2012-05-23
ごみばこにて。
不毛な人との不毛なやりとりゆえ、前提など省略。
あ、ただ、非常に珍しく(珍しいことであることは本人も認めている)、ただの罵倒とかではなく、ふんばって曲がりなりにも「論」をしていることには敬意を表したい。
どんな論からでも、「論」には学ぶことがある。
でははじめ。
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130329/p1
今回の自分の絡みポイントは「こっち(IE)が優れてる」のみ。上記を見る限り「むきーっタブ削除しちまった、クロム使い難いー」と同義でしかなく、結果「グリフォンにとってはIEの方が使いやすい」であるなら、まあそれでいいんじゃない? で、リプもつけない。
ま、本来的には、そんなところだろう。
けっきょく絡みたいという動機がまずあって、そこからあとづけでヵラマレル、という。
人間、うらみはかうもんじゃあ、ありませんな。
が、どうやらそうではないように読める。なので、まずは茶化してみた。またアホな事言ってーと。
というか、「茶化して」つーのはつまり、
「グリフォンにとってはIEの方が使いやすい」であるなら、まあそれでいいんじゃない?
という、実は自分は最初はそーおもってたんですよう、という後付け理屈が、実際のツイートにゃ出てこなかったからなんでしょな。
(ついでにいうとIEのほうが優れていると思うのはこの部分などごく限定的な話で、基本は総合的に好きなクローム使っている。ただ職場はIEなので、まさに日常的に両方に接しているんだけどね)
それにだ、そもそも誤読なんだが、「ユニバーサルデザイン」の話はIEが優れているかクロームが優れているか、の話じゃないぞ。
「動作に慣れればいい」「そういう機能がある別のものを使えばいい(新はてブがいやなら嫁はてブをつかえ)」「注意して見てればいい」ということじゃなく(実際、それらの対策はどれもそれなりに有効だ。)デザインへの素朴な疑問は非専門的な人々が、「うっかりミスを減らす」・・・もとはうっかりのようなレベルのものを減らして、という話でも使う中でいくらでも言える、という話なのである。
(最後のクリックブレがどうのこうのは、まさにここが分かっているのかどうか、という話だが)
だから、絡み屋さんが「IEはクロームより削除が増える」(主観だか一般だか知らんが、まあ主観だろう)という話をしたのに対し、こちらが「逆の方向のユニバーサルデザイン論だね」と言ったのは、まさにそれ。(断固クロームが劣っている、と言うならこういう言い方はしまい。)そういう議論をしてくださるという敵失にほくそ笑んだわけだ(笑)。IEのこういうデザインが優れている、いやIEのこういう機能がないのは劣ってる・・・という議論は、別にMSの幹部でもグーグルの幹部でもなくてもわいわいとやれるのさ。twitterの幹部じゃなくても、DM到着を告げる表示機能があれば便利かどうかは論じられる。
グリフォンの論理(?)は、普段は見えない削除ボタンが、にゅっと突然現れた方が注意喚起になるので「優れている」というもの。
どうだろねえ。自分はそう思わないし、グーグルもそう思ってない。だから、デザインも機能性(表示文字数が減る)も犠牲にして固定にしている。が、それが絶対的に正しいとは主張する気もないし、グーグルだってそうだろう。が、ウチはこっちの方が分かりやすいと思っているので、そうしていますでおしまい。
はいはい、絡み屋がそう感じることに、別に文句はいいませんけど?
ドラマの感想とかはさっさとやめて、そういうことを書いててくれてたほうがいいと思うぐらいです(笑)こちらに寄ってこない範囲で。
で、そっちやらグーグルのえらいさんはそれを「分かりやすい」と感じ、「そうしています」でおしまいなら
こっちは「欠陥」と感じ、「IEのほうがすぐれている」で、「おしまい」。
(実際に、本来はそのツイートで「おしまい」だったわけだが)
・・・で、それで世の中、すべてこともなしじゃないかね(笑)。twitterにはDM到着時にそれを表示する機能があればいいかどうか、も然りだが。あればいいという人も、要らない人もいるだろう。メール連動していれば見逃さないと思う人も、メール連動していてもそのメールが膨大で見逃すという人もいるだろう。
で?という話だ。
てかこの論理の場合、<言ってもいい>ということを両者が肯定するのだから、自然とこっちが有利になる。だから最初に「IEのほうが不便」論を、おっ、逆方向のユニバーサルデザイン論ですなあ、とこっちが歓迎した理由が分かるでしょう。
つまり根本は、彼が「絡むための絡み」、という不毛なことに主目的があるからこーなる。まあ、それも人生。
さて、だからこっからの部分はある意味で枝葉なわけだが、
自分がIEのほうがタブを閉じる場合には分かりやすいゆえんを少し書こう。
だって、クロムだって赤丸反転するんだぜ、×ボタンにフォーカスくれば。つまり、この段階では、グリフォンは、IEにおいても、前面にきてないタブの右端をクリックすれば、削除される、つまり機能はクロムと同様であることを、理解出来ていない。
