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「数学の研究にコンピューターを用いるべきか?」:学会を二分する問いについて

 
 
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TEXT BY SANDRO IANNACCONE
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI

WIRED NEWS (ITALIAN)



他方でザイルバーガーは「仕方がない」と答える。コンピューターの不撓不屈の2進法の論理は、いまはまだにしても、いつかは人間による概念的理解を超えるだろう。すでにチェスのゲームでは、人間とコンピューターの間で起きたことだ(IBM元開発者「チェス王者にスパコンが勝てたのは、バグのおかげ」:日本版記事)。

「人間がこれまでに発見したすべての事柄のうち大部分は、コンピューターによってごくわずかな時間で再現することができます」と、彼は主張する。「わたしたちが今日取り組んでいる数学の問題の多くは、興味深いから選ばれたのではなく、それらがまだコンピューターなしで解決することができる問題のなかで残された、わずかなものだからです」。

従ってここまで見てきたように、この問題には2つの極端に対立する考え方がある。しかし、誰もが同意することもある。それは、コンピューターの利用を統制する規則やスタンダードの欠如だ。「ますます多くの数学者がプログラミングを学ぶようになっていますが、コードを点検し正しく機能しているかを確認するためのスタンダードは存在しません」と、カーネギーメロン大学の哲学者で数学者であるジェレミー・アヴィガドは主張する。

決して些末な問題というわけではない。テレマンが指摘しているように、90年に何人かの理論物理学者が「ひも理論」のある問題を解決するためのモデルを提案した。数学者たちは同僚たちの推測をコンピューターで検証して、間違いであることを発見した。「しかし、コードが間違っていました。これが、コンピューターを使ううえで最も大きな危険です。プログラムにバグがある場合には何が起きるでしょうか?」。

数論の研究者でプログラミングに精通しているジョン・ハンクは、さらに追い打ちをかける。「問題は、わたしたちが使っているプログラムの大部分が、わたしたちが直接書いたものではないことです。『Maple』『Mathematica』『Magma』などは商用ソフトウェアで、オープンソースではありません。もしこうしたプログラムの1つが、わたしの問題に対する解答を3.765だと言ったとして、もしこれを算出したコードをチェックできなければ、どうやって検証できるでしょうか? できない、というのが答えです。信頼するしかないのです」。ひとつの証明についてあらゆる細部一つひとつに厳格な検証を行うのが常の科学にとっては、受け入れがたいことだ。

特にもしオープンソースのコードや自分で書いたものだったとしても、問題はなくならない。なぜなら、常に誰かが検証する必要があるからだ。そしてしばしばコードのチェックは、計算にかかるのよりも多くの時間を必要とする。「iPadのコードの中にある1つのバグを探すようなものです」と、テレマンは追撃をかける。「誰がするのでしょうか? どれだけのユーザーに、こうしたコードのすべての行を研究する時間と意志があるでしょうか?」

答えはコンピューター自身が出せるだろう、と大胆に主張する人もいる。コンピューター自身が自分の検査役となることができるかもしれないというのだ。しかしここに至っては、「Quis custodiet ipsos custodes?(誰が番人の番をするのか?)」という古くからの問題が再び提起されることになるだろう。人間の数学者にとっては、厳しい格言だ。

 
 
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