9月1日午後9時30分、驚天動地の電撃会見
福田首相の突然辞任は、まさに「天地を揺り動かすような」驚きでしたね。
日本の政界にとって、9月は鬼門ですね。辞任の理由はまったく違うのですが、昨年の安部さんの会見と二重写しのような感覚に包まれました。
次期総理には、麻生さんの名前が有力視されていますが、しばらく、「一寸先は闇」の永田町模様が、展開されることでしょうね。
辞任会見については、福田さんの厳しくもほっとしたような表情が印象的でした。
イザ!ブログでも、福田辞任一色ですが、「Cool Cool Japan!!!」では、先日からスタートした「あの時の今日」でお楽しみいただければと思います。
歴史的な出来事の記念日を当時の産経新聞紙面で振り返る企画です。
今から25年前の1983年9月1日。日本は、そして世界は、サハリン沖で発生した衝撃的な事件に、関心が注がれていました。
ソ連戦闘機による大韓航空機撃墜事件です。
『大韓航空機撃墜事件から25年』
http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/700841/
第一報は、「サハリンに強制着陸」という情報でした。きっと、25年前の夜も、永田町周辺では、記者達があわただしそうに取材に追われていたはずです。
冷戦最中の大事件。それから、次の紙面ではどのような展開があったのでしょうか?さっそく紹介しましょう。
【1983年9月2日朝刊1面】
「大韓航空機 ソ連、ミサイルで撃墜」の横凸版の大見出し。
これこそ、驚天動地ですね。今考えても、信じられない事実です。
1日夕刊段階では、「サハリンに強制着陸」の韓国当局発表をトップ記事としましたが、自衛隊筋からの情報で、北海道稚内のレーダー分析で、「撃墜」された可能性もありました。しかし、完全な裏がとれませんでした。
では、どこの情報で、「撃墜」の根拠としたのでしょうか?
一面トップの本記の前段部分を抜粋したいと思います。
1日未明、北海道沖で消息を絶ち、サハリン(樺太)に強制着陸させられたとみられた大韓航空機007便ボーイング747型機(乗客240人、乗員29人)は1日、ソ連機に撃墜されたことが判明した。
米国のシュルツ国務長官も同日夜、「大韓航空機はソ連戦闘機のミサイルで撃墜された。この攻撃には戦闘機8機が動員された」と公式に言明した。20時間も沈黙していた米政府が撃墜の様子を生々しく明らかにしたものだが、ソ連側は「領内にそのような航空機は存在しない」と述べているだけである。
日本の関係筋もスクランブルしたソ連機と地上基地局の交信でこれを裏付けるソ連側のやりとりを入手している。大韓航空機事件はミサイルによって撃墜という最悪の事態になったが、27人の日本人乗客を含め全員が絶望視されている。
外務省は1日夜、パブロフ駐日ソ連大使を呼び、事態確認と情報提供を要求しており、大韓航空機撃墜事件は重大な国際問題に発展した。
この日の紙面をみると、シュルツ国務長官の会見は日本時間、1日午後11時30分から始まったようです。
またもや、締め切り時間ぎりぎりです。当時、最終版はあわただしい編集作業におわれたはずです。編集ルームにいた記者全員が血眼になって、記事のチェックをしていたはずです。
最終的に、アメリカの発表が、「ミサイルで撃墜」の情報を裏付ける大きな根拠となったことは間違いないでしょう。
それにしても、きな臭い見出しが踊っていますね。まるで、北海道沖で紛争が勃発するような開戦前夜のような雰囲気です。
サハリン横切り海馬島付近で
領空侵犯警告なし 米国務長官が発表 8機で交互に追尾
付近海上に油 捜索機が発見
米、空母急派を検討
ソ連の沈黙を非難
事件の重大性認識 米、発表遅れる
政府、厳しい対ソ姿勢 「極めて遺憾」と安倍外相
捜索まで妨害するソ連
見出しだけ見ても、日本で、アメリカで、モスクワでどのようなことが進行していたかがわかりますね。
当時の安倍晋太郎外相(前首相の安倍晋三さんのお父さんです。念のため)は、米国務長官の発表からさかのぼること約3時間前の1日午後8時28分から記者会見し、厳しい表情で、「行方不明となった大韓航空機については、諸情報を総合的に分析した結果、1日午前3時38分、墜落したと思われる。ソ連機によって撃墜された可能性が高いと判断される。ソ連政府は『領内には大韓航空機は存在しない』というだけだ。極めて遺憾な事件だ」と語りました。
そして、1面には阿部編集委員の論説記事「事件どう展開」が掲載されています。撃墜した事実をソ連政府が国際舞台で認め、謝罪するかどうか、補償に応じるかどうかを論じているのですが、非常に興味深いです。
当時、ソ連書記長は、病気で療養が必要とされたアンドロポプでした。政権でのリーダーシップがとれず、この事件のあと、すぐに退陣することになっています。阿部編集委員は「軍部の暴走」も指摘しています。
現地の軍部は撃墜するという〝勇み足〟をしたが、モスクワのソ連中央は果たしてシラをきりとおせるものなのか、その場合のソ連に対する跳ね返り、また、認めた場合のソ連の責任の取り方などについて苦悩、政府部内で協議中かもしれない。
ソ連の発表が1日午後5時以降、出てこないのはこうした事情と無関係でないのかどうか。最終決断をアンドロポプ書記長が下すとすれば、軍部の支持に大きく依存しているだけに、ますます決断は下しにくいだろう。
ただ、どうころんでも、ソ連に対するイメージが大きく傷つくことは避けられそうにもない。人命がかかっているこの事件で示したソ連の非協力的態度だけでも十分非難に値するが、撃墜したとなれば、その無謀なやり方に世界中があきれかえるだろう。
クマがツメの生えた毛むくじゃらの手でハエをたたき落とすように、大韓航空機を墜落するのがソ連だとすれば、日本も本当に恐ろしい国を隣人にもっているものだということになる。
クマがハエをたたきおとすように、撃墜された民間旅客機、これを暴挙といわず何度言うのでしょうか?
