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最終更新:2013年4月9日(火) 23時57分

イラクで増える小児がん、翻弄される人々の現状

イラクで増える小児がん、翻弄される人々の現状

 日本も支持したイラク戦争は、当然ながらこの国の人たちの暮らしにいろんな影響を与えました。それは10年経っても続いています。ここバグダッドと、南の街、バスラで取材してきました。

 9歳のザハラさんは3年前、頬の内側に悪性腫瘍が出来ました。切除して以来、抗がん剤治療が続いています。

 「3か月ほど前、病状が悪化して集中治療室に入っていたほどなんです」(看護師)

 病院と家を行ったり来たりの生活が続きます。シエンくん(6)は、左の眼球がありません。

 「『目に腫瘍が見つかった』と医者に言われたので、眼球の摘出手術を受けることにしたんです。手術して3か月後、この子は突然倒れました。精密検査をしたら、がんは神経にまで転移しF$$$?$s$G$9!W!J%7%(%s$/$s$NJl?F!K

 バスラ小児病院のがん病棟では、悪性腫瘍や白血病になる子供がここ数年、増加傾向にあるといいます。

 「サフワンやズベイル、ハムサミールなど、患者が多いのは全て戦闘が激しかった場所」(看護師)

 「戦闘」とは、10年前のイラク戦争のことを指します。当時、サダム・フセイン元大統領が独裁体制を敷いていたイラク。2003年3月、アメリカは、イラクが「大量破壊兵器を持っている」として、多国籍軍とともに攻撃を開始しました。

 「米国の武力行使開始を理解し、支持します」(小泉純一郎首相〔2003年当時〕)

 日本も、当時の小泉政権が攻撃を支持しました。そして10年前の4月9日、首都バグダッドが陥落、フセイン政権は崩壊しました。ところが、その後の調査ではイラク国内から大量破壊兵器は見つかりませんでした。

 10年経ったイラク。南部や北部の油田地帯では、外国からの投資も盛んになっています。原油生産の回復に押されて経済は上り調子で、高級外車もよく売れているといいます。しかし、富は一部の層にしか還元されていません。流れに乗れない人たちもいます。

 アリーさん一家は、イラク戦争後の混乱で家具塗装の定職を失い、住むところも失って2年前、ここへ流れ着きました。
 「1000イラクディナール(約85円)で1か月暮らしている」(アリーさん)

 3人の幼い子供。末っ子は生まれつき足が動きません。アリーさんはイスラム教シーア派。シーア派を弾圧したスンニ派のフセイン政権が倒れ、現在はシーア派のマリキ首相が政権を握りますが、アリーさんは「フセイン時代のほうが良かった」と言います。

 広がる貧富の差。さらに深刻な問題も・・・。南部のバスラにある病院では、、小児がんの患者が増えているといいます。
 「バスラでは、1か月に3人の子どもががんを発症したこともあります」(バスラ小児病院の看護師)

 1980年代のイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争、そして2003年に始まったイラク戦争。この地で戦火が絶えることはありませんでした。

 湾岸戦争後の1993年からイラク戦争を経た2007年にかけて、イラク南部での小児白血病の患者数が4倍になったとするアメリカの大学の研究もあり、戦闘が何らの影響を与えた可能性を指摘しています。健康への悪影響が指摘される劣化ウラン弾が、多国籍軍によって使われたことも明らかになっています。

 現時点で、小児がん増加と戦争との因果関係は立証されていませんが、病院スタッフも人々も戦争が原因だと強く疑っています。
 「軍が使用した兵器が、何年も経って害を及ぼしている」(バスラ小児病院の看護師)

 そして、比較的新しいこの病院の能力にも限界があります。左の眼球を摘出したシエンくんは、さらなる治療のためにはインドで入院をする必要がありますが、大金がかかります。

 16歳のイブラヒムさんは、急性骨髄性白血病で骨髄移植が必要ですが、これもまた外国での治療になり、大金がかかります。

 「ヨルダンの病院からは15万ドル(約1480万円)かかると言われた。どんなにやりくりしても無理な額です」(イブラヒムさんの母)

 彼らにとって、外国での高額治療はとても手が出ません。結局、大義なき戦争だったイラク戦争から10年。戦争に翻弄され続けてきたイラクの人たちは、この先も戦争の影に悩まされていきます。(09日13:28)

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