かりに自分が使いやすいような形にこれをするとしたら、クロームの赤丸反転が、タブの一角にならそこに触れた時にでも出るような形式だな(つまりIEのなし→表示に相当)。そして「閉じる」のが有効のところにカーソルが来たら、色がもう一段変わるなり濃くなりするような形がいい。(IEの、色の変化に相当)
いや、今の状態のほうがいいよ、それはまだるっこしいよ、という反対意見はあるかもだし、あっても別にいいんだが・・・「違う」よな、この仕組み。
これはみなさん実際にひらいて、試してみて。
ごみばこ その2
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130402/p1
まず、曲がりなりにも2回「論」を続けることは、前回につづいて素直に評価したい。
いつもは最後は理屈抜きの、個人攻撃、罵倒、詩的表現(婉曲に書く(笑))だけになってしまうのだから、今回もそろそろそうなるだろうと思っていた。
(ことにtwitterで、当方ではなく、それ以外の人々への最近の言及を見るに付け・・・)
では以下、はじめよう・
うん、読み比べてもらって、別に小生の改善案はふつうに改善案としての体裁を十分に整えていると感じていただけると思うが。
そこで、分かりやすく動画も置いてみた。我ながら親切すぎる。
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/CLICKIE.MP4
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/CLICKGC.MP4
もっと分かりやすくたとえるなら青信号、黄信号、赤信号を思い浮かべてもらえるといい。くりかえしだが
【IE】カーソルがタブに来ていない(青信号)→カーソルがタブの一部に触れると、×が浮かび上がる(黄信号)→押すと閉じる範囲に来ると×が赤に変色(赤信号)
【クローム】、上に対比するとカーソルがタブの外でも、一部に触れていても同じ(青信号)→クリックすると閉じる×が赤丸で囲まれる(赤信号)
で、黄色信号があったほうがいい、と。
その前に・・、これは前の文章にも書いた話だが、例えば「クロームのほうがいい」という立場に立つにしても明確に両者<違う>よね??
>ツイッターの操作性で無茶な要望書いていた
これ、繰り返すと「(公式に)DMが届いてることを表示する機能があればいいのに」だ。ごく素朴な要望だが。
XXXXを使えばいい、という議論には、「公式はてブ」新デザインへの賛否と、「嫁のはてブ」の関係を参考に。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130309/p4
そして、これは後段に関係してくるのでそっちで詳しく述べるが、
「青から赤になったほうが、まだるっこしくなくていい」という人間がいたとしても「そういう人もいるだろう」つう話なんだが。こっちは最初から。
なぜなら、それで実際に、このタブを閉じる操作のデザインで「IEのほうが優れている」と自分が感じ続けていること、そのゆえんにははぜんぜん変わりがないから。てか、メモ氏が勝利したいなら俺に「ああ、クロームのほうがこの部分は使いやすいね」と、思わせる・・・その感覚を変えるという無理ゲーな条件があるわけだ。
だから「俺(メモ8)にとってはクロームが使いやすい(かわらない)」なども別に、はじめから許容できる議論だ(証拠→「おっ、逆ユニデザだね」、という当方の反応)。だが、絡んだ側のメモ8氏はそーはいかない・・・という、ある意味ラクな状況なわけだが・・・。これは最初に絡むのが彼の側だということでどうしても生まれる、自分から好んでのハンデなので同情する必要もあるまい(笑)。
さて、ちょっとわき道。
相手があんまり暴投するとバッターも手が出ないのだが・・・ひどすぎるな、ここは本当に。これは本当に先方の読解力不足に絶望する。
いや、(語句不正確)なのではなく(内容正反対)とかもしくは(内容恣意的歪曲)と書いてください(爆笑)。
あの話に関して、猫と電子レンジ・・・つまり使いづらさというものが「法的責任が問われる」ことでそれが笑い話になり、作る側のにとっては理不尽だね、という話になる・・・、とぼくは教えてあげたはずですが。
つまり
ぼくも、
「裁判の場でそういう主張をした人が勝って、作る側が法的責任を負った(かどうかは知らないが)ら理不尽だ」、という立場に立っているんだけど?読解力が不足すると、かくもヒサンな目にあう・・・って、こっちが迷惑、「益々大変」なんだけど(笑)!!
そしてその下。はいここ重要。
一見整合性は保ったようにもみえる
くくくくくくくくく。苦虫を噛み潰したような表情でこれを書くメモ8氏の光景が想像できる。
「一見整合性は保った」・・・そうか。では一見じゃなくて二見してみたまえ。三見してみたまえ。はい、なお整合性あるから(笑)。
だって、その否定論を担保する、中核的な論拠は・・・・・・
>(1)けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。
>(2)少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。
まず(2)から。そうか!!どうなんだろう!!!
