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ketudanの日記

2012-10-14

id:kyo_juさんとのやや噛み合わないやりとり まとめ

00:05

痛いニュース(ノ∀`) : 「家賃を除くと一日に1000円しか使えず、食べていくのが精いっぱい」

生活保護受給者が記者会見 支給額引き下げに抗議 - ライブドアブログ

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734102.html




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kyo_ju

2ch, 日本, 社会, これはひどい

2chで「もやしと納豆で…」とかここで「収支公開しろ」とか言ってる連中は全員自らの収支を公開すべき。

id:a1101501jid:northlightに☆付けてる連中も。2012/10/11

ketudan会計

id:kyo_juさん 意味がわからない。会計公開するのはむしろ基本。俺がこの困窮者ならそもそもこの場に自主的に家計簿持ってくる。

あらぬ疑いを弾き、困窮具合を雄弁に伝え、議論をクリアにする、困窮者側の武器だ。 2012/10/12

ここでの「収支公開」が、

こんな悪し様に言うような差別的なことでも悪いアイデアでもないと思えたので話しかけてみました。




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kyo_ju

id:ketudan そんな基本は初耳。なぜ私生活の収支を公開する必要がある?

ketudan

id:kyo_juさん カネの流れについて議論をする時に帳簿が無かったら話にならないですよね?

受給者を見下すとか懲罰的ナンタラ等とは全く関係ない話ですよこれは。会計報告に変なイメージ持ってるんじゃないでしょうか。

同上。

1「これじゃ予算が足らないよ」2「どう足らないの」3「ここに帳簿をお持ちしましたので見やがれ。これこのように足りない!」

というルートをたどらずにおカネの議論が出来るとはどうしても思えません。

むしろ記録抜きでどうやるんでしょうか。




1「これじゃ予算が足らないよ」2「どう足らないの」3「それは言えねえ」4「そうか…」

だと2階から目薬さすような問答になりますよね。




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kyo_ju被言及

id:ketudan 個別の支出を云々する必要がないように保護費は最低生活費をベースに一律的に定められており、

その最低生活費の中身が適切か否かという話になっている訳で、特定の家計の収支だの帳簿だのが何で必要なの。 2012/10/12

ketudan

id:kyo_juさん 個別・特定の家計の話始めてるのはこの会見の受給者側だからですよ。「1日1000円」云々言う。

その作戦(悪くないと思う)で行くなら帳簿で出すのが自然かつ誠実かつなによりクレバーです。 2012/10/12

「個別・特定の家計の収支だの帳簿だのがなんで必要なの」の答えは明確で、

この会見の受給者達自身が特定の家計の収支を持ち出して訴えているからです。

(特定の具体的な金額を出せば困窮ぶりもイメージされやすくなるので、妥当な作戦だと思います。)




もちろん「私生活は一切出す必要無い」「具体的には言わないが困っている」という会見の仕方も有り得るわけですが、

この会見では既に「個別・特定の家計の話」を使って攻めていく作戦が取られているわけです。

そこに基づいて取るべき作戦の話をしています。




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kyo_ju被言及

id:ketudan そんなことをすればどういう反応になるかは、たとえば2chスレの人達が如実に表してますよね。 2012/10/12

ketudan

id:kyo_juさん 今あなたは論点を逸らしたと思います。

そして結局、「個別・具体的な話をすること自体が不適切だ(この記者会見からして失策だ)」なのか、

「個別・具体的な話はアリだが2chが…」なのか、どっちですか。

突然2chの話になりました。




ここまでの論点は

「個別・特定の収支の話を始めたのは誰か」

「スジとして・作戦として、帳簿を出すのが妥当か否か」

というあたりだったと思います。




個別・特定の収支の話を始めたのはこの会見の生活保護受給者サイドで、

「それをするなら帳簿まるごと出すってのはいいアイデアなんじゃないの」と言ってるのが私です。




2chは一度も関与してなかったと思います。




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kyo_ju被言及, 2ch

id:ketudan 今の政治・世論状況で生活保護の水準や捕捉率の向上を通させるのに何が良策かはともかく、

ああいう反応になると判っていて個別の家計収支の公表を要求するあなた(方)がゲスだということは明確に言えます。

2012/10/12

「何が良策かはともかく」なんですか??

