石原莞爾

新日本建設大綱
石原莞爾

      第一 世界観

一 ドイツの潰滅、日本の降伏によって戦乱は終息した。人類は「平和の脅威」がここに全く除かれ、列強は武備を撤して平和の時代に入ることを予想し、かつ熱望しているであろう。
二 万物は生成発展し、発育の終極に至って死滅する。原子爆弾の出現を契機として戦争は発達の極致に達し、ついに自らを否定すべき時代に入ろうとしている。戦争の終焉しゅうえんは恒久平和実現の第一歩に外ならぬ。
三 戦争はその時代の文化が可能とするあらゆる力を総合して行われるのであって、戦争の形相は、これを端的に言えば、時代の文化力の結晶である。戦争の絶滅は、文化が戦争との結びつきより永久に解放されること、換言すれば、人類の本能たる闘争心が一大整理を加えられ、この本能が文化の発達に向い、戦争なき新文化の創造に向って一大飛躍することを意味する。
四 狭小なる国土に圧縮された日本が、民族の総力を傾注して内容を一変させる新国土を建設し、土地、資源の侵略を欲せざる国家をここに実現するならば、これ即ち戦争を必要とせざる文化の創造である。
五 かかる新日本の建設のみが、よく日本当面の諸問題を根本から解決するのみならず、人類文化の最大転換期に際し、最も輝かしき貢献をなす所以ゆえんである。

      第二 国土の新建設

       一、建設の目標

六 敗戦によって、日本はこの狭小な国土に八千万の人口を養わねばならなくなった。しかもそれは辛うじて生存を維持するのではなく、すばらしく健康な身体を養う生活でなければならぬ。更に身体の強健のみに止らす、必要な分野に於ては列強の水準を突破する科学文明を持つのでなければ、我等は民族の誇りを満足させ得ない。
七 右の条件を可能にする新建設の目標は次の三つである。
  都市解体
  農工一体
  簡素生活
八 この建設目標は、資本主義およびその後継者をもって自ら任ずる社会主義の立場よりすれば、文化の進歩に逆行するものと見られるかも知れない。即ち巨大都市を中心とする大規模工場、いわゆる生活の向上と称する近代的人為生活等を文化進展の方向と思い込んでいる現代人にとって、この三目標は驚倒に値するむしろ非常識な主張とされよう。然し冷静に考えるならば、近代文明がもはや行くべき道を行き尽して、ここに何等かの大転換を必要としている事は、何人も認めざるを得ないところと信ずる。
九 原子力の使用は、一面、人類に無限破壊の脅威を与えるとともに、他面無限生産の光明をもたらす。かくて資源の束縛から解放された人類は従来の都市文明の方向を突進し、しかもなおかつ資源争奪の戦争を要せぬ時代を招来し得るとも考えられる。しかし、かくの如き自然の征服は、結局人類を衰亡の方向に導くものである。我等は今こそ自然と一体の生活に帰らねばならぬ。大自然に抱かれつつしかも最高の科学文明を駆使する生活、換言すれば自然に最も順応せんがために科学を最高に発揮することこそ、永遠に進歩の道を行く理想生活になることを確信する。
一〇 利己心と利他心とは我等の心に併存し、社会道徳の主眼はその適切なる調整にある。経済の目標は個人経営と社会経営とを時代に即応して、巧みに按排あんばいし、その最高能率を発揮するにある。今日は社会的経営部面の飛躍的増加が必要である。しかし単にかかる組織の変革のみでは、今日の日本の危局すらも救うことが出来ない。文化の本質とその変転の様相を見究め、我等が人類歴史の最大関節に直面している事実を確実に把握する必要がある。
一一 あたかも心臓より出でて細分しつつ流れ行く血液が、毛細管に達すれば一転して心臓に戻るが如く、自給自足の原始経済は文化の進歩とともに分業より分業へ進化したが、歴史の大転換に伴ない、都市は解体せられ農工の対立は急転して、農工一体、国民皆農へと進む。
一二 我等は世界一般の常識と対蹠的なこの建設目標により新日本を建設せんとするものである。かくの如き革命的建設は、尋常一様の力ではほとんど不可能に近いが、今次の敗戦によって、これ以外に日本の進むべき道は求められぬことが明かにされた。悲しむべき敗戦こそ、心機一転、新しき大建設に邁進せしめんとする天意である。
一三 かくして日本は世界に先んじて都市の解体を眼目とする国土の新建設を継行する。国民皆農は食糧問題解決の最良の方法である。国民のすべてが食糧自給の態勢となった暁には、現在の農耕法を以てしても、国内に一億以上の人口を養うことが可能である。罪の病の都市より解放されて心身の健康を恢復した国民を周密適切な計画に動員して大生産をあげ、不健全な享楽生活を一掃せる簡素生活によって浪費を絶滅するならば、遠からずこの国土に人類次代の模範たるべき新文化を創造し得ることを疑わぬ。
一四 かくの如きは世界の史上に比を絶する雄大な建設である。単に政治経済の革新に止まらず、更にその根底をなす人間性の革新を必要とする。従って戦争に幾倍する大困難が我等の前途に横たわっているであろう。途中途方に迷う事も少なくあるまい。しかし我等は断乎として邁進する。この建設途上に新時代の指導原理を確立するのである。