裏をとってみようか???ここでグリフォン(あらためて書くとこのHN恥ずかしいものだ)さんに聞いてみました。
Q「どうなんですか」
A「メモ8さんが間違っていますね」・・・・・・・あれ否定されました(笑)
Q「なぜ。そんな間違いをしたんでしょう?」
A「(面白いことをかけたが割愛)」
なんてネタはおいとて・・・(2)についても再度書くけどその前に、(1)について語ろう。
「どうなのよ」と聞かれたので
「普通ですね」とこたえる。
以上。
では例文を作ってみようか・・・
「島本和彦の漫画は、シリアスだかギャグだか分からない書き方でクライマックスを迎えるのが欠陥だ」
「ポテトチップスはつい最後まで食べちゃうが、食べ終わると急に満腹感が出てくるのが欠陥だ」
「DEEPはコーナーでの攻防に、すぐブレイクがかかるのが欠陥だ」
「ヴァルキリーは無差別級のトーナメントなんかを開催するのが欠陥だ」
「PRIDEは競技性より選手の因縁やドラマを優先し、煽り映像で強調するのが欠陥だ」
・・・・・・・・・・どれも普通に、存在しそうな表現すぎて困る。
・・・・・・・・そしてどれも「そこは優れている所だ!」「それは美点だ!」という正反対の立場に一点の存在価値もみとめていないか、といわれりゃ断固NOだ。これを好む、長所として捉える人も普通にいるだろう。そして自分が「欠陥」だと思いつつ、そういう人もいていい。私はそう思うのだが、きみはちがうのかい??
いま作った文章だけでなく・・・過去の実例もみてみよう。
三谷作品といえば奇人同士が絡むのですが、奇人の奇行というのは結局はわがままの一種です。そこで「愛すべき奇行、わがまま」と受け取られるのか「利己的でやな感じ」となるのかの演出も重要。
あと、海皇紀にも続いた欠陥だけど、この作者はヒーローも脇役も「すごいぜ」「強いぜ」の描写が
「ピンチのときにも動ぜず、にやりと笑う」
「それを楽しいなあ、とか口に出す」
「平凡なその他大勢が意外な結果だ!と驚くとき、一人だけ予想通りだと平然(或いは予言を最初に言っておく)」
こういう演出ばっかり。いや、基本はそれでもいいと思うけど、演出のバリエーションが、特にキャラクターごとに欲しいと思いますよ。
自分で断言しますが上の例、「それは欠陥ではない、美質だ!長所だ!!」という人、視点を絶対に排除しません、許容します。それは書いている当時から確信してます。
・・・・・・え?「ナントカの知ってるナントカは、そういう書き方しない」???? 「少なくとも?」?????それが根拠?????
まあ、これはそれだけ「彼の人物論は基本マユツバ」、ということの証明、実例にもなるので、
そういう点ではわたくしのみならず、他の人のためにもよかった、よかった。
みなさんも、某氏から「あいつはXXXXだ」的キメツケ評価をされたら、この実例を提示してください。何かと役にたちます。
でも本当に、他人をいいかげんな決め付けで<俺の知っている・・・・は・・・・・はしない>とかって言うのって、それこそ「どうなのよ」。
>おれは圧倒的に自信があることしか指摘しない。
ご自信が、いやご自身が「自信」があるのはべつに妨害もしない、そりゃそっちの「気分」の話だから。それで何がどーなるかは分からないけど。
>まさに議論な話も過去には少しした記憶
華夷秩序とか全文革命とか、連勝記録の意味とか・・・・それは「過去」のカテゴリーか。そのへんの区分はまあどうでもいい。
>理系やIT関連になると急にバカ自慢
てかもっとも無知で、それをネタにしてるのは芸能界だと思うが・・・それも含め理系もITも、当方ブログやtwitterで「面白がっている」とは思いますな。で、Poetさんなんかとのやり取りと、貴方とのやり取りのあいだに、まったく違いが出てくるのはやはりそれはそちらゆえかと・・・メモ氏の語ることには、専門性では覆い切れない論理の大穴がある、というだけの話なのではと。(専門家は別にその方面を語れなくても実務をやればいいのだし。それに穴があるかは知らない)
それに「文系知識は散々自慢する」っていわれてもねえ。自分の中ではITの話も理系の話も、歴史も漫画も面白がり方は一体だ。「XXXだよ、おもしろいね」「XXXはわからない(なぜだろう?)、おもしろいね」も、あんまり代わりはない。文系の部分だって、世界は分からないことだらけだ。例えば華夷秩序について話した時だって、そちらは欧州との関連づけているのか?、と丁寧に尋ねましたよね_? 例えばああいうのが<文系自慢>というなら、仮にそちらの「IT自慢?」と比較し、ずいぶん当方のほうが紳士的でまっとうなんじゃないかな?
