20万人を超える参加者が集まったといわれる首相官邸前での抗議行動。これは、たったひとりの若者のふとしたツイートから始まった……。“紫陽花革命”と呼ばれる活動の、そのすべてが今、明らかになる。
■官邸前の抗議行動、最初はわずか300人
―平野さんは、いつ頃から反原発活動をしているんですか?
平野 僕は一昨年の10月に東京に引っ越してきて、ずっとひとり暮らしをしていました。そして、去年の3月11日に東日本大震災が起こって、福島原発が爆発する映像を見て“もしかして、これで日本は終わるんじゃないか”というくらいの恐怖を感じたんです。
それで3月27日に銀座で“再処理とめたい!首都圏市民のつどい”というデモがあることを知り、とりあえず、それに参加しました。デモに行ったのは、そのときが最初ですね。
そして、その後も2度ほどデモに参加したんですけど、経産省前とかのオフィス街が多く、なんで渋谷や新宿みたいな一般の人が多い繁華街でデモをやらないんだろうと思ってたんです。だから、ツイッターで「もし、渋谷で脱原発デモをやるとしたら、参加する人はリツイートしてください」ってつぶやいたら、その日のうちに300件ぐらいの反応があって、あるフォロワーさんから「デモいつやりますか?」っていうダイレクトメッセージまで来ちゃったんです。こうなるともうやらざるを得なくなってしまって(笑)。それで4月30日に渋谷で僕が主催する最初のデモをやりました。
それで、その後は5月、8月、9月、10月……と、ほぼ毎月、渋谷でデモをやっていきました。
―首相官邸前で抗議行動を始めたきっかけは?
平野 去年の9月、首都圏でデモをしている同じようなグループに、「普段はそれぞれの活動をしていても、何かの機会にはみんなが集まって大きなデモができないかな」という話をしていたんです。 それで、今年の3月末に大飯(おおい)原発の再稼働に関する閣僚会議を開くというニュースがあったので、それなら3月29日に首相官邸前で大飯原発の再稼働に対する抗議をしようということになりました。
でも、そのときに集まった人数は300人ぐらいだったんです。それからは毎週、官邸前で抗議行動をすることになったんですが、4月、5月はずっと1000人程度しか集まりませんでした。
6月に入ると、野田首相が再稼働の正式決定を出すんじゃないかという情報が流れて、6月1日には2700人に増えました。その後、6月8日に4000人、15日に1万2000人、22日に4万5000人、29日に20万人になったんです。
―なんで、これほどの大人数に膨れ上がったと思いますか?
平野 6月1日に2700人になったとき、普段僕らがやっている渋谷のデモに参加していない人が増えたんです。あるツイートには「繁華街のデモは参加する気になれなかったけど、官邸前抗議は参加します」というのがあって、これまでの人たちとは明らかに違う人たちが参加しているんです。
繁華街のデモは自分の主張を掲げて、車道を歩いて、沿道の人にジロジロ見られるわけです。ある意味、派手な行動ですよね。そういうのが苦手な人は多いと思います。でも、官邸前の抗議行動は他人からジロジロ見られるということがありません。だから、本当に抗議をしたいという人が集まれる場所になったんです。
―20万人規模になると、官邸前の車道をふさぐほどの人数になりますね。予想していたんですか?
平野 6月29日の時点で20万人になり、官邸前の車道4車線を全部ふさぐことになりましたが、その前の22日の4万5000人の時点でも1車線ふさいでました。だから、このままいくと全車線封鎖することになるとは思っていましたが、あの日になるとは思っていませんでした。
―また、あの日(29日)は参加者が官邸前まで押し寄せてきて、あわや官邸に突入かという状況も起きていました。逮捕者が出るんじゃないかという状況にもなり、20時と決められた終了時刻の15分前に中止になりましたよね。
平野 僕らとしては、これまで“非暴力の直接行動”ということでやってきたわけです。無事故、無逮捕で終わらせるということを目標にしていて、それも含めて官邸前の抗議行動なんです。だから、事故が起きたり、逮捕者を出したりして、抗議行動を終わりにはできないんです。それは僕らとしては一番避けたいことなんです。
あのときに「なんで突入しないんだ」とか「座り込みをしよう」という人がいましたが、それは僕らの行動の趣旨を理解していただいていない一部の人だと思うんです。だから、これからはアナウンスを徹底してスタッフの配置をしっかりしていくしかありません。
僕らは大規模な人数の抗議を恒常的にやりたいんです。仕事帰りに官邸前に行って抗議するというライフスタイルを多くの人にとってもらいたいんです。まずは、大飯原発3号機の停止を求めます。最終的には野田政権が脱原発という要求を聞き入れてくれるまでやります。だから何万人集めるというより、聞き入れてくれるまでというのが僕らの目標なんです。
―デモだけじゃ変わらないという声もありますが……。
平野 デモだけでは変わらないという批判があるのも知っていますし、僕らもデモだけで変わるとは思ってません。 例えば、超党派の国会議員で作る「原発ゼロの会」とか「脱原発ロードマップを考える会」とかがありますよね。どちらかというと、そういう動きを後押しする意味で官邸前抗議をやっていますし、僕らが専門家のような意見を言っても説得力がないと思います。一般市民がまず簡単にできることがデモや抗議行動だと思うんです。だから、できることからやればいいと思いますし、それをやっている間に国会議員や専門家がロードマップをつくったり、働きかけてくれるんじゃないかと思います。
―官邸前じゃなくて、大飯原発などでデモをするべきだという人もいますが……。
平野 ヨーロッパでは現地に行って人間の鎖をやったりすることは知っています。でも海外では数十万人規模のデモをやる場合は、公共機関が臨時便を出したりするんです。ただ、日本はそういうことはないのでバスをチャーターしたりしなければいけないですよね。それだけのお金は僕らにはないので……。だから、大飯に行ける人は大飯に行けばいいし、官邸前に集まれる人は官邸前に集まればいいと思います。 とにかく、僕らは日々の生活のなかで抗議行動をすること、意思表示をすることは当たり前だと思ってもらいたいんです。 買い物帰りにデモに行くっていうのが普通になってほしいんです。
―最後に、その帽子には何かこだわりはあるんですか?
平野 え!? いや、特にこだわりはありません。単に帽子が好きなだけですよ(笑)。
(取材・文/村上隆保、撮影/山形健司)
●平野太一(ひらの・たいち)
1985年4月11日生まれ、大阪府出身。TwitNoNukes代表。3・11以降、ツイッターで反原発デモを呼びかけ、渋谷を中心に活動を行なってきた。首相官邸前抗議行動の呼び掛け人のひとりでもある