       二、都市解体

一五 近代文明は都市を母体としこれを中心とするものであったが、都市はいよいよ膨張の一途をたどって止まるところを知らぬ。生産は極度に集中した大規模工業に依存し、他のあらゆる文明の集中現象と相俟って、文化の偏在、都市と農村の相克対立は深刻を極め、農村は日に荒廃して救済のすべがない。生活程度の向上に対する人類の欲求は、都市文明なる特殊の環境に支配されていたずらに浪費贅沢の弊害を深め、都市自体また道義の頽廃その極に達し、各種慢性病の巣窟と化した。
一六 この時に突如として出現したものが空襲である。空襲は都市解体の至上命令であった。軍事の進歩は一般文化とその歩調を一にする。軍事的に見れば、空襲は大設備の大集団による生産と密集せる生活を不可能ならしめるが故に、文化的見地からするも、都市を解体しても生産の維持増加が可能となったことを推知し得る。従って進歩せる今日の工業が、分散することによって退歩するが如き憂いはない。 一七 新建設の鍵は都市の解体であり、都市解体は民族の生命を永遠らならしめる最良の手段であることは何人も疑わないであろう。然るに今日の文明が都市の所産であるのみならず、文化人の都市に対する愛着は深刻を極め、その魅力は脱け難い。更に大都市の解体は想像を絶する大作業であるために、いかに科学力を誇る欧米人といえどもその強行は至難であり、ベルリンもロンドンもかえって復興を急ぐであろう。日本でもかかる考えは依然圧倒的である。
一八 木造家屋の伝統を固執して来た日本は、空襲によって都市の大半を失なった。これこそ日本をして世界にさきがけて次代文明を創造せしめんとする神意である。残存都市も木造なるがゆえに解体は容易である。いわんや空襲によって急速に解体し終った多数の都市は絶対に再建すべからず。事実上再建は不可能である。未練深くも不燃焼都市の建設を夢みる者のために、神は広島、長崎の二市を犠牲にしてその愚を戒めたのである。
一九 東京の解体を機として、皇居は最勝の地にお移り遊ばされるものと拝察する。
二〇 都市解体に伴う人口の配分は、主として各地区の食糧生産高によって決定する。一例をあげれば、京浜では戦前の人口から約八百五十万を移動せしめる必要があり、このうち約四百万は関東地方で収容し、四百五十万は新潟県および東北地方に移す。京阪神からは約六百万を富山県以西に分散する。新しき人口配置と地理的条件に基づいて工業立地の大綱を決定すべきである。