てか・・・・・・これって、そういう話を他人がしてるのを見聞きすると「自慢しやがって!!」と<貴方が>思う・・・ということではなかろーか。
で、さいご。
>何か恨みを買うようなことした記憶があるのか
いや、理由なくそーなるタイプなのかなあ、と。とくに最近のtwitterではあっちに、こっちに、そういう感じで語っているので。
ごみばこ その3
はい3回目。
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130403/p1
・>これ赤丸反転するクロムの方が、危険は喚起しているんではないかと最初から書いているのに、
・>グリフォンが望む、IEの表示/非表示の切り替えがホントに黄信号効果があるのか疑問だが、仮にそれを認めるとしても、クロムは最初から×ボタン表示をすることで周知を徹底し、かつ、赤信号をデザインの整合性まで破壊してまで強めている
などに代表される話、
・また、自分の案について
>新案を提示していたんだが、今回はそれには触れてない
・あるいは最後の操作話
などなどについて、端的にお答えしよう。それは前の文章に書いてある、という点では「ループ」だが、惜しむべし、示すループ点が違う(笑)。
要はその話、下のこれで全部包みこんでるからだ。
で、そっちやらグーグルのえらいさんはそれを「分かりやすい」と感じ、「そうしています」でおしまいなら
こっちは「欠陥」と感じ、「IEのほうがすぐれている」で、「おしまい」。
(実際に、本来はそのツイートで「おしまい」だったわけだが)
・・・で、それで世の中、すべてこともなしじゃないかね(笑)。
(略)
てかこの論理の場合、<言ってもいい>ということを両者が肯定するのだから、自然とこっちが有利になる。だから最初に「IEのほうが不便」論を、おっ、逆方向のユニバーサルデザイン論ですなあ、とこっちが歓迎した理由が分かるでしょう。
・・・・・・・「青から赤になったほうが、まだるっこしくなくていい(※喩え。クロームのタブを閉じる際の表示のこと)」という人間がいたとしても「そういう人もいるだろう」つう話なんだが。こっちは最初から。
なぜなら、それで実際に、このタブを閉じる操作のデザインで「IEのほうが優れている」と自分が感じ続けていること、そのゆえんにははぜんぜん変わりがないから。てか、メモ氏が勝利したいなら俺に「ああ、クロームのほうがこの部分は使いやすいね」と、思わせる・・・その感覚を変えるという無理ゲーな条件があるわけだ。
だから「俺(メモ8)にとってはクロームが使いやすい(かわらない)」なども別に、はじめから許容できる議論だ(証拠→「おっ、逆ユニデザだね」、という当方の反応)。だが、絡んだ側のメモ8氏はそーはいかない・・・という、ある意味ラクな状況
てか、最初の「むしろIEこそが不便だよ」という話をこっちが歓迎した、という話でもあるんだが
「赤丸反転するクロムの方が、危険は喚起しているんではないかと最初から書いている」
など、いろいろな意見が出ました・・・
で、最初のツイートがそれに沿って
IEのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のXがタブに触れるまでは印が見えない。クロームは×印がずっと表示されているし、カーソルが来ると赤丸で反転する。こっちが優れてる
と書いていれば同意、歓迎だったのかね?
それならそれで上の引用の中に、やっぱり包まれるわけだが・・・
もうひとつの仮定。そういう内容でも、たぶんツイートの「欠陥」とか「優れている」ということばが気に入らない、という話になるのかな?
うん、たぶんそうだとして。
そちらの・・・当方が自分の文を2箇所引用した上の前提について、そちらが因縁をつけるべく用意した、
唯一にして最大のとっかかりは
>けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない
だった。
だが、これについては例文を作成して普通の表現かどうか貴兄と読者に読んでもらいました。
そしてさらに「少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない」について、それが事実に即しているか検証した。
・・・はい、
仕事は、
すんだな。
そこで示したとおりだよ。
一番下の、全体を支える土台は崩した、あとは全部が、がらがらがっしゃーん・・・・
ついでなので
下の話について、余談。 というかひとつのお土産だ。
>確かに、かなりおれが歪曲していた。それは認める。記憶で書いてはいけないね。ごめんなさい。
つまり、読んでいる読者のみなさんに対して・・・もしくは
関係者?に対してでもいい。
【皆様へ】
業界うらばなし、バックステージ回想、人物論・・・がこのかいわいのブログ、twitterにいろいろと散発的にかきこまれていることと思います。
ただ、そこに出てくる直接的な書き手の回想、体験談などについて・・・・特に、ある相手に批判的に言及した場所に対して
「でも書き手は、意図的にか無意識的にか分からないけど、ほんの少し前の
ことまで正反対にゆがめて書いてる人だからねえ。批判的な相手に対しては」
というのも、ひとつの判断材料になるかと思います。そんな信憑性判断の材料として、2013年4月のこの例をお使いください。
ごみばこ その4(週末前に)
さて、ごみばこ以外の本題の記事執筆にさしさわりのないよう、手早くやらねば・・・・・といいつつ、たぶん長文になるんだろうな。。
しかしまあ、彼と関わりたくないという人の多くが、賢明にも、実際に関わらないようにしている中で、当方も同様に、彼とは心から関わりを持ちたくないと思いつつ、丁寧に対応しているんだからわれながら偉いというか賢明ならざる気がしますな。
実際のところ、あとで示すように、以前の議論を「ここにあるだろ」と指摘すれば重要部分は片が付く・・・のだが、このあと週末は対応できるかやや不明(天気次第)なので、それも加味して多めになるかな。。
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130404/p1
まず、話がtwitterのほうにいったが
>ツイッターの特殊性の話を先に片付けておく。ツイッターは元々ツイッターへアクセスを行うAPIを外に公開して外部アプリの開発を促進させることで成長した。その分、オフィシャルの機能は貧弱(略)・・・貧弱さがツイッターの特徴だったわけだ。勿論、現在ではAPIが1.1となり若干風向きが変わってきている。オフィシャルの機能を充実させる方向性も見えてきた。けれど、未だ外部アプリの認定制度なども導入していて、つまりツイッターに認定された外部アプリは半公式アプリなわけだよ。つまりツイッター自体が外部アプリを使うことを奨励しているんである。
>はてブの話とは大きく事情が異なる違うケースであること、はてブに強引にアナロジーしても全然意味を成さない
あのさ、「はてブは古いデザインのほうがよかった」「(旧デザインを踏襲した)嫁はてブのほうが見やすい」と論じてる、感じてる人の中で、「嫁はてブは、Webデザイナーの後藤基史さんが独自に開発した非公式のものだから使いたくない。これが、本家はてなが認定、推奨する【半公式】なら喜んで使うのだが・・・だから公式に文句をいう」ってえ人ってどのくらいいるの?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1301/09/news089.html
半公式だ、三分の一公式だ・・・ってことに関係なく、要はAがいい、Bがいいと、結果的に「公式デザインに対し」て盛り上がるのは、なんだかだといっても公式、すなわち最初に会社が提供するサービス、デザインが満足いくもの、優れたものであるのが一番いいにこしたことはないからじゃない?
