最近、にわかに「がん幹細胞」という言葉が注目を集めている。がん幹細胞とは、木に例えれば、がんの“幹”であり、抗がん剤などで、“枝葉”に当たるがん細胞をたたいても、がん幹細胞が残っていると、再発、転移につながると考えられている。その様子から、がん幹細胞を“女王バチ”にたとえる見方もあるほどだ。
その「がん幹細胞」を攻撃し、がんの再発防止を狙う新薬を世界でもトップを切って開発している、大日本住友製薬の多田正世社長(写真)に聞いた。
■がんの“女王バチ”をたたかないと、再発防げない
――がん幹細胞をターゲットにした再発防止を狙う新薬を開発中です。成功すれば、世界初の新薬ということですが、そもそも「がん幹細胞」とはどのようなものですか。
がんの細胞の親玉のような細胞を「がん幹細胞」と称しています。仮説ではありますが、すべてのがん細胞ががん幹細胞から派生してくるという認識です。がん幹細胞が女王バチ、がんの細胞が働きバチというイメージです。いくら働きバチを殺しても、1匹の女王バチが生きていれば、次のがんが出てくる。われわれは、がん幹細胞を直接たたくことを考えています。それによって、がんが転移したり、再発したりということを防ぐ可能性があります。
開発中の薬は、がんの一般細胞にも幹細胞にも両方効く、オールマイティな薬になると期待しています。ただ、がんの種類によって効き目が違うので、すべてのがんに効くとは考えておらず、大腸がんから開発を進めています。
がんに幹細胞があるかどうかについては、血液がんではがん幹細胞の存在が立証されています。一方で、固形がんでは、がん幹細胞の存在は十分には証明されていないのが現状です。ただ、固形がんでも研究が進み、膨大な傍証が出ている。最近でもがん幹細胞の存在を示唆する報告がいくつか出てきており、そういうこともあって、がん幹細胞をターゲットとする薬の開発でトップを走っているわれわれが、注目されているのだと思います。
■NHK報道もあり、がん幹細胞への注目度が急上昇
――開発の中心であるベンチャー企業、ボストン・バイオメディカル・インク(BBI)をどう発掘したのですか。
BBIのCEOをお願いしているチャン・リー氏は、かつてハーバード・メディカルスクールできわめて高名なパーディー教授のポスドク(ポストドクター)でした。当社の野口浩・副社長も教授に師事していた時期があり、同門として紹介されたのがきっかけです。その後、会社同士でお互いをよく知る時間を経て、買収に至ったわけです。
買収は昨年の4月です。その時点での計画どおりに進んでいます。
この薬の開発について、今年の1月にNHKのニュースで取り上げられてからは、いろいろな方から「多田さんのところは、がんの薬を開発されているようですね」と言われるようになりました。ホテルのドアマンからも、「実は私の父が……」という話になる。
それだけこの病というのが人類にとっては重大な病であり、そこへ切り込んだ薬は大いに人々のお役に立てる、そういう気持ちで開発に取り組んでいます。
――開発状況と発売の目標は? また、開発の進み具合やデータをどう開示していきますか。
■発売は米国で2015年度、日本で16年度が目標
フェーズ3(臨床試験の最終段階で、実際の患者を対象に大規模に行われる)を開始しました。既存の薬剤では効果が示されない患者さんを対象とした薬の投与を準備中です。発売時期については、米国では2015年度、日本では16年度の上市が目標となります。
情報の提供にあたっては、基本的にはフェアに、すべての方が同じ情報を同時にシェアできるようにと考えています。この薬がこれだけ注目を浴びているということも、よく理解していますので、節目節目ではリポートをしていきます。
アナリストなどの関心は、いつ、われわれがデータを開示するかということです。
フェーズ1、2のデータについては、今期中に国際的ながんの学会での発表を目指しています。また、メカニズムの開示については、がんの分野は極めて競争が激しく、開示したとたんに他社が同じようなターゲットを目指して開発してくるため、十分なリードタイムを取らないとリスクは大きいだろうと見ていますが、こちらも今年度末までには発表する考えです。
■iPSでは山中教授と創薬で共同研究、網膜の再生も
――イノベーションへの挑戦、最先端技術の活用を強く打ち出しています。iPS細胞(写真)の活用については、ノーベル賞を受賞した山中伸弥・京都大学教授とも以前から共同研究を行っています。
山中教授は1993年から約3年間、米カリフォルニア大サンフランシスコ校に留学されていましたが、当社の平松隆司ゲノム科学研究所長も同じ頃、同大バークレー校に留学し、親交を深めていました。帰国後に平松から共同研究を持ちかけ、2001年にはマウスES細胞(胚性幹細胞)関連の共同研究をスタートさせました。
ご承知のとおり、山中先生には難病を治療したいという、すごく強いお気持ちがあります。そこで2011年からは、iPS細胞を活用した、ある筋骨格系の難病に対する共同研究を行っており、16年までをひとつの区切りとして、対象化合物を選定するというスケジュールでやっています。
――iPS細胞を活用した再生医療については?