       三、農工一体

        (1)農村の改新

1、都市の解体と農村
二一 都市解体はいわゆる国土計画の立場から国家の計画すべき最も重要な問題であるが、急速にこれを期待し得ざる現状では、自らがこれを研究し準備することが農村人の責務である。即ちその農村が幾何いくばくの都市人口を収容し得るか、いかにしてこれを迎うべきか等につき具体的な計画を樹立し、これが実現に当っても主動的立場に立つべき面の少なからざることを予期しなければならぬ。
二二 かくの如き諸計画を樹立し実行するに当って、基本的前提となるものは土地問題であり、合理的な土地の再配分なくして都市の解体は不可能である。農村人は新国土建設の熱情に燃え、しかも温かき同胞愛によって愛着浅からぬ土地を都会人に解放し、忍び難き苦痛を新日本建設のために捧げねばならぬ。特に我等の同志は、自己の犠牲がやがて報いられ、美しく新しき村の出現する日を夢みつつ、率先して土地を解放する決意を固むべきである。
2、国民皆農
二三 全国民はすべて農耕に従事する。その耕作の限度は自家食糧の自給をもって標準とする。
二四 全国民が農耕を営なみ、各家庭の主労働力は各種の職業(主として工業)に従事し、家族労働力をもって自家食糧を生産するものとすれば、食糧問題は根本的に解決するのみならず、農業生産と工業生産は矛盾なく拡充せられ、農と工との相剋は消滅して一体となり、農工一体の産業理想が実現するであろう。
二五 自家食糧の自給はなるべく狭小な土地によることを誇りとすべきであるが、目下の耕作法をもってしても、東北地方では五人家族として中等の土地三反歩以内、関東以西は二反以内にて足るであろう。
二六 通常は主婦の労力により、休日や朝夕には主人も加わって二反歩以内を耕作することは決して過重の労働ではない。家族一同が天地の恵みに浴して作物の手入れをすることは無上の慰安であり、殊に子供等にとっては天国の如き生活となるであろう。
二七 国民皆農を合理的に行うには、畜力、機械力を高度に利用して、隣組等の共同耕作を実行し、労力を効率的に運営することが特に必要である。
二八 国民皆農の実現過程に於ては、都市に残存する人口といえども副食物は自給すべきである。一方新農村に対する農業指導をなすためにも、まだまだ食糧を自給し得ざる人々のためにも、食糧の多量生産を目的とする専業農家が必要である。その理想は、反当収量を減ずることなくなるべく多くの土地を経営するにあるが、現在日本農家一戸当り耕地面積に三倍する三町歩(東北地方四町歩、北海道は十町歩)前後の耕地を、畜力、機械力を利用して能率高く経営することを目下の目標とすべきである。
二九 生産力低き土地に於ては農工一体の経営は困難であって、大規模農場経営を必要とし、高度の機械化を要求する。広大なる土地の新規開墾は主としてかくの如き方法によるべきである。
三〇 都市人口の農村への移動は工業の進出と並行して行われるを理想とするが、農村はいたずらにこれを待つことなく、一時の犠牲を忍び出来る限りの人口を収容しつつ、耕地の整理分合、道水路改廃、新墾、土地改良等に努力して、自ら先ず専業農家と自給農家に分れる態勢を整えることが最も望ましい。かくて工業の進出とともに漸次専業農家は分解してその数を減じ、遂には林産、繊維、パルプ、燃料等の原料を生産するもののみが専業農家として残り、国民皆農の理想が完成するであろう。
三一 国民皆農、農工一体の新しき国土に於ては、健全なる農村的環境につちかわれる優秀な労働力と、運輸、通信、動力等の発展に即応して適宜配置せられる工場ないし作業場の分散組織によって、最も健全にして最も高き生産力の実現が可能となる。また工業の地方分散が農業および農村生活に与うべき科学、技術、殊に機械と電気の恩恵は、徹底せる国民皆農を予想する我等の特に待望するところであり、国民の能力はこれによって飛躍的に向上するものと考えられる。
三二 かくして都市による農村支配、農業と工業の対立は意義深き終焉を告げるであろう。高き経済力と豊かな文化的生活は国民皆農によってのみ獲得する事が出来る。従って小作問題等も以上の如き経済力向上の態勢下に初めて自然的かつ根本的解決を期待し得るのである。
三三 国民食糧の問題は、生産および配給の両面にわたって一切の隘路が消滅し、今日都市に残存せる莫大な遊休労働力は、極めて合理的に生産の配置に就くことが出来る。農村人口の減少が社会経済発展上の必然的帰結なりとする如き、人口政策上の過去の思想は清算され、剛健簡素なる農村的国民生活の徹底により、国民のすべてが健全にして有能なることを期し得るのである。
三四 日本の農家戸数はほぼ五百五十万戸、耕地面積六百万町歩なるに対し、非農家戸数は約八百万戸、可耕未墾地は、水あり作物成育して人間生活が可能であるとの条件をもって調査すれば三百町歩に及ぶといわれる。高き科学、技術を採用し、健全な自足生活を楽しむ国民皆農の日本には、労力不足も土地不足もあり得ないであろう。
三五 更に進んで池本喜三夫氏の山地征服論が実現するならば、日本の国土は風貌を一変し、数億の人口を容れる極楽の地となることも考えられる。
3、食糧対策
三六 国民食糧問題の根本的解決は、国民皆農によって初めて全きを得るのであるが、今日の危急を救う唯一の対策は、米作偏重の打破である。即ち生産力低き水田(約三分の一)をただちに甘藷または馬鈴薯作に転換することにより、八千万の人口を優に国内に養うことが出来る。これがためにも農産加工業を急速に発展せしめることが必要である。
4、林野経営、治水、利水
三七 林野経営と治水、利水は新農村が拠って立つ両脚である。治山、治水の言葉に明かな如く、日本の自然に於て特に両者は不可分の関係にある。
三八 日本の国土のおよそ三分の二は林野である。或いは樹木の成長、家畜飼育の見地から、或いは水の調節、国土保安の見地からその経営の当否は単に農耕のみならず国力全体の発展に決定的重要意義を有するのである。近時木材は通常の用材、薪炭、パルプ原料となるほか、航空機、船舶、車輌、鉱山用材、鉱工業用木炭、ガソリン代用木炭等として急激にその需要を高めて来ったが、反面つとに憂えられた森林の過伐濫伐はいよいよ激化の一途にある。現下の勢をもって推移すれば、近き将来に於ける森林の荒廃、蓄積の激減、旱魃かんばつ洪水の頻発等は火を見るよりも明かである。一方、日本の産業(殊に水田を生命とする農業)および国民生活に於ける水の役割は、如何に重視するもなお足りないであろう。いわんや今日、日本に恵まれた良質の軟水が東亜に於ける日本産業の独自なる地位を予見せしめ、到る所多き水力電源の存在は新農村工業の全国的出現を確信せしめるものである。植伐並行する人工林の造成、特に零細に分裂せる民有林の適正な共同施業、これと緊密一体に進められる治水利水工作、就中なかんずく水力電源の高度の開発等々、皆農日本国民はそこに耕地と同じく最善の知恵と努力をささぐべき無限の活動分野を感得せねばならぬ。
三九 国史は治山治水に関する祖先の惨憺たる辛苦と不幸の記録に満ちている。我等の建設はこの部面に於ても、歴史を正しき調和と発展の頁に切換える責務を有するのである。各地方の自然、殊に地勢、地質、水の配置等に照応し、全国的統一と権威を持つ林野と水に関する行政機構の確立、正に焦眉の急にありというも過言ではない。
5、農村保険および税制の整備
四〇 前記諸方策の遂行は、農村の産業と生活を急速に安定向上せしめるが、更に健康保険、家畜保険、収穫保険、火災保険、適正価格公定等により農村生活の不安を除去し、農村産業の発展的再生産を可能ならしめる。
四一 なお各農家が平等に共同奉仕労働をささげる共同収益地を設定し、その生産物ないし収益をもって公租公課の主要部分を賄なう。それは新時代の税制確立に対し意義深き先駆的制度たるべきものである。
6、農政、自治
四二 右の如き諸方策の実現は、農政、自治等の改革を要求する。合理的な農政および生活組織の結成と、これに相応ずる農業団体の組織、その要所にあって必要な指導に任ずる当部要員の配置等、我等が心より実現を期する新農村政治の結構である。これにより現在の煩瑣はんさな組織を及ぶ限り簡素化し、真に人格と実力を具える適材を適所に登用し、有給吏員は必要最小限に削減する。特に最下部構造なる農村区域は適当に縮小し、村役場を県庁の支店的事務から解放し、当部の指導と農民の無報酬なる相互奉仕によって、真に農村自治の本領を発揮せねばならぬ。