>勿論現在ではAPIが1.1となり若干風向きが変わってきている。オフィシャルの機能を充実させる方向性も見えてきた
てかtwitterさんも、半公式に依存してオフィシャルは貧弱、にそんなに自信があるなら、味一筋永谷園じゃないが、てやんでいうちは公式は貧弱ひとすじでい、それがうちの流儀でい、とがんこ一徹やりつづけりゃいいのに。
てか、使ってれば徐々にtwitterの公式にいろんな機能が増えたり、「@つながり」など、あれこれデザインを工夫して、便利にしたいと頑張ってることはみな感じてるよな。
で、その変化に対しては当然ながら議論も発生し、はてブ論壇に負けない「twitter論壇(twitterで行われる議論、じゃなくてtwitterの機能やデザインへの賛否や批判や要望。公式への、ね)」も盛り上がったじゃないかね。別に当方のDM議論も、そのごく平凡なONE OF THEMにすぎない、というだけの話。
ついでにいえば、はてなも編集ページのチェックひとつでいろいろかわるし、簡単なカスタマイズもできる。当「見えない道場本舗」も、ふつうは左のアンテナはあんなにたくさん表示されないけど表示するようにしてるし、上にHPや読書メーターへの直接リンクもいちおう張れている。
ただね。それに関する一例をあげよう。
小生は、とある非常に面白いはてなブログを、もっと皆さんに読んでもらいたいと思って、おせっかいながら筆者に、「ここにはてブボタンやtwitterボタンを表示したらいかがですか?」と提案した。その方は内容は面白いが、私以上にブログのデザインには興味が無く放置している人で、いろいろ説明して設置してもらった。多少のアクセス増にはつながっただろう。
これは半公式アプリを使うどころか、はてなの中で「記事の設定→表示設定」で完結する話である。
しかし、「はてなは(デフォルトで)ツイートボタンを表示すればいいのに(」という意見は、これはフツーに存在し得る。ブログデザインにおいて、「デフォルトを何にしておくべきか論壇」を否定する必要はない・・・てか、やってるでしょ。<こうして、ああして、そうやれば・・・それができる機能はそなえてる>という話とは別に。
もろもろの機能が、公式にはないが、探すとそれができる「半公式」がある、と。さてそれで公式は注文、要望をまぬがれるか・・・これも上の話とおんなじ。
>簡単な話だ。ツイッターは各種プッシュを切ることが出来る。つまりDMがそんなに重要なら、他の通知を切ってDMだけプッシュを受ければいいだけ。はいこれでDMを見落とすことはありません。グリフォンの使い方なら、結果プッシュがこなくなる他のモノは「@つながり」で確認すればよろしい
はーい、
それは以前やってましたー。なぜその後、他の通知もメールで知るようにしたかといえば、単純にそっちの反応も知りたいし、メールに記録が残っていると何かと便利だからです、それだけ。だからDMだけを浮かび上がらせるために他はやらない、という選択はしておりません。
それにありがたいことに、各種の反応は右肩上がりに増えていった(ありがとうございます)ので、その設定をしたときは反応トータルでもそんなに多くなかったこともある(笑)。
で、メールでそれが毎日蓄積されていると、ほぼそのメールの通知の記録と「みんなの反応(@つながり)」は一致しますね。そうするとメールを見るのと「みんなの反応」を見るのは、ほぼ「ダブルチェック」となります。そして、二回見るのはそれなりに有効でもある。みんなの反応はアイコン表示や太字強調などがあってメールがずらりと来るよりは見やすい、などもあり相互補完だ。
だが、それゆえにDMなどのわずかなずれが生まれ、メール通知が来たDMを何度か見逃してしまうことになった。まず自分の実感として不便だったので、メールでのDM着てるよ通知を見逃したときでも「画面表示で知らせる機能」があればいい、とそういう要望・・・というより願望を述べた。この一連の流れが、どーかしましたか?
