瀬戸大橋:翻弄された25年 観光にぎわい続かず、橋で過疎化も−−香川・与島

毎日新聞 2013年04月10日 大阪夕刊

「島が橋でにぎわったのは開通から3年ぐらいだった」と振り返る住谷一弘さん=香川県坂出市の与島で2013年4月4日、広沢まゆみ撮影
「島が橋でにぎわったのは開通から3年ぐらいだった」と振り返る住谷一弘さん=香川県坂出市の与島で2013年4月4日、広沢まゆみ撮影

 開通から25年を迎えた瀬戸大橋。途中にある与島(香川県坂出市)には、パーキングエリア(PA)やレジャー施設が設けられ、開通当初は観光客が詰めかけた。しかし、3年後から陰りが見え始め、今は往時の面影はない。江戸時代ごろから続く島の石材・海運業は廃れ、住民が抱いた「陸続き」への期待は失望に変わった。橋に翻弄(ほんろう)された島の四半世紀を追った。【広沢まゆみ】

 与島は、良質な花こう岩の産地で、江戸時代ごろから石材業とそれを搬出する海運業で栄えた。昭和の最盛期には島内に30の石材業者があり、1960年代には50隻の船がひしめいたという。

 橋の建設に伴い、採石場の多くは建設用地に充てられ、業者は次々廃業。島には建設労働者が集まり、80年に361人だった島民は、開通の88年には500人以上に増えた。現在、与島連合自治会長を務める住谷(すみたに)一弘さん(68)もその一人だ。香川県白鳥町(現東かがわ市)出身で84年ごろ、与島に移り住み、橋の建設に携わった。島出身の妻峰代さん(64)と出会って結婚した。

 橋が開通すると、与島は一般車両が立ち寄れる唯一の島として観光振興が期待された。京阪電鉄(大阪市)がレストランや土産物店の並ぶレジャー施設「京阪フィッシャーマンズワーフ」を開業し、88年度には約500万人が押し寄せた。島民はPAやレジャー施設の店員として働き、海運業の船乗りも観光遊覧船を運航するなど、島の主要産業は石材・海運業から観光業に移った。

 しかし、にぎわったのは開通から3年ほどという。通行料金の高さなどから観光客は徐々に減少し、90年度は約250万人と半減。98年に明石海峡大橋、99年に瀬戸内しまなみ海道が開通すると、減少は加速し、京阪は2003年に撤退した。

 PAやレジャー施設で働いていた島民は島外に仕事を求めた。島民の通行料金は開通から01年3月まで50%割引だったが、それでも軽乗用車で四国側へ通勤する住谷さんの長男は月に約8万円かかった。「島内に残る若者はいなくなった」。島民は1990年に277人、2010年は115人まで減少し、高齢化も進んだ。

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