        (2)工業の再建

1、建設目標
四三 先ず着手すべき工業の重点を通信、交通器材の生産に置く。我等は軍備の建設を放棄した。しかし平和的事業を妨害することは人道がこれを許さない。例えば軍艦、戦闘用飛行機は一艦一機も製造せぬが、船舶を多数造り出さねばならない。
四四 世界各国と有無相通ずるはもとより歓迎するところであるが、奢侈しゃし品類の輸入は全面的に禁止することを要する。
四五 逐次経済一体化の実現をはかる。その要領は次の如くである。
 生活物資は各国ごとに極力自給することに努める。日本が東亜の後進国に軽工業品を売って利益を収めようとした態度は、もはや過去のものとして葬らねばならぬ。
 原料工業は原料の所在地で行なうのが原則である。
 重工業、化学工業は適地適業に徹底して最大能力を発揮する。
2、科学技術の使命
四六 来るべき世界の模範を目ざす空前の革新的大建設の遂行にとって、科学技術の尊重が最大の重要事たるは言をたぬ。然るに日本の科学および技術の水準は残念ながらすこぶる低い。我等は科学者、技術者の総動員によってその画期的向上を企図する。この動因は在来の如き官僚的のものでは全く意味をなさず、世界的意義を持つ未曾有の大理想に感激せる同志科学者、技術者の指導する精神的団結でなければならぬ。官僚技術者その他のブローカー的存在を排除して、この科学技術者組織と最高政治を直結することが、国家の有する科学技術の全力を遺憾なく大建設に集中する道である。かくて我等の科学技術者が東西を総合止揚して真に日本に根ざせる科学技術を確立し、世界最高の工業形態を建設することを疑わない。
3、建設順序
四七 国民皆農の精神と真剣なる節約によって食糧問題を解決し、衣料の如きは戦災者以外は今後の数年間を手持品で満足する決意をもって建設に全力を捧げ、来襲すべきインフレおよび不景気を突破せねばならぬ。失業者は主として都市解体による人口の移動および交通に重点を置く土木作業に動員する。能率高き土木機械を最も必要とする。
四八 既設工場は地方の受入準備が出来るに従って、現地に移動する。
四九 右の如き臨時処置を講じつつ、至急に国土計画を立案して逐次整然たる大建設に着手する。
4、工場の分散経営
五〇 現在既に分散経営を有利とするもの、ないし可能とするもの、近く可能となるもの、当分大規模設備を要するものに分類し、分散経営の科学的研究を急ぐ。
五一 権利義務の観念が発達して科学的事務管理に長ずる欧米人に比すれば、我等は遺憾ながら大規模経営に於て遠く彼等に及ばぬものがあった。近頃は五、六百人以上の工場は日本人に適せぬという説が盛んである。この欠点を是正するには全力を傾けねばならぬが、一面、温かき人情をもって能率を挙げ来った我等の経営法は、小規模に分散する今後の経営に特質を発揮することが大であろう。
五二 国民皆農が実現する時は、心身ともに健全にして新日本建設の熱情に燃える科学者、技術者、経営者、労務者等の見事な協力によって、必ずや新しき分散経営の様式が生れるであろう。
5、統制
五三 過去数年間官僚の行なった経済政策は、なるべく多くを国家権力の下に置こうとするものであった。これは自由より統制への進歩ではなくて専制への後退であって、国民の権力を甚だしく抑圧した。明確な目標に向っての周密な計画に従い、民間の自由に委すべきものと国家権力により運営すべきものの区別を明かにし、その相互関係を適切ならしめることが統制の第一歩である。
五四 重要産業の中央工場は、国営となし、協力工場は周囲に適宜分散せる民間企業にゆだねられる。

