財は個人が保管しているケースが多い。盗まれた2体の仏像も、寺が無人の施設で保管していた。文化財庁の関係者は「韓国なら、寺や遺跡の文化財はいずれもインターネットに登録され、盗まれても流通は極めて困難」と語った。第二に、対馬では韓国の観光客向けにハングルの表示板が多く、比較的活動しやすいということ。4人は、日本語ができない。
問題は資金だった。対馬に行くためには、国際旅客船を利用し、かつ現地で宿を取らなければならなかった。窃盗に必要な道具を持ち、さらに仏像を運搬するためには、レンタカーも必要だった。しかし、主犯格のキム容疑者(兄)は基礎生活保障(生活保護に相当)の受給者だった。残りのうち2人も極貧だった。
4人は、慶尚南道昌原のチャン容疑者(51)を仲間に引き入れた。チャン容疑者は昌原地域の事業家で、12人の構成員を抱える組織暴力団「P派」の顧問を務めている人物。暴行など18の前科がある。1996年に結成されたP派は、99年に馬山のクリスタル・ホテル前で抗争相手の組織のメンバーを惨殺した、悪名高い暴力団だ。窃盗団で最年長のキム容疑者が、チャン容疑者から手に入れた資金は4000万ウォン(約340万円)。チャン容疑者は盗んだ仏像を韓国で処分する「故買屋(盗品を買い取る店)」の役割も引き受けた。
盗んだ仏像の韓国への持ち込みを担当した人物は、風俗犯罪など前科5犯のソン容疑者(60)だ。日本の市場から骨董(こっとう)品を持ち込み、釜山・慶尚南道一帯で競売にかけている業者だった。過去10年の間に200回以上も日本に渡航し、釜山港の職員とは顔見知りだった。