というか、結局あなたはすべて利用者のニーズやシチュエーションの想定が単純すぎるんですわな。まあ資質的に、むいてないというか。これは資質だからしゃあない。
>致命的な話。
>グリフォンにとってはDM命なのかもしれないが、他の人にとっては、そうであるとは限らないわけだ。つまり、人によってはDMよりファボだったリツだったりの通知が重要な人がいる
いやー、たしかに致命的な話だ。そっちにとって(笑)。
だってまさに「ループ」されていて・・・読者にあっちに行って貰うのも申し訳ないので、再引用。
で、そっちやらグーグルのえらいさんはそれを「分かりやすい」と感じ、「そうしています」でおしまいなら
こっちは「欠陥」と感じ、「IEのほうがすぐれている」で、「おしまい」。
(実際に、本来はそのツイートで「おしまい」だったわけだが)
・・・で、それで世の中、すべてこともなしじゃないかね(笑)。
(略)
てかこの論理の場合、<言ってもいい>ということを両者が肯定するのだから、自然とこっちが有利になる。だから最初に「IEのほうが不便」論を、おっ、逆方向のユニバーサルデザイン論ですなあ、とこっちが歓迎した理由が分かるでしょう。
・・・・・・・「青から赤になったほうが、まだるっこしくなくていい(※喩え。クロームのタブを閉じる際の表示のこと)」という人間がいたとしても「そういう人もいるだろう」つう話なんだが。こっちは最初から。
なぜなら、それで実際に、このタブを閉じる操作のデザインで「IEのほうが優れている」と自分が感じ続けていること、そのゆえんにははぜんぜん変わりがないから。てか、メモ氏が勝利したいなら俺に「ああ、クロームのほうがこの部分は使いやすいね」と、思わせる・・・その感覚を変えるという無理ゲーな条件があるわけだ。
だから「俺(メモ8)にとってはクロームが使いやすい(かわらない)」なども別に、はじめから許容できる議論だ(証拠→「おっ、逆ユニデザだね」、という当方の反応)。だが、絡んだ側のメモ8氏はそーはいかない・・・という、ある意味ラクな状況
これがあまりにもそのまんま適用できすぎてさ(笑)。
なんでまた、そんなループしなければいけないのか。
この前も、「IEのほうが(俺にとっては)不便だよ」という意見はこっちにとってありがたい話だ、というのはしたよね。
「IEはタブを閉じるマークの×が常に表示されてない、欠陥だ。クロームのほうが優れている・・・」というツイートだったらどうなのか、という話も。
で、さっきの話だが
「DMよりファボのほうが重要である、そっちを強調せよ」というのが、私の「DM到着の表示機能がほしい」への反応であれ、それ単独のつぶやきであれ・・・、仮にそれを読んだ私はどう思うだろうか。
「わたくしは、それとは別のものに、より重要性を認めますが、そのように機能、デザインへの要望を語るのはたいへん、意義深いこととおもえます。みなが、それぞれが求める理想の機能やデザインを、自由闊達に、活発に述べ合える、社会であることで、新しいデザインや機能の変化を、うながすことを、希望します」(※おそれおおいが、先代風の口調で)。
という、実にまっとうな、すきのない意見を申し上げることになるだろう。これが間違っている、というひとはたぶんいない。
そう、デザインや機能の要望は、A案もありゃあB案もある。そしてA案はB案と相互に排する関係にあることもある(あったりまえだ)。
じゃあどうする?