       四、簡素生活

五五 革新は社会進歩のために不可避であったが、その犠牲は悲しむべきである。恒久平和の時代となれば社会は不断に生成発展を遂げるであろう。革新の原因たる社会の固定は指導者の固定にあるが故に、革新なき時代を招来するには、指導的地位にある者が常により優れた者に譲り、真の能力を有する者が自然に指導者となるが如き社会を創造せねばならぬ。
五六 由来革新とは政治経済上のこととのみ考えられているが、その根本は人間性の問題である。恒久平和を前にする昭和維新は既に革新の卒業期に近づき、在来のそれに比して強く人間性の革新が要求される。即ち指導者たる者は反省深く謙虚であり生活が正しくなければならぬ。この両者は全く不可分であり、人間性の革新は結局生活の刷新である。正しき生活は簡素生活に外ならぬ。
五七 有能者には分に応じて指導的地位を与えるが、生活は万民等しくかつ簡素なものでなければならぬ。
五八 国民皆農は国民皆労によって裏づけられなければならぬ。今日、社会全般に封建的なものが色濃く残存する。ややもすれば勤労を回避して管理的な事務に従事することのみを望み、勤労せずして生活するものが知識階級には特に多い。国民の最大多数は老幼男女を問わず欣然として直接生産に従事し、間接生産に従事するものは極度に制限するを要する。
五九 頭脳は人類に与えられた能力を十分に発揮して科学の進歩では一歩も譲らぬ一面、野獣のき剛健な身体を保持する人頭獅身の生活が、民族の生命を永遠ならしめる所以ゆえんである。
六〇 高等動物である人間は鳥獣に比して格段に鋭敏な直観力を備えているはずである。然るに人為生活の発達につれて次第にこれを見失って来た。更に近代科学は、計器、自動機械を直観力に置き換えようと努力している。しかし人間の真の能力は、直感の練磨と機械の駆使が一体となって発揮されるものと考える。直観力は正しき簡素生活によってのみ恢復される。
六一 簡素生活への生活刷新はしかし難事中の至難事である。世界にさきがけて人類次代の新文化を創造し敗戦の大恥辱をそそぎ、至尊に対し奉り万死に値する大罪の万分の一を償おうとする血涙の誓願のみが、よく我等凡夫をしてこの至難事を断行せしめるであろう。
六二 生活刷新の着眼点は次の如きものである。
 衣 衣服は奢侈しゃしの虚栄の根源をなす。これを封ずるには模様物を全廃して、全国民の衣服を一色に限定する。差当っては「紺黒」が適当であろう。
 食 享楽中心の不自然な食生活を一擲して、全食、なるべく生食をする。肥料として驚嘆すべき効果を示す酵素を活用して食範囲を拡大するとともに、食物の天然の味を楽しむ。
 正しき食生活は特に品性を養なうもとである。国民皆農の精神に基づき酵素肥料によってすばらしき作物を育て、これを酵素を用いて調理し感謝をもって食する。かくて食いたい時に食いたい物を食いたいだけ食えば無病息災となるのが、我等の理想である。
 住 分散する住宅は、位置選定の自由を利用してなるべく物置類を地下に埋め、地上部は極度に簡素な設備とし、類焼防止の空地を大ならしめる。速かに各地方に適する標準家屋の研究をなすべきである。
 都市解体のためには住宅の簡素化が特に重大な要件である。

      第三 政治組織の結成

        (1)国体と政治

六三 天皇が日本民族社会の本然の中心であらせれるところに、国体の本質が存在する。世界の特異的存在たるこの本質に敢て目をおおい、天皇制なる表現によってその打倒を叫ぶ共産党の理論の如きは、極めて非科学的である。
六四 国体に関する自由な論議は、我等の感情としては忍び難いものがあるが、近時、あまりに権力的な国体宣伝に禍せられて、国民の多くが国体を正しく把握していないことを考えるならば、真摯な論争はむしろ歓迎すべきである。この論争過程に於て、過去の官製的国体論は急速に解消せられ、新たに国民の心からの理解に基づく国体擁護の主張が、広汎な国民の間より盛り上ることを確信する。
六五 今次戦争開始の責任を天皇政治に帰する者があるが、若し政戦両略が天皇によって断ぜられていたならば、この戦争の如きは決して起らなかった事は明かである。大正以来、西園寺さいおんじ、牧野等側近の重臣が英国流の憲法運用を模倣し、陛下を英国の君主の如き輔弼ほひつし奉った結果、天皇親政は名のみとなり、形式的御親裁以外は絶えて聖断を仰ぐことなく、政治は少数者の専断と妥協とに委ねられ、遂に有史以来最大の国辱を招くに至った。
六六 然し、天皇親政の現実的形態は時代によって変化する。民主主義は西欧に於て君主専制に対立して発生した政治原理であるが、国民が自ら政治の責任を分担し積極的に政治能率の向上に努力するのは、人類進歩の自然の結果であって、我が国でも当然に認めらるべき原則である。敗戦によって国軍の解体せる今日以後、もはや政戦略調整の問題はあり得ず、政治の運営はあげて国民の総意に任され、聖断を必要とする場合は比較的稀になるものと拝察する。しかし自由主義的民主主義より統制主義的民主主義へ移行する道程にある我が国の政治に於ては、国政全般に激しい対立抗争が予想されるのみならず、更に統制主義政党結成後にも、党部専制のおそれが絶無ならざる以上、政党の対立に超越し一視同仁を体現せられる天皇の御存在は、現実政治運営の上に絶大な意義を存すべきことを疑わない。