先日は、理化学研究所認定ベンチャーの日本網膜研究所との資本提携を発表しました。iPS細胞技術の実用化に関する連携に向け、協議していきます。山中先生との取り組みは、iPS細胞を活用した創薬、こちらは網膜の再生医療となります。
■グローバル化は必須、海外に行くならがん領域
――2008年の社長就任以来、米国での大型買収など、大きく会社を変えてきました。
この事業で生き残っていくために絶対に必要なのはグローバル化です。日本の市場だけで医薬品メーカーが生き延びていけるとは思っていません。
2009年に米国のセプラコール社を買収して、世界に対する目が一気に広がりました。当社は、がん領域を一度やめていました。確かに、日本だけだと、一つひとつの疾病の市場は小さく、競争も激しい。しかし、社長になってグローバル化を進めてみると、がんの市場は大きく、1剤で5000億円、6000億円というマーケットがある。そんな世界を私は少なくとも知らなかった。海外に行くなら、がん領域だと言い出したら、皆もついてきてくれました。
国内でも、がん創薬研究所を選抜的に新設し、BBIのチャン氏の指揮の下、スピードやハードワーキング、意志決定の明快さなど、米国流のベンチャー的手法を取り入れてやっています。米国のBBIのラボと競争して、開発中の薬だけでなく、BBIからも日本からもそれに続く成果が出てくると思っています。
■メガファーマ対抗へ、最先端の画期的新薬に絞り込む
――従来から強い精神神経領域と、買収で本格参入したがん領域への特化、スペシャリティ・ファーマ志向を打ち出した。絞った分野でファースト・イン・クラス(画期的な新薬)を狙うと宣言しています。
スペシャリティといっても一般スペシャリティ、大きな分野だと、他社も目をつけている。だから、がん領域といっても、他社の皆さんはオーソドックスな抗体医薬的なものを中心にやっておられるが、当社は限られた資源をがん幹細胞やがんワクチンなどの研究開発に集中する。その中でも他社とは違うアプローチでやっているのです。
重点領域は、精神神経、がん領域が中心ですが、それ以外の希少疾患的なもの、先端的な技術に関係するものはやっていく。患者さんが非常に困っておられて、今までの技術では対応できない。そうすると新しい技術を開発せねばならない。先端技術を狙うということは、すなわちアンメット・メディカル・ニーズ(いまだ有効な治療方法がない医療ニーズ)の高いものをやっていくことになり、それが患者さんの役に立つと考えます。
メガファーマに対抗するには、分野を限って得意分野を、しかも先端技術で作り上げるしかない。(メガファーマの)皆さんは力があるから、この領域も、あの領域も、ということでしょうが、最先端、アンメット・メディカル・ニーズ、ファースト・イン・クラス、当社はよそ見しないで、これに徹しています。
(多田社長と大日本住友製薬本社ビルの写真はヒラオカスタジオが撮影)