むつかしいね。
むつかしいね。
答えは・・・・・・・・・・みんながとりあえず自由に、、思うままに、”自分の”要望、願望、合理性に沿って、声を上げるのが一番なんだよ。
上で再引用したふたつの囲みは、そのことを書いている。
そして・・・・
>じゃあ「@つながり」画面で通知されるものを、それぞれ好きな色なりマークなりを付けられるように設定・・・・グリフォンは、そんな複雑な設定使いこなせるかな。かなり不安が残る
おお、新庄、おまえもようやくニコガク野球部に入るかね(古いネタだ)。いまからでも全然おそくないぞ。
そうだ、どんどん、自分の「色つきマーク」みたいなデザイン案、機能案をネット上で語っていけ。おれはそれを、あたたかく見守ってやるから。上の二つの囲み引用の通りだ。それが、今までそちらが否定してきたことと、本質的に同じであったとしても。
それでそういう機能を備えた、新しい「メモッター」でもたちあげてみればいい。
そのとき
「twitterは自分が特に注意したい反応を、強調できない【欠陥】がある。メモッターのほうが【優れて】いる」と、好みの問題であっても、そうつぶやいてあげよう。
ごみばこ その5
数日こちらの用事で空いてしまい失礼。
ひとごとながら「タイトルのしばりが、ネタ切れになりそう」と心配していた(宝島の引用暴露本とか「パイプのけむり」みたいに)が、引用ジャンルが拡がれば問題ないか。
では本題に。今回は2エントリーある。
まず
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130405/p1
「主観だと示してるか、してないか」という話では「と思う」「と感じる」的なことを書いてあればOKなんだって。
>「欠陥」を使う文章を随分とたくさん出している。まずは短文が列挙。けど、これは前後の文脈見ないと分からない
んなこと無いって。
前も後ろもない、これを普通にツイートされた、twitterでの1ツイートだと思って判断してみなさいよ。今回と同じように。
しかも「他のツイートでは表現が違う、謙虚な書き方してるのに」って。さすがにそれは無茶な理屈だろう(笑)。てか主観を示す表現が「別のところにはある」ことで、何かが示されるの?せいぜい、表現が幅広ければ広いほど「・・・は俺の知ってる・・・じゃない」があほらしい、ということの証明ぐらいにはなるだろうけど。
>まあね、ツイッターは140字という制限があるからね。上記なんて、ぴったり140字。主観なんだが、それを表明する余裕がなかった。うんうん。きっとそうなんだ
実際に書いた記録として残しておくと、勿論自然に書いてそのまま140字ちょうどとなることは滅多にない。正確な記憶は無いが元の文章を縮めて縮めてこの表現にしたというのはその通り、そして文章を縮めるとき、これはたぶん私だけでなく一般的にやる人が多いだろうけど、いわゆる”I think ””I feel”に相当する部分は削る優先順位が高い。
で、これで関連して面白いのは
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130329/p1
での、(主観)を括弧でくくってわざわざ文章の末尾につけている表現手法。
本人としてはここでは冗談、ギャグ表現のつもりだったわけだろうけど、実はこれ・・・『一般的な文章では、「○○○と自分は主観的に思っていますよ。異論は認める」というのと「○○○なことはだれにとっても正しい、普遍的な事実。異論はみとめない」という区分けを普通は、いちいち表現中に盛り込むとは限らないよね』、ということを実は反対方向から、この上ない形で示しているんだよね(これにかっこをつけるなら「主観」か「客観か」(笑))。ありがたい話だ。
まあ、過去も未来も、twitterでもブログでも、自分は主観と客観を分け前者には「・・・と思う、感じる」とぜんぶつけていた、という人がいたらその文章を読んでみたいものだ。たぶん該当者はメモ氏を含めあまりいないだろうし、全然参考にするつもりはないが。
ただギャグか本気かはともかく
>おれがそう思うんだから間違いない
という話なんだから、そういうもんだと思えばいいだけか。
てか、主観的な判断だと分かればいいのであれば、twitterのDM通知機能の話は「〜ればいいのに」と、願望であることがはっきり書かれているんだから無実の冤罪、無罪放免・・・とちゃうかね。
そして次。
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130406/p1
>おれに「論」だ「議論」というんだが、それは議論という言葉より、ディベートという言葉からイメージされるような、つまり、とにかく言い負かしゲーム的な揚げ足の取り合いを指している気がする
感情的な罵詈雑言のみの文を控えるように、というのが一番メインの意味です。今回はだいぶ抑え気味でいいと思うよ。
で、はじめに「文章を削られた」との文句が出てるが、略したのは普通に、引用をすっきりさせるため。(下段パラグラフは短いのに略したというが、そもそも両パラグラフはひとつながりであることにも注意))
というか下で書く話になるけど、アプリを使う(自分の実務的解決)の話と、公式への要望の違いが分かると、引用部分の選択の意味がそのまま分かる。
では始めよう。
、
>出発点は、グリフォン様の不便であったにも関わらず、グリフォン様の関心は、その解決ではなく、実現の可能性は極めて低いオフィシャルへの要望に完全に切り替わってしまって
はー。
これ、下のテーマで詳しく述べるが、けっこう重要な部分、といえるかもしれない。
まずね、
まことに申し訳ないが、結局DMについて2013年4月9日時点での個人的な解決手法は「毎日DM欄を見るようにした」だ(笑)。一応、それで現状は解決してる。火打石どころか、木の棒をまわして火をつけるようなもんだな。
そりゃそうだ、多くの不便や危険は実際のところ、なんだかんだとこういう「ひと手間」「ひと注意」によって解決する。だからtwitterの表示機能についても、タブ削除ボタンの表示機能にしても、要望をネットで書いて、それが公式の開発者に伝わって、、実現するか・・・とは別問題として、実務的にはそうやって解決。