        (2)国民の政治力としての党部

六七 今日の悲運を招いた根本原因の一つは、過去十数年にわたる政治の不振である。自由主義政党没落し、しかもこれに代るべき統制主義政党の結成なく、政治が全然国民から遊離した軍閥、官僚の専制に後退する醜態を演じたところにすべての禍根が存在する。国民の政治的結成が最大の急務である。
六八 国民が自ら政治力たるためには、政治の時代的方向を明確に認識し、これに適応する自己の政治組織を結成することが特に必要である。封建時代およびこれに続く近代国家成立時代には、「専制主義」が政治理念であり、民主政治時代に入っては「自由主義」が政治の基礎となり、更に第一次欧州大戦以後は急速に「統制主義」が政治の指導理念となりつつある。統制は断じて専制への後退ではなく、真に自由を暢達せしめるために必要の強制を加えるところの、専制と自由を総合開顕した新しい指導理念である。
六九 我が国では依然として、民主主義は政党対立の政治と解しているものが少なくない。官僚専制から解放せられ国民自らの政治に転換せんとしつつある今日、差当って政党の乱立は自然の勢いであるが、これは時日の経過とともに急速に整理され、更に国民が虚脱や反動の状態を脱し、未曾有の危局を克服すべき新日本建設の理念と目標とを明確に意識するに応じて、政党の立場は自ら対立より協力へと変化し、逐次、自然に一国一党的状態に進むものと考えられる。
七〇 時代の要請によって一国一党的状態が実現した場合も、権力の集中によって一党専制の弊に陥り易いことを十分に認識し、次の二点を特に明確にせねばならぬ。
 (イ)外部に対して権力の濫用を絶対に慎むこと。党部以外に少数反対党の存在する場合は、ソ連やナチスの如く法律を以て禁圧すべきではなく、かつ党部への批判には常に謙虚であること。
 (ロ)党部内に於ては、党員の平等自由を徹底し、公明な論争の合議とによって方針を決定すること。
七一 政治意思の決定は、専制時代には独裁により、自由主義時代には多数決による合議制が普通であった。自由主義の爛熟期には多数決は責任の所在を不明確にし、合議制運用の欠陥を暴露した。我等は依然合議制をとるべきものと主張するが、統制の時代には、平凡な多数の意見よりも、達識ある天才的人物の意見を尊重すべきである。国民は謙虚な態度をもって有能者の発見に努力し、有能者に対してはその分に応ずる指導的役割を演ぜしめるに躊躇すべきではない。この方式を我等は新合議制と称する。

        (3)生活組織と政治

七二 国民生活の安定、向上は、政治の最も大きな目的である。しかし、権力を伴う政治は、歴史を顧みると、ややもすれば国民の生活と遊離する危険がある。特に統制主義時代は、国際情勢に迫られて政治が最も強く力を発揮する時代であるから、この危険は一層大きい。生活を政治の従属たらしめず、政治が常に正しい社会生活によって基礎づけられるためには、国民生活の組織化が強く要望される。
七三 生活組織とは地域、職域を通じ、国民生活全般にわたる自治組織である。
七四 生活組織の運営は、自治即ちあくまで権力によらず、国民相互の理解と協力とによって行なわるべきであるが、目下の実状では、生活組織自体の統轄、生活組織間相互の協調のために、政治の指導を必要とすることもまた否定し得ない。ただし、官憲の指揮は絶対に認むべきでなく、戦争中に官が濫造した天降りの各種生活組織が全く崩壊し去ったのは当然である。
七五 政党対立の時代は各政党が各々生活組織に働きかけるのは必然の現象であるが、生活組織自体としては、この場合、政治に依存する範囲に就いて、常に慎重な態度を失ってはならない。
七六 政党が対立して種々な立場より働きかけることは、生活組織の強化にとって幾多の不利をもたらす。一国一党的状態となれば、生活組織への指導も直截明快となり従って生活組織は真に力強く活動し得るに至る。しかし、党部は生活組織の指導に当っては、極めて細心の注意を保持し必要の限度内に止まらねばならぬ。