今からほんの25年前、北海道北方のオホーツク海は、領空侵犯した民間旅客機でさえ、撃墜される緊張の海だったのです。
社会面では、乗客の家族らが、突然の悲報に嘆き悲しむ様子が記されていました。
頭では認識していたこととはいえ、この紙面を見て、思わず絶句してしまいました。
【9月2日朝刊社会面】
撃墜!そんなバカな・・ 大韓航空機
ショックで倒れる母
「強制着陸で全員無事」という朗報から、航空史上最悪の事件への暗転です。「撃墜」の情報があったにせよ、遺族は祈るような気持ちだったはずです。
そして、もたらされたソ連軍の暴虐。きっと、乗客は機内の中で、急降下による重力と燃え盛る炎で、阿鼻叫喚の地獄を味わいながら海の藻屑を消えたはずです。
乗客の顔写真が痛々しい・・・・
ソ連は、この段階でも、何があったかをまったく言わなかったわけです。遺族の話を聞きながら、記者もやり場のない怒りを感じたはずです。
「別便のキップ盗まれたり」という見出しがありました。
記事を詳しく読むと、乗客の中に、本来なら日航機で帰るはずだったのに、空港でチケットがはいったアタッシュケースが盗まれて、急遽、この大韓航空機に乗った日本人もいたのです。
「ソ連から賠償は困難 『モントリオール協定』の適用に望み 5年前 逆に韓国に10万ドル要求」
「燃料タンクにミサイル命中?専門家の見方 常識で考えられぬコースの逸脱 高空で突然消えたのは・・・・」
早くも前途多難な見方と、真相究明は難しいとの専門家の指摘も掲載されていました。
ちなみに、社会面の広告には、開業したばかりの東北新幹線や九州方面に向かうブルートレインの座席情報の広告がありました。当時を物語っていますね。
【9月2日朝刊3面】
この面では、担当記者による大韓航空機撃墜事件のナゾを解説しています。
民間機も容赦なく撃墜
国際政治のウズ 悲劇と隣り合わせ
正確だった自衛隊情報 米、手の内見せず
この座談会の記事では、興味深い分析ばかりです。いくつか抜粋して紹介しましょう。
「なぜ、大韓航空機ばかりソ連と事件を起こすのか?」のナゾがまず目に留まりました。
座談会の記事の隣に、モスクワ発の「5年前のムルマンスク事件 今回の事件と類似」の記事があるのですが、大韓航空機はこの撃墜事件からさかのぼること5年前に、ノルウェー・フィンランド近くのソ連空域で、領空侵犯したことがあり、ソ連機により湖の上に、緊急着陸させられたことがあったからです。
この問いに、記者はこのように答えています。
日航のパイロットにいわせると大韓航空が事件を起こした両ルートはソ連領空に接近しているのでいちばん気を使うという。
これに対して、大韓航空はパイロットがほとんど軍出身で、気性が荒っぽいと言われる。ムルマンスク事件は、実はパイロットがポーカーに熱中していて計器の監視を怠ったためという外電もあったくらいだ。
世界の主な民間航空会社がほとんど加盟している国際航空運送協会(IATA)に加盟せず、安売り運賃で集客するなど、国際航空界の一匹狼的存在であることも影響していると指摘するむきもあるね。
そして次の問い。「なぜ、ソ連は民間航空機を撃墜したのか」
ソ連空軍機が大韓航空機を発見したのは未明のことで、軍用機か民間機か識別できなかったという話もあるが、シュルツ米国務長官の声明をみる限り、それは考えられない。韓国の民間機としったうえで、ミサイルを狙い撃ちしたことはほぼ疑いないところだろう。
サハリンから北海道にかけての海、空域は、ソ連太平洋艦隊の軍備増強や、米海軍が打ち出した空母機動艦隊の展開強化作戦、それに日本の自衛隊の哨戒、偵察活動とあいまって日夜、電子、通信情報の収集合戦が展開されている。
ソ連にとって見れば、極東戦略の中でも特に高い重要性を持つこの区域の領空侵犯は、それが軍用機であれ、民間機であれ断じて許さないという鉄の掟があるのではないか。
そして、3面にはソウル発の原稿もありました。