それは「現行はてブのデザイン見づれーよ!」論者も「くそっ、USBは上下間違えちゃうよ!」「ちくしょー!アクセルとブレーキ間違えて塀にぶつかっちゃったよ!」な人もそうだと思うが。そして皆、それとは<別に>、デザイン(公式)への要望、意見、批判を書いているんじゃないかね(その文章に「・・・と思う」「と感じる」という主観的表現がどのぐらいの割合で使われているかは知らない)。
だから他の人には(一番の理由は議論の手間をかけるほどでもないマイナーなトピックだったってことが大きいんだが)ほんの一、二のやりとりでおしまい。
そしてそもそも、twitterでもグーグルクロームでも、「実現の可能性が極めて低いオフィシャルへの要望」に途中で切り替わったでもなんでもなく、まず最初に書いた時点から実現可能性は低いじゃろ(笑)。
そして自分の問題の実務的(個人的)解決はまた別問題で「DM欄を何度も見るようにしました」はそれはそれでいい解決法じゃろ(笑)。
(この例だと、まさに「デザインへの要望や意見はまた別物だ」ということもわかりやすいな)。
>まあね、リアル知人からしたら、だはは、グリフォンさんらしいなで終り
ま、このへんは以前書いたように「対立してる人への人物評」に関する書き手の信頼性がどーもね(笑)。
まあ契約が難航した某強豪選手(&マネジャー・トレーナー)ほどへの悪意はないだけ、まだましとすべきか(笑)。
リアル知人から見たら今回のも「人物評が信用できないのがメモさんらしい」「…(面白いことかけたが削除)なのがメモさんらしい」で済むっちゃすむだろうが。
>ずれてなきゃそれは同じモノであって、ずれどころか、ウェブとメールという元々違うもんだから補完になる
ん?届き方が別なら届ける項目が同じでも補完になるでしょ?それを「ダブルチェック」だと書いたじゃん。現在公式では「みんなの反応(@つながり)」とメールで受け取る通知に、DM関係は特に違いがあるでしょ?その差の話だよ?
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さて、最後に、上に出てくる「実現可能性」のはなしにからめて、ちょっと書こう。
むしろこれが、不毛な相手との対話の中で、ほかの人にも考えてほしい大きなテーマ、根本の出発点だったかもしれない。
自分がなぜ、こういうデザインの話にも興味をもって何かを書いているかというと、下のリンクに示したものと同じ範疇として捉えて考えているからだ。
たぶん、実務でそれに近い人だと逆に日常的には考えないかもしれないね。
だから、このテーマを最初に提示したほうがよかったのかもしれない。
自分が天下のtwitterさまやグーグル様、はてな様のデザインを語るのは・・・たとえばこういうテーマは、さらに大きなものだが・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120424/p2
■朝日新聞企画「カオスの深淵」が面白い。「母親は2票」「役職は抽選で」など”もうひとつの民主制”紹介
ハンガリーで実現には至らなかったものの、極めて真面目に検討されたという「子育て中の母親には2票を与える」という憲法改正案・・・(略)日本で「年齢別に選挙区をつくる。余命に応じて議席を配分する」という制度を考案した一橋大の竹内幹教授の論などを紹介している
(略)
「中選挙区制復帰論」もそうだけど、小選挙区と中(大)選挙区と比例代表と・・・どれを選んでも、結果はことなる。第一院と第二院の権限のデザイン・・・フランス大統領の「二回投票制度」・・・(略)実際にある制度、学者の机上の空論もひっくるめて、こういう制度の比較や「君が作ろう、選ぼう、選挙制度!!」という意識で比較検討させれば、民主主義は鍛えられる
■「テレビ局の視聴率なんて、新聞欄の左右やchボタンの位置で変わるんだよ」説。そして政治も・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120505/p7
本来はそこにちゃんと意味があるべき、考えがなきゃいけないものを、並びだとか色だとかによって左右される・・・という話にロマンを感じるのは、時々自分がここでスローガン的に掲げる「科学(医学的事実)が民主主義の上に立つ」という話の一変形、だからかもしれない。自分で自分の興味のあり方を分類できて嬉しい。
で、好きだから、昔からこういう事例を集めている。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090621/p3
有権者は、「一人一人がよく考え、良心にしたがってその人なりの最善の判断の上に投票している」はずというのが民主主義の建前。さっきの言葉で言うなら「正論」
しかし「名前を書くか、記号に丸をつけるかの方式の変化で結果は変わる」というのは圧倒的な現実(だろう)、科学的というか医学的というか、そういうたぐいのものとしておそらく動かしがたい・・・という真実。
この緊張関係を考えるのが、個人的には好きだなあという話でした。
最後のエントリではすでに「選挙制度が代われば新人政治家も当選しやすくなる」という話と、「人を刺せない形状の包丁」「野宿できないベンチ」の話を同じカテゴリーで示してるよね(笑)
上の話も、「年齢別選挙区」がいつ実現するのか、実現可能性はどれぐらいか・・・といえばかなーり低い。
あるいは「若者を教育し、政治参加の意識を高めるべきだ。そうすれば解決する」という別の手段はある。
しかし、そんな反論は無意味だろ(笑)?そしてまた、この研究者が実務的、個人的には、現行制度上で若者の政治意識向上を促すボランティアをやってても、新人議員当選の応援に熱中してても別に矛盾は無い。
自分が世界的大企業であるtwitterやクロームの公式の機能、デザインを語りつつ、そして結局twitterのDM読みのがし対策は「まめに見るようにした。」で終わらせているのは、それと同様なおはなし。