        (4)官憲の地位

七七 戦時中は各国とも官僚機構が尨大化し、今日は何れもその弊害に悩んでいる。党部および生活組織の結成状況の進展に伴い、官治分野は急速に縮小し、一定の範囲内で与えられた任務を忠実堅確に履行する行政の本質に立帰るべきである。
七八 かくて国家は、天皇が頭首、党が神経、官が骨格、生活組織が肉である如き有機的関連に於て最高能率を発揮する。

        (5)地方区画の変革

七九 今日は統一ある政治が強く要望されている時代であるが、中央の機関が細部に及ぶまで決定している現状は、政治能率を低下せしめる所以ゆえんである。中央は政治の目標を決定して全般の計画を立案し、これに基づいて各地方組織の分担任務を明確に示すが、実行手段に就いては挙げて地方に一任すべきである。かかる見地より、地方組織を強化するために、現区画の変革を主張する。
八〇 我等の一案を示せば次の如くである。
「村」は生活共同体的な団結を保ち得る最小の範囲にして、今日の部落、町内の区域に相当し、完全自治体とする。「郡」は現在の町村よりは大きく郡よりは小さい、往年の郷に近似する地方の一社会単位たるべき区域で、官治行政の面では郡をもって末端とする。「県」は現在の郡よりは大きく県よりは小さい、独立して地方自治体たる機能を果し得る範囲をもって区域とする。「州」は交通、財務、土木、鉱山等にわたる広汎な権限を持つ地方の一区域とし、かくて中央行政官庁の機能は極力簡素なものとする。
 右の原則に基づき、同志は我等の運動実践を通じ、各府県に於て新しき区画を具体的に検討、立案せねばならぬ。

      第四 教育の革新

1、教育革新の目標
八一 以下の諸方策を実現するには、個性と自由の完全に保障された全国民が、世界にさきがける道義日本建設の感激の下に最高能力を発揮し、国民のすべてが分に応じて働き得る態勢を確立することが根本である。教育はこれを目標として革新しなければならぬ。
八二 明治以来日本の興隆に果した教育の役割は没すべきではないが、しかし今日の悲境と行詰りをもたらした教育上の諸弊害を究めることが、教育の新方途を定めるに特に必要である。学校教育の欠陥は二三にして止まらないが、これを要約すれば、第一に商品的大量生産方式で行なわれたこと、従って貧しき者は学び得ず教育ある者ほど利己主義となり、悪平等は有能者の向上をはばみ無能者に過重の負担を強いる等の結果を生んだこと。第二に商品的教育方式と封建的強制教育の結果、思考力の向上を阻み個性の発揮を至難ならしめたこと。第三に急激に西洋文明を採り入れる必要上学科偏重に陥り、その結果労働忌避の習慣を生じ実生活と遊離し、体力の低下を来したこと等を著しいものとしてあげなければならない。
八三 かかる学校教育上の欠陥は互いに相結束して学閥を形成し、無能者が学閥を頼って自己の支配的地位を獲得維持せんとする牙城として利用した。学閥は、国民のすべてが分に応じて働く態勢にとって最大の障害であり、指導者が固定して社会の生成発展を妨げる最大原因であった。新日本建設のためには先ず学閥を打倒しなければならぬ。
八四 我等の教育革新に対する着眼は次の如くである。
 一、指導者の発見養成
 二、教育と実生活の調和
 三、職業の適切な配分
2、学校制度
八五 国民学校 国民の基本的教育の段階にして、満六歳をもって入学し、学習年限は八箇年である。初等科は「村」を単位とし、寺子屋の精神を採り入れて徹底した個性教育を行ない、高等科は「郡」を単位とし、集団訓練に進みかつ相当の生産教育を行なう。
 有能者には現在の中学校程度以上の学力を獲得せしめ、かつこの期間を通じて教師、父兄は児童の性格能力等に注意し、その個性発見に対する努力を大なる任務の一つとする。
八六 国民高等学校 国民学校の卒業生はすべて国民高等学校に進む。三箇年を期間とし、通常「県」を単位とする大集団教育である。この集団教育の過程のうちに合理的に職業の方向が決定される。
 学校は生徒数に応ずる農場ならびに工場を有し、農工業の生産に当りつつ能力に応じて学科の教育を受ける仕組である。学科は特に自習に重きを置き、生産と巧みに連繋して学級を編成する。
 国民高等学校は将来の指導者たるべき優秀者の天分発揮に特に意を用い、卒業までには現在の専門学校程度以上の学力を得さしめる。
 一方、三箇年の生産教育を通じて直接国家の生産に寄与することもまた大なるを期待し得る。
 純正基礎科学に卓越せる天分を有する者には、生産勤労を課することなく徹底せる天才教育を行なう。この教育は全国数箇所に集合して行なう。
八七 公役団 公役団は国民高等学校の卒業者をもって各「県」ごとに編成する全国統一の組織であって、集団労働力の最高度発揮を目標とする教育体系の一段階である。専門学校に進む者は卒業後公役団に服する。
 公役団は初期には主として新国土建設のための土木建築に動員すべく、建設の進展に伴ない逐次大規模農場、主要鉱山、重要工業の中央工場ないし交通通信の主労働力となるであろう。
 文化方面に於ては国家性高き部面の活動領域が逐次拡大すべく、例えば教育革新により極めて大量に必要となる教師に就いては、職業教育者は真に人格力量を備えた最小限度の人のみに止め、国民学校および国民高等学校教師の大部分は郷里出身の公役団により、専門学校教師の大半または公役団を活用する。
 公役団の年限はその活動分野の拡大に伴ない逐次延長するであろう。男子と女子の間には年限に自ら差異を生ずる。
 日本人の社会的訓練、就中なかんずく集団行動の訓練はすこぶる不十分である。殊に軍が解散して軍隊に対する攻撃が高まるにつれ、集団行動そのものまで罪悪視する反動的傾向が強い。公役団による集団教育は、軍隊なき日本の国民に健全な社会訓練を施す上に絶大な寄与をなすものである。
八八 専門学校 国民高等学校の卒業者を抜擢ばってきして入学せしめる、専門学校は新日本の建設を担当すべき指導者を養成するもので、現在の大学および専門学校に相当するが、いわゆる学問の蘊奥うんのうを究むべき学府ではなく、現実に国家の各領域に活躍する中堅国民の養成を目的とする。
八九 研究院 学問の蘊奥の追究、特種専門科学の研究、成人の高級再教育等を行なう機関である。換言すれば最高級の研究機関であるとともに、国家各部門の最高指導者級の養成訓練を目的とし、年限を定めず、入学資格は専門学校卒業、或いはこれと同等以上とする。即ち専門学校卒業生中より抜擢推薦せられた者、或いは会社、工場、農場、官庁等より推薦委託された者等である。
 研究院の指導者は当代第一流のせき学を網羅し、財力を惜しまず最高の研究設備を整え、世界最新、最高の研究業績を収め、幾多の天才を輩出せしめ、学問、技術に関して新日本建設の源泉たらしめねばならぬ。
九〇 塾 思想、学術、芸能等の分野で卓越せる人々を奨励して塾を開かしめる。一般社会人は実務のかたわら余暇を得てその欲する塾に入り、常に研さんを重ねることが出来る。

