東日本大震災被災者の海外移住にJICAもひと肌脱ぐ覚悟を

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.264 27 Sep 2011
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

先日、JICA横浜内にある海外日系人協会で、8月5日付け「ニッケイ新聞」の興味ある記事を見つけた。「ニッケイ新聞」は日本の「日本経済新聞」とは関係ないが、ブラジル・サンパウロ市に本社を置き、日系人や日本の駐在員向けに日本語とポルトガル語の日刊紙を発行している新聞社だ。今年で創刊13年というまだ若い新聞社だが、1947年発行の「パウリスタ新聞」と、1949年発行の「日伯新聞」が合併して生まれた新聞社であることを考えると、半世紀以上の歴史を持つ伝統的な邦字紙といえる。

私が読んだ記事というのは東日本大震災の被災地・被災者を支援するためにブラジルで結成された「ブラジル東日本大震災復興グループ」(中沢宏一代表)の第3回復興協力会議(8月6日)の議題を取り上げたもので、この記事の中に「被災者の移住を計画している日本の農業団体代表2人が来伯、8月末まで視察を行うことから、各州政府の受け入れ態勢をいかに紹介するか、ブラジルでの農業の可能性をどのように日本に訴えていくかについて意見交換を行う」、「中沢代表は『日本でも移住という考えを持つ人がいることは大変心強い。さらに日本との関係を深めるため、広く意見を交換しましょう』と参加を呼びかけた」(原文のまま)とある。

不勉強のせいで、東日本大震災の一部の被災者が南米移住を検討していることを知らなかったのでちょっと驚くニュースだったが、読後は複雑な思いが交錯した。まず感じたのは、被災者の受け入れに全力を挙げようというブラジル日系人の温かい心だ。今回の大震災に際し、同胞を助けようと懸命に動く海外日系人の姿にはいつも頭が下がる。

だが、同時に故郷を離れることまで検討しなければならない被災者たちの、切羽詰った現状を改めて知って胸が締め付けられた。被災者の受け入れに尽力するブラジル日系人には100年前、神戸から「笠戸丸」に乗って初めてブラジルに移住した人たちの子孫も多い。彼らの祖父母、曾祖父母らが移住を決意したのは、地球の裏側の大地に明日への大きな希望を抱いただけではなかった。多くは日本で生活を維持してゆくことが困難な厳しい環境の中にあった人たちだ。

世界の移住の歴史を見ても人々が祖国を離れる背景には、平穏な日常生活を打ち破る甚大な生活環境の破壊があった。複数の大統領を輩出して今でこそアメリカ社会の中枢を担う勢力に成長したアイルランド系アメリカ人だが、彼らの祖先がアメリカに移住せざるを得なかった起因は、19世紀半ばに起きた「ポテト飢饉」であることは良く知られている。アイルランド系以外でもアメリカやオーストラリアに大量移住した人たちの当時の故国での生活背景を見ると、人種、宗教、思想による差別、迫害のほか、天災、不況による経済破綻などがあり、悪く言えば社会から弾き出された人の集団でもある。われわれが一般的に移民に対して持つ、新天地に夢を求めて雄飛する明るいイメージとは異なる動機から移住した人が多いのだ。

移住を考える東日本大震災の被災者の中には、生活の基盤を失った故郷に固執することなく、自分の能力を新たな土地で活かしてみたいという人もいるだろう。しかし、こうした方々でも、あの大災害が無ければ自分が生まれ育った国から離れることなど頭に浮かばなかったはずだ。海外移住は地震と津波によって生活基盤が根底から破壊された人や、原発被害で自分の家に帰れない人たちが悩み抜いた末の苦渋の選択肢なのだ。今後の生計を立てるために先祖の土地、これまでの自分や家族の思い出が詰まった土地を離れなければならない人たちの気持ちを斟酌(しんしゃく)する時、いたたまれない気持ちになる。

被災者の移住の話はまだ検討段階であり、実現するかどうか分からない。だが、仮にこうした話が進展するとなると、次はJICAの出番になるだろう。言うまでもなく旧JICA(国際協力事業団、国際協力機構)は、日本政府の移住事業を広範に手掛けてきた海外移住事業団(JEMIS)と、人づくりを中心とした技術協力を実施してきた海外技術協力事業団(OTCA)などを母体に1974年に設立された組織だ。

2008年に国際協力銀行(JBIC)のODA部門と統合された新JICAにおいてもJEMISの血は脈々と流れている。JICA年次報告書(2010年)によると、2009年度も日本人移住先の国々で移住者の営農普及、医療衛生対策、教育文化対策、日本語学校生徒研修などの事業が続けられており、移住事業は決してJICAの過去の仕事ではない。

もし被災者の海外移住が政府の被災地救援対策として具体化したら、JICAは実施機関としてJEMIS時代からの経験、知識、海外に広がる日系人脈などの資産を活用して、被災者のためになる最善の移住策を講じてほしい。

東日本大震災被災者の海外移住は、復旧、復興が進んで故郷の生活環境が元に戻れば、数年後に帰郷するという短期的な移住も想定されるという。だが、現地に根付いて長期的に活躍する移住者が出ても良いと思う。復旧という震災前のレベルに戻す思考枠を超え、さらに大きな新世界を築くという前向きの発想は、ともすれば沈みがちな被災者の気持ちを勇気づけるばかりでなく、停滞する最近の日本社会を活性化する明るい開発の話題にもなるだろう。