何が良策かについて話し合いたかったんですが。




改めて、私は、

困窮する生活保護受給者がこうして記者会見で困窮具合を世間に訴えることに賛成です。

そこでの手法として「一日に1000円」のような具体的・特定の話をするのも良い作戦だと思っています。

そしてそれをやるなら帳簿を見せるってのはいい案だと言いました。

よりよい理解を得るのにも変な疑いを晴らすのにも情報公開は有効だからです。

「疑ってる人や悪意を向ける人が居るから情報を隠す」というのであればそれは間違った逆行です。





百歩譲ってこの判断が間違いだとして(まだまともな反論ももらえていないですが…)、

ゲス呼ばわりというのはなんなんですか。

どういう興奮なのか全く理解出来ません。




ついでに質問も無視されてしまいました。

kyo_juさんの考え方としては

「個別・具体的な話をすること自体が不適切だ(この記者会見からして失策だ)」なのか、

「個別・具体的な話はアリだが2chが…」なのか、

このあたりちょっと決めかねてるらしい感じがあったし

kyo_juさんのスタンスを理解する上で答えて欲しかったのですが。

kyo_jukyo_ju 2013/04/08 21:44 トラバを見落としたのか、トラバは気付いたけど放置している間に忘れたのかは思い出せないですが。

他人の家の家計収支はプライバシーですよね。
プライバシーを晒すことを、生活保護給付の引き上げを主張するための条件として要求するというのは、やはりゲスなことではないのでしょうか。

むろん、裁判や行政などの場で生活保護給付の引き上げの妥当性について検討されるときには、ある家庭の実際の家計状況が証拠や資料として提出されることはあるでしょう。この場合、証拠や資料の検討はプライバシーに配慮した形でなされるのであって、公衆に晒されるのとは訳が違います。

裁判所や行政機関にではなく公衆に訴えているのだから、公衆にプライバシーを晒すことのリスクや精神的苦痛を甘受すべきである、というのがあなたの主張かもしれませんが、家計収支を晒さなくても、現行の生活保護給付で「健康で文化的な最低限の生活」が営めていない状況を公衆に訴えることは可能であり、公衆の側としては、自らの考える「健康で文化的な最低限の生活」の基準に照らして、その訴えに共感するなり、しないなりすればよいことです。
つまり、公衆の一人であるあなたに、個別の家計収支に立ち入った検討を行うことはそもそも期待されていないのですから、家計収支の公表を求めるのは不必要なプライバシー侵害であり、ゲスである、ということになります。

ところで、あなたに生活保護受給者の家計収支の子細な検討など誰も求めておらず、またあなた自身(仮にその能力があるとしても)そんな暇もないでしょうに、なぜ殊更に「家計収支を明らかにしろ。そうしてくれないと判断できない」と主張するのかが気になるところです。
この件での生活保護受給者たちの訴えに共感しない(「健康で文化的な最低限の生活」はもっと低くてよい、あるいは生活保護受給者にそんな生活を保障する必要はない)と直截に表明するのを避けたいために、「家計収支を明らかにしないとわかんない」と言い募っているのではないか。そう私からは見えてしまうのですが。

kyo_jukyo_ju 2013/04/08 23:59 私のコメントの「何が良策かはともかく」というところに拘っておられたようなので、そこについても一言。

公衆にむかって窮状を訴えるとこのようにプライバシーを晒せと言われたり、2chのように贅沢いうなと言われたりするような情勢では、公衆への訴えを経由せずに行政訴訟や行政機関へのロビイングを通じて要求実現を図った方が、まだ当事者にとってマシな結果が得られるかも知れません。とはいえ行政機関や司法の判断も世論を気にするので、限界はあります。
本当の良策は、すべての人に「健康で文化的な最低限の生活」を保障することの意義を教育などを通じて人々が十分理解することですが、そのための啓発活動の負担は市民一般に求められるべきことであって、福祉を受ける当事者に求めるのは酷でしょう。

ところで、私の最初のブコメに書いたように、生活保護受給者が贅沢や無駄遣いをしているのではないかと疑って家計収支を晒すことを要求し、自分はもっと少ない生活費でやりくりできると主張する人たちが自発的に自分の家計収支を晒すことは、単に「隗より始めよ」という意味だけでなく、生活保護給付の改善を求める当事者にとっても有益かもしれません。
そのことによって、無論彼らの主張するような「やりくり」を生活保護受給者が参考にすることもできるでしょうし、また、彼らの「やりくり」をそっくり生活保護受給者が真似することができない理由を具体的に述べることで、生活保護受給者が「健康で文化的な最低限の生活」を営むためには相当の給付水準が必要になることを主張する材料にもなりうるだろうからです。