「慎重にソ連の出方見守る 韓国政府 日米と共同歩調へ」
「第三国が銃撃 韓国文化広報相が言明」
韓国は当時、自らの情報収集能力では、何が起こったか確認することはできなかったのですね。
そして、ベタ記事ではこんな原稿も
「ソ連領には着陸していない ソ連外務省が回答」
人の神経を逆撫でさせるような回答ですね。あたりまえじゃないですか。撃墜したのだから。
そして、9月2日夕刊段階で、モスクワで動きがありました。
【9月2日夕刊一面】
また横凸版の大見出しです。
ソ連、撃墜だけ認める
領空侵犯と警告無視 タス報道
『撃墜には触れず』 海馬島事故らしい形跡 パブロフ大使外務省に通告
国民、納得せず 外務省、詳細な回答認める
レーガン大統領 休暇を打ち切り 「重大な関心」表明
蛮行に世界の怒り渦巻く
スホイ15が撃墜か
米、報復措置検討か
「誠意ある対応」求める 遺憾の意込め政府見解
ソ連に謝罪要求 韓国大統領名指し非難
米、緊急安保理を要求
日本も共同歩調を検討 後藤田官房長官
社会面ではこの撃墜事件を目撃したイカ釣り漁船の漁師の声が掲載されていました。徐々に、生々しい事件の様子が集まり、概要が見えてきたのです。
【9月2日夕刊社会面】
サハリン上空で大爆発音
「せん光も見えた」
付近で操業のイカ釣り漁船
一管本部、確認急ぐ
捜索は難航
「髪の毛一本でも・・・」家族、悲しみと怒りの会見
この日産経新聞の取材チームもヘリで、緊張の海へ向かっていました。
抜粋して紹介しましょう。
【本社機「おおぞら」で竹縄畠記者】大韓航空機がソ連の戦闘機に撃墜されたとみられる樺太(サハリン)西方沖のモネロン島(海馬島)付近海域を2日朝、本社機「おおぞら」でとんだ。ソ連領空ギリギリの飛行。緊迫する北の海の緊張感がヒシヒシと伝わってきた。
午前6時すぎ、おおぞらは、ちとせく公から機首を北に向けた。曇天の中、高度1500メートルで稚内上空へ。午前7時6分、航空自衛隊・稚内レーダーサイトにモニター(監視)を依頼した。ソ連領空に入らないためだ。「おおぞら」はグーンと高度を下げ、高度300メートルで海面上を飛行した。
午前8時すぎ、右手にぼんやりと島影が入った。モネロン島だ。
写真撮影のため、旋回に入った。同乗のカメラマンが「もっと(島に)近づこう」。「もう、これ以上、近づけない」-パイロットに極度の緊張感が走った。ソ連領空ギリギリなのだ。
突然、無線が鳴った。「ソ連領空に近づきすぎた」「引き帰すよう」。稚内レーダーサイトからの警告である。おそらく、眼下の海上では、巡視船とソ連の軍用艦が対峙しながら、捜索活動を続けているはずだ。
「領空近くだ。北へは進むな」レーダーサイトから警告無線が、しばしな飛び込む。
眼前に漁船らしい影がポツン、ポツンと浮かぶ。イカ釣り漁船らしい。ソ連の軍用艦らしい船影もみえる。停止しているようだ。領海侵犯を警戒しているようにも受け取れる。
領空スレスレの飛行を続け、午前8時45分、「おおぞら」は、モネロン島付近の海域からひき返し、機首を再び北海道に向けた。
現場の緊迫感が伝わってきますね。これこそが記者魂というものでしょう。私がその場所にいたら、何を伝えるべきか、考えさせられます。やはり、現場にもっと近づきたいという衝動にかられたと思います。
いかがでしたでしょうか?新企画「あの時の今日」。また、節目を捜して、みなさんに紹介しましょう。
大韓航空機撃墜事件はその後、ソ連が歯切れ悪く事実関係を一部認めながらも、国際社会の非難を無視して、沈黙を続けていくのです。
結局、全容が判明したのは、ソ連邦崩壊後となりました。
みなさんは、この事件、どこで知り、どのような受け止め方をしたでしょうか?
現在のグルジア紛争の構図を見ると、いくつか重なって見えるところもあると私は考えるのですが、さていかに?
by u-bay
ゴルビー映画、ディカプリオ、…