      第五 新しき東亜

九一 蒋介石は「中国の運命」の中で次の如く述べている。
『戦争の原因は帝国主義である。故に第二次世界大戦の終結は、同時に帝国主義の終結であるべきで、かくしてこそ世界永久平和が堅実なる保障を得る。
 我が中国の受けた民族被圧迫の苦痛は最も久しく、最も深い。故に中国が民族の自由と国家の平等を求むるや、最も急かつ切である。中国は世界に向って、この最も急かつ切なる要求を提出するとともに、中国人士を迷わす「中国は亜州アジアを指導すべし」との説をしりぞけねばならぬ』
九二 数十年来日本国民の脳に浸潤せる民族優越感こそ、我が国が東亜諸民族に信を失なった最大原因である。我等は心より反省し、ここに陳謝の赤誠を披瀝ひれきする。
 中華民国が、過去八年の抗戦によって国内到るところ荒廃に帰し、国民はつぶさに流亡の辛苦をなめたにも拘らず、昭和二十年八月十五日、日本の降伏とともに、蒋介石が直ちに「暴に報ゆるに徳を以てせよ」と全国民に訓諭した事実は、中国の高尚偉大な政治哲学のほとばしりとして、我等の永久に忘るあたわざるところである。
九三 我等の新たなる隣邦「朝鮮」に対しては、その速かなる独立完成を念願するとともに、合邦以来四十年に近くして、しかもついに朝鮮民族の信頼を得ざりしのみならず、誤れる統治方針によって民族的進歩を阻害した我等の態度を深刻に反省し、罪を今後の歩みに於て償なわねばならぬ。
九四 民族の解放を叫んで戦った南方諸民族に対しては、我等は衷心よりその前途に幸多からんことを念願してまない。
九五 今や海外各地より相次いで同胞が本国に送還せられつつある。本土は狭小なりといえども、戦争なき次代文化を目指す目標は悠大にして崇高である。この建設の過程に於て、民族の正しき誇りが逐次醸成され、自ら足るを知り他を侵さぬ王道の精神が、島国的、独善的、帝国主義的性格に代って、新たに日本民族の性格として育ち行くことは疑いもない。
九六 二十世紀は一面に於て、国際協調への意欲を加速度的に発展させたとともに、他面、民族意識の世界的高揚によって特徴づけられている。世界主義と民族主義との二つの背反する命題も最も聡明に統合し得たものこそ、来るべき世界文化の進展に真に輝かしい役割を果すものである。日本が再び国際場裡に立つ日は、堅く中華民国、朝鮮と結ばねばならぬ。          (昭和二十二年二月)





底本:「石原莞爾選集7 新日本の建設」たまいらぼ
   昭和61年6月20日第一刷発行
栽培生活
(cache) 石原莞爾「